うっかり貴族
うっかり準貴族になってしまったが、それで急に日常が変わるわけではない。
相変わらず狭い官舎にイチカ、ライカ、リレイラと住み、朝になれば三人で家を出て、ふいっとどこかに消えるライカを見送りつつ職場へ。魔法研究局の仕事が終われば、ふいっと戻ってきたライカと合流し、ご飯を食べて寝る。
昨日と何も変わらぬ、いつもの毎日の繰り返し。
後日、国王の使いの者がデザイン文字で”マージア”と家名が焼印され、何だか細かい文字で誓約じみたことが書かれた木板と青の貴石を持ってきた。
これ表札?
この表札板が家名の証で、青い貴石が貴族の証になるそうだ。
マージアの家石はラピスラズリ。なんでも勇気と智慧を表すそうで……。
「失くさないように杖の飾りにでも埋め込んでおくかぁ」
アキハが嵌めてくれた青い石とも相性がいいし、サイズ的にも収まりがいい。
魔法研究局の方もうっかり研究所が研究局に格上げされたが、こちらも何かが急に変わるわけではない。
魔法の国であるこの大国だが、アンスカーリ家以外に魔法の大家がいないため、研究局で雇える人もおらず、ラドの権限がただ大きくなっただけで、大掛かりな研究が出来るようになったわけでもない。
一応、成果として高効率短詠唱型火の魔法の携帯魔法陣は王国に納品したが、出した成果といえばそのくらい。ちなみに名称は「ファイアーバレット」になった。「省エネ火の魔法」とか「メラメラの火」とか色々と名前を考えたが、ことごとくリレイラに心折れるダメ出しをくらい、やっとのことで「意味不明ですが音の響きが一番まともなので」というネガティブな理由で合格をもらった。
魔法を考えるよりもアタマ使っちゃったよ。
それ以外は今まで通りイチカとリレイラが地味に古文書を翻訳し、思い付きを魔法で実験してみる日々。
これが貴族の日常なのだろうか。違う。何か違う。違うに決まっているぅぅぅ!!!
なんかこう、指立てて紅茶飲むとか! 紅茶のない世界だけど。
膝の上で青い目のネコ撫でるとか! いまライカの頭、撫でてるけど。
ミニスカメイドが毎朝エロカワな格好で起こしに来てくれるとか! メイド雇う金ないけど。
そもそも貴族!
前の世界でも貴族という存在があまりに非日常で鳥貴族にしか行ったことねーし、どういう生活をしていたかだって『何とかトン・アビー』ちゅうドラマとか小説でしか見たことがなかったし、それが異世界の貴族!
どんな役割なのか? 何をしているのか? そもそも、どうやって生きてるのか?
貴族の生態とやらについて、皆目、見当がつかない!
ここであうあう言ってても仕方ないので、分からないなら聞くしかないと、唯一の心当たりのあるロザーラに貴族生活のなんたるかを聞きに行くことにする。いまロザーラは白百合騎士団の寄宿舎にいる。そこで鍛錬を積みつつ有事に備えているはずだ。
と言う訳で、レッツゴーしらゆり。
白百合騎士団とは、その響きのとおり王妃を守る“女性だけで構成された”騎士団だ。構成員は若い貴族の女子だけで、王城謁見の間で見た通り、儀仗正装が実に煌びやかな騎士団である。
まぁ余りに煌びやか過ぎて、アンド、突然の謁見に緊張しすぎて、どんな儀仗正装か覚えてないのだが。
しかし、ロザーラが白百合騎士団に入団するとは。
ロザーラが父、アクツ・サルタニアはそれを聞かされたとき、どれほど驚いたことだろうか。
言いなりと思っていた小娘の突然の離反。
真面目な娘が突然、家にボーイフレンドを連れてきたと思ったら。その男がヤンキーだった位の驚きに違いない。驚き過ぎて大きいモノか小さいモノかチビったんじゃないだろうか。それを想像する笑いが止まらない。おっと街中をニヤニヤしながら歩いていると変な人だと思われる。ご用心ご用心。
さて、白百合騎士団は王妃付きなので、騎士団が詰める屯所は王城の近に建つ。
庶民の建物に比べれば遥かに重厚で荘厳な造りだが、魔法局に比べればこぢんまりとした建物。その城壁に開くアーチ形の入り口に、赤と青の詰め襟の上着に白のスリムスラックスを着こなした、やけにきっちりとした衛兵が立っている。
