カチャ×親方=暴走
カチャはマージア騎士団の仲間を集めると、自ら馬車を引いて狂獣と皇衛騎士団が戦った戦場に向かう。
あの出来事は、王都では「狂獣の合」の名称で定着しつつある。このような事件や戦いは魔法局が名前を付けることもあるが、今回のように自然発生的に名前がつくこともある。そして案外庶民の方がセンスが良かったりする。
サルタニアであった大襲撃「サルタニア事変」は、魔法局が名前をつけた。
今回の狂獣の襲撃「狂獣の合」は、街の酒場から発生した名前だ。
戦場跡にはまだ狂獣の遺骸と魔法兵の遺体が放置されている。自国の仲間すら埋葬する風習のないガウベルーアである。狂獣の死骸をどうこうする気は当然ない。
この国では比較的乾燥している気候もあいまって、死体は放置するのが通例になっている。一か月も置いておけば、骸は骨になり、その骨も数年もすれば風化して砂になる。
そして亡骸を放置する慣習のせいか、宗教という概念がこの国には存在しない、宗教がないから当然、神もいない。
心の拠り所や内なる規範がない世界だから、人々は刹那的で自己中心的になりやすい。もっともこの原因を信仰に求めるのは、少々飛躍しすぎだが。
まだ生乾きの死骸から鼻を突く異臭が漂う中をカチャは進む。
「みんな、狂獣が持ってた鉄の武器を集めるんや! 集めるんは鉄だけでええで!」
亡くなった兵が使っていた武器は状態が良ければ同胞の兵により回収されるが、狂獣が使っていた武器は大抵放置される。錆びた武器など使い物にならないし、一般人が拾っても加工のしようもない。なにより売り先がないからだ。
しかもどのような病原菌が着いている分からず、拾っている最中にうっかり刃など触って怪我でもしたら、狂獸に噛まれたのと同じ病気を起こしてしまう(と信じられている)。人々はそれを恐れて拾うことはない。
だが、マージア騎士団に居るメンバーはみなパーンであり、そのような不安はないメンバーである。なんら心配することなく狂獣の持っていた武器を拾って歩ける。
匂い避けに顔をマスクで覆ったちょっと怪しい姿のパーン達が一時間近く武器を拾うと、馬車の荷台は錆びた武器で半盛りになる。
「うーん、これ以上積むと馬が引けへんか?」
カチャが腕を組んで唸る。
「いや、この馬車は車軸に工夫を凝らしてるから、平盛りくらいなら積んでも大丈夫だよ」
「へぇ~、どこでそんな荷馬車、手に入れたんや」
「んっふん! 僕が作った」
「ホンマか! ラド坊はかしこいなぁ」
カチャはしゃがんでラドの頭をぐりぐり撫でると、『偉いねぇ、坊っちゃん』と言わんばかりの笑顔を投げかける。バカにされたものだが本人は悪気もなく純粋にやっているのだから始末に負えない。
「ほな、もうちょい集めよか」
カチャは立ち上がると声を張り上げ、もう少し武器を拾うように指示し戦場跡を駆け巡る。
「さて、お次はマッキオ工房にいくで! ここからは二手に分かれるさかい。ライカはんはマッキオ工房いってくれへんか? アキハはんにいうて、これを溶かしてもろうてくれる? 転炉を使うから銭は弾むっていっとき」
ライカはきょとんとしながら、「うん」と答える。
「あとライカはん、ちょっと手裏剣、借してくれへん?」
とライカの腰から、棒形の手裏剣を一本引き抜く。
あまりに当然のようにやるので、ライカは良いも悪いも言う暇がない。
「やっぱな、ええ仕事や」
カチャはふんふん頷くと、しれっと懐にいれる。
「ウチとラド坊は別行動や。ラド坊ならウチがどこに行くか、もう分かるやろ?」
「だいたい察しがついたよ」
「ほな、ラド坊の人脈、いかんなく使わせてもいますわ。よろしゅう!」
「ほんと、根っから商人だなぁ」
「せや! ウチは商人や。せやから商人として落とし前、きっちりつけさせてもらうわ」
さてカチャとラドが向かうのはロザーラの所だ。
白百合騎士団の詰め所の前を、いつも通りフラリと通ろうとすると、カチャを見た衛兵は手持ちの長棒を斜にして、カチャの足を止める。
