大炎上
ラドが掲示板を立ててから数日後。異変に気づいたのはリレイラだった。
「外が騒がしくありませんか?」
ここ数日は新魔法の開発や新しく作る騎士団についてリレイラやイチカと相談をしていて、ずっと官舎に引きこもりだった。特に魔法の研究は興が乗るとぶっ続けでやってしまう悪癖があり、すっかり外界への興味を失っていたが、言われて窓の外に意識を向けると、確かに普段と違う街の喧騒がする。
なら理由は一つしかあるまい。
「きっと騎士団に入りたい人が来たんだよ。それも団体さんかな」
どの位の人が集まっているのだろうか。
期待に胸を膨らませて、能天気に鼻歌など口ずさみながら窓を覗きに席を立つ。
「その希望は楽観的かと思います。数日前から官舎の周りには身なりの貧しい方々が集まり始めています。主任は自宅警備中なので気づかなかったでしょうが」
「自宅警備って……キミはどこでそんな言葉を覚えてくるかな」
リレイラに苦笑いを送りつつ連子窓を跳ね上げて二階から外を見下ろす。
身なりが貧相な人達が集まってくるのは当然だ。何せ掲示板を立てたのはそういう所だったのだから。
予想通り官舎の周りには五、六十人の明らかに貧民層の人々が集まっている。だが雰囲気は応募のそれではない。何やら空気が重々しく不穏だ。
「出て来たぞ!!!」
窓から出てきた小さな頭を見つけた誰かが叫ぶと、集まった人々はまるで鬼軍曹に鍛えられた訓練兵のように一斉に顔を上げる。
こちらを睨みつける瞳、瞳、瞳。
その目の色にラドは見覚えがあった。
パラケルスの市場でボコられたときに見た敵意の色、人だけが持つ悪意の目だ。
「マージア!!! 降りて来い!」
「卑怯者!」
「アイツを倒せ!」
「貴族の横暴を許すな!」
「国賊マージア!」
矛先を見つけた人々が申し合わせたように声を揃えて怒りの言葉をぶつけて来る。
言葉が耳を抜けた瞬間、ラドは胸にある何かの臓腑を絞られるような強い圧迫を感じた。
怒っている。とにかく怒っている。
それは分かる。
だが、言葉の意味が分からない。
国賊ってなに? なにが横暴なんだ?
分からない。
分からない。
分からない。
分からないから怖い。怖くて震えが止まらない。
なぜ。
なぜ。
なぜ。
「……ラド?」
――なぜ卑怯?
「ラド」
――なぜ僕が?
「ラドしっかりしてください!」
――なぜ恨まれている?
「ラドっ!!!」
胸のど真ん中にイチカの声が飛び込んできて、ハッと我に返る。
投げられた言葉への準備が余りにも無くて、怒りの圧に負けて頭が真っ白になっていた。
だが真っ白になったのは頭だけではなく体もらしい。とりあえず窓から離れようとするが、動きたくても足が震えて動かない。
「ごめんリレイラ、ちょっと支えてもらえるかな」
情けないが声まで震えている。
「はい、構いませんが、どうしたのですか主任」
横から肩を支える黒真珠のようなリレイラの瞳がこちらを覗き込んでいる。
無垢な瞳だ。
きっと自分も私心が無ければこれほどショックを受けなかっただろうと直感的に思うような。
「ち、ちょっとびっくりしちゃって」
ただ事では無いと悟ったイチカも、慌ててラドの横に付き腕を取って支える。
「ラド、震えています。いったい何があったのですか」
イチカが絡める手の温もりが、自分を虚実の実の世界に戻してくれる。イチカの香りが、世界の音が、ざらつく舌の気持ち悪さが順に戻ってきて、そして二人の前で子鹿のように震えている足の感覚までもが戻ってきた。
そんな弱っちい自分が恥ずかしくなり、赤くなっているだろう顔面を見られたくなくて顔を伏せる。
「どうしましたか主任、泣いているのですか?」
無粋なリレイラの言葉を否定したいが、震えている声では否定も出来ずふるふると首を振る。
そんな様子をイチカはどう思ったのか、添わせた手を背中に伸ばしラドを横からぎゅっと抱き締めた。
「大丈夫です。驚きましたね。驚いただけですから」
イチカは大きくゆっくり頷いて、にこっと口角を上げてから、もう一度ラドを抱き締めた。
窓から離れてやっと落ち着きを取り戻したラドに、リレイラが声をかける。
「それで、どうしたのですか主任」
ラドはすっかり水分を失ったカサカサの声で答える。
「聞いた通りだよ。横暴だと……言われて心が凍っちゃった」
「たしかにそんな事を言っていました。しかし主任は横暴ではないのですから狼狽する必要はないと思うのですが」
