カチャ
三日もすると、本当に皇撃騎士団と東征騎士団は狂獸を鎮圧して、凱旋ムードで王都に戻ってきた。
民とは現金なもので、洛外の農奴に少々の被害が出て、半死の皇衛騎士団兵が王都に運び込まれたときは、どんよりとした空気が街中に流れたが、皇撃騎士団と東征騎士団が快勝の報を持って入城した時は、人々は手のひらを返したように喝采を送って二騎士団を出迎えた。
とりわけ見事に狂獣を誘導したスタンリー・ワイズの采配と、またたく間に敵を滅ぼしたアンスカーリ率いる皇撃騎士団の勇姿には、まさに王国のヒーローを扱うが如き大歓喜であった。
それが面白くないとイオが怒る。
「納得できませんよ。しんがりの僕らが頑張らなかったらどうなってたか。それに狂獣の誘導はラドさんの慧眼じゃないですか」
ライオン半獣のイオは、猛獣の風貌を残した目つきで不満を垂れる。その表情は見慣れたラドであっても恐怖を抱くほどだ。
特に牙は怖い。寝起きの不機嫌なときなら食い殺されるのではないかと思うほど迫力がある。イオを知らない人が見たら、這う這うの体で逃げ出すことだろう。
「まぁまぁ、そう怒るもんじゃないよ。お陰で僕らはちょっとした災厄から逃れたんだから」
「災厄って、なんですか?」
「スタンリーという名の災厄からね」
「それですよ! スタンリーなんか目じゃないのに」
「力ばかりが全てじゃないさ。それよりあの娘の様子はどう?」
あの娘とは商団の馬車の下から助けた怪我人のことである。娘は名をカチャという。懐に忍ばせていた交易証書に名前が書いてあった。
ラドの家に連れてきて治療をしたが、二日ほど高熱にうなされ、昨晩やっと意識を取り戻したところだった。
「まだベッドの上ですが、起きてご飯を食べたそうです。イチカさんが世話をしてるので、私は詳しくはわかりませんが」
それは良かったと、ラドは自宅の寝室に横たわるカチャに会いに行く。
カチャは浅葱のパジャマの上半身をベッドから出して壁にもたれて呆けていた。耳まで伸ばしたショートの髪はもしゃもしゃ、腕には血の滲んだ包帯が巻かれている。
「具合はどうだい?」
するとカチャはぽかんとコッチを見たかと思うと、ぽんと掌を叩き「坊ちゃん、えらい心配かけたなぁ。せやけどもう大丈夫や」と、幾分腹に力の入らぬ声で答える。
「関西弁? なんで?」
「カンサイ? なんのことや」
疑問系で返されて認識のすれ違いにハッと気づく。これは自分の頭が勝手に翻訳してる言葉だ。多分この子はガウべルーアの中でも辺境の出で方言があるのだろう。それと商団というステロタイプのせいで関西弁に訳されているらしい。
「なんでもないよ。カチャさんだっけ? まずは無事で良かった。もう聞いたと思うけど商団のみんなは僕らが着いたときにはもう」
「ああ、わかってる。ウチが馬車に潰される前に。もう何人もやられとったさかい」
――うーん、胡散臭い関西弁が気になる。
ラドは言葉遣いに引っ張られないように、意識してゆっくり話す。
「でも君だけでも、助けられて良かったよ」
「おおきに。ところでぼっちゃん、ここは団長さんの家なんやろ。団長さんを呼んでくれへん? お礼も言いたいし相談もあるんや」
「いいですけど。なら僕でもいいですよ」
「いや、子供に聞かせる話やあらへんし」
これはいつものパターンらしい。ならここで我が身を主張しても骨折り損だ。
「一応、団長のライカを呼びますけど」
ライカを呼び出すと、「どうした? しゅにん」と、麻の短パンにラフなヘソ出しルックが隣の部屋から顔を出す。
「話があるんだって」
「なんだ?」
ところがなかなかカチャは話し始めない。そしてライカをじーと眺めて一言。
「半獣の騎士団長……」
「ん? んん???」
ライカのネコ耳がピクピクと動いて気持ちを代弁する。
「噂通りやな、ほな、あんさんがマージア?」
「そうだぞ」
ライカがにぱっと笑う。
「意外やったわ。まぁええ。シュニンちゃん、ちょっと下がってもらえるかな」
「しゅにんちゃん?」
「シュニンって、キミの名前やろ珍しい名前やな」
――そういう間違えかーー! 新しいパターンだ!
