心変われば皆変わる
ロザーラが来る間に買ったブッセを食べつつ、井戸端会議でまた一休み。イオがソワソワし始めるが、そんなのお構いなしに世間話しに盛り上がる。
この世界に来てから女の子と話すのが楽しい。子供の容姿という気楽さもあるが、どこの店のお菓子が美味しいとか、あの小物が素敵とか、街で起こるちょっとしたドラマなど他愛もない話題でいちいち話しが合う。それに気遣いをしなくてよいので、ついつい話が長くなる。
前の世界では小学生の頃に女子に泣かされたトラウマのせいか、緊張せずに話せる異性は秋葉だけだったが、世界が変われば気持ちも変わるもの。
プチ女性恐怖症の僕がねぇ〜。
うーん、感慨ひとしお。
そんな雑談に花を咲かせて、ひとしきり盛り上がるが、いい加減しびれを切らした親方にせっつかれて魔法の実験を始めることにする。
「さてと……」重い腰を上げる。
「やってみる実験は水の魔法を応用して、この剣の強度を大幅に上げるというものだよ」
「水の魔法でそんな事ができるのですか?」
突飛な実験にレジーナは目を白黒させる。サルタニアで暴力的なまでの魔法の力を見たロザーラならいざ知らず、魔法のなんたるかを知らないレジーナには信じられない話しだろう。
使えない水の魔法でそんなことが出来るか――。それこそ魔法だ。
「まぁ見ててください」
ラドはちょっとドヤ顔でアキハから剣を受け取り床に置く。
なんの変哲もない一本の剣を工房に集う、親方、アキハ、ライカ、イオ、ロザーラが車座になって頭をそろえてジッと見る。
なんだかタネを見つけようと躍起になって鑑賞するマジックショーのようだ。
「この剣の鉄から不純物をはじき出し、分子構造を組み替えるんだ。まだテストだから魔法はこの紙に書いた魔方陣と僕のイメージを使う。魔力はロザーラとレジーナさんからもらっていいですか?」
「魔力をもらう? そんな事できるのですか?」
またレジーナが驚く。
「魔力の源泉がどこにあるかはまだわかりませんが、魔力は体を伝うと分かっているので、他人の体でも地続きと思えば魔力は伝わります」
「そんな事まで研究なさっているなんて、さすがは魔法研究局局長ですね。ああ、すみません失礼な感動でした。それで私はどうすればよいのでしょう?」
「魔力を効率的に伝えるには相手と一体になる必要があります。相手に接触し、気持ちを同調させて、相手を受け入れて心を一つにするイメージです。まずロザーラと一つになって魔力を合わせて、僕の肩か背中に手を当てて魔力を流し込んでください」
「はい」
ラドは魔方陣を左手に持ち、もう片方の手は印を切るように人差し指と中指を揃えて剣の根元に沿える。レジーナとロザーラはラドの背後に立ち、肩甲骨あたりに手をあてて準備を整える。
「魔力を流して」
「はい」
神妙な空気の中、三人の呼吸が合っていく。
二人の掌からラドの背中に魔力が流れると、ラドの手に握られた魔方陣がうっすらと光り出す、だが転換された魔法は反対の手まで届かない。
「やっぱり僕は魔力抵抗が高いな。ほんとこの体質が憎らしいよ。なら……」
ラドは呟くと右腕に魔法陣を書いた芋根紙を載せて左手を添えて押さえる。出来る限り魔力の伝導経路を短くするためだ。
すると右手の指先に魔法が顕現し、刀身の指を乗せた部分がまるで熱せられたように、ぽわんとオレンジ色の光を発し始めた。
「光っているようだが、熱くはないのか?」
ロザーラがラドの頭越しに覗いて、起こりつつある現象に興味を示す。
「うん、熱くはないのだけれど魔法の反射が整わないのは変だなぁ。魔力が足りなくて原子配列を動かせないのかな? レジーナさん、ロザーラ、魔力抵抗を下げて魔力流量を増やしたいんだ。申し訳ないけど僕の体との接触面積を増やしてくれないか」
「はい、こうですか?」
レジーナは背中に置いた手をすっとズラしてラドの背中に身を寄せ、背中を抱くように上半身を合わせる。
「わ、わ、ちょっと! ダメ!」
そんな甘えライクなポーズを見たアキハは、慌ててレジーナを引きはがしにかかる。だがラドは背中で起こる騒動などお構いなし、「反射のザラつきがなくなった! いい感じだ、そのままを維持して」と、気にする素振りもない。