「ラドが横暴ですって!? いった何を見てそんなことを!」
淡々と喋るレイラに対し、珍しく怒るイチカ。
「たぶん魔法兵募集のせいなんだ」
「そんなにひどい事を書いたでしょうか」
「実はちょっと予感があったんだ。皇衛騎士団の魔法騎士と話した時、パーンとの混成はありえないって言われた」
「しかし、街の方々はマージア騎士団には好意的です」
「僕もそう思ってた。それに騎士共は貴族だから名誉ばかり考えてそんな事を言うのだと。でも誇りを傷つけられるのはそっちじゃない」
「誇り……ですか?」
「どれほど酷い生活をしていてもヒトの方が半獣人より優れていなきゃいけないんだ。それが底辺で暮らすヒト達の救いだから。けどパーンが騎士団に入れば見下していた者達が上にいってしまう」
「それはラドの考え過ぎではないですか」
「いや、あれは敵意の目だった。奪われた者の怨みと怒りの眼差しだった」
リレイラはラドが言った言葉を確認しようと、ラドの背をさすっていた手を止め連子窓に向かって大股で歩きだす。
「危ないから止めた方がいいわ」
イチカは止めようとして慌ててリレイラの手を取るが、リレイラはその手を払って窓の横に体を収め、躊躇いもなく外を見た。
外の声は先程より明らかに大きくなっている。
結果的にラドが顔を出したのが良くなかった。攻撃の対象者を認めた集団はすっかり勢いづき、燃料を投下された炎となって官舎の前を取り囲む。
どこから集まってきたのか頭数もかなり増えていた。
「マージアを引きずりおろせ!」
「ヤツは奴隷を先導している!」
「敵はシンシアナじゃない、マージアだ」
連子窓を超えて聞こえてくる言葉は苛烈だ。
そして無茶苦茶である。
準貴族とはいえ曲がりなりにもラドは貴族だ。それがまさか抗議デモの対象になるなんて。
貴族は強い権利を持っている。平民に対して徴兵や労役を課すことができるし、気に入らないヤツは成敗することもできる。
狂獣の合のときは戦費を捻出するために、アンスカーリは有無を言わさず人頭税をかけたが、皆はそれを黙って受け入れた。刃向えばとんでもない事になると知っているからだ。
準貴族もそこまでではないが、自分の裁量で徴兵し兵団を作れる。大義名分があれば平民を打ち首にすることも出来る。法律なんてない国だから、より上位の貴族が文句をつけなければ大概の事は許されるのだ。
それなのに、である。
皇衛騎士団メンバーが言っていた、『大騎士団は違う』というのは本当だった。準貴族風情が作った私設の騎士団だから、しも街道警備程度だから笑って許されていたのだろう。
この国の人々はシンシアナ人に比べれば総じて温和だが、決して従順でも受動的でもない。自己主張は強いしプライドは高い。攻める所は攻める目敏さがあるからこそシンシアナと狂獣に挟まれた環境の中で、ここまで大きな国を作れたのだ。
ナメていた。完全に読み誤った。
「敵構成員を報告します。目測で十の六がレイベランダーです。ブレスレットが見えます。現在増加しているのは一般市民です。活動の中心はレイベランダーですがリーダーと思しき者はいません」
周囲に集まる人々を敵とみなしたリレイラが作戦モードに切り替わり報告を行う。
「リレイラ、彼らは抗議をしているけれど敵ではないわ」
「いえ、彼らは敵とみなすべきです。なぜなら――」
続きを言うまでもなかった。窓の外からゴツゴツと何やら固いものが当たる音がし始めたからだ。
「投石です。下には大量の石が用意されています。彼らは攻撃するつもりです」
明らかに集団の行動はエスカレートしていた。
「なんでレイベランダーが団結してここに来るんだ?」
「それについては心当たりがあります」
イチカが小さく手を上げて答える。
「内緒にして欲しいのですが、アキハに聞いたことがあります。魔力を深く共有すると相手の思考が流れ込んで来るそうです。魔法鋼の実験の時にそうだったと」
「古文書にもその記述があります。メンタル・フィジカルコントロールの章に魔力精神感応の記述があります。まだ解読中ですが並行詠唱の副作用です」
「なるほど思考ね……」
今更だが、やっとラドの思考が動きだす。
レイベランダーは貧民層が多い。
王都が豊かだなど幻想だ。職に就けない者、使役されるもの、権利を持たない者はパラケルス程ではないにしろ幾らでもいる。そんな人々は例外なく心の奥底に虐げられてきた怒りや不満、そして僻みを抱えている。
