サルタニア戦
苦難の旅の果てにサルタニア領についたラド達は、遠目にも黒く見えるシンシアナの大軍を避けて、サルタニア城壁を望む小山に向かう。
大地にぽつんとある小山だからこれはメサだろう。寒い季節だが小山には針葉樹が茂り山肌は青葉を纏っている。
サルタニアは春夏は温暖湿潤な気候だが、冬は風向きが変わり非常に乾燥する。どうしてそうなるのか、この土地の天気図があるなら見てみたいとラドは思う。
小山の八合目付近まで登り、黙々と木々をかき分けシンシアナ軍が見渡せる山の端を見つける。
距離がかなりあるので布陣するシンシアナ軍からは気付かれないと思うが、慎重に越したことはない。ラドは落ち葉の絨毯に伏せて親方に作らせた望遠鏡を覗くことにした。
上から見ると軍の構成は一目瞭然だ。攻城戦を用意する兵が跳ね橋付近におよそ二千。その周囲には城壁を取り囲む兵がずらりと居並ぶ。
布陣の中央には明らかな本陣があり、略奪した食料はその周囲に無造作に置かれていた。たぶん挽いた小麦だろう。
陣幕は無数にあり部隊ごとにコロニーをつくって休んでいる。数を数えると『シンシアナの軍勢二万』の報告は少々少ないと思われた。なにせ長大な城壁を取り囲むように陣幕はあるのだ。ぐるりと城壁一周に布陣すれば四、五万は固いだろう。
どうやらシンシアナは壁の向こうに立て籠もったサルタニア軍を本気で叩く気でいるらしい。やはり略奪だけが目的ではなかったのだ。
サルタニアの城は沃土拓いた平城で、狂獣の森を背後の守りに持ち、街を石壁や堀と土塀で囲った巨大な防衛線になっている。
城壁は人のサイズで目測すると三十スブ位(十メートル弱)だろうか? 城門を閉じれば一応籠城になるが、持久戦には不向きな守りに見える。シンシアナが本気で城攻めをすれば陥落は時間の問題だろう。
ロザーラは望遠鏡を覗きこむラドの動きを、ただ不安げに追っている。
「さっきから何を見ている? その道具はなんなのだ?」
ラドが片目で覗く筒が気になるのだ。
「これは望遠鏡だよ。遠くのものを近くにあるが如くに見る道具さ。親方のガラス製造技術が随分上がったからね、もしかして作れるかと思って」
「その筒は私が作ったんだよ。すごいでしょ!」
胸を張ってアキハが付け加える。
「どうりで光軸が歪んでると思ったよ。レンズはいい精度が出てるのに」
「もう! なんで素直に褒めないのよ!」
ペロっと舌を出して、いたずらげにアキハに笑いかけるラドはロザーラに望遠鏡を手渡す。
木の筒を受け取ったロザーラは、小さな穴に目をあててみた。
城門の辺りに筒を向け、言われたとおりに筒を前後させると城壁に立つ貧弱なガウべルーアの兵と、それとは比べ物にならない屈強なシンシアナ兵がちまちまと動いている姿が見えた。
「こ、これは……」
望遠鏡を城壁の中に滑らす。
今度はサルタニアの街の中心にある部不相応な領主の館が見えた。鳥の目からサルタニアはこう見ているのだ。
館には父が愛する豪奢な庭園とそこに集まりつつある魔法兵。そして庭園の片隅に、百日紅で作った小さなパーゴラまでが見えた。その百日紅の葉はもう枯れ落ちている。
「こんなものは初めて見た。お前はいったい……」
「さて、みんな聞いてくれるかな」
ラドは答えず震えるロザーラの手から筒を受けとり腰の皮バックにするりと忍ばせると、四人を見回して戦の話をし始める。顔は強気。
「上から眺めると陣幕の数からシンシアナ兵は四、五万と思われる。投石機があることから彼らは攻城戦をする気だ。準備はかなり進んでおり明日には城攻めは可能だろう。投石で城壁と街中に被害を与えつつ、城壁上に出てきた魔法兵を長弓で射るなどして反撃を封じ、その隙に城内に侵入して跳ね上げ門を開放するつもりだろう。後ろの控える歩兵と弓兵はお休み中だ。明日の戦闘を控えて鋭気を蓄えているのだと思う」
丘の上から見ると、サルタニア城壁の上には盾防御の魔法兵がチラチラみえる。サルタニアの騎士団も総攻撃が近いことを察知しているのだろう。
「ロザーラ、サルタニアの魔法兵は何名くらい居ると思う?」
