想定外
皇衛騎士団が布陣についたのは、王都から二日の距離、狂獣と相対する二日前のタイミングだった。
東征騎士団はアージュ城内でゴタゴタがあり準備が一日遅れた。一万の兵は既に本拠地となるアージュの駐屯地を出立しているが、万に及ぶ兵の移動には時間がかかる。到着は早くても明日になるだろう。それでも開戦にはギリギリ間に合う計算だ。
北進騎士団は間に合わない公算が大きい。
本拠地となる城塞都市ムンタムからここまではかなりの長旅だ。それでも工程を稼ごうと遠回りとなる街道を使わず最短距離のルートを選んだが、途中の泥炭地で時間を取られたと、今日になって伝令を寄こしてきた。
到着遅延の連絡はこれで二度目だ。
この遅れの間に、狂獣は進路上にある小さな村を一つ潰している。進路は読めているので住民は事前に避難し被害者は出ていないが、狂獣に踏みにじられた彼らの思い出と財産は永久に失われた。
こんなに世界で何事にも巻き込まれずに一生を送れると思っている者はいない。だがそれが不幸を嘆かぬ理由にはならない。しかも三騎士団合同作戦でなければ防げた被害なら悲嘆はなおさらだ。
ウルック街道と北街道には通行禁止令が出されたが、アージュより東を行く幾つかの商団が狂獣に巻き込まれたと聞いた。アージュの伝令係が継走伝令(伝令をリレーパスして街街に情報を広める連絡網のようなもの)と気づかず次の伝令を出すのが遅れた為だ。
狂獣の数も想定よりも多く三万等兵(狂獣は獣種により力量差が大きいので数ではなく、何万のガウべルーア兵で互角かで兵力を測る)だった。数にすれば十万を超えると斥候は報告している。エフェルナンドがもたらした当初の情報とは全く異なる兵力だ。
今回は何かとつまらぬ事でケチが付く。
それをアズマは何かの予兆のように不安に思う。むろん戦いはいつでも予想外だ。今までも想定通りに事が運んだ試しはない。だが今回は何か分からぬ違和感がある。それを久しぶりの大規模戦のせいにしてみるが、胸騒ぎはいっこうに収まらない。
どうにも寝付けず、夜風を浴びに寝床を這い出る。
とばりを上げれば外は曇天。星のない空に三日月が霞む。
松明の僅かな明かりが陣幕を照らす薄の原の中、赤松の爆ぜる音を聞きながら、多分北であろう方角を見て思う。
北進騎士団は移動量を重視するため、兵站部隊を切り捨てながら強行すると伝えてきた。
はたして、そんな疲労した兵が使えるのだろうか。
薄が泳ぐ東の野原を見る。
この遥か向こうには、内輪揉めした東征騎士団の野営地がある。狂獣案件を皇衛騎士団に奪われ、北進騎士団と合同戦線に憤懣の収まらぬ兵たちだ。
東、北両騎士団の支援を良しとしたのは自分だが、そもそもこの決定が間違っていたのではないか。合同作戦を優先するために、当初予定よりも遥かに王都近くに戦場を構えるが、これほど王都の近くで戦を起こして本当に良かったのだろうか。
今回は機動力を活かしつつ、圧倒的な火力で狂獣を挟み込んでいく作戦だ。しかもそれをこんな平原で行う。
機動力を上げるために兵装は皮鎧すら装備せぬ軽武装だ。
だが軽武装では狂獣との接近戦には耐えられない。それに万が一にでも戦線が破られないように、接近戦になりそうな場合は戦略的な撤退を行う。総崩れになる前の予防策だが、王都にほど近いこの地で撤退など出来るのだろうか。
そのような事情を分かって尚、両騎士団長は作戦の変更を受け付けようとはしなかった。
「今更であるか……」
揺らめく松明の灯火に自分の考え映すのを止めて。アズマはもう一度空を見上げた。
心配が先走るのも老いた証拠だろう。