このような負の感情は往々にして根深く強いものだ。
そんなマグマを抱えた彼らが、魔力を共有している間に負の感情を共有し、反貴族思想をまとめ上げてしまったのだろう。それこそ魔力を介して広まる伝染病のように。
そして同じ思想を持った者達が集団になり暴挙に出た。
集団には人を陶酔させる力があるから、一人では出来ないことも集団なら出来てしまう。普段は大人しい一般人もこの機に乗じて不満の行動を起こしたに違いない。
その矛先が成り上がり者の自分だった。正直誰でもよかったのかもしれない、だが“誇り高き皇衛騎士団にパーンを入れる愚かな準貴族に鉄槌を食らわす”という錦の御旗を与えてしまった。そりゃ叩いてくれと言わんばかりだ。
他人の失態を合法的に責める快感は自分もよく分かる。なぜなら自分もつい最近までどん底と言えるほどの貧民だったのだから。
抗議の声は一層大きくなり、投石はあられのように壁を叩き激しさを増している。
「半獣人は殺せ」
「ガウべルーアの誇りを守れ」
「マージアを殺せ」
もはや声は『殺せ』になっている。
そして投石にまじって外壁からベタベタと妙な音がし始めた。そして鼻が曲がるような悪臭。
「ラド、入り口の方に避難しましょう、格子のすき間から入ってきます」
なんと汚物攻撃。これには流石に怒りが沸いてきた。
「糞便を投げるって、田舎のパチンコへの嫌がらせかよ!」
「主任、どうしますか? これは近所迷惑では済まされない事態かと思われます」
投石ですら近所迷惑では済まない話だ。だがどうすると言われても答えはない。なにせ思想により意思統一されたリーダー不在の集団だ。交渉相手はいないし、黙らせる相手も全員になってしまう。そもそもこの状態で冷静な話し合いなんて不可能だ。
「どうしますか?」
話し合いの場に引っ張り出すためには、一旦、力で押さえるのがいいが、生憎ライカもイオも裏街へ採用試験に行っており今は居ない。この三人だけじゃ暴徒を穏健に無力化するのは困難だ。
集団魔法を使うこともできるが攻撃用途のものばかりで、普通に使えば皆殺しになってしまう。そんな虐殺はさすがに準貴族でも許されない。
「どうしますか? 主任」
よくやるのは第三者に入ってるもらう手か。口がうまいカチャがいればレイベランダー達を宥めてもらって、時間をおいてから話ができるのに。こんな時に限ってカチャは商団設立の準備でずっと不在だし。
「どうしますか? 主任」
魔法の威嚇射撃で相手の戦意をくじく手はあるか……
「主任、どうすれば」
「ああもう! いま考えてるよっ!!!」
しつこく聞いて来るのでイラっとして八つ当たりをしてしまう。
「リレイラもラドに求めるばかりじゃなくて考えなさいな」
「しかし戦闘中に上官の指示を仰ぐのは――」
「さっきも言ったけど、今は戦闘中じゃないでしょ! 彼らは敵じゃないの!」
「しかし我々は攻撃を受けており、もはや穏便に事は進みません。そして政治的手段が閉塞しているからこそ武力を用いるのではないでしょうか」
「そんな分析なんて今は求めてないわ。どうやってこの状況を打開するかでしょ」
「ならば、主任が皆の前に出て誤解を解きますか?」
誤解を解くか。確かにこのまま石と糞便を投げ続けられても埒があかない。いっそ覚悟を決めて暴徒の前に出るか――しかしココで彼らを刺激すれば更に凶暴になるかもしれない。
「イチカはどう思う?」
「時間を味方につけて、落ち着くのを待ってはいかがでしょうか」
「その思考は消極的かつ希望的です。戦略的思考の対極にあります」
「いいえ、いまは冷静さが双方の求められる要素でしょう。まず感情を理解するアプローチが有効じゃないかしら」
「ならば今すぐ外に出て彼らの声を聴くべきです」
「冷静さを失った群衆にラドを出せというの! そんな事をしたら彼らは一層ヒートアップします」
「ならばここから見ているのが良い判断だというのですか」
「ここから話しかければ良いでしょう」
「上から話すのがイチカが主張する感情を理解する良いアプローチとは思えません」
「ならリレイラはどう対処するのよ」
「リーダーと交渉することを推奨します」
「リーダーがいないた言ったのはあなたよ!」
珍しくイチカがリレイラに食いつく。ホムンクルスはおおよそ思考の方向性が一致しているので、このように意見が割れるのは珍しい。更にどういう本能か分からないが意見が食い違っても、口論に発展せず黙ってしまうことが多い。