「兄上の共として出たものも多かろう。今は五千名いるかどうか」
「籠城の蓄えは?」
「通常兵站は二十日分を備蓄している。だが兄上が外遊で持ち出しているだろうし、今は収穫期だ。収税前だからかなり少ないと思った方がいい」
「城内にはあるでしょ」
「いや期待しないでくれ」
「収穫したばかりなのに? 麦は城内に運び入れないの?」
「ここは大穀倉地帯だが、ほとんどが街道を伝って王都に流れて行く。運ぶ穀物はわざわざ城内には入れない。シンシアナはそれをよく分かっていて今を見計ったのだろう」
ラドはもう一度、山の端の崖まで這い寄り周囲を見渡す。
遠く地平線を這う黒い森。南にはウルック街道。北にはポコポコと小山と林が点在している。
その地形を一通り確認して、ラドはまた戻ってくる。
「道中、アージュからの援軍が出ると聞いた。だがウルック街道最大の都市となるアージュ領はここから七日は離れているし、僕らがアージュを通過したときに出兵はしていない」
リレイラが挙手をして発言を求める。
「主任、シンシアナ帝国が慎重な情報収集をしている割に兵力を大きくした点に着目すべきです。目的は短期決戦にあると考えられます」
「そうだね。僕もそこは重要だと思う。麦の略奪は恒例行事なの?」
「ああ、多かれ少なかれではあるが。だがこれ程の軍力を展開されたのは始めてだ」
ラドは口をへの字に曲げてふむふむと唸り腕を組む。
包囲、農奴の捕虜、二万の報告に対して実際は倍の兵力、恒例の略奪……。
「そうか、アージュの動きが遅いのはサルタニアの一報はもっと少ない数だったからだ。シンシアナは普通の略奪を装い、我々を油断させたところで、背後の小山や林に隠した兵を繰り出してサルタニアを包囲した。アージュ援軍を遅らせるためにだ」
「それで二万なのね」
「アージュの援軍がここに来るのに何日くらいかかると思う?」
「十日くらいだろうか」
「サルタニアは十日間もつかな?」
「食料は持つと思うが。だが敵もバカではない。アージュ騎士団が来る前に総攻撃をするだろう」
どう考えても此処にアージュ騎士団が現れるのは十日後。それまでにサルタニアを落とせるだけの軍力を用意したという訳か。短期集中でサルタニアを手に入れるために。
「仮に消耗したシンシアナ兵が三万だったらどうかな?」
「主目的は攻城戦の阻止ですね」
「ああ、それなら敵もアージュの援軍が来るのは知ってるんだから、攻城戦は諦めて麦を略奪するだけで退散しないかな」
ロザーラは改めて崖の端からシンシアナ軍の全体像を見る。言われると自分達がここに来るまでに随分時間があったのに、いまだに略奪した麦を手元に置いているのは不自然に思えた。
この侵攻には二つの目的があり、一つは麦の略奪なのだろう。未だに手元に収奪品があるのはそのためだ。そしてもう一つはサルタニアの陥落。ならば敵は麦だけで満足して帰るだろうか。
「主任、仮定の話はさておき、このままでは当方の状況に改善は望めません」
「そうだね。ならどっちにしても僕らでアージュの騎士団が来るまでの間に二万くらい兵を削っておこうか。退散せずとも時間稼ぎにはなるし」
「二万!」
全員の黄色い声が小山の上に響く。
「だって俺達は絶好の位置にいるんだよ。小山は敵の背後。そこから攻めたら簡単じゃない」
「なにをバカな事を言っているのですか。主任はおかしくなりました」
「だって、ここからだと敵に見つからないから、ゆっくり重魔法を詠唱できるでしょ」
「いくらゆっくり詠唱しても、それほどの威力の魔法は存在しません」
「あるよ。でも詠唱に十時間くらいかかるけど」
「じゅ、じゅうじかん!!!」
もう一度、全員の黄色い声が小山の上に響いた。
「いい、使うのは火の魔法、氷冷の魔法、水の魔法。これを複合的に絡めた魔法だ。効率を極度の高めた単純な魔法だけど範囲が広いから詠唱に時間がかかる。時間がかかる分、結構な魔力を消費するけど、詠唱はロザーラとリレイラに頼めるかい」
ラドは「もちろん」の答えが返ってくるつもりで次の説明をしようとするが、ロザーラからは意外にも弱気な返事が返ってきた。