自分が戦場に駆けつけていた十代の頃は、兵の薄さなど恐れはしなかった。実際、キリキリの戦いもあったが気合いと力で切り抜けてきたではないか。
アズマは思考を切り替える。
心配ばかりしても仕様がない。今のガウベルーアは自分が若かりし頃よりも遥かに強いのだ。それにアンスカーリが編み出した枯渇せぬ魔力はガウベルーアに大きな力を与えている。
そして老いたからこそ分かることもある。
保険。
北進騎士団が間に合わない可能性を考えて東征騎士団から、より多くの兵を要請しているではないか。
「いかんな。眠らねば明日に響く」
アズマは無理に頭に整理をつけて、陣幕の入り口に手をかける。
声がした。
「アズマ団長!!! 左翼です! 左翼に狂獣の群れが迫っております!!!!!!」
切迫した声を背に浴びても飛びあがらなかったのは、アズマの思考に不安と疑問が残っていたからであろう。
「報告!」
刹那にモードが切り替わるアズマに、逆に見張りの若い魔法兵が驚く。想定より二日も早い夜襲なのだ、こんな突飛な報告をすれば団長は狼狽するか激昂するか、そんな対応が返ってくると想像していた。
「え、あ、はい! 左翼、百ホブの距離に狂獣の群れが迫っております。数は不明。進軍は極めて早し。数分後には交戦に陥ります!」
「バカな! 百ホブだと!」
さすがにその近さは想定外だった。今昼の斥候の情報では狂獣はまだ二日の距離にいたはずだ。それがなぜ!
「ドラを鳴らせ! 兵を叩き起こせ! 陣形を整えて迎え撃つ!」
そこまではルーティンで指示を出したが、細かい情報が分からない。来ている狂獣の種類は何なのか、どのくらいの規模なのか。
「敵は一千か、一万か」
「わかりません」
「数が分からんなら調べろ!」
「しかし、こう暗くては我々の目では」
ガウベルーア人は夜目が利かないといわれている。シンシアナはそれを利用し、しばしば夜襲を仕掛けくる。その経験からアズマは対夜襲のセオリーを体に染み込ませていた。
「そんなこともわからんのか! 魔法弾を上げる! 腕のいい魔法兵をたたき起こせ! 目測のためにそこらへんの兵を扇型に並べろ!」
ドラの音と慌てふためく同胞に蹴り起こさされた魔法兵は、本陣近くの陣幕からのそりと顔をだす。
「起き抜けですまぬが、極大の魔法弾をできるだけ高くあげてくれ」
彼はまだ寝ぼけの抜け切らぬ「ふぁい」の返事と同時に詠唱に入り、ひょろひょろと尾を引く魔法弾を打ち上げる。
それは天空の高いところまで上がるとパンと乾いた音で炸裂し、まばゆい光で大地を照らす。
計測は人目だ。通常は扇形に兵を配しエリアを区切って敵数を数えさせるのだが、今回に限っては、そんなローテク計測など不要だった。
わななく魔法兵の目には、蠢く無数の緑の光が映っていた。
「なぜ、敵はこれほど早く来ているのだ。そしてなぜ近づくまで気づかなかった」
ほどなくして人の悲鳴が聞こえ、戦端が開かれたことがわかった。
敵は音もなく忍び寄るムカデ型の狂獣ハリンシュの大群。サイズは人の三倍はあり、地を這う速度は人の走る早さよりも倍は早い。近づけば飛び跳ね毒のある牙で人を刺して食らう。
大型の狂獣ではあるが群れをなす性質はない。だがこのハリンシュは群れて襲い掛かってきている。
対してこちらの未だ陣形の組まれぬ空拳の兵。
アズマは混戦の中、陣頭指揮をとりながら考える。
今、起きている災厄は全て斥候の報告とは異なる。進軍してから狂獣の動きは逐一把握してた。斥候の虚偽の報告を見破るために、ランダムにメンバーを変えるようエフェルナンドに指示も出している。
だのに、だのに、なぜ!
