魔法鋼
魔法が顕現する光りがゆっくりと進み、しばしば線香花火のような火花を散らせながら、鉄分子の組み替えはたっぷり二十分をかけて終了した。
集中しているラドにも背中でアキハが泣いているのは、しっとり濡れる感触で分かったが、事が終わっても詮索はできなかった。と言うよりは恐る恐る見た彼女の顔が、びっくりするほどすっきりしていて、どう接したら良いか分からなかったというのが正しい。
こうなると男は弱い。それは親方もイオも同じらしく、どうにもそわそわと落ち着かない。
そんなメンズの心中やいざ知らず、女の子座りのアキハは人差し指の先で腫れぼったい目尻をそっと拭い、何かを吹っ切ったようにこちらを見る。
「ねえラド、その剣、どうなった」
まだ乾かぬ瞳で聞く。
「あ、ああ。多分成功したと思うけど……」
「そう、よかったね」
ゾッとするほど大人の顔でしっとり微笑む。
「まぁアレだ! ラド! その剣ちょっと見せてみろや」
むさいオッサンは、この空気に耐えられない。
無理矢理割り込んで床に平置きされた剣をヒョイと取り上げ、魔法処理の出来栄えを確認する風に、わざとらしく処理後の刀身を縦から横から見て「どれどれ」なんて馴れない節で唸る。
だが――。
光にあてた刀身を見て親方のとぼけた顔がみるみる真顔に変わった。
薄暗い店舗の中では以前と変わらないと思えた剣だが、日を浴びると煌めきが明らかに違う。なにやら艶かしい滑らかな照り返しを刀身に走らせている。
ロザーラとレジーナは相当の疲れを感じているらしく、「ほー」だの「ふーん」だの唸る親方に興味も示さず、上気したとろんとした顔で店舗の椅子に半分ずつ腰掛けて休んでいる。
投下した魔力量はかなりのものだ、お腹もかなり空いただろう。
「ごめんね。不慣れだから随分と魔力を消費したけど、たぶん分子は綺麗に繋がっていると思う。魔法反射の感覚が滑かだったから」
「それで、剣はどうなったのだ?」
ため息のように気だるく話すロザーラの問いは全員が知りたい事だ。
「じゃさっそく試し切りをしてみようか。親方は刃こぼれした剣を、アキハはこの剣を持って」
待ってましたと言わんばかりに、親方は処理後の剣をアキハに放り投げて、自分は壁にぶら下がった例の剣を装飾も美しい鞘からサラリと引き抜く。
シンシアナ人が剣を抜くと武人でもないのに相当の威圧感がある。ぽーっとしていたロザーラもレジーナも剣を持った親方のシルエットにごくりと唾を飲む。
アキハは「えー、ちょっとわたし疲れてるんですけど」と愚痴りつつも重い腰をあげ、渡された剣を両手で構えて剣束をぎゅっとねじる。
大きく腹式呼吸を一つ、二つ……。
すると今まで纏っていた寝ぼけたような雰囲気が吹っ飛び、戦闘力がみるみる上がっていく。
いつぞやのように獣の目にはならないが、真剣を持つと取りつかれたように気迫がこもるのは今でも同じである。その光景に白百合騎士団の二人とイオは目を見張る。
「すごい二人だな」
ロザーラがボソリと言う。サルタニア事変の現場にいたロザーラだが、魔法の詠唱に全てを捧げていたのでアキハが戦う現場は見ていない。彼女はハブルの気迫を初めて目にするのだ。
「工房の中は危ないから中庭にいこう。折れた剣先が飛んでくるかもしれないし」
ラドの言葉に二人は、気合を抜かずにすり足で中庭に向かう。なぜ対決ムードになっているかは二人以外には分からない。たぶん血なのだ。斬りあうというそのムードがアドレナリンを高めるに違いない。
「いいかい? 目的は斬りあいじゃない。どっちの剣が強いかだ。二人はその剣で全力で撃ち合って欲しい」
「わかってるぜ」
「承知~」
既に戦闘モードの二人には、それだけで十分だったらしく、直後無言で駆けだしたアキハによって一刀が振り下ろされた。
軽々と落ちてくる剣を親方は合いの手を取るように片手持ちの剣で受ける。すると、かつて聞いた事のないキーーーンと一等高い音。
その音の意味を親方は把握しており、ニヤリと笑って舌なめずりをする。
「ほほぉ、ならこっちからもいくぜ」
今度は親方の踏込みと正面切り!
