異分子
工場の仕事は夜勤に変えてもらった。
昼から夕方までヒュウゴ先生の元で学び、学校が終わったら工場に直行。徹夜でホムンクルスの面倒を見て、工場でひと眠りしたらまた学校にいく。目的に向かって全力疾走! バーニングハートな日々! 家に帰る時間がもったいない!
と言うのは口実で。
実は義母と二人きりの時間がいたたまれないのだ。
INNの仕事は夜が遅い。だがいくら遅いと言えど客も寝静まる頃になると、義母は店の残り飯を持って屋根裏部屋まで上がってくる。
義母が何歳か分からないが、感覚的には前の世界の自分とほぼ同じだ。その女が灯火に潤んだ瞳で自分が話し始めるのをじっと待っている。たぶん甘えてきて欲しいのだろう。ひと月前はそういう子だったのだ。それが急によそよそしく距離を取ってきたものだから心配なのに違いない。
そんな義母が年齢的なんというか……微妙すぎるのだ。義母ではなく色香の漂う女に見えてしまう。
そんなに女性経験がない身としては――見栄をはりました――女性経験ゼロの身としては、妙齢の女性と二人きりでいる空間は緊張以外の何ものでもない。
それに甘えるといっても中身三十代。
ムリでしょ! どんな子供プレイだよ! いやそんな店には行ったことないから知らないけど。ほんとに。
何を言ったらいいか迷い、沈黙が続くと義母は「どうしたの、急に無口になってしまって」と聞く。言葉の裏には自分の事を呼んで欲しい思いが見え隠れしている。
だが、この知らない女性を『母さん』などと呼べるだろうか。あまつさえ甘えて胸に飛び込むなど!
そんな探り探りの空気が耐えられなくて、それ以上に本当のラドを消してしまった罪を思い出してしまって逃げたくなるのだ。
だからアキハの家に居ついてしまうし、勢いホムンクルス工場に泊まってしまう。
『今日も学校から直接工場に行って泊まります。 ラド』
屋根裏部屋の小さなちゃぶ台の上に茶色いザラザラの芋根紙の書置きをそっと置く。直接話せないから書き置きで済ますのは、なんともズルいと思うのだが。
さて空気が微妙なのは家だけではない。学校の雲行きが怪しくなってきたのは、新入りのキャラ設定が分かり始める一週間が過ぎた頃だった。
実習までの間、黙々と書籍『実用魔法体系』を読んでいると、いままで遠くから様子を窺っていた三十の瞳が、遂にこちらに足を向けてきた。
この日が来る予感はあった。
ここの生徒達は貧しい宿場街パラケルスにあって、それなりに良い生活をしている。故に特権意識を持ってしまってもおかしくはないし、まだ人の立場や環境を慮る事のできない年頃の子供たちだ。
自分を見て『ココはお前のような穴の空いたボロ服を着ている貧乏人が来るところではない』と思っていてもおかしくはない。
自分は異分子。
ラドにはその自覚があったがそれで構わないと思っていた。ココには友達を作りに来たのではないし、こんな授業料の高い所は学ぶだけ学んだら、とっととおさらばしたいからだ。
ホムンクルス工場の仕事はキツイだけあって決して安賃金ではない。二人暮しのラドの家ならラドの働きだけで生活出来る程度の実入りはある。その全額が全て授業料にあてられている。そんな無理な金額をいつまでも払いたくはない。
なにより早く夢をかなえて魔法騎士になりたい。十歳で仕事をする世界なのだ。呑気に構えていると魔法騎士になるチャンスを逃してしまう。
生徒達は目をギラつかせ口を紡いでゾロゾロとやってくる。それを視界の外で捉えるラド。
「きたな」
心の中で思う。
先陣を切ってラドの机を取り囲んできたのは男の子四人。こいつらはいつもつるんでいる同い年グループで、ラドと同じくらいの背格好の子供達だ。だが小奇麗なので自分よりも年下に見える。
「あーー、くせーなぁ、くせー、くせー」
「何の臭いだよ」
「吐きそうだぜ、おえー」
来るなり口々に罵り、汚い言葉を吐く。
「おい新入り、お前、くせーんだよ。お前がいると俺達まで臭くなっちまう」
「うんこの子ーーー」
どこの映画のタイトルだよ! 四人はどいつもこいつも意地の悪そうな顔をしている。子供であっても心は顔に出るものだ。
ちらっと彼らの向こうを見ると後ろには腕を組んだ十五歳くらいの身なりの良い男の子が控えている。麻ではない立ち襟のシャツにボウタイ。椅子にふんぞり返って素知らぬ顔を決め込んでいるところをみると、こいつらの親分らしい。
なるほどコイツがここのボスってところか。こんな世界でもイジメはあるんだなぁ。などと感心しつつ、突いてくるなら貧乏かと生意気だと思ったのに、”臭い”で攻めてきたところにひねりを感じる。
確かにホムンクルス工場はひどい悪臭がする。表現するなら”獣の血が腐ったような臭い”だ。これはホムンクルスの培養液の臭いだが、ホムンクルスの世話をすると培養液が体についてしまう。そして臭いは体に染み付くと洗ってもなかなか取れない。