「ちがいます! 僕はラド。しゅにんは僕がホムンクルス工場の主任だったときにライカがそう呼んだだけで、あだ名みたいなものです。名前じゃないですから」
「ホンマかぁ。そりゃけったいな名前と思うはずや。ならラドちゃん、ちょっと席外してもらえる?」
だがライカは、「しゅにんもいてほしいぞ」と、ラドの袖を摘んで引き止める。
「団長さんが言うなら、ええけど……あんな、団長さんにまずお礼させてな。ほんまおおきに。助けてもろうて。ウチもうダメやとおもとったさかい。それとウチの――」
言い淀むカチャの顔をライカはやたらニコニコと見ている。生来、素直な性格だ、うなされていた少女が生還して喋れるまで回復したのがライカには嬉しいのだろう。
「折り入って頼みがあるんや。襲われた現場までもいっかい行ってもろて、馬車をさらって欲しいんや」
こういう話の勘が悪いライカが「にゃ?」と首をひねる。多分、分かってないと思うのでラドが助け舟を出す。
「もうないと思いますよ」
横からラドが話すと、カチャは赤毛の寝ぐせ頭をひと撫でして怪訝な顔。
「少しでも残ってたら金になるさかい。このままやとウチ文なしやし」
「それは確かに困りますね。じゃライカ、一応見に行くか。それにまだ狂獣の残党がいるかもしれないしね」
「わかったにゃ」
その会話にカチャはまた首をひねる。
「なんか、あんたらおかしないか? ライカさんが団長さんなんやろ」
「うん、そうだぞ」
「なら、あんたは?」
「僕はライカの主君ってことになるかな。申し遅れたけど、ラド・マージアだよ」
「えーーー! ほんま! あんさんが!? ほんまに! マジかーい!」
「ははは」
「ほんま! 人生最大の驚きやわ!」
「大抵、同じような反応をいただきますので慣れてますけど」
余りに驚いて何度もトーンを変え変え、縦から横から覗かれるものだから、さすがにラドも照れてしまった。
翌日、ライカと二人で白馬キタサンにまたがり、もう一度、襲撃があった現場を見に行くが、あるのは壊れた馬車のみで車輪の鉄ウィールすら残っていなかった。
こういう襲撃が起きると、どこで聞きつけたか夜のうちに野盗が現れ金目の物は全てかっさらっていく。
警察なんてないから、盗まれても戻ってくることはない。
商団の襲撃なんて彼らから見たらお宝の山だ。砂糖に群がるアリの如しである。
自宅に直行して街道警備の制服のままでカチャの前に現れると、「ほんまに、街道警備やったんやな〜」と、感心されてしまう。
だが、何もなかったことを告げるとカチャは「あかんわ、どないして生きてけいうんや!」と、ベッドに背もたれた姿勢のままに、それは大仰に嘆いてみせた。
見かねたラドが一つの提案を持ちかける。
「ねぇ、カチャさん。生活が安定するまでウチの騎士団に入る? ご飯くらいなら食べさせてあげるけど……」
「ほんまか! ほんまに騎士団に入れてくれるんか? それにここに住んでいいって、なんて、なんてええヒトなんや!」
「えっ、いやそこまでは……」
「そこまではしてくれるんやったら、ウチはめっちゃ頑張るわ」
「いや、だから」
「ラドはん!」
もう両手を取られてハグされたら断れない。
「ああ、う、う、がんばってください」
それをライカはジト目でみる。
「しゅにんは女の子によわいにゃ。またアキハが怒るぞ」
だよねーーー。
ライカに脅かされたわけではないが、何か言われる前にアキハにカチャを紹介しておく。
それに武器を用立てなければならないので、それを言い訳にマッキオ工房に向かう。そんな言い訳を考える自分が、まるで熟年夫婦みたいでイヤだと思うが、これは大難を避けて小難をとる処世術なのだ、そう思い諦めることにする。
官舎を出て人通りの多い市場通りをカチャと歩く。マッキオ工房まで道のりを案内しているつもりだが、カチャは珍しい商品を店先で見つけると、「これ、どこから仕入れたん?」と、足を止めて話し込んでしまう。
その手を引っ張って先を急ぐのだが、その姿が我ながら母親か姉に拗ねる子供か弟のようで、なんとも様にならない。
「商品は逃げないから、後で聞きなよ」
「何言うてんねん。出会いは運命や。人様には作れへんのやで」
そう言われると、一体カチャはどんな珍しいものを売ってたのか気になる。
「カチャの商団はどんな商品を扱ってたの?」
「うちらはシンシアナとガウべルーアを渡る商団やさかい、シンシアナからは鉄製品とか貴石とか、ガウべルーアからは食料がほとんどやな」
「なんだ、普通じゃない」
「何言うてんねん、みんな必要なもんやろ」
「貴石は庶民に必要なものじゃないけど。じゃガラスも運んだの?」
「ガラスは国内やな。マッキオ工房のやろ。アクセサリーがめっちゃ人気で入荷したら即売れや! シンシアナまで回す分がなかったわ」
「へー、そんなに人気なんだ。意外だなぁ。これから行くのがそのマッキオ工房だけど」
「ホンマか! なんではよ言わんのや! ならすぐ行こ! ラド坊は顔が広いなぁ。貴族様はやっぱちゃうわ!」
「これについては貴族は関係ないよ。それよりラド坊って」
「ぴったしやろ!」
「さっきは貴族様って言ってたのに」
「なんや気に入らへんのんか? それならラド様がええか?」
「様なんてカチャに言われると気持ち悪いよ」
「ならラド坊や。だってめっちゃかわいいもん」
そう言って何を思ってか、カチャがラドをきゅっと抱きしめた所がちょうどマッキオ工房の前だった。
――間が悪いと思った。
「ちょっと! ラド!!!」
――あー、やっぱり。
「なん?」
カチャがアキハ声に顔をあげる。
「だれよ! その女!」
カチャは抱いた体を離し視線を落とす。
「知り合いの子?」
「幼馴染のアキハ。いまガラス工房の工房長」
ラドが諦めたように冷めて言うと、カチャはラドを突き放して、今度はアキハに抱きつく。
「アキハはん! ウチはカチャや、国交商団のもんや。商団はもうないけどウチは商売を諦めてへん。アキハはんはガラス作るんやろ、なぁ友達になろ! あんさんが作ってウチが売るんや。ボロ儲けやで! めっちゃわくわくせーへん!? もうこの出会い運命やわ。めっちゃ感謝やわー。」
一気にまくし立てると、カチャはアキハの背中やお尻をナデナデする。
「うわぁ、めっちゃ筋肉やわ、さすが工房長はちゃうわ。もう惚れてまうわ」
アキハは完全に押されて青くなって固まっている。あのアキハが何もできず、なすがままに尻を撫でられているとは。
いや! まさかコレは……。
苦節五年、とうとうアキハの弱点を見つけた!