「わたしが、そんな長い詠唱など……それは所長がやったほうが良いのではないか」
「あ、そう。できないんだ。自分の国が滅びようとしてるのにね。できないんだ」
憐憫など全くない、我を殺したラドの声にロザーラは自ら喝を入れ直し表情をキリッと引き締めて言葉を返す。
「すまぬ。弱気になった。やる。必ずやり遂げてみせる」
ラドは無言でうなずき、ライカとアキハに次の指示を出す。
「いいか、十時間も詠唱すれば、いいかげん敵もこちらに気づく。だから僕らは時間をかせぐ。何かの拍子に場所を探られたら僕らは取り囲まれて終わりだ。だから敵が通りそうな所にトラップを仕掛けるんだ。落とし穴でも石落しでもなんでもいい。トラップで敵を撹乱させて僕らの退路も作る」
「わかったわ」
「まかせるにゃ!」
こっちは想定通りの威勢のいい声。アキハは不安を含んだ真面目な顔だが、ライカは全幅の信頼をラドに向けたキラキラの眼差しを返してくる。ラドの言う事に間違いはない。ラドのいう通りにすれば全て上手く行くという盲信にも似た想いが目に宿っている。
「さて、僕はキミ達が詠唱している間に魔方陣と呪文を書いて行くから、キミ達は書いた通りに一言一句間違いなく詠唱を進めるんだ。もし間違えたらチェックがついたところから詠唱しなおし。魔法の顕現ポイントはあそこ。本陣横にある白い陣幕だ。そこから渦巻状に範囲を広げて行く」
「わかりました」
リレイラの冷静な返事が場をキュッと締める。
「じゃ状況開始!」
ラドは約二時間で魔法の全ステップを書き終える。繰り返し部分が多い魔法なので、そこは省略できるが状況に合わせて物理現象を想像し、魔方陣を組み替えていくのは想像以上に頭を使う。
ロザーラとリレイラはメサのギリギリ崖っぷちまで迫り、敵本陣を望む高台から詠唱をする。
二時間も言われた通りにブツブツと口を動かし続けるのは結構大変で、冬だというのに二人はうっすらと汗ばんでいた。特にロザーラはリレイラと違って体内魔方陣がないので、詠唱と同時にラドが書いた魔方陣を想起しなければならず負担は大きい。
目標に向けて手を差し向け続けるのも大変だ。いいかげん腕が震えてくる。
その詠唱が五時間、六時間と進む。
お日様はもう天中を超えている。
詠唱が進むと、次第に本陣の辺りの空気が変容してくるのが分かった。
キラキラと冬の日を浴びて輝いているというか、うっすら曇っているというか。
魔法により敵本陣を中心に、ゆっくりとした縦の気流が作られ、その流れにそってきらめきが漂い始める。
詠唱から八時間。
いいかげん、この変容に敵も気づく。空を見上げていた兵士がひときは大きな陣幕に走る。
「師団長!」
本陣の陣幕を開けた一人の士官が師団長の前にひざまずく。
「なんだ」
そう不遜に答えたのは、この軍の師団長。マッキオより大きな体を椅子に沈め、目だけを動かして士官の頭に上から睨めつける。
「外の様子をご覧ください。何か怪しげな様相なのです」
「ああぁ?」
本陣は即席の天幕で覆われたテントだが、中は広く軍議用の大きなテーブルが備え付けられている。そのテーブルの周りに小ぶりな椅子からあり、その真ん中の一段立派な飾り椅子に座っていた師団長はテーブルに手をつきの、のそりと立ち上がった。
見事な体から伸びる健康的な手足。パンパンに張った胸筋にズボンの上からも分かる発達したもも肉。その筋肉が精妙に動き、陣幕の外に向かう。
まだ装備をしていない素肌の肩からは盛り上がった筋肉がみえる。その丸々とした肉がぐるりと動いて陣幕の垂れ幕を押し広げた。
「今日は随分モヤってるな。それに急に暑くなってきた」
「ええ、汗ばむ陽気です。偵察によると、ここだけ暑いようです」
「なぜだ」
「分りません」
「分らん報告は報告とはいわん」
「そうではありますが、警戒したほうが」
「分からんもの相手に、何をどう警戒するのだ」
「それは……、サルタニアの魔法かもしれません。周囲を警戒します」
「ならばお前に任せる。なにか見つけたら呼べ。戦いの報告ならなおよい」
「了解しました。セネガ師団長!」
的を射ない報告にイラつきながらセネガは陣幕に戻ろうとする。だが――
