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サルタニア戦2

 詠唱組が陣取る崖っぷちは大石で背中を守られている。その左側からアキハの声が聞こえてきた。更に奥手からも「どこだ、ここか」と物恐ろしい声が聞こえてくる。

 敵はトラップを乗り越えて確実にこちらを目指している。アキハとライカが奮闘しても詠唱組との接触はもう秒読みだ。

 それでも大石を背負ったことで、敵からの発見を遅らせる事が出来た。

 何か所か詠唱に適した候補地があったが、ここに陣取ったのはこの石が決め手だった、身の丈を越える石を背にすれば目隠しになるし、囲まれた時でも背後を守ることが出来る。なにより石と木々に囲まれた崖っぷちならばシンシアナ兵は自由に動けない。

 彼らは軍隊でありながら統一規格の剣を使わない。中には刀身が七スブ(二メートル強)超えるロングソードを使う猛者もいるほどだ。つまりシンシアナ兵は大剣にはただならぬ拘りを持っている。

 当然戦闘でも執拗に剣を使ってくる。

 それは何度か戦ってきた経験から気付いていた。子供一人を殺すなら彼らが生活に使うダガーを腰のサックから抜くだけで十分なのに、彼らはわざわざ大剣を使う。


「ラド!!! 詠唱まだなの!!!」

 アキハの叫びが石の向こうから飛んでくる。

「もう終わりの部分だ、あと十五分、いや十分!」

「ムリにゃ! ライカ一人で三人も相手できないぞ!」

 右側からはライカの切羽詰まった声。

 ライカの方に三人ならアキハは何人の敵を相手にしているのだろう。わざわざ足場の悪い小枝の茂った林の中なんて場所を選んでいるが、シンシアナと戦うつもりはなかった。あくまで、もしもを考えての場所取りだったが、ライカが三人も相手に出来ているということは、それがいま有効に働いてしまっているということだ。

 それは決して良い事ではない。バッファを使ってしまったということは、こちらの打ち手が狭まっていることを意味する。


「一人であれだけのコゴネズミの相手をしたじゃないか! 泣き言なんか聞きたくない!」

「強さが、ぜんぜんっちがうっっっ、ぞ!」

 ライカの裏声とバックラーが剣を受ける甲高い音が二つ重なり、ライカがギリギリの戦いをしているのが手に取るように分かった。なのに「泣き言を言うな」だなんて、なんと無茶苦茶な作戦なのだろう。だが残り十分! この攻防の結末は手放したくはない。


「うっくぅーーーっ!」

 今度は大石の左側からアキハの声。

「アキハっ!!!」

「小娘! よく受けた!」

「ちょっと、女の子相手なんだからっ、手加減しなさいよ」

 ラドからは見えないが、金属の打擲音が派手に響いたことから察するに、どうやらアキハは敵の剣を正面から受けたらしい。シンシアナ兵の一撃を正面から受けきれるのだ。さすがはシンシアナとのハーフである。ガウベルーア人のパワーならこうは行かない。

「ああっちょっと! だめ!!! ラド! 一人いった! 手が離せないの!」

「わかった!」

 やはり複数人を相手にしていたのだ。そして今さらながら自分の迂闊さに気づく。

 さっきアキハとライカに声をかけたせいで、こちらに敵を呼び寄せてしまった。複数人いるのだから敵も手分けして動くのは当たり前だ。

 だが後の祭り。


 大石を飛び越した会話から間もなく、石影の向こうから顔を出したのは深紅のマントを帯びた偉丈夫。夕日を浴びた横顔は陰影も深く、風にマントを翻して、着けば地響きがしそうな足を持ち上げてこちらに歩いてくる。

 手にはブロードソード。ライカを吹っ飛ばしたあのブロードソードと同じ位の大きさだが、それを片手で持っている。革の鎧の胸元にはシンシアナの紋章。寒い季節だから鎧の下には、黒の詰襟の軍服を着こんでいる。