――こいつ、ベタベタ女子がダメやったんか。これは使えるで。
あかん、エセ関西弁が移ってもうた。
いやいやアキハに通された工房の中。
「ちょっと、触らないで! 近寄らないで!」
ラブラブなカチャが、座りながら椅子をずらしてアキハにすり寄ってくるたび、アキハは敏感に察知して腰をずらしノーサンキューを発する。
「なんでや、ウチはアキハはんとお近づきになりたいだけやのに」
「わたしはお近づきになりたくないの。ラド、あんたカチャと私の間に入んなさいよ」
「なんで?」
「あんたが飼ってる子でしょ!」
「飼ってるだなんて、アキハはんはいけずやわ」
そんなイヤがるアキハなど無視して、カチャはビリケン様まがいの糸目笑いで、「ええやん、ええやん」とジリジリアキハに寄っていく。
「ちょっと! もうラド! 早く要件済まして帰んなさいよ」
アキハの口から珍しいセリフが出た。それが面白くてついアキハをからかいたくなってしまう。
「そうだなぁ。あれー? 用事なんだったけ? 忘れちゃったなぁ」
「ウソつきなさい!」
「いやホントホント、なんで来たんだっけ? 親方? それともアキハに用事だったかなぁ」
「もう! ちょっと、これ以上来ないでよ!」
壁まで追い詰められたアキハは、とうとう逃げ場を失いラドの後ろに隠れる。
「あれー、アキハどうしたのぉ。僕の背中じゃ隠れられないでしょ」
いい加減からかい過ぎたらしい。面白半分に背中に隠れるアキハをチロリと見たら、ちょうどアキハの鉄拳が振り降ろされる途中だった。
「いててて、助けを求めるなら下げるのは拳じゃなくて、頭だよ」
「うるさい! 困ってる私を助けないからよ」
そのイチャコラを見たカチャ。
「あんたら、仲ええなぁ。貴賎結婚は苦労が絶えへん言うで」
「結婚!?」
飛び上がったのはアキハ。
「なな、なんで、わわわたしがラドと」
「アキハはん、ほんまベタでおもろいわ。やっはりウチ大好きや!」
「もう、それはいいの! それで何よ、ほんとにここに来た訳は」
「うん、実はまたあの武器を作ってもらいに来たんだ」
「えー、また壊したの?」
「じゃなくて、カチャの」
「なんで? 危険な商売の旅にでも出るつもりなの?」
「ウチ、文無しさかい、騎士団で働こおもて」
「へー、珍しいわね、そんな商人を入れる騎士団があるなんて」
「ほんまな。既得な方がいたもんや」
「なら作るのはショートソ……まさかラドの?」
「あたりやー!」
陽気に振る舞うカチャと対象的にアキハの目が座る。
「あんたねー、なんでこう、可愛い女の子ばっか仲間にしようとしてんの! ロザーラさんといい、レジーナさんといい」
「僕に聞くなよ!」
「かわいいやなんてぇ、照れてまうわ」
「そこ! 照れるな!」
呆れたアキハは地べたに腰を下ろして真顔でカチャに問う。
「カチャさん、ほんと戦えるの!? 街道警備って思ったよりハードよ」
「わからへんけど、生きてくにはしゃぁないし」
「そうだけど。他に生きていく方法ってあるでしょ。商売人なら下働きだって」
「ウチは人の下では商売なんてせーへん。それにせっかくの縁やし」
「まぁ怪しげな仕事よりはいいけど……。わかったわ、武器だけはちゃんとしたの作ってあげる。二日後には刃入れといてあげるからここに来て」
「おおきにー」
「ラドは魔法士連れてきてよ」
「えー、また僕が?」
「当り前よ、あんたの名前ならいくらでも魔法士が引っかかるでしょ、私と違って」
「わかったよ、もう」