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美女と半獣

 日は改まって。

 今日は珍しくイオとライカをお供にマッキオ工房に向かう。

 もちろん二人は街道警備の制服だ。半獣人の騎士団長として有名になったライカだが、それでも私服で街を歩くと、ただのパーンと思われて捕まり奴隷にされてしまう。奴隷になったが最後、所有利が絡むのでそう簡単には開放できない。

 イオはライカに比べて獣化度が高く、この制服を着ていても街の人が避ける状態だ。素で王都を歩こうものなら危険な半獣人として殺されておかしくはない。

 やっとの事で掴んだ自由だが、まだまだ彼らは王都市民とは言えない状態だ。


 新しく出来た工房の開けっ放しの扉をくぐると、そこは小さな店舗になっている。

 壁には工房で打たれた大小の剣やダガーがかかり、天然木の朴訥な棚の上には金蝶番(かなちょうつがい)やスプーンなどの小物が、棚の下には材木を削るちょうなや斧などが散漫に置かれている。

 工房ではガラス製品も作っているので、入り口付近の小机にはコップやネックレス、服宝飾品(服に取り付けるアクセサリーの事)が、差し込む光を弾けさせて天井や壁に虹を映している。

 商品に値札がないのは、この店舗が工房で作ることができる商品の見本市みたいな存在になっているからだ。シンシアナ人が開く店なので、ここで商品を買う客はほとんどいない。