「おい、ラド殿の同伴といえ、一般人は立ち入り禁止だ」
女衛兵の作った低い声。
「ちゃうで、ウチはマージア騎士団の団員や」
「制服はどうした、証書を出せ」
抑え目にしゃべる女性の声に本能的な怖さを覚えるのは、男性特有のものだろう。男ってのは女の前では常にやましい生きモノなのだ。
だがカチャはそんなトーンにびくびくせず、「今日、デビューなんや。まだ証書も制服もできてへん。せやけどロザーラ様にご挨拶にきましてん。ラド様の大切な人なんやろ? ウチはラド様の御身をお守りする立場やさかい、一言ご挨拶しよ思いましてん」
よくもまあ、こう出鱈目が口から出るもんだと思うが、その言葉に信ぴょう性があったのか、衛兵は「わかった、私どもの目の届く範囲で面会を許す」とあっさり許可を出す。
「おおきに。ありがとうございます」
ペコリと頭を下げて門を通過すると、カチャはぺろっと舌を出して「ちょろいもんやなぁ」とラドにだけ聞こえるように本音をさらけ出す。
「バレても知らないよ」
カチャには騎士団に入れると言ったが、まだ登録はされていない。だから公式には一般人のままなのだ。
「バレるもなにもあらへん。そんときは連れてきたラド坊も同罪やさかい」
「ちっ!」
舌打ちするのも計算済みと、カチャはニカニカと笑ってラドのほっぺたをぷにぷに人差し指で押して、いたずらをする。
「やめてよ。カチャは僕をおもちゃにしてるだろ!」
「そないなことあらへんあらへん。かわいいもんが好きなだけや」
全く調子のいい。たが糸目に笑うカチャの目の奥に真顔のカチャが居るような気がしてならないので、本気でやめろとも言い難い。
練兵場からちょっと歩いて、司令棟の入り口あたりにカチャを待たせる。
「じゃ僕はロザーラを呼んでくるから。いいカチャ? ここで大人しく待ってるんだよ。絶対動かないでよ。急いでロザーラを呼んでくるから」
「なんも、そない言わんでよろしいわ。ちゃんとココいるよって」
「絶対だからね」
そう言い残すラドの背中をカチャは胸元で小さく手を振って送り出す。
「さてと……」
カチャは独り言ちると、自分のお腹をポンと叩き練兵場のど真ん中に向かった。
練兵場は砂を軽く敷き詰めた一ホブ四方はある広場だ。周囲は建物に囲まれた閉じた空間になっている。ここで歌ったらさぞかし声が響くだろう。
その四角く切り取られた空を独り占めする位置、つまり真ん中に立ち、カチャは両手を広げ、ぐるっと一周、周囲を見回す。
「ここがウチの勝負どころや。団長。みててや」
すぅとお腹いっぱいに息を吸う。
「ここにおわそう、みなみな様―――!!!」
練兵場に隅から隅まで届く大声。
「わたくし、マージア騎士団の兵站長を務めております、カチャと申します。お初にお目にかかりますーーー!!!」
もちろん兵站長なんて嘘っぱちだ。そんな部隊もないし、そんな役割もない。
「ご存知やと思いますが、マージア騎士団の大活躍。みなさん、その力の源を知りたいとおもいまへんか?」
「今日は、皆さんにこの秘密の種明かしをしよ思うて、わたくしはやってまいりました。お忙しゅうとは思いますが、お手を止めて集まってきてくれまへんかーーー!」
その声に練兵場を囲繞する建物から、ぽこぽこと顔が出てきた。
その頃、ラドはロザーラの呼び出しに大いに手間取っていた。
ちょうどロザーラは、近々行われる“狂獣の合”討伐における、ブルレイド王の公開褒章授与の警備の打ち合わせのまっ最中だった。それを中抜けしてもらって、なんとか会えたという状況だった。
「ごめんごめん。忙しいタイミングで」
「なに、気にすることはない。わたしなど末席に立つだけで、さしたる役はない。ところで急用のようだがどうした?」
「実は今度新しく騎士団に入った子を紹介したくて」
「そうか騎士団も段々と大きくなるな。だが紹介とは珍しい」