もちろん騎士団が女性だけなら、門を守る衛兵も女性。そして屯所に内設される寄宿舎の住人も全員女性だ。
これだけ全てが女性づくしだと、男の身としてはかなり近づき難い。そういう理由もあってか、ここ宝塚的華の園に好んで近寄る男性貴族はいない。
誰も来ないという意味では魔法研究局も似たようなものだが、ここが貴族達から忌避されるのは実は他にも理由がある。
白百合騎士団には十五歳から二十五歳までの貴族の女子が入団し、五年以上の在籍が義務付けられている。女性で二十歳は、この世界では行き遅れの年だが、それを覚悟でここに身を置くのは、それなりの境遇を持った訳あり人だったりする。
そんな方々が集まる場所に訪れる貴族はいない。いくら女好きな遊び人でも、わざわざ面倒に首を突っ込むヤツはいないからだ。
しかも騎士団といえば聞こえはいいが、危険に晒される事のない王妃の警護など、男のマジ騎士団からみると、ひな壇のお飾りみたいなもので軽蔑の対象以外の何者でもない。
そんな悪口は在籍する本人たちも知っているが、それでも甘んじてここに身を置かねばならない貴人達がここにいる。
そういう事情を知ったのは、家名をもらって少し経ってからだ。
「こんにちはー」
子供をいいことに、そんなてろ~んとした挨拶をして、ちらりと杖の先の貴石を見せて難なく門を通り抜ける。
衛兵は一瞬ハッとするが、刹那状況を理解しガウべルーア式敬礼で敬意を示す。つまり通過を許可したということだ。
以前なら「どこの子供だ!」と言われたものだが、どうやら家名が下賜された事は存外有名らしい。それとラピスラズリの家石の効果だろう。これは身の証に杖は手放せない。
石造りのアーチの城壁通路を超えて広間に出ると、そこは砂地の練兵場になっており、昼食時分だというのに数名の騎士が接近戦を想定したさばきの練習をしている。自主練か居残りだろう。
そこにロザーラともう一人の女性もいる。これはまことに丁度いい。
「ロザーラ!」
遠くから声をかけるとロザーラは声の主を探して、きょろきょろとあたりを探し、入り口に小さな人かげを見つけると白い歯をみせて大きく手を振る。
「ラド殿!」
ラドは早足にロザーラを目指す。稽古の最中だったので他の人の迷惑にならない配慮だ。
「やあ、久しぶり、勇ましいね」
感じたままを伝えると、男性っぽいスラリとしたグレーのパンツルックのロザーラは、「それほど久しくはなかろう。それに見ての通り勇ましくなどあるものか。いまレジーナに泣くほど鍛えられているところだ」などと、弾けた笑顔をほころばせて冗談めかして答える。
「ロザーラ、なんてこと言うの」
腕を組んでロザーラをきっと睨むブロンズの女性。この高めのかわいくもキリッと締まった声の主がレジーナだろう。
「あはは、すまぬ冗談だ。おかげで自分がいかに甘やかされていたかと痛感している。感謝しているよ」
「人が聞いたら誤解するでしょ、もう」
どうやらロザーラに人をつけてくれと言ったことは実現されているらしい。
「打ち解けているようでよかったよ。初めまして、僕はラド。ラド・マージア。ロザーラは初対面の人に厳しいだろう。苦労してないかい?」
目の色も髪のブロンズカラーに負けず美しい女性に声をかける。
「やめてくれラド殿! 先の態度は特別な使命があったからだ。元来私はフランクな方だと自負している」
「ほんと?」
以前からは全く想像のできない会話がロザーラと繰り広げられる中、二人の掛け合いを目で追っていたレジーナは踵で靴を鳴らしつつ「失礼します」と話しを切り、頭を下げて優雅に会話に加わる。
「ラド殿、お目にかかれて幸栄ですわ。レジーナ・ラピーニと申します。お噂は伺がっております。新しい魔法で十万のシンシアナ兵を蹴散らしたと」
「いや! あれは違うんだ。噂が大きくなっちゃって。もうっ! ちゃんと訂正しといてよ、ロザーラ」
両手を振って誤解を散らすが、それが面白いのかロザーラは訂正ではなく肯定で話を受ける。
「謙遜することはない。十万は言い過ぎだがサルタニアを救っていただいたのは事実ではないか」
「お近づきになれて光栄ですわ」