その様子がツボだったのだろう、ロザーラはアキハにニタリ顔を向け、「気苦労が耐えんな」と、からかってみせる。
アキハはアキハでイライラを隠さず、不満一杯の鼻息を吐いてレジーナに詰め寄る。
「もう! じゃ私も魔力流すから。レジーナさん、もうちょっと向こうにズレてよ!」
相手は白百合騎士団のしかもアージュの姫様だというのに、アキハはお構いなしにグリグリとレジーナを押してラドの右肩に両手を置いた。
それを不愉快に思ったのか、レジーナは強い口調でアキハをからかう。
「あら焼きもち? あなたはラド殿の恋人さん?」
「恋人!? ち、ちがいます! ただの幼馴染です」
尻すぼみに声が小さくなる。
「あら動揺しちゃて」
レジーナはラドの背中に身を預けたまま、くるりとアキハに顔を向けた。毛先に少し癖のあるブロンズのショートヘアが頬にかかり、アキハはこの人はこの国第二の都市のお姫様なのに、なんて艶めかしく色っぽいのだろうと思う。
だが薄緑の瞳には、ただ自分の反応を楽しんでいるだけではない、軽蔑の光があった。
「動揺なんてしてません……から」
「幼馴染ですものね。いいわね。小さい頃の彼を知ってるのって、女としてさぞアドバンテージなのでしょう」
レジーナは先ほどまでオドオドしていた事も忘れたようにアキハに絡んでいく。
「そ、そんなの、知ってますけど、ラドだって小さい頃の私を知ってるわけだし……」
「そうね。私には弟がいますから、殿方のお気持ちは良くわかるつもりよ」
ここまで絡まれたら、いつものアキハならば食って掛かっていただろう。だが……。
ラドの背中に触れて魔力を流し始めてから、アキハはトゲのあるレジーナの言葉の裏側にある想いを、まるで自分の思考のように感じていた。
『ハブルのあなたが、なぜ貴族の私よりも幸せな人生を送っているの』
言葉にするならそんな強烈な想い。
そして、孤独で居場所のなかった寂しさ。
なぜあなたには心を分かち合える幼馴染がいるのかという嫉妬。
下賤の者が大きな顔をして当然のように王都で生活している怒り。
そしてこの瞬間の不敬や無礼へのイラつきも、白百合騎士団に閉じ込められた捻じれた苦しみも、それらが不思議な程クリアに解る。
それはロザーラも同じだった。
体の感覚は薄れてレジーナやアキハの体温に寄り添うふわりとした浮遊感の中で、時より誰かが自分の中に出入りし、かすかな残滓を残していく。
それは記憶だったり、想いだったり、感情だったり。
『魔力を共有しているから……か……』
複数人で同時に大出力の魔力を流し込む実験など誰もやったことはない。それほどの魔力が必要な重魔法はなかったし、そもそも魔力を誰かに分け与える必要もなかったからだ。
「弟さんですか」
アキハの質問をきっかけに、強い感情がロザーラの喉を通り抜け、ぎゅうぎゅうに圧縮された歪な恨みの塊を残していく。
「それほどまでに許せなかったのか、弟君を」
「ロザーラ! な、なにを急に!?」
「伝わってきたのだ。弟君は本妻の末っ子だったな。たいそうな甘えん坊だと聞く」
レジーナははっとして、しゃがみ込みラドの肩に横から両手をあてがうロザーラを見た。
ロザーラの頬から一筋の涙が伝っている。
その涙に、いま抱いた恨みも苦悶も全てがロザーラに伝わっていることを悟った。なぜなら彼女の慈愛もまた自分に伝わっているのだから。
「隠していた訳ではないのです。ただ大きくなったら心配なのです」
だが躊躇って言い直す。
「うそ……うそです」
レジーナの弟は十二歳になるのにほんの子供で、一人では城の外にも出られない。武芸も魔法も冴えず、なら知に長けているのかといえばそうでもない。本を読むにもじっとしていられないタチだ。
そんな弟を何とかしてあげたいし、駄々をこねるなら苦言の一つも言いたくなるが、本妻の子ならば庶子のレジーナは何も言えず、ただ不安と不満を募らせるのみ。
それでも良かれと思い陰で世話をしてあげると、弟は彼女を憎み本妻に悪意の入れ知恵をする。
本妻は本妻で出来のいいレジーナを疎ましくこそ思え、兄弟姉妹の面倒をみていることに感謝することもない。
ハウスメイドの噂で自分が父親以外からは家族として認められていないと知ったとき、レジーナは自分の行き先が決まったことを悟ったという。