「それがちょっと変わった子なんだ」
「何を言うか。ラド殿の所のメンバーは常に変わっておろう。今度はどんなヤツだ。まさか犬、キジではあるまい……ん? なにやら外が騒がしいな」
「そういえばそうだね。犬、キジって。僕はそれほど奇抜じゃないよ……なんだろうホント騒がしいね、みんな物見せに集まるように向こうにいくけど」
「練兵場の方か?」
「そうだねぇ。それは置いといて、その子の名前をカチャっていって、今、練兵場に――カチャ、カチャか!!!」
「どうした? ラド殿」
「ちょとロザーラ、一緒に来て!!!」
ラドはロザーラの手をもげんばかりに引いて、急いで練兵場に戻る。
そこで見たのは、練兵場の真ん中にわいのわいのと集まる、白百合騎士団の団員達。
「間違いない、やりやがった!」
「なにをやったのだ?」
「カチャだよ! もうっ! 約束が違うじゃないか」
ラドはロザーラはに人混みをかき分けて練兵場の中心に向かう。聞こえてくるのはカチャの声。
「――その切れ味が違う! 相手は骨の太い狂獣や、こっちは力の強い半獣がいるとて、まともにぶつかりゃタダではすまない。けど、うちらには知恵と勇気のラド・マージアと、秘密の武器がある! おっと、もちろん魔法も大事やで。けど、魔法の使い方は戦うだけやないんや。おお、ラド坊、きたきた。おとなりはロザーラ殿やな」
「カチャ! なにやってんだよ! 名調子で!!!」
「みなさん、ラド・マージアの登場や! ちっちゃいのにすごいんやで。ロザーラ殿もこっちこっち」
ロザーラは何で呼ばれているのか分からないが、呼ばれたからにはと輪の中心にラドと向かう。
「ロザーラ殿の腰の武器は、魔法鋼の武器やろ」
ロザーラはびくっとなって腰のモノに手をあてる。
「なぜ、わかった」
「分らんわけないよって。ラド坊はウチにもすぐ魔法鋼の武器をくれたんや。きっと大事な人には真っ先に作ってる。なら最初に来た、ここの部隊のそのお方は間違いなく身に着けてるやろ」
と説明している間に、虚をつくようにカチャはロザーラの腰の剣をスラリと抜く。
「見てみぃ、この薄さ、細さ、そして刃紋の美しさ、技もんやと思わへんか?」
カチャはそれを日の光に反射させて、ぐるりと三百六十度に見せてまわる。
集まった慣習から、へぇ~と感嘆の声とため息。
ロザーラはまだ他人には見せていない武器を見せびらかされて狼狽する。だがカチャはそんな態度など完全に無視。
「けどな、真価はこれからやで、そこの騎士さん、試しにその打ち込み台を切ってみ」
呼ばれた白百合の騎士は、わたし? と自分を指さしながら前に出て、カチャから剣を受け取る。
そして第一声。
「うわ、軽い!」
思わずサクラみたいに声が出た。
「そやろ? それでズバッと。試し切りや」
だが白百合の騎士は構える前に不安になったらしく、「ロザーラ殿、打ち込み台など切ったら折れてしまうのではないでしょうか?」と不安げに所有者の顔を見る。
「ラド殿」
見られたロザーラも不安になったのかラドの顔を見る。
「大丈夫です、このくらいの厚さの木であれば折れることはまずありません。スピードと角度がよければ、切り倒せるかもしれませんね」
おおっとどよめきが起きる。それはそのはず。打ち込み台は木製だが、軸木は五シブ(十五センチメートル)はある。簡単に剣では切れないから打ち込み台に使われるのだ。それを切れるのだという。
カチャは「やってみてくれます? もしその剣が折れたら、ウチはここで自分の片腕を落としてもええで」
ええっと顔を曇らせる白百合の騎士。だがロザーラは「シンシア殿、切ってみてくれ。わたしも見たが、その剣はガウベルーアの工房で作った何倍も厚い剣を砕いている。その程度では折れん!」
そこまで言われて勇気づけられ、シンシアと呼ばれた女騎士は構を取る。そして「やっ」のかけ声も勇ましく、お世辞にも綺麗とは言えないフォームで打ち込み台を切りつけた!