レジーナは口角を上げて握手を求める。小さく華奢な手は思ったよりも固く、この人がロザーラに剣技を教えるだけのことはあると分かる。だが顔をみると、どこぞの箱入りお嬢様かと思う整った容姿だ。
「こちらこそ」と手を出しつつ、ロザーラに軽い復讐を思いつく。
「これからよろしくという時は、こうやって握手をするんだよねーーー」
「はぁ、そうですが……」
疑問に首をかしげるレジーナを横目に、ラドはロザーラにジト目でサインを送る。
「ラド殿は思ったよりも意地悪だ。あのとき本音を隠していたのはお互い様だろう」
「まったくだ」
二人はきょとんとするレジーナを囲んで練兵場で哄笑。
「ところでラド殿、ここに来たのは様子伺いだけではあるまい」
「そうなんだ、ちょっと恥ずかしい話だけど相談に乗ってもらえないかな」
「もちろんだとも!」
ロザーラは相好をほころばせて、ラドを練兵場の隅に案内した。
三人そろって寄宿舎の庇に入り、遠く白百合騎士団が練習する気合を耳に含みながらラドの切り出しを待つ。
「実は準貴族の事なのだけれど」
ロザーラは笑顔をかしげて、小さく「ん」と疑問符を声にする。
「貴族のみんなって、どんな仕事をして、どう生きてるの?」
「生きているとは。それは突飛かつジェネラルな質問だな」
「具体的な仕事が分からなくて」
「なるほどな。急に階位がつくと馴染めん事もあるだろう。父上が参考になるか分からないのだが――」
「きっと参考になるよ」
ロザーラはふむと唸り、まとめた思考を口にした。
「領主として陳情の対応をしたり、徴兵をしたり閲兵をしたり、貴族同士の会合に出たりだな」
「ふむふむ、それは領主の仕事だね」
「まぁそうだな」
「領地がない貴族はどうするの?」
「準貴族か。大抵、豪商が名誉爵位で準貴族になるのだが――」
「なるほど、商売の片手間で何をするの?」
「そうだな、要請に応じて私兵団を動かすとか、公職につき政を支えるなどだ」
「なるほどね」
「ラド殿は、アンスカーリ公閥の貴族になるのだろう? じきにアンスカーリ公の使者が来るのではないか」
「なんで?」
「アンスカーリ公の領地は広大だ。王国の三分の一に近い。それを守るために多くのアンスカーリ公閥貴族が騎士団を供兵している。ラド殿もその義務が来るだろう」
「それは困るなぁ」
「なぜだ? ラド殿ならば魔法で大いに貢献できるだろう」
「だってそもそもお金がないもの。私兵団なんか持てないよ」
「たしかにラド殿はお世辞にも豊かではないな」
「でしょ」
その話を聞いていたレジーナが、やわらかそうな白い頬に指をあてて、ぽつりと重大なことを告げる。
「準貴族に扶持はないはずです。ラド殿は魔法研究局局長と伺っていますが、じき扶持が切れるのではないですか?」
「げっ、まじ!!!」
「そうだな、ラド殿がどうかは分からないが、貴族は自領の税収があるから扶持はないのだ。準貴族は言わずもがなだな」
いままでは一般人で魔法研究所に勤めていたから、アンスカーリからの給料があった。大金ではないが家族三人を食わせるには十分の金額だったが、それがなくなる。
まさかと思うがあのじじぃ、釣った魚に餌をやるのがイヤになったのではあるまいか。
してやられた! これは『フット・イン・ザ・ドア』、少しずつ攻めれば、いつか全てが自分のモノになるというやつだ。くそっ、こっちがサラリーマンスキルを食らうとはっっっ!
「アンスカーリのじじいめ! やっぱりハメやがったな!」
ラドが砂を蹴り上げるのを見て、レジーナはロザーラにそっと耳打ちをする。
「ラド殿とアンスカーリ公は、どのようなご関係なのですか? あのような事、スタンリー卿でも外では言えませんが」
「そうだな。ラド殿は少々常識が通じんことがある」
「それは魔法のことですか?」
「それもあるが、交友が広いのだ」
「シンシア人とご交友があるという話ですね。たしかにそれは酔狂な」
「それ以外にも女性三人と同棲をしている」
「まあ、このお年で? それは非常識ではありませんか?」
「だろう、ラド殿は非常識の塊のような方なのだ」
「そこ~、聞こえてるんだけど〜」
手の甲で隠したロザーラの口元から、チラリと白い歯がこぼれ見えた。