「家族か。その苦悩をアキハに当たっても詮無かろう」
「……」
レジーナの回想はアキハにも伝わっている。
「ご自分から出られたのですね。おうちを」
アキハが言うとロザーラは付け加えるように貴族の現状を説明した。
「他の家の者も同じだ。女など貴族であっても扱いは道具のようなものだ」
「それは長子以外の男子も同じかもしれません」
「そうだな、わたしもサルタニア家の兄上達は特別だとここに来て知った。どの家も長兄はまだしも家督がなければ男子とて遊ぶことばかり考える。そして色々な意味で使えぬ女は捨てられるように白百合騎士団に入るのだ」
『使えぬ』の中身が、一気にアキハとレジーナになだれ込んできた。醜女、行き遅れ、妾の子。逆に出来すぎる娘や自立心が旺盛な娘も、嫁ぐ先で嫌われ居場所を失う。
「わたし……」
と言いかけたアキハの絶望もレジーナに伝わってきていた。家族や幼馴染には恵まれたがハブルの出自はいかんともしがたく、街で受けた苦しみが苦い味覚と痛みとなって二人に伝わってくる。
同じようにロザーラの父親との確執や苦衷の想いもアキハとレジーナに伝わってくる。
それぞれが胸裡に隠す怒りや悲しみ、恨みや僻み。
願わくはこんな汚い想いが背中を越してラドに伝わらないことを三人は祈るしかなかった。
ラドの魔法が進むにつれて、三人の想いは輪郭を失い溶け合い、共感して一つの意識に溶けていく。同時に朦朧として今が不覚になっていく。
いかほど経った頃だろうか。急に視界が開け三人の姿はそれぞれ幼い少女になっていた。
時は夕焼けの頃。
ロザーラは道端にしゃがみこんで泣く少女を認める。
なぜ泣いているのだろうか。
『どうして泣いているの』
その理由は答えずとも分かる。心に流れ込んでくるイガイガしい塊が教えてくれるから。
『私はハブルなの』
自分がハブルだと見知らぬ男に知らされた衝撃。母がほろほろと涙を流し、自分の手を痛くなるほど強く握って、『ごめんなさい』と言ったあの日がロザーラの目にありありと映る。
『お母様はシンシアナ兵に……』
気がつけば隣に立つ幼いレジーナが涙を何度も手の甲で拭い、しゃがみ込むアキハの横に同じ目線で寄り添っていた。
『私、シンシアナの血が入った汚れた人なの』
三歳のときにラドに『自分はハブルだと言った』と言ったのは嘘だ。そう強がらないと折れてしまうと思ったから嘘をついた。親方の所に転がり込んだのも、自分がハブルだなんて気にしない女の子なのだと思うため。ハブルを認めないためにはそれしかなかった。
自分とつるんでくれるラドが『変わり者』だといわれるたびに、いっそうラドを強く求めた。それは絶対自分を裏切らない何かが欲しかったからだ。自分という存在を様々な色で飾り立てて虚勢を張って無理にラドに押し付けている。
元気な自分、大雑把な自分、明るい自分、ケンカっぱやい自分、情にもろい自分。
そんな色を塗っているうちに、本当の自分などわからなくなってしまった。そんな不安もラドを求めることで救われようとしている。
でも、それが悲しいんじゃない。
怖いのだ。
『ごめんなさい。ラド、ごめんなさい。捨てないで。私を捨てないで!』
ラドに捨てられるのが怖い。本当の自分を旅路の何処かに置き忘れてしまったことが怖い。この世界に自分の居場所が無いのが怖い。
怖い。怖い。怖い。
怖くて、怖くて、泣いてしまう。
――ロザーラはいつの間にかすすけたボロを着て膝を抱えて小さくなるアキハを抱いていた。レジーナもその上からアキハを抱く。
レジーナの手が金色に光っている。暖かな羽毛のような手がアキハの頬に触れ、ロザーラに頬にも触れる。指先からは泣きだしそうな想いが伝わってくる。
『求めてくれる人がいる。ならば応えたい。救いたい』
応えたい想いが羽毛のように優しく強く存在している。
ロザーラの手もまた金色に輝き、アキハとレジーナの肩を取っていた。
『私は無力ではない。今こうして誰かの手を取れる私がいるのだから』
アキハもレジーナ二も形容し難い想いをロザーラから受け取っていた。