はたして剣は――。
剣は打ち込み台にボスっと食い込み、木の棒の半分ほどを切りつけたが切り倒すには至らず。だが剣は無傷のまま。
練兵では当然真剣も扱うので、ここまで切り込んで途中で止まれば、剣は折れるのが通常だと皆知っている。それを知っているが故、周囲からは驚きの声が上がる。
それを見たカチャは、「どや! これこそマージア騎士団の強さや。半獣が前衛でこの壊れへん武器でざくざく前方の敵を切り裂き、魔法兵が後ろから攻撃するんや。この見事な連携を支えてんのがこの武器や、ウチらは接近戦に弱わない! 武器が合ってへんだけなんや。薄くて軽くて扱いやすい、いくら振り回しても疲れへんし、軽く当たっても相手にダメージがある武器ならシンシアナとも互角や!」
まるで見てきたかの様に語るカチャの姿にラドも唖然。
一方カチャは、さぁこれからが本番と目の色が変わる。
「これを見せたのは、タダの自慢やおまへんで、みなさんにもお得になっていただきまひょって話しや。近々、陛下の公開褒章があるんやろ。その警備で何んかあったら御身を守るはみなさんや。その時、壊れへん武器があったら――そら素晴らしいと思わへんか? 今ならお安う提供できまっせ。そこの美しい騎士さん、あんさんやったらいくらで買う?」
完全に飲み込まれた白百合騎士団の面々はもうカチャの言いなりだ。
「剣なんて、普通に買っても五万ロクタンはするわ。十万ロクタン以上でしょ」
「アホいいなさんな。三万や。たった三万ロクタンや!」
「ほんとに!」「こんなすごい物なのに」、なんて声がざわざわと。
「ほな、欲しい子、手上げてぇな。この武器シリーズ、いろいろ種類がありまっせ。まずこの手裏剣や、遠くの敵にも攻撃できる優れもんやで、これを三つで二千ロクタンや。どや!」
わーっと手があがる。
「欲しいです!」
「わたしも!」
「ラド坊、ぼさっとせぇへんと数えや! 名前ももろうておき!」
「は、はい」
ラドも言いなりである。
「ほな、次はウチも持ってるグラディウスや! これは便利やで、手持ちの武器落としても最後の手段になる。これで当座をしのげるってもんや。これを六千や!」
「うわー、安い、私も」
また、はーいと手があがる!