「貴様らは、ここで何をしている」

 威圧感が半端ない。これは絶対に一般兵ではない。たぶん敵の司令官だ。

「今、ちょっとした魔法の詠唱中なんだ、ジャマはしないで欲しいのだけれど」

「そうか、私も少々怪しい噂を聞きつけていてな。ガウベルーアの者どもが面妖な魔法を使っているらしいのだ」

 声が低くくて、それだけで十分怖い。だがそれに怖気づいてはいけない。

「へぇ、それはそれは。なにせここはガウベルーア領内ですからね。面妖ならずも魔法を使う人はごまんとおりますので」

「だろうな」

 話に合わせて一歩一歩と足が進み、踏む込むたびに砂塵が舞う。

「で、そんな面妖な魔法を見たら、どうするおつもりですか」

「むろん――」

 ラドは杖を持つ手に力を入れて臨戦態勢をとる。

「ぶったぎる!!!」

「させない!!!」


 詠唱に選んだ崖っぷちは猫の額の狭小地だが、木々は抜けており剣を縦に振うに邪魔なものはない。シンシアナの司令官と思しき男は、それをいいことに自由に大剣を振りまわしてくる。

 ラドはそれを杖で受け流す。一撃の剣風は凄まじく当たればラドの腕など瞬間で切断されてしまうだろう。だが――

「当たらなければどうってことはない!」

 受け流しの極意は、こちらは最小の力で相手の太刀筋を変えて威力のベクトルを横に逸らすことにある。そして巧みに相手を翻弄して相手を自分に有利な所に誘導する。

 だから崖を選んだ!

 だが詠唱する二人の抹殺が目的なら、その極意は半分しか意味を成さない。何故ならいくら翻弄しても敵の目的が変わる事はないからだ。


 敵は強打を繰り出しラドを一歩一歩と押し込めていく。こんな子供相手に小技は不要と言わんばかりに。

 対して、ラドがいかに頑張ろうとロザーラ達との距離が詰まるのを止めることはできない。こうなればロザーラとリレイラを動かすしかない。

「リレイラ! ロザーラは動けない! 僕の動きに合わせてロザーラと一緒に少しずつ下がれ!」

 目で頷くリレイラ。

「させん!」

 バカだ! 言ったら敵に分かるじゃないか。だが言わなきゃリレイラには伝わらない。

 こちらの動きが分かった敵は予想外の鋭さで大きく踏み込み、ブロードソードを両手に持ち替えて大きく振りかぶる! ロザーラの間合いに入れば躊躇うことなど何もない。全力を持ってラドごと叩き斬るつもりだ。

 このままでは確実にロザーラは真っ二つだ。真っ直ぐ振り下ろされる全力の一撃をラドが受け流せたとしても、剣先の軌道を大きく変えることはできないだろう。剣先はその先にあるロザーラの女の子座りをした足をぶった切る。

「ロザーラ!!! 動けろざーら!!!!!!」

 だがロザーラは朦朧と呪文を唱えるだけで、もう立ち上がる気力すら無い。


 もう正面から受けるかないのか!!! いや無理だ、この剣圧に杖が耐えられるはずがない。もう杖ごとロザーラと真っ二つになるしかない。万事休すと思ったその時、


「でにゃーーー!!!」


 大石の上からライカが飛んできた!

 まるでムササビ!

 大きく伸びた体が作る影がラドを覆い、そしてライカは肩から敵に体当たりする!

 突然の乱入者に敵は踏み込んだ体勢のままバランスを崩し、振り下ろした剣はギリギリ、ロザーラのふくらはぎを掠めてロザーラが座る石の台座に落ちて激しく火花を散らす。

 そして敵はそのまま、ふらりと斜め後ろに倒れそうになる。

 そのままバランスを崩して岩場から落ちてしまえと思うが、そこは屈強なシンシアナ兵。倒れそうになる躯体を強靭な脚力で支えきる。

 そして一瞬、力んで動きこそ止まったが、手持ちのブロードソードを一瞬手放すと、体当たりしてその場に転がるライカにえぐるようなアッパーカットを繰り出した。


「母さん!!!」

 リレイラの叫び! そしてなんという力!

 アッパーの風圧で砂塵が舞い目の前が薄茶に染まったかと思うと、腹のあたりに一撃をくらったライカは、「ふんぎゃっ!」の声を発し、もと来た大石の方まで吹っ飛ばされる! そしてまな板に投げつけた鬼栗のマッシュのようにビタンと石に張り付き伸びると、ばたりと地面に伏した。