なのにこの問題に関して、二人は明らかに異なる主張をぶつけている。これは問が軍事行動ではなく、答えのない哲学の問題だからだろう。
「二人とも一旦落ち着こう。もう少し様子を見てから考えよう」
だが十分もしないうちに事態は大きく変化していく。
投石と糞便の抗議が止まったと思ったら、今度は外で乱闘の声が聞こえてきた。
その異変にイチカとリレイラは口論を止める。
「外の方々が揉めてませんか?」
何が起きているのかを知るには汚物でまみれた連子窓を上げて外を見るしかない。手書き汚れてしまうが、外の様子はもはや異常で汚れなど気にしている場合ではなかった。
そうして窓から首を出して見た光景に、ラドは幻惑を覚えた。
石畳の通りにはものすごい数のヒトとパーンが集まり、掴み合い乱闘と魔法攻撃による殺戮になっている。
「あれは裏街のパーン達……」
王都のパーン奴隷は二種類に分けられる。所有者に使役され街の表で働かされる奴隷。もう一つは王都の裏で屎尿運びなど忌み仕事させられる人目に付かない奴隷。
いまここに出てきているパーンは、後者、つまり裏街の者たちだ。
官舎に飛んできた糞便は彼らが運ぶ屎尿桶のものだろう。たぶん誰かが糞便を投げることを思いついて、裏街から奴隷のパーンを引っ張ってきたのだ。だが経緯は分からないが乱闘になった。
パーンは手足に拘束具をつけられ自由を奪われているが、それでも力の強いパーンはヒトと互角以上に戦える。だから乱闘は魔法を使った殺しに発展したのだ。
たくさんのパーンが道端で焼けていく姿……。
悪夢のような展開。
言葉を失い倒れそうになるラドを、イチカとリレイラが支える。
「なんでこんな惨状に。もう止められないじゃないか、こんな状況で僕が出ていっても」
もう絶望しかなかった。パーン達が死んでいる。街中で火の魔法が使われどんどん殺されてるのだ。そして相手は同じ王都のヒトで、彼らは暴徒と化して、もう言葉すら通じない。
「状況は変わりました。時は私達の味方をしていません。今すぐに動かなければ更に大変な事になります。私も一緒に行きますから外に出ましょう。この乱闘を止められるのはラドだけです」
イチカが喧噪に負けない大声でラドに告げる。
「大乱闘になっていますが主任のせいではありません。もちろんリレイラもお供します、一緒に彼らの前に」
「……ここまで大きくなった騒ぎを僕が止める? もともと抑圧されていた力が暴発してるんだ。こんな騒ぎの中で声だって届きゃしない、もうこの暴動は行く所まで行くしかないんだ」
「止められます! パーンの皆はラドが動いたから立ち上がったのです。それはラドだから出来た事なんですから!」
「一度作った結果なら、もう一度成せるのだと、主任は魔法の研究で私に教えてくれました」
「自分を信じて下さい。出来ます、ラドなら止められます!」
「初めての街道警備から戻ってきた日、王都のパーン達は私達の気づかぬ所で、ライカやイオ達が晴れ晴れしく王都を歩く姿を目に焼き付けています。だから裏街のパーンは主任の声を聴くのです。未来を、可能性を信じているから」
「しっかりしてください! あなたが未来を信じなくてどうするのですか!」
二人の言葉がラドの頭の中に映像となって見えてきた。半獣と言われる耳や尻尾や牙を持つ人ならざる生き物。しかし透き通った純粋な瞳が自分を見つめている。
自分は彼らと共に生きようとして、彼らを守る盾になろうとしてきた。でもいつの間にか彼らを護る騎士気取りになり自分に陶酔していたのではないか。
だから皆の前で失態を犯し尊敬を失うのが怖くなったのだ。
あの震えはその恐れ。
――大事にしたかったのは何だった。一番に考えるのは何だった。思い出せ!
問いただす自分の背を押す一言が耳朶に響く。
「あなたはなぜ騎士団を作ったのですか!」
イチカの言葉に目が覚めた!
「僕は……皆の笑顔が見たかっただけなんだ。出来るかなんて考えてなかった。失敗だらけの道だったんだ。これだって失敗したら戻ればいい。今だって出来る事はまだある。だってこの事態の結末はまだ決まって――」
そう言いかけて立ち上がったラドが、白目を剥いてヘナヘナとその場に崩れ落ちていく。
その背後には血に染まった角材を持ち、肩を怒らせた男達が立っていた。
手には黒いブレスレッドが光っていた。
仕事が変わって増えるのはサラリーマンの常。
ちょっと仕事に慣れるまで更新が遅くなってしまいそうです。