「おい、雨が降ったのか?」
靴を上げて麦を刈ったばかりの地面を何度か踏み締める。その度に畑地はぬぶっと音をたてて埋まりガウベルーア人の倍の重さを持つセネガの足を吸い込んでいく。
「いえ」
「なぜ濡れている」
「わかりません。ここは麦畑ですので誰かが用水を開けたのか……」
「それも調べろ! このような異常を調べるのがお前たちの仕事だ!」
「は、はい!」
士官は慌てて師団長に敬礼し、その場を離れる。
「全く、天気くらいで騒ぐとは」
本陣に戻ったセネガは、シンシアナ人が好むレモン水を水差しからコップに並々と入れてグッとあおった。水を飲んで気づく。
「そういえば風が臭いのも季節外れの熱気のせいか?」
セネガは自分の靴の裏を不意に見た。
時は午後四時。詠唱完了まであと二時間。
この先送りがセネガの人生にどれほど大きな影響を与えるかなど、当然この時に知る由もなかった。
冬の短い日が地平線を伺う頃――。
「ラド、トラップ準備できたよ」
「おつかれ、じゃ敵が来るまでちょっと休んで」
アキハとライカは汚れきった旅装束のホコリをポンと払い、近くの石に腰掛けて竹の水筒から水を飲む。水筒の水がコポコポと音を立てて、アキハのピンク色の唇に吸い込まれていく。それを見るとラドはまたこんな事を思ってしまう。
この愛らしい二人をまた戦いに巻き込むのかと。
「ん? なに」
「いや、アキハの武装は?」
そんな心配を悟られないように話しを切り替える。
「これ、親方が打った剣よ」
腰に引っ掛けた剣を取り上げ、ズイっとラドに見せる。丁寧に作られた鞘の赤と黒に漆模様が美しい。
「勝手に持ち出したの? 怒られるよー」
「大丈夫よ、親方が戻る前にそっと戻しちゃえばいいんだもの」
「バレると思うけどね。そうだ、僕の杖は作ってくれた?」
「うん」
アキハは水筒をポイとライカに投げて、よっこいしょと腰を上げると道具袋から長さ四スブ程度の棒を取り出し、「はい」とラドに手渡した。
「こんなのでいいの? グニャグニャだし、上だけ鉄で持ち手は木だし」
「うん、いいね。この曲がりが大事なんだ。真っ直ぐだと、剣を受け流すときに、手元に流れて来ちゃうだろ。この凹みで受けられる方がいいんだ」
アキハは自分で作った、上から二段に渡り蛇が這ったように曲がった杖をしげしげと見る、自分だったら受け流しの道具にそんな細工はしない、受けた剣は弾いてしまえばいいのだ。だがラドの力ならそれは難しいのだろう。何となく察したアキハ、「ふーん、そうなんだ」と納得したような答えを返す。
「ところで、この青い石はなに?」
ラドは注文にはなかった、杖の上部に埋め込まれた石を見る。
「あ、ううん。ちょっとしたアレンジ」
ラドがどう答えるか、それを想像してアキハは軽く緊張する。
ラドは覚えていないかも知れないが、あれは初めて王都に来た旅で、水浴びの時に拾った石だ。あの時、ラドに渡そうとしたがラドはリレイラに興味を引かれて渡せなかった。それがずっと気になっていた。
「ふーん。でも綺麗でいいね。ありがとう」
ずっと持っていたからだろうか。それとも、きれいな石には”想い”が籠るからだろうか。この石にはラドに手渡したいと思った”あの時の想い”が時を止めて詰まっている。
だからかの石を渡すことは、自分の分身をラドの元に残すような、ある種の儀式に思えた。それが受け入れられた事にアキハは安堵する。
「ライカの武装は?」
「アキハにバックラーを作ってもらったぞ」
「スタンリーがしてたでしょ。あれ見て作ってみたの。ちょうどその杖でアカガシが余ったから、それに鉄打ちして。強度の割には軽いからライカ向きだと思うけど」
バックラーはライカに行く前にラドの手に渡る。
「どれどれ、おおー、いい仕事してるじゃない。アカガシってのもいいね。固くていい木だ」
「えっ! なに? ちょっと初めてじゃない!? ラドが私の事、褒めるの」
「失礼だな、僕はいい仕事をするエンジニアには報いるタチだよ」
「じゃ、わたしってラドに一流の職人って認められたってこと?」