ハリンシュの後方には遅速に群れをなして進む狂獣の本体。その数は目測でおよそ六万。平地からの目測なので正確ではないが、その数は少なく見積もってだ。
「王都に早馬を出せ、援軍要請!」
その声にアズマの側近が走る。幸い敵は皇衛騎士団の背後には、まだ回り込んではいない。いくら狂獣の力が強大だといえ馬の脚には追い付けない。
「東征騎士団の到着まで持たせる! 死ぬ気で戦え!!!」
できる限りの大声で発破をかけるが、阿鼻叫喚の中でどのくらいの兵に届いたかはわからなかった。
敵は意思を持ったように、一直線にここに向かっている。
遠目にも狂獣を刺激しないように、松明の明かりは最小限にしているにも係わらずだ。
なぜ、ここに来てきゃつらは加速をするのか。
思考を奪われているからそこ彼らは狂獣と呼ばれる。ただ戦闘の本能だけを持ち、下手をすれば狂獣どうしでも殺し合いを行う輩だ。
それが複数の種族で徒党を組んで行動をしている。
それだけでも異常だのに、まるで相手の裏をかいたように振る舞うなど。
――否、異常だからこそ『狂獣の合』と彼らは言っていたのか。
いやまて、エフェルナンド・イクスの報告!
『その集団は何者かに率いられるように……』
確かにエフェルナンドはそう言った。ようではなく、本当に率いられていたのではないか。
その者は我々の斥候の動きを読み、東征・北進騎士団の到着が遅れることを見込んで先手をとって攻めてきたのだ。しかもご丁寧にハリンシュを使った夜襲で。
「狂獣の中にリーダーがいる! それを探して仕留める! 我に続け!!! がっ!」
だがアズマの思考はココで切れる。ハリンシュが飛び跳ね、いま命令を下した部下の上半身を食いちぎっていく。
もはやアズマの頭脳に、この異常事態を分析する余力は残されていなかった。
ラドの家の門が叩かれたのは、まだ日も登らぬ早朝四時の事だった。
扉を開けると外がなにやら騒がしい。
市場の活気とは違う緊張感が街には点在しており、しばしば武装した魔法兵が駆けている。
「マージア殿、私はアンスカーリ様の使いの者でございます」
戸口には小柄な脂ぎった小太りの男が立っている。
アンスカーリの使いで、ドライリー以外の者が来るのは珍しい。緊急な何かであることは、街の雰囲気からしても察しがつく。
「こんな朝にどうしましたか?」
間違いなく大ごとがあったと思いつつ、そこは素知らぬ顔を装い聞いてみる。同時に背中に手を回し、起きてきたイチカやライカに手サインで指示を出す。
サインは『みんなを集めろ』だ。
これは戦場では声が通らないため、編み出した通信手段だ。
ライカはその指示を見て裏手の窓から飛び出していく。二階だというのに、まったく身軽なものだ。
「マージア殿、アンスカーリ様より出兵の要請でございます」
「サノハラス街道で何かあったの?」
相手から情報を聞き出すために、あえてズレた問いを発す。
「昨晩、皇衛騎士団が狂獣の夜襲を受けております。東征騎士団、北進騎士団との合同作戦だったのですが、両騎士団は布陣に間に合わず、現状は非常に苦しい戦いになっている模様です」
「それはまた、狂獣相手に随分な失態を犯したもんだね」
「いえ、作戦の問題でなく。ただ狂獣が想定外の動きをしたのです。まるで皇衛騎士団の裏をかくような動きを」
ふーんと唸ってラドは考える。これは自分の役割は皇撃騎士団が活躍するお膳立てなのだろう。
皇衛騎士団は下がりたくても下がれないほど、現状は混とんとしている。救援の皇撃騎士団は混戦では距離をとっての魔法攻撃ができない。そこで、敵と皇衛騎士団を分離するためにいっぺん兵を投入する。その役目をやれというわけか。
そう考えて街の中を走る魔法兵をみると、着ている制服は準貴族の市兵団や街道警備。
「損な役回りだね」
小太りな男は一瞬惚けて、だが言わんとしている事を理解してすぐに顔を引き締める。
「申し訳ございません。しかし皇衛騎士団を失う訳にはまいりません」
「わかりましたよ。アンスカーリさんは人使いが荒い」
「恐れ多くも」
ちょうどライカがマージア騎士団のメンバーを連れて外に現れる。
「ライカ、みんな。皇衛騎士団の救出に向かう。兵装は街道警備と同じでいい。イチカも出てくれ」
「おお、ついに、新しい武器の出番だにゃ!」
ライカは腕をぐるぐる回して、やる気に眉を吊り上げた。