 その様子に機敏に反応するリレイラ。

「母さん!!! 母さん!!!」

 瞳が恐怖に見開き裏声の叫びが続く。

 毒舌だが常に冷静な子だ。ホムンクルスの特性なのか作戦中はそちらに集中して取り乱すことはない子なのにこれほど絶叫するとは。

 だが、

「リレイラ!!! リレイラっっっ!!!!!! 集中を切らすな!」

「しかし、主任!!!」

「詠唱が遅れればライカだって無事では済まなくなるんだ!」

 冷酷な叱責にリレイラは瞳をゆらめかせ躊躇をみせたが、それでも涙を振り切ってロザーラの首根っこを引っ張り、一歩下がって固い表情に戻り詠唱を再開する。

 涙声の詠唱に胸が締め付けられる。


「この半獣が!!!」

 敵司令官は、この一撃を邪魔された事が余程癪に障ったのか、わざわざ吹っ飛ばされたライカの所まで行き、腹部を押さえて背中を丸めるライカを大きな軍靴で目一杯に蹴った。

「ぐはぁっっっ」

 肉を潰す鈍い音がして、ライカは吐血交じりの息を吐き出す。

 その光景をリレイラは横目で見ながら、涙をぼろぼろ零しながら詠唱を続けている。

 そんな蹴りが二回、三回。


「獣がぁぁぁ!!! それにそこの女ども!!!!!! いい加減に魔法を止めよ!!!」

 敵意の矛先が替わり、ラドはその二人を守るように再度、敵司令官の間に飛び込む。ここに割り込まなければ自分がここに居る意味はない!

「子供、お前の受け流しは見切っている!!!!!!」と、言う間もなく敵司令官はブロードソードを振りかぶらず、ラドの頭の上に落としてきた。

 驚いたのはラドである。

 大剣だから振りかぶる間が生まれる。その間にどう受け流すべきか計算していたが、それがノーモーションの剣技なのだ。もはや正面から受ける以外にない。


 鈍い音がしたと思う。

 大剣を受けた杖はかろうじてラドの頭上にあり、横に流すこともできずミシミシとしなり音を立てて耐えている。

「お、重いっ」

 大男が体重をかけてあてがう大剣である。半端な重さではない。


「小さいくせにずいぶん粘る。だが力の差は覆せん。受け流せねば後は力と力の勝負よ。もはや逃げ場はあるまい」

 じりじりと圧を増す剣ごしの重さにラドは膝を崩し、ついには片腕も落ちて、杖の端はすでに地についている。その三角形の間にラドは体を預ける形になった。

 大剣はかろうじて杖の曲りの窪みに引っかかり、ラドとロザーラ、リレイラの命を守っている。が、その剣先が身動きのとれないロザーラの背中に届き、僅かに白い皮膚を切り裂いてる。

「ロザーラ! 逃げろ!」

 だがロザーラは真っ青な顔で、まるで取りつかれたように呪文を詠唱し続けている。

「逃げろって!!!」

 切られているのに気づかないのは魔力欠乏症の末期症状だ。痛みを感じないのは神経にまで異常をきたす死、直前の状態を意味している。

 ヒューゴが言っていた。

『戦場では冷静さを失った者から死んでいく。敵に包囲されると恐怖の余り魔力を使い切る。それでも生きるようとして魔法を使い死ぬ者がいる。運よく生き残った者に聞くと、そこまで至る者は痛みも熱さも感じないのだ』と。


 そのロザーラの詠唱が途切れた。

「ロザーラ! ロザーラ!!!」

 気を失ったのかそれともまさか。

 いや違う! 彼女の手に握られた呪文を書いた紙は、最後のページを指している。ロザーラは全ての呪文を言い切ったのだ。

 リレイラは!

「――アムラルダエルハルト エイレンファスト マルテンカッテーロ」

 輪唱のこだまが追いかけるが如く、間をおいてリレイラも最後のセンテンスを言い切る!!!