アキハはもう号泣寸前だった。あふれる感情で胸がパンクしてしまいそうだった。泣いてしまうのは自分ではないと分かっていても、赤心の二人に触れると、もう全てをさらけ出してしまいそうで、今まで封じ込めた想いも感情も全部が蘇って濁流となって外に流れだしてしまう。
それを助長するようにレジーナとロザーラの声がする。
『ごめんなさい。なにも分かっていなくて。分かろうとしなくて』
『私も申し訳なかった。私たちは同じ。いつも一緒だ』
その瞬間、三人はもとの大人に戻っていた。今が現実なのか魔力が見せるあやかしの空間なのかは分からない。分からないがアキハはラドの背中に顔を伏せて泣いた。
十五歳の成人なのに。ここには二人もいるのに。
だがそれはロザーラもレジーナも同じだった。声は聞こえないが、ちらりと見れば二人の閉じた瞼の端から涙が溢れるのが歪んだ視界からで見みえた。
自分のために泣いてくれている人がいる。
ハブルを見下し同じ人だとすら思っていなかった傲慢。
何人もの半獣人を痛めつけてきた残虐。
笑顔の下で家族を蔑んできた優越と差別。
シンシアナと狂獣に蹂躙された怨念。
道具として扱われた怒り。
自分の不幸を恨み依存に逃げた喪失。
母にぶつけた怒りと愚痴。
そして居場所のない悲しみと嘆き。
それらが懺悔となって三人の内を洗い流し、心の中の万年氷が春の日差しにゆるむように亀裂が入るのがわかった。
『たとえ敵国の血が混ざっていても――』
『たとえ家族に蔑まれても――』
『たとえ道具として扱われても――』
『私たちは同じ居場所をもつ同士』
深くに掘られたトンネルの出口は歩けど見えない。だがそれでも出口は間違いなく存在する。
三人はそのトンネルごと浮上してくる感覚を味わっていた。
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魔力供給が落ちていく三人にラドが注文をつける。
「ちょっと魔力が弱まっている。もう少し強くしてくれないか」
交わす三人の瞳が同じ答えを導く。
「だめですっ」「ダメだな」「ダメ!」
「えっえ!?」
そしてロザーラとレジーナがふわっと笑う。
「だがラド殿が言うのだ。うーむ。よし、ならこうしてはどうかな」
ロザーラはラドから見えないというのに悪戯っぽく微笑むと、制服の胸元を大きく広げてピタリとラドに押し当てる。
「ちょっと、ロザーラさん!」
「でしたら私も――」
レジーナも制服の前留め具を二、三個外してラドの背中にピッタリと肌を添わせた。
「レジーナさんも、もうっ!」
「アキハ、お前もだ!」
ロザーラは後ろから手をまわしてラドの背中に両手を添えるアキハをぐっと押しつぶした。レジーナがワタワタするアキハとロザーラを両手で引き寄せて交互に二人をみる。
アキハも二人の背中に手を回し、顔を寄せ合ってクスリと笑い合う。
「いつでも力になろう。わたしは……恥ずかしいが、お前が嫌いではない。きっと波長が合うのだ」
「わたしも。不思議ですね。先ほど会った時は反発しかなかったのに、それが愛しくなるなんて」
「わたしも、お二人の力になりたいです」
「ならば、信じよう」
「きっと変われます。私達なら」
「はい、きっと」
アキハにはこの二人は生涯の友となるのだという予感があった。どんな事があっても、どんなに距離が離れても、この二人は私を応援してくれるのだと。
「ふー、終わったよ」
ラドの言葉に三人は体を離し、懐かしい友との別れを惜しむように手を繋ぐ。そして瞳を交わして繋いだ手をゆっくりと引いて行く。
合わせた手のひらが離れ、指先だけとなり、遂には両手いっぱいに腕を伸ばしても届かなくなり、想いはそれぞれの体に戻っていく。
物理的なそれ以上に遠くなる心の距離。
それでも見えない細い糸は縁となって三人を繋いている。その感覚がしっかりと体に残っている。
出会いとは神秘だ。
平凡な出会いなどありはしない。
つまらないと思うのは漫然と生きているからであって、本当は全ての出会いが奇跡に満ちているのかもしれない。
そしてもし誰の身にも奇跡が起きるなら、出会いは世知辛い忍土に残った唯一の希望、暗夜を照らす灯火そのものなのだろう。
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