これが原因で工場を辞める人もいるくらいで、女性で働く人はいないし男性でも臭いに耐えられずこの仕事に着こうともしない。常に労働力不足なのはそういう理由もある。
それほど臭いのだが、自分がそんなに臭うなんて気づきもしなかった。
最初の頃は耐えられないと思った悪臭だが、働き続ければ慣れてしまうもので、今ではそれほど臭いとは感じないし、自分に臭いが染み付いてるなどアキハも義母も言いやしなかったし。
だがこれは確かにイジメのネタにはもってこいだ。しかも相手はナナリーINNのラドだ。軽くなじれば半ベソをかいて、母親の元に走って帰る事くらいを期待しているだろう。
ラドは袖の鼻にあてて臭いを確かめたくなる衝動をおさえつつ無視を決め込み、何事もなかったように本の文字を追う。いちいち反論するのはアホのする事だ。
「てめー無視かよ」
いやそう言われてもねぇ。絡む気も無いので無視するしかない。まさか「そうですね」と肯定するわけにもいくまい。
すると取り囲んでいた少し太り気味のパシリくんが、読んでいる本の上に無理やり腰掛けてきた。
これはさすがに……ケツがじゃまで本が読めない。
「本が読めないんだけど、どいてくれるかな」
にっこり微笑んで、物腰も柔らかにお願いする。
「貧乏人のくせに文字読めるのかよ」
「ご想像におまかせします」
「どうせお前にとっちゃ紙クズだろ。親切な俺様がケツ紙にでも使ってやるぜ」
ガキはケツネタが好きやなぁ。しかしああ言えばこう言う。イジメというのはいつの時代も面倒くさい。一方、少人数クラスで行われつつあるイジメに先生はどう反応するのかと見てみれば、まったく気にする風はなく他の生徒の指導にご専心だ。過ぎたる放任主義というか、さすがは兵士あがりというべきか。その程度のことは自分でなんとかしろと言うことだろう。
なら、三十路なめんなである。
「その御親切は気持ちだけ頂いておきます。それとお尻の拭き方をご存知ないようなので僕で良ければお教えしますよ」
「なんだとガキ!」
ガキ? そりゃお互い様だ。おまえら全員自分と変わらない歳だろ。なんて嘲りはおくびにも出さず、ラドは表情を変えずに席を立つ。付き合う必要はない。向こうが行かないならこっちが避けるまでだ。
「僕はここに魔法騎士になるために来てる。君達にかかずらってはいられないんだ。失礼するよ」
すると今まで聞き耳を立てていた生徒たちの空気が一瞬凍り、直後、大爆笑に変わった。
ん? そんなおかしい事を言っただろうか。
「お前ばっかじゃねーの!」
「騎士だってよ」
ひっくり返った裏声の指摘、哄笑が止まらない。
「なれるわけねーだろ」
「こいつ、おかしいって」
なかにはひーひー言いながら苦しそうに笑う者もいる。
止まらない爆笑と嘲りの海のなか、親分肌の少年が笑いすぎて滲み出た涙を指先で払いながら、こちらに来る。
「おめでたい貧乏人だな」
「おめでたい?」
「俺の家はパラケルスの公証荷屋だ。ここで一番大きな商売をしてる」
「そんな御曹司がなんで魔法士に」
「魔法士も魔法兵にも興味はない。魔法は自衛のためだ。もちろんお前みたいに騎士になるつもりはないがな」
また笑いが盛り上がる。
「何がおかしい」
「お前がガキだからだよ」
「そいつ、ナナリーのとこのガキだぜ。いつも母ちゃんのケツおっかけてる」
「そりゃいい、貴族とはいい夢もったな坊ちゃん」
ラドはグイっと一歩前に出る。親分肌の青年とは背高で頭一つ以上の差がある。だがここまで笑われて黙ってはいられない。いきなり勝負どころが来てしまったが怯んじゃいけない場面だ。
そのうえ今の自分にはよろしからざる軟弱な噂がある。それをイマからココから覆していかないといけない。
ラドは威圧を込めた顔を作りボス格の男の子を睨む。はるか上から見下す青年の青い視線は冷たい圧迫感に満ちている。
近くで見るとなかなか整った顔だ。金髪もサラサラで耳を隠したボブっぽい髪型は、彼のスマートな立ち振る舞いにとても似合っている。だからこそ、その口元が意地悪げに歪むのが冷徹さを助長する。ラドはそんな押しつぶしに来る気迫に真っ向から向き合う。
「人の夢をバカにするものじゃないですよ」
「俺に説教か? チビがずいぶんエラそうじゃないか」
「身長と内面の高潔さとは比例しませんから」
「そんなにご立派なら、さぞ腕にも自信があるんだろうな」
「試してみますか」
「やるか? いい度胸だがその度胸は魔法の一つでも覚えてからにしたほうがいいな」
後ろから声がする。
「エルカドさん、やっちゃってください!」
エルカドと呼ばれた青年は、組んでいた腕を解いて挑戦的な目を向けてきた。
一方ラドは言ってしまって自分の直情を後悔した。ここは魔法の学校だった。なら勝負は魔法の勝負じゃないか。引けないとはいえ売り言葉に買い言葉で「試してみますか」と自分から勝負に出てしまうとは。だがここは逃げたら一番ダメなシーンなのだ。それは過去に経験した自分がよく知っている。
脇から冷や汗が出てきた。