その勢いに体育座りで見学するロザーラとレジーナは首を竦める。
決して地盤の悪くない中庭がズンとゆれて、一撃がアキハの頭の上に降り注ぐ! それをアキハは剣の根元で受ける。
一瞬沈み込むアキハに、レジーナが「きゃぅ!」と声を発するが、アキハはその剣を完全に受けきり、くるりと手首を返して弾き返す。
「やるじゃねぇか。お弟子さんよ」
「親方も」
「バカいえ、半分も力、入れてねぇ」
アキハは剣を持ち替え、「はぁーーー!」と気勢を発すると三度の突きを一気に放ち、足さばきと合わせて、薙ぎ、袈裟、薙ぎ、そこから切返しの居合のせり上がりを放つ。
目にも留まらぬ連続攻撃。親方はそれを体捌きと受けでしのぐ。
そのラッシュが終わると対戦の軸は打ち始めの時からちょうど九十度に転換されていた。
「凄いです、あのお二人」
レジーナがつい漏らすのも無理はない。シンシアナ人の剣戟の運動神経は圧倒的だ。鍛錬を積んだガウベルーア人でも足元にも及ばない。それをこんな間近で見るのは初めてだろう。
「レジーナ、これがシンシアナとハブルの戦いなのだな。アキハはもう十五歳だ。シンシアナの血は抜けかけているが、それでもあの強さなのだ。我々では足元にも及ばぬだろう」
「はい……やはりシンシアナ人は恐ろしいですね」
マッキオは敵ではない。そう理解しても二人の体の芯に刻まれたシンシアナ人への恐怖と不信は拭いきれない。
力で打ちつける親方と、早さと技巧で攻めるアキハ。そんな双方の多彩な攻撃が中庭に響く。
そんな打ち合いを五分ほどした頃。
「親方そろそろやる?」
「おう、十分楽しんだしいくか」
なんで二人はこんなバトルをしてたのかと思えば、準備体操ついでにちょっと遊んでいたらしい。
「みんなちょっと下がって、どっちかの剣が飛ぶと思うから」
アキハの声に、みんながぞぞっと後ろに下がる。
二人が息を合わせるように間合いをとる。この静止の間に二人の肩の上下が合っていく。そしてそれがぴたっと止まった瞬間。
「でやーーー!」
「どやーーー!」
二人の声はぴったりと一致し同時に踏み込んだ!
「ギャーーーーーーン」
と音がしたと思う。二つの剣から眩しい火花が散ったのが確かに見えた、そして空高くに白刃が跳ね上がり、それが高速に回転しながら、弧を描いて地に戻ってくる。
それはちょうどレジーナの目の前に落ちてきて、足元ギリギリの地面にプスリとささる。
「ひぃぃぃ」
と、お姫様のかわいい悲鳴。
撃ち合った状態のまま固まった二人の剣先をみると、親方が持つ剣の中ほど三分の一から上が不自然に途切れていた。それを見定めたアキハは、じわじわと表情を崩す。
「や、やったー!!! わたしの剣が遂に、遂に親方を超えたーーー!!!」
「はぁぁぁ!? バカ野郎! 勝手に俺を超えるな!」と親方。
「魔法の力だよ!」とラド。
「いまかけた魔法の効果だろ!」とロザーラ。
「アキハの力じゃないにゃ」とライカ。
「なによ! みんなでよってたかって! まるでわたしが何もしてないみたいじゃない!」
「してない!」
全員の声が揃った。
「しかしスゲーな音が違うぜ。こりゃアキハが打った剣じゃねぇ。俺が打った最高の剣を余裕で超えるぜ」
「でしょ。もともと鉄を打つのは分子構造を整えて不純物を抜くためなんです。それを魔法で強制的に行うのがこの施術です。親方の打った剣なら、その剣の半分の厚みでも同じくらいの強度は出るんじゃないでしょうか」
「こりゃすげー! しかも実験でこれだろ。魔法ってのは恐ろしいもんだ」
イケると確信したラドは、親方に相談を持ちかける。
これなら少々戦ったところで武器は壊れない、制作にお金がかかっても、あっという間に元は取れるだろう。何より軽い武器を作ることができる。イオを始めマージア騎士団のメンバーは力で押すタイプではない。パーンの強さは圧倒的な早さである。
だが早さを取れば武器が壊れ、武器の耐久性を取れば早さが落ちるジレンマを感じていたのだ。
「親方、この施術に適した細くて薄い剣を作って欲しいんです。図面を描きます。身幅は半シブ(1.5センチメートル)で反りを持たせた片刃で。厚みはロクタン貨よりも遙かに薄く。刀身は四スブ(120センチメートル)は欲しい」
一気にイメージを言葉にするラドに、親方は「図面なんていらねぇ。きっちりわかってるぜ」と親指を立てる。こういうところは職人だ。口は悪いが興味が乗ると逆に作らせろとチャレンジしてくる。
「しゅにん! ならライカもなんか新しい武器が欲しいぞ!」
瑞々しく輝く瞳が期待に溢れている。これは断れない。
「じゃ、ライカにぴったりなのを考えておくよ」
さらにライカの向こうに、小さく手を上げる二人がいる。
「ラド殿、我々にも作ってくれないか。謝礼は弾むので……」
二人の剣戟にすっかり怯えてしまった白百合の二人だが、武器の出来映えに興味をそそられたらしい。
「親方、いいですよね」
「おっし! まとめて面倒めてやらァ」
剣の仕上がりにご機嫌な親方は二つ返事で了承してくれた。
だが、この二人の謝礼が――、さすがアージュのお姫様ですねって金額! おかげで三万ロクタンの借金返済の目途が一気に立ってしまった。
ごっつぁんです。