 店舗の奥は工房だ。

 パラケルス時代の数倍の大きさを誇る新工房は、ガラス工房と鉄工房が分かれた作りになっており、鉄工房はマッキオ親方、ガラス工房はアキハが工房長をしている。

 アキハが工房長と聞いて、一瞬、我耳を疑ったが、一応彼女も五年も務めた一番弟子だ。新弟子が入れば先輩として振舞わねばならない。

 といっても新弟子は僅かに四名だが。


「親方ぁ!」

 ラドが鉄の打音に負けじと大声で呼び出すと、鉄工房の奥から親方の声が返ってくる。

「なんでぇ、ラドか!」

 工房はとにかくうるさいので、話すときは怒鳴り合いだ。

「なんでぇで悪かったですね。今日はちょっとお願いがあってきました」

「お願いだぁ? てめぇ、その前に金、払え!」

 借金王が現れたと知った親方は、わざわざ鉄を打つ手を止めて店舗の方まで顔を出す。一緒にコークスの焼けるすえた匂いが店舗にも舞い込んできた。

「それはもうちょっと待ってください。僕にも色々事情があるんです。昔のよしみで」

「おめぇなぁ。いったい幾ら貸し付けてると思ってんだ」

「わかってます。三万ロクタンですよね。わかってますから!」

「わかってるなら、今すぐ払いやがれ! 一ロクタンでも払え」

「もお~親方には随分、いろんな技術を教えたじゃないんですか。この前のベアリングも」

「あんなもん、他から注文の手合いなんか来やしねぇ」

「じゃ望遠鏡は? あれは便利でしょ」

「ああ、あれはいいモンだが、アキハにゃあのガラスはそうそう作れねぇんだ」

「それは、そっちの責任でしょ」

「てめぇが、もっといい製法を教えりゃいんだよ」

 二人の言い争いをイオがおどおどしながら見ている。

「あのぉ、お二人とも喧嘩はよくないです」

「喧嘩なんざしてねぇ! これは苦情だ!」

「ちがう、交渉!」


 その口論を聞きつけたアキハが店舗の右手につながるガラス工房から、ひょっと顔を出してきた。

「ラド! 来てくれたの!」

 まるでお日様のような笑顔を湛えたアキハは、ラドを見つけるやいなやアスリートの勢いで店舗に向かって駆けだしてくる。だが親方がその首根っこをぐいとつかむ。

「ぐえっっっ」

 ちょうど上着の襟ぐりを後ろから掴まれたアキハは、首輪に自由を奪われた子犬のように気道をつぶされ、女の子とは思えぬ妙な声を上げた。

「親方! なにっもう。変な所つかまないでよ。息詰まって死んだらどうすんの!」

「てめぇ、工房ほったらかしてきやがったな」

「やってるわよ。私の弟子が」

「てめぇの弟子じゃねぇ! だいたいガラスの扱いはマッシュの方がうまいだろ!」

「だって、ガラスは繊細で私向きじゃないんだもん」

 どうやらマッシュとは、ここに入った新入りの弟子らしい。この口ぶりではアキハは早々に技量で抜かされたか。

「どうもハブルってのは、大人になってもガサツでいけねぇ」

「はぁぁぁ? がさつ!? 親方には言われたくないわ」

 ――いやそれは合っているぞ。アキハ。

 ラドは心の中でそう思いつつイオに苦笑いを向けた。同じく苦笑いのイオ。イオもそんなアキハが好きなのがよくわかる。


「でなんなの? 三人して珍らしい」

 アキハが親方に捕まれたまま、今日の目的を聞きにくる。

「ああ、それそれ。武装の強度を上げられないかと思って。このままだと戦うたびに武器が壊れて、マッキオ工房ばかりが儲かるから」

「壊すてめぇらが悪いんだ。オレはまっとうな商売で儲けてるぜ」

「うぅん、その通りなんだけど、剣の強度が低いのはどうにもね」

 お手上げのポーズでおどけてアキハを見ると、アキハは興味があるらしく真面目な視線をこちらに向けてきた。

「ねぇラド、どうやったら強い剣がつくれるの?」

「アキハ、てめぇ、それは俺に聞く話だろ」

「そうだね。たしかに僕は門外漢だけど、剣が脆いのは鉄の特性をうまく使いきれていないからなんだ。鉄は固いと脆くなる。でも固くないと刃がつかないから切れない。この両方を合わせる必要がある」

「どうするの?」

「文字通り合わせるんだよ。方法は二つ。一つは鋼鉄を軟鉄で挟み込む方法。もう一つは折り込みだ。鉄を何度も折り込んでいくことで分子構造を整えて強度を上げるんだ」

 親方が隣でウンウンと頷いている。多分自分の工程に同じような手順があるので理論を実感しているのだろう。

「分子構造ねー。またラドの分からない言葉」

 一方アキハは呆れぎみだ。またいつもの病気が始まったという具合なのだろう。そんなアキハの顔を見てラドはふとあることを思いつく。


 ――分子構造を変えるのは魔法だって出来ることだ。水の魔法はセルロースの分子をバラして再構成することで成立している。なら鉄の分子だって動かせるんじゃないか?

 そして不純物を飛ばして結合を密にすれば――。

 なんとなく魔法陣を想像して頭の中で繋げてみる。

 ここらへんはオブジェクト指向のプログラム言語に似ている。実際、魔法陣が持つ効果を魔力を持って魔法にする感覚はインスタンスを作る工程に近い。


「うん、出来そうだ。ライカ、ちょっとロザーラをココに呼んできてくれないか?」

「なんでにゃ?」

「ちょっと、いいことを思いついたんだ。その実験」



 ライカは早速、白百合騎士団の寄宿舎へ走る。

 ライカにとってラドからの仕事は疑う余地などない神託に等しい。出来る出来ないではない、アズスーンアズ実行。意味など分からなくても完遂すべしだ。

 不慣れな地図を上下に回して見い見い、迷いながらも行った事のない白百合兵舎に到着する。だが寄宿舎はぐるりと囲まれた石壁の中だ。中に入りたいのだが入り口は何処にあるのだろうか。

 壁沿いに歩くと……

「あった、あそこだな」

 石壁の穿たれた穴の前に、まるで水鳥のような美しい制服をびしっと着こなした二人の女の子が立っている。

 白百合騎士団の衛兵だ。


 ライカはその子たちに微笑みかけて光が満ちる通路に足を踏み入れようとする。

「えっ!? あ、ちょ、ちょっと!」

 左右から慌てた声。

「ん?」

 どうしたのだろうか、もしかして挨拶を見てなかったのだろうか。今度は頭を下げてみよう。

 先程と同じように微笑み、軽く頭を下げて歩みを進める。

「あ、あなた! 止まりなさい!」

 止まれと言われた手前、スルーも出来ない。ライカは再び足を止めて声をかけた女の子を見た。小枝のように華奢な腕に指先。その手があたふたとしながら腰にぶら下げた剣のラッチを外そうとしてる。