「次はショートソードや! 持っといて損はないで! 一万ロクタンでどや!」
「はーい!」
「次は、ロザーラはんも持ってる、サーベルや! めっちゃ軽くて、とりまわしも最高。これは五万や!」
「はーい!」
なんて具合に、いい調子に巻き込んで白百合騎士団のメンバーのほとんどに魔法鋼の武器を売り付けてしまった。しかも途中から値段が上がってるじゃないか。
「ほなおおきに。モノはでき次第にご連絡するさかい。楽しみにな!」
発注を取りまとめたカチャは、集まった皆と握手をして、一人一人に「ありがとな」「活躍期待してるで」と声をかけて回る。
なんという手際の良さと機転がきいた話術。さすがは商人だ。
モノはいいのだ。ラドだってある程度、この商談はまとめられただろう。だがカチャの商売は次元が違っていた。感心、感嘆なんてものじゃない、魂を抜かれるような怒涛のセールス。ラドがいた前の世界に生まれていたら、間違いなくカリスマセールスマンだ。
カチャは白百合騎士団のみんなに笑顔で送り出されて門を出る。
「あ……あの、カチャさん」
あっけにとられながらも、ラドは言葉を発する。
「なんや?」
「やりすぎ……だったんじゃない?」
「そんなことあらへん。向こうさんはエエもん手にいれて、うちらは儲かる。一石二鳥や」
「そうだけで、今日の売上」
ラドはオーダーをまとめたメモを手渡す。
「ん、どれどれ。約七百万ロクタンか。まあ仕入れタダやし上出来ちゃう?」
「ちがうよ! 儲けすぎだっていってんの! ここに来るときにした約束だと、魔法処理の魔法士に十の二(二割のこと)、親方に十の二、残りはうちらだから、これだけで四百二十万ロクタンだよ!」
「計算早いなぁラド坊は、エライで」
「バカにしないでよ!」
「ええかラド坊。コレはそれだけ凄いもんなんや。それにはちゃんと値をつけなあかん。その値はな、作ったヤツへの尊敬や。高いのは損ちゃう。安いからお得? そないやない。メイドリン団長はウチにそれを教えてくれたんや。だから自分がエエ思ったもんには、目一杯、値をつける。買い叩かれたら売らなよろし。モノの価値がわからんヤツに商売の資格はない。だから堂々と儲けなはれ」
鋭いカミソリのように、あまりにごもっともな言葉がカチャの口から迸り、ラドは普段のチャラけた雰囲気とのギャップにすっかり食われてしまった。ブレない確固たる考えには、それほどのパワーがある。聞くものの反論を許さない圧力が。
「カ、カチャって、思ったより大人だね。正直、驚いたよ」
「あったりまえや! 子供にいわれたないわ!」
「子供!? じゃ、カチャは何歳なんだよ?」
「十五や。尊敬しいや、めっちゃお姉さんや」
小さくはない胸をこれでもかと張り、自慢げにラドを見下ろす。
「なんだ、同い年かよ」
「なはは、そうや同い年や! 残念やったなてぇぇぇ、どえええ!!!!!!」
目玉飛び出るとはよく言ったものだ、本当に目をまん丸にしてカチャは、派手に驚きを全身で表す。
「あはは、ちょっと僕、童顔ぎみでさ」
「なんでやねん! 童顔のレベルちゃうわ!!!」
ビシっと裏手のツッコミ。
『なんでやねん』って、こっちの世界でもツッコミは同じなんだと、妙に納得するラドであった。
ラドとカチャはその脚でマッキオ工房に向かう。
「げっ! また来たの」と、アキハのお言葉を頂戴しつつ、カチャはマッキオ工房に信じられない数の武器の発注を出した。
それはマッキオ工房の一年分の注文を遥かに超える数で、親方は驚いて顔をヒクつかせつつも平静を装い、「どぉってことねぇーな。よおし、ちょっと頑張っちゃおうかな」と、聞いたこともない動揺に震える、かわいい言葉遣いでオーダーを了承した。
工房は臨時に工員を増やし、フル稼働の不夜城になる。
昼夜響く槌の音に、上がり続ける黒煙。そして二軒隣まで響く親方の怒声。
さすがに周囲から苦情が出るが、そこはシンシアナ人。「ああっ!」の恫喝一発で蹴散らし、弟子と工員を昼夜問わず呼び出しひたすら働かせる。
おかげで、
“王都のブラック工房“
数日後にはそんな噂が市中で聞こえるようになった。
「まさか死人は出ないよな」
過去に過労死した身としては他人事ではない。このまま放ってはおけば労災に発展してしまう。
民事訴訟で親方が地裁に行くのは構わないが、巻き込まれるアキハは可愛そうだ。この世界には両方ともないとは思うけど。
と言うことで、さすがラドも不安になり様子を見に行くことに。そのブラックが黒煙であることを祈りつつ……。
親方にバレないように、そーっと通りの向こうの物陰から顔を出す。
――こりゃ、やべぇ。
噂通りだわ。プロレタリア文学のガチンコライブ中継だ。これは蟹工船ならぬ生蟹工房だ。お弟子さんも工員さんも死んだ魚の目をして働いている。
このままではマジ死人が出かねないので、せかせか走り回るアキハを通りの向こうから手を振って捕まえて呼び出す。
あたりをキョロキョロ見ながら工房を出て通りを渡ってくるアキハ。
「どうしたの? ラド」
「悪い噂を聞きつけてね」
「噂? わたしもう五日も帰ってないから。どんな噂なの?」
「五日……これはいつかみた景色だよ」
この仕事を発注した大元は自分であるが、あまりのブラックっぷりに良心の呵責が……。
「ん? ホムンクルス工場のこと?」
「いやいや、アキハは知らないけど別の次元にはもっと酷い世界があるのさ。さすがに実名は書けないけど」
つい思い出してしまう前の世界。『お客様は神様』と言った三波○夫を呪い殺してやりたいと思ったものだが、まぁもうとっくにお亡くなりになっているのだが、まさか自分の方こそ消える事になろうとは。人を呪わば穴二つ、巡る巡るよ因果は巡る。因果って喜びどころか、悲しみしかねぇ!