「ライカ! ライカ! ライカ!!! 起きろ! 僕の荷物から火矢を放て! リレイラでもいい、火の魔法をあの靄の中心に放て!」

 ライカは満身創痍なのにもかかわらず、むくりと立ち上がると思いっきり食べたものを吐き、それでもヨタヨタと近くの灌木を伝って歩き、リレイラの足元にある火矢に向かう。

「母さん! 母さん!!!」

 リレイラが悲壮な声が聞こえる。母と慕うライカがこんな状態になっている事にパニックなのだ。

 ライカは獣脂の染みた火矢を手に取ると、「リレイラ、火」とだけポロリといい弓を絞り始める。


「は、はやく、こっちももう持たない」

 遠くではまだアキハの剣戟が聞こえてくる。あっちも時間の問題だ。

 リレイラはもうライカの言葉しか聞いていない。火と言われると涙声で魔法を唱え、矢の先に火をつける。

「もやの真ん中だ! 本陣の上を狙え!」

 ライカはその叫びに応えず、恐ろしく静かに矢を放った。



 ピョーと鏑が鳴り、間の抜けた音にラドも、ラドを押しつぶす目の前の敵も目を奪われた。

 そして――。


 火が届いた先が、ぱっと黄色く光ったと思うと白い同心円のドームが現れ、それは刹那に存在を拡大させると、無音にままに下にあった人や建物を次々に破壊していく。

 圧縮された熱と空気の壁となった白いドームは到達したサルタニア城壁をいとも簡単に吹き飛ばし、上から振ってきた無数の積石はサルタニアの街に雨のように降り注ぐ。

 まるで鉄道模型のジオラマだ。

 豆粒にように見えていた攻城戦の投石機はオモチャのようにパタパタと倒れて木材を散らして粉々になっていく。その下に蟻のようなシンシアナ兵が何名も飲み込まれていく。

 それでも飽きたらずドームは更に拡大し、近くの木々や陣幕をなぎ倒し何名もの人を巻き込んで暴れに暴れる。その姿は人を絡めて暴れまくるトレントだ。


 ラドはふと次に起こることを思い出す。

「耳を塞げ!!!」

 だが誰かが動く前に、全身を真っ白にさせる音圧の暴力がラド達を襲い、遅れてやってきた衝撃波にラドも敵の司令官も体重など無いように吹き飛ばされた。

 リレイラもライカも枯れ葉のように吹き飛ばされてコロコロと転がり大石に体を打ちつける。

 リレイラはライカに向かって何かを叫んでいるようだったが、その声はこの暴力の前では余りに小さく全く聞こえなかった。

 ロザーラはもう全てを出しきっており、全てに抗うこと無く、なすがままに林の中に消えて行く。

 その後の事はラドにはもう分からなかった。



 しばらくして大地から凶暴な炎竜が駆け抜け静けさが訪れる。

 吹き飛ばされた敵の司令官は我に返り頭を振って立ち上がる。手元にブロードソードはない。この暴風でどこかに飛ばされたらしい。

「な……なにが起きた」

 周りを見ると何故か林の中にいる。崖の端にいたはずなのにここまで飛ばされたのだ。同じように飛ばされてきた生意気な子供もいる。その子供も正気を取り戻したようで落ち葉を掴んで起き上がってきた。

 とりあえずコイツを捕まえねば。

「おい貴様、何をした!!!」

 何を喋るかは分からないが胸倉を掴んでガクガクと揺さぶって問う。

「それは自分の目で見て確かめてみることだね」

 嫌味なほどの笑顔で見返してきた子供に無性に腹が立つが、コイツの言う通りだ。憎らしいガキをいくら叩いても現状は分からない。

 掴んだ子供を放りなげて下界を見にいく。


 崖の端に行くと……そこには跡形もなくなった皇軍の陣と、無残に破壊されたサルタニア城壁があった。

 自軍がいた筈の場所は、どこもかしこも黒煙を上げている。

 燃え上がる炎。

 巻き上がる煙。

 その炎は爆心から離れた自軍の展開地域にも広がり続けている。そんな炎竜の巣の中を火だるまになった部下達がのた打ち回っているのが見えた。

 城壁からはサルタニアの魔法兵が顔を出し、地に伏し体に着いた火を消そうと転げまわっている仲間達に残酷にも魔法攻撃を仕掛けている。

 そんな彼らに何も手を差し出すことができない。



 それはラドの目から見ても酷い光景だった。

 まさか自分でもここまでの惨劇になるとは想像すらしていなかった。

 やったのはガソリンの合成だ。麦のセルロースから水ができるのならばヘキサンやオクタン、デカンの合成だってできる。だがいきなり合成すれば何かの拍子に引火してしまう。だから分子量の大きいヘプタデカンなどのアルカンから合成し次第に分子量を小さくし、最後に相転移でガス化させて火矢で引火させる。

 地面がぬかるんでいたのは生成の途中で出来たアスファルトや重油だ。


 始めは粉塵爆発を考えたが、粉塵爆発なんざさして威力のある爆発ではない。次に周囲から酸素を奪う事を考えた。酸欠に陥れば敵は失神し、その隙にサルタニア兵が反撃できる。そのためにガス爆発を考えた。