 衛兵の女の子達は通路のまえに立ちはだかってライカを止め、自分に暗示をかけるような大きな咳払いをして誰何の声をかける。

「あ、あなた、何者ですか」

「ライカだぞ。この中に用があるんだ」

「ライカ?」

「あ、ちがった。ウチはマージア騎士団、騎士団長のライカ・マージアにゃ」

 そうだ、こういう時はマージアの名前で名乗るのだったとラドに言われたことを思い出して言い直す。


 この怪しい言い方に疑いを深めた衛兵の一人が、ライカを足元から舐めるように見定める。その目がライカの顔に達したとき、衛兵は何かに気づきビクリと震える。

「半獣人……」

 その呟きにもう一人の衛兵も緊張を高める。

 遠目に街道警備の制服が見えたので完全に油断をしていたが、この者は半獣人ではないか。

 確かに半獣人騎士団の話は知っている。だが、この自称騎士団長が当の本人なのかは分からない。お人好しにもこの半獣人を信じて中で暴れられでもしたら衛兵の自分はタダではすまない。


「騎士団長とのこと、ご無礼をお許しください。無礼ついでに恐縮ですが、貴殿……いえ貴女がライカ・マージアである証明をいただけませんか」

 震える声で問う。

「んー、ライカはライカだぞ」

「名前は証明になりません」

「じゃ制服はどうだ」

「そのような物は、どこでも仕立てられます」

「うーーー、お前、しゅにんはしってるか?」

「お前? しゅにん?」

 こんな乱暴な物言いをする人物が本当に騎士団長だろうか。いよいよ怪しいと踏んだ衛兵は、人参色のショートヘアの分け目を正し、甘いタレ目をキッと引き締めて強く問いただす。

「ならば要件を教えてください」

「ロザーラを呼んで来いって、しゅにんに言われたにゃ」

 半獣人街道警備隊の主はマージア殿だったはず。

「しゅにんなる方は貴女とどのようなご関係――」

「お前めんどくさいなぁ。ライカはもう行っていいか?」

「だめです! いいわけありません!」

 衛兵はズイッと一歩近寄り不満をもらすライカを、仰け反りながらも受け止めて気持ちで押し返す。

「な、ならば、ここでお待ちください。私では分かりかねるのでロザーラ殿にご確認いただきます」

「そうか、しょうがないな。じゃ一緒に待つか」

 ライカは二人の衛兵の肩を掴んで壁際に連れていく。


「お前たちも騎士団なのか?」

「は、はい、白百合騎士団……です」

「そうかライカと同じだな、でも随分弱そうだな」

「よわっ!?」

「うん、しゅにんより大きいけど、ちっこくて細いもん」

 衛兵と言えど貴族の子女だ。手枷足枷もないフリーの半獣人に掴まれて、しかも並んで歩くなどまずない。気を抜けばいつ襲われるのかとヒヤヒヤだ。

 一方、ライカはこんな間近で街の女の子と話しても捕まらない事に驚きと感動を覚えていた。騎士団とは凄いものだ。そんな騎士団長にしてくれたラドも凄い。

 待たされるのはイヤだが、その新鮮な体験が嬉しくて女の子ににぱっと笑いかける。

「お前たちの名前はなんだ? ロザーラが来るまでライカとひまぶしにゃ!」

 口から生えた鋭い切歯を見せつけられた衛兵は真っ青になって震え上がるが、彼女らがライカから開放されるには、騒ぎを聞きつけたロザーラが来るまで小一時間は待たねばならなかった。



 その頃ラドは、芋根紙を前に楽しげな予感を瞳に湛えながら獣歯牙ペンを走らせていた。手を動かしながらアキハに声をかける。

「ねぇアキハー、自分が打った剣はあるかい?」

「わたしが? あるっちゃあるけど、練習で打ったヤツだよ」

「それで十分。親方、一振り壊してもいい剣ってありますか?」

「あるぜ、どこかの()()が勝手に持ち出して、刃をぼろっぼろにしたやつがな」

 親方は店舗の壁からぶら下がった鞘飾りの豪奢な剣を親指で示してニヤリとアキハに笑いかける。これはアキハがサルタニアに持ち出した剣だが、親方はまだ直していなかったらしい。