「そんな奇跡的に出来たひと品だけで調子に乗らない。けど、この仕事については及第点かな」
「なんだかなぁ、嬉しいんだけど、上から目線にちょっと腹立つわね」
互いに緊張をほぐすための冗談のいい合いだが、そんな三人の笑いの最中も背後では重魔法の詠唱が続く。その二人のちょっとした変化にライカが気づく。
「ん? どうしたリレイラ」
その気づきにラドが振り返ると、詠唱中で口のきけないリレイラがチラチラとこちらを見ているではないか。
「なにか問題か? リレイラ」
目線に呼ばれて崖っぷちまで行くと、シンシアナ兵の動きが、にわかに慌ただしくなっているのが分かった。
異常に気付いたか。ここを当てられたか。気取られないように望遠鏡で見ると、本陣から深紅マントを羽織った男が、小山の方を指さして隊を指揮する姿が見えた。
「見つかったの?」
「たぶん」
「詠唱はどこまで?」
ロザーラの様子を見ると、彼女は虚ろな目でラドが書いた呪文を指で追っている。その残りページはあと僅か。
「九割くらいか。あと一時間はかかる。最後の工程はとても重要なんだ、ここは相転移部だから飛ばせない」
「一時間ね」
「アキハ、ライカ出番だ。ここから一時間粘る。敵はまず先遣隊を送るはずだ。そいつらがここまで上がって来るのに三十分くらい。そこからの攻撃を三十分持ちこたえればいい。やってくれるか」
「わかった」
「了解にゃ!」
持ち場に散っていくアキハとライカを見送り、引き続き敵部隊の偵察を続ける。
敵はラドの予想通り、五十人ほどの先遣部隊を組み上げ、本体から分離してこちらに向かってくる。
「隊長自らお出ましか」
その部隊長らしき男がいることから、敵さんはやる気満々なことが分かる。
だが敵が近づいてきても、当然こちらからは仕掛けない。斬り合いは見つかってからで十分だ。目的は魔法の完成。出来るだけトラップで翻弄して時間を稼ぐ。
「ロザーラ! リレイラ、できるだけ早く詠唱するんだ」
ラドは二人を急かせる。残り一時間が四十五分になれば、その分作戦が成功する確率は高まる。だが焦って間違った魔法を作ってしまっては意味がない。
正確に、だが早く。
自分でも無茶な事を言っていると思うが、今が無茶のしどころなのだ。
「ロザーラ! 聞こえているか! ロザーラ!!!」
だが魔力欠乏症になり、意識も朦朧とし始めたロザーラに、ラドの声は聞こえていないようだ。それでもロザーラは詠唱を続けている。
「思ったより根性あるよ、この子は」
詠唱中のリレイラがコクコクと頷いた。
残り三十分。
遠くから枯れ木が勢いよくこすれる音がして、敵兵の悲鳴が聞こえてきた。誰かがトラップに引っかかったのだ。たぶん足縄の罠にひっかかったのだろう。
いかにも宙ぶらりんになった男の罵声が、ゆらゆらと聞こえてくる。シンシアナの歩兵など基本慎重さに欠けた脳筋なのだ。一度戦って分かったが力押ししかしてこない。
だが大声を出されたのはマズかった。聞きつけた敵部隊が、何かあったとみて集まり始めたからだ。
声の付近にシンシアナ兵が集まり始める。
ガサガサと遠くが騒がしくなり、今度は土砂が崩れる音がして「ギャー!」と耳を塞ぎたくなるような叫びがした。これは落とし穴だ。しかもアキハとライカはご丁寧に逆さ杭を仕込んだらしい。
『死なない程度のトラップがいい。生きていれば助けたくなる。時間稼ぎだからそういうトラップの方がいい』
確かにそう言ったし容易に脱出できないようにしろとは言ったが、アキハもなかなかえげつない。
アキハとライカはどのくらいのトラップを仕掛けたかは分からないが、どれほど多くのトラップがあっても、全員がトラップの餌食になるなど考えられない。
それらを乗り越えて、やつらは来る。ここまで。
どこでアキハとライカは動くのか……。
次第にトラップの動作音が近くなる。
しなり竹が戻る風切音が近くでして、落石に肉が潰れるイヤな音と悲鳴がまるで耳元で聞こえるようになり――。
「でやーーー!」
その声はラドの予想よりかなり近くで聞こえた。
アキハ、裂帛の気合である。
敵はもう目の前にまで来ている。