 だが詠唱の精度が悪かったのだ。ガソリン爆発のつもりが想定より分子量の大きいアルカンが大量にできてしまった。たぶん地面は灯油やガソリン位の分子量の液体が広がっているのだろう。だから辺りが火の海になってしまった。

 想定外だ。

 だがここで気を弱くしてはいけない。


「これはかなりの被害じゃないですか? 攻城戦の準備は灰燼に帰して、兵士は動けずサルタニア騎士団の標的です。もう全滅は時間の問題かな」

「お、おのれ」

「見ての通りです。あなたはこの兵団の司令官ですよね。上から望遠鏡で見ましたから。さてどうしますか。急いで戻らないとあの兵団は全滅ですよ」

 敵司令官の言葉はない。

「大敗。惨敗。パッと見たところ兵の半分は戦闘不能でしょう。対してサルタニアは明日にはアージュの援軍が来る。あなたの偵察はもっと遅くに来る報告をしていると思いますけど、僕はここに来る途中でアージュの騎士団に急いで出発するように仕向けさせていますから」

 ウソであるが、この際、脅しになれば何でもいい。


 先に崖の端に立っていた敵司令官の背は震えて、ただ黙って自軍の状況を見ていた。

 彼が何を考えているかは分からない。敵軍に大ダメージを与えたが、だからと言って自分の命が助かる訳ではない。いくら気張ったとしても、彼が突如、暴れ出せば何の抵抗もできないだろう。

 男がおもむろにこちらを振り向く。

「こ、この勝負、いったんあずける」

「賢明な判断です」

「この怨みは忘れはせぬ。貴様の名は」

「人に名前を聞くときは自分から名乗るものじゃないですか」

「ガリウス・セネガ」

「僕はラド」

 セネガは勇ましく踵を返すと木立の合間に消えて行く。

「兵を引け! 急ぎ本体に戻り皇軍を立て直す」

「その娘はいい! 偵察隊を集めろ」

「はっ!」

 次第に遠くなる声に、この戦いが辛くも勝利で終わりたことを暗示していた。

 僅か五名。

 たった五名でラド達はシンシアナ兵の戦意を挫いたのだ。



「ラドーーー、ロザーラさーん」

 アキハのバカでかい声が木立の向こうから聞こえてくる。

 さっきので耳をやられているのだろう。自分の声の大きさが分からないのだ。

「アキハーーー」

 そういうラドも目いっぱいの大声なのだが、ラド自身もそれが分からない。

「ロザーラさん、なんでココで寝てるの? うわ、ちょっと血出てるし、真っ青だし! ラドーーー! ロザーラさん大変ーーー」

「ああもう、分かってる!」

 一気にまくし立てるいつものペースにやっと、ひと心地がついた気がしたラドは、張りつめきった意識を解いてペタンと腰をついた。


 アキハが背負ってきたロザーラは、本当に顔面蒼白で死人の様だった。

 時はまだ夕焼けだ、赤味がさして見えてもいい時間なのにである。だが細いながらも息はしている、もちろん心臓は動いているし瞳孔反射もある。

 死んでなくて本当に良かった。ぱったり倒れた時は本当にダメかと思った。


 リレイラはライカの肩を支えてやって来た。

「母さん、大丈夫ですか」

「平気にゃ、でもすごいパンチだったぞ。体に穴があいたとおもったぞ」

「よく無事だったよ。間一髪だった。あそこでライカが飛び込まなかったら僕もロザーラも死んでた」

「しゅにんが時間を稼げって言ったから、こっちに来た三人はトラップに誘導してたんだ。でも戻ってきたらヤバそうだったから参戦したにゃ。でも一発でやられちゃったけど」

「いや、本当に助かった。またライカに助けられちゃったな」

 ライカの頭をなでると「役に立ててうれしいにゃ」と、ライカはへにゃっと笑ってペタリと座り込こむ。

 リレイラの頭も撫でてやる。

「リレイラよくやったな」

「はい、でも母さんが」

 涙声でひくひく言いながらリレイラが答える。

「なんだ、そんなに大きくなったのにリレイラは子供だなぁ」

「子供です。まだ小さいです」

 鼻をすすって大真面目にラドに言う。

「なら、そんな小さい子がよくやったよ。ロザーラもよく守った。最後まで良く頑張った」

「リレイラよくやったな。母さんの自慢の娘にゃ」

 それが嬉しかったのかリレイラの感情は頂点に達し、「母さーん」と飛びついてわんわんと泣きだした。ライカは動かすのやっとだと思うのに、痛めた体でリレイラを抱き締めてずっとリレイラの背中をさすっていた。