 その後どの様なやりとりがあったのかは敢えて聞かなかったが、たぶんこってり絞られて、見せしめのようにずっと壁に飾られているのだろう。

「アキハの剣と打ち合いますけど、折っちゃっても怒らないでくださいね」

「折れる? バカいうなって。刃こぼれはしてるが強度に変わりはねぇぜ」


 そんな話をしながら草根茶を飲み飲みしばらく待つと、ライカに連れられてきたロザーラが挨拶もノックもなしに大股でズカズカと工房に入ってきた。

「失礼する。ラド殿、ライカに呼ばれて来たが、なにか問題でもあったのか」

 入るなり不穏な事を言うではないか。

「めっそうもないこと言わないでよ。僕の周りは問題だらけじゃないよ」

 茶飲み友達のまったりムードに場違いを感じたロザーラは、おやっと思ったかキョロキョロと工房を見回す。だが喧嘩もなければ死体もない。


「ライカ、なんでもないではないか」

「早とちりはロザーラだぞ、ライカのせいじゃないぞ!」

 どうやら誤解か行き違いらしい。放っておくと面倒な事になりそうなのでラドが先に仲介に入る。

「なんとなく想像はつくけど、ライカはいったい何を言ったんだい?」

 まずロザーラに聞く。

「マッキオ工房で何かありそうだから急いで来いと」

「なるほど。まるで何かトラブルでもあったような言い様だ」

「ライカはそのまま言っただけだぞ!」

 言下にライカが否定する。このままでは自分が悪いみたいだ。

「いいよ、ライカが悪いわけじゃない。言葉っていうのは状況や価値観で意味が変わるものなのさ」

 そう言われてロザーラはコホンと咳払いをして、崩れてもいない服のシワを伸ばして何かを取り繕ろう。そして一瞬だけマッキオに微妙な視線を向けてから、「誠に失礼した。少々早合点したようだ」とサラリと謝罪し、わははと豪快に笑う。

「本国の貢献者であったな」

 なにも豪放磊落を気取ってごまかさなくてもとラドは思う。

 もともとお淑やかだとは思っていなかったが、騎士団に入って豪快さが一段と増したようだ。会うたびに男らしくなっていくが、この娘は大丈夫なのだろうかと不安になる。

 まぁ気持ちが自由になったのは、いい事なのだろうが。


「ロザーラ、そんなに大きな口を開けて笑うものじゃないわ。はしたない」

 入口近くにへばりついていた、もう一人の女性が恐る恐ると店舗に入りロザーラをたしなめる。レジーナだ。

 たぶんシンシアナ人や半獣人への警戒心があり、中には入らず状況を見ていたのだろう。

「アメリー王妃の御前ではないのだ。ラド殿の前くらい自由にさせてくれ」

「もう、ロザーラったら」

 そのやり取りを工房の店舗の奥から見ていたアキハが遠慮がちに問う。アキハとレジーナは初対面だ。ロザーラが連れてきたのだから白百合騎士団の関係者だとは分かるが、そんな雅な方がなぜこんな場末に来るのか分からない。