いやさ、ちょい待て! まさか今度は発注者の自分が呪われる番じゃないだろうか。そう思うと悪寒を覚えたり。
「ラド、鳥肌たってるわよ」
「なんでもない、くわばらくわばら」
それを見て、ふーんと鼻で返事をするアキハも目の下にクマが出来ている。体力自慢のアキハですらこの疲労だ。親方はどれだけ弟子達を働かせているのだろう。
「ねぇアキハ、ちょっと冷静になってキミの職場を見てみよう」
「え、ええ……」
二人そろって抜き足差し足、工房に近寄り、某家政婦よろしく窓の隙間から中を伺う。
「どう?」
「冷静になって見るとヤバイわね。みんなフラフラじゃん」
やっと気づいたか。
臨時の工員さんはリビングデッドよろしく猫背になって親方の声に操られ、工房の中を徘徊している。どう見ても健全じゃない。
「いつ事故が起きてもおかしくないだろ」
「休ませた方がいいわよね。せめて二日に一度は寝かせたほうが」
「アホか! まだ狂っとるわ!」
「はぁぁぁ?」
「睡眠はフツー毎日なの!」
ムムムと渋い顔のアキハ。
「……それもそうね。そういえばわたしも三日くらい寝てなかったわ」
オイオイオイオイ、よくエナジードリンクのない世界で、三日も肉体労働が出来るな。おっと関心している場合ではなかった。
「もし被害が出たら僕も夢見が悪いんだ。親方を止めよう」
だが自分に親方を止める力はない。それ以上にぽっと入った新米がシンシアナ人の親方に文句なんか言えやしないだろう。
もはやこの世界で暴走特急と化した親方にブレーキをかけられるのは兄弟子のアキハしかいない。
「アキハなら親方に文句のひとつも言えるんじゃないの」
と言ってみるが、
「うーん、ムリ!」
働き詰めで不機嫌な親方にはアキハも意見はできないそうだ。
「多分、言ったらわたし殺されちゃうから」
笑顔で言うなよそんなセリフと思うが、アキハの図太い神経はこういう所で鍛えられたのだろう。
「おいアキハァー、ちょっとコイツらの仕事見とけ!」
親方のクソデカ声が工房を揺るがさんばかりに響く。
「やば! あたし戻るから、ラドといるのを親方に見つかるとぶん殴られられるし」
「ああ、うん……」
地獄に戻るアキハの背中を済まない気持ちで見送る。アキハを見つけた親方は早速のなにやらアキハに指差し指差し指示を飛ばしている。
こんなに忙しいのだ、ならば親方は何をやっているのだろうかと見てみると、弟子の仕事にケチをつけ、ちゃいちゃいと最後の仕上げをするだけ。力仕事の鍛錬は全くやらず、疲れたらアキハを呼び出し「あとはやっとけ」と注文して仮眠を取ってしまう。
――ごめんよ、アキハ。発注した僕が悪かったよ。
とにかく死人が出ないように祈るしかない。もっともこの国に祈るべき神は居ないのだけれど。