 そんな姿をアキハは、ニコニコしながら見ている。

「アキハ、無事でなにより」

「ラドも」

「向こうの戦いを手伝えなくてごめん」

「ううん」

「怪我は?」

「かすり傷だよ」

 と言って肩口をみせると、そこは服ごとぱっくり切れている。

「相手はシンシアナの正規兵だものね。強かったろ」

「ううん、場所が良かったから向こうも戦い難かったみたい。それに、たぶん私が弱くなってる。全然前みたいに相手の動きがゆっくり見えないから」

「そうか」

「……どんどんラドの役に立たなくなっちゃうね」

 そう明るく笑いかけるアキハの笑顔が妙に悲しくて、ラドはそれを壊さなきゃいけない思いに駆られる。

「もともと役に立ってないよ」

「ひどいよ、もう」

 そう言っても怒って来ないのが辛い。

「もう、アキハを危険な所には連れて行かないよ。キミはいつか僕の為に無理をして大怪我をする。そんな予感があるから」

「いやだよ」

「……」

「いやだよ! わたしラドの役に立つんだから!」

「大丈夫だよ、ちゃんと僕はアキハから力を貰ってる。こうやって今回もアキハが作った杖が僕を守ってくれた。ライカのバックラーも傷だらけだ。アキハが作った装備が代わりにライカを守ったんだ。だから」

 ラドがアキハの肩をぐっと抱き寄せる。微かに震えるアキハの体は、その心の葛藤を示しているようで、そんな苦しいモノを愛しい人が内に抱えているのに、何もできない自分がもどかしい。

「そもそもこんな戦いなんて庶民の僕らにはそうないよ。王都は平和なんだ。僕達にはそんな力なんていらないんだ。だからいいんだよ」

 アキハは無言でうなずいた。



 シンシアナ皇軍が一時撤退するのを待ってから、ラド達は小山を降りた。

 日が落ちると山腹の寒さは極まる。ここで一晩を過ごすと消耗しきったロザーラが死んでしまうかもしれないので、そうなる前にシンシアナ領主にロザーラを届けねばならない。

 寒さに引き締まった星空のもと、できるだけゆっくりと馬車を走らせて下界を目指す。それでも悪路のせいで、いい加減、寝てもいられなかったのだろう。馬車の上の住人になったロザーラが目を覚ます。


「ここは……」

「起きたかい? ここは馬車のなか」

「なぜ私は寝ている」

「魔力欠乏症だよ」

「魔力……、魔法は! 魔法はどうなった!」

 そういって飛び起きようとする。

「まだ寝ていた方がいい。急に起きると貧血で倒れるよ。魔法は成功したよ」

「……覚えてはいないのだが」

「だろうね。最後の三十分くらいは、ロザーラは気力だけで詠唱していたし、魔力欠乏で神経に異常をきたしていたから。記憶も曖昧なんじゃないかな」

「敵は、敵はどうなった」

「サルタニア騎士団の餌食になったよ。想定一万五千くらいは戦闘不能にしたと思う。シンシアナ軍は現在撤退中」

「い、いちまんごせん……」

「ああ、代わりに城壁が少し壊れたけど」

「何をした? どういう魔法だったんだ」

「うーん、難しくて分からないかもだけど知りたい?」

「ああ、もちろんだ」

「ガソリン爆発だよ。二人がずっと詠唱していたのは水の派生魔法だ。ロザーラがアルカンの合成をしたんだ。最後はリレイラが相転移して電磁気ケージの魔法で圧縮して火矢で着火させた」

「水が爆発するのか」

「いや、爆発するのはブタンなどだ。シンシアナが略奪した物資に小麦があったろう。あれから燃料を作ったけど爆発に魔法は関係ない。そういうものなんだ」

「そうなのか。誰がそんな魔法を……。古文書にあったのか」

「僕が作った。そういう攻撃が可能そうだと思ったけど、ここに来て出来ると確信した。だから小山の上に陣取ったあの二時間で作ったんだよ」

「お前は本当に魔法の研究をしていたのだな」

 何を言ってるのだとラドは思ったが、ロザーラは独りごちるとまた眠りに落ちて行った。

 サルタニア城はもう少しである。

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