「あのう、その方は?」

 アキハの問にロザーラは思い出したように答える。

「失礼した。白百合騎士団で共にしているレジーナだ。彼女はアージュのお姫様だぞ」

「アージュのお姫様!?」

 皆の声がハモる。それはラドも初耳だ。

「ちょっと! ロザーラ! ちがうんです。確かにアージュの者ですが妾の子ですから」

 慌てて否定するレジーナは、本当にそう扱われるのが嫌なのだろう。しっとりした雰囲気から想像できない勢いで手を降って、ロザーラの言葉を否定する。

 ならここは触れずに返してあげたほうが親切というもの。ラドはにっこり微笑んで仲間の紹介をする。

「彼女はアキハ、ここの工房でガラスを作ってる。この工房の親方、マッキオさんの一番弟子だよ。僕と一緒にいるパーンの子の名はイオ。マージア騎士団の仲間だ」

「マージア騎士団の事は存じ上げております。街道警備に革命を起こしたとアージュでも有名です。エマストーンでしたか、あの魔法を仕入れたいと父も申しておりました」

 ロザーラが補足する。

「レジーナの父上は子に差をつけない気性でな。そんな手紙をレジーナにしたためたようなのだ。ラド殿、あの魔法をレジーナにも教えてくれないか?」

「ロザーラ、いきなりそんな。ラド殿にご迷惑です」

「いや迷惑だなんてないよ。ロザーラにはお世話になりっぱしだからね」


 そんな話の入りで街道警備の活動やエマストーンのいきさつなど簡単に紹介する。

 警備の為に行った発明とか親方の協力とか、敵に合わせた戦い方、パーン仲間の失敗談やかわいいところを面白おかしく話す。


「ラド殿は使命感を持って街道警備にあたられているのですわね。でも本当に半獣、いえパーンで構成された騎士団で大丈夫なのですか。実際に見ると……」

 こんな狭い部屋に半獣人と同席するのはレジーナにとって初めての経験だ。特にたてがみが勇ましいイオを見ると、ここで急に暴れ出すのではないかと心配になる。

 それははっきりとしぐさに現れ、イオが椅子に腰かける足を組み替えるだけでビクリと体が反応してしまう。

「心配かい?」

「ラド殿はお見通しですわね。彼らの事はロザーラから聞いています。ですが恥ずかしながら……」

 レジーナの面目を慮ってイオが口を開く。

「ごもっともだと思います。みなさんにとって狂乱や我々の身体的な特徴は脅威ですから」

「賢いのですね」

 レジーナは驚きを隠さず、無礼なほどストレートな感想を伝えた。

「ラドさんやアキハさんに色々と教えてもらいました。文字に言葉、人のこと世の理、パーンのことも」

 イオは椅子を立ち、気圧され仰け反るレジーナとロザーラに説明を続ける。

「急に認めてくれとは言いません。まず僕達をかけ値なく見ていただけませんか。事実は説得よりも雄弁です」

 二人とも半獣人は知能が低いと思っていたのだろう、難しい言葉が出てきたことに戸惑いながら目で何かを会話する。

 それが何だったかは分からないが、レジーナはおどおどしながらも、「皆さんの活躍は存じております。できるだけ心を尽くさせていただきます」と、貴族としてギリギリ許される勇気ある一言をイオに伝えた。だがイオが差し出した手にレジーナは応えることはなかった。

 ラドは胸の苦しさを覚えずにはいられない。

 やはり半獣人は人に仇なす劣った種族と思っているのだろうか。あるいは危険な生き物だと。

 慣習や思い込みは本人の意志など、やすやすと乗り越えるほどの強い慣性力を持っている。急に分かれと言っても、今はその時ではなのかもしれない。

 それでもラドの前とはいえ、この二人がパーンに刃を向けないのは大きな進歩なのだ。



 新鮮な空気を入れたくなったラドは、あえてしみったれた話を振る。

「ところで、さっきの魔法の話なんだけど、僕にも事情があって、ちょっと売り賃をもらいたいんだ。なにせ僕は商売をしていない準貴族なんで“赤貧洗うが如し”なんだ」

「そんな! もちろんですっ!」

 話が急に戻ったことに、真面目なレジーナは戸惑い、あわわと手を振ってラドに頭を下げる。見事なストレートのブロンドヘアがサラリと音を立てて落ちる。

 妾の子といえアージュのお姫様だ。普通に育てばこんなに頭が低い筈はない。この気配りは兄弟の間で気苦労が絶えなかった証しだろう。父親は大らかでも家族子供がそうとは限らない。微妙な親族の関係性は、飛躍のエネルギーにもなるがトラウマにもなり得る。これも今は触れないでおこう。


「どうもありがとう。本当に助かるよ。実はここにいる工房の親方が借金を払わないと僕を食うっていうんだ。それでロザーラに助けを求めたところだったから」

「やっぱり、そうなんですか!」

 ここに来たときから、パーンに加えシンシアナ人の親方にも怯え気味のレジーナはラドの冗談を真に受けて震え上がる。それでなくても来る前から何かあるとライカに言われていたのだ。思い込みを裏打ちするような冗談をあっさり鵜呑みにしてしまう。

「バカヤロウ! くうわけねーだろ! そんな肉のないチビなんざ焼く手間の方がかからぁ。それより俺は肉の柔らかいヤツの方がいいがなぁ」

 なんて言うと親方は口を持ち上げてチラリとレジーナの方を見る。

「うぇぇぇ、やっぱり食べるんですね! ならロザーラの方が美味しいです! 私よりお肉がありますから!」

「お、おい、レジーナ!!!」


 工房にどっと哄笑があふれる。

 もちろん悪ふざけに慌てた親方が、頭をかきながらロザーラとレジーナに謝ったのは言うまでもなかった。

貴官→貴女

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