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呉越同舟

 そんな平和が続くある日だった。

 相変わらずチマチマ働く当研究所の所長が、手紙を手にホクホク顔で魔法研に入ってきた。

「どうしたのだ? 所長」

「久しぶりにマイカから手紙が届いたんだ」

「どなただ? その者は」

「ああ、ホムンクルス工場の工場長代理だよ。工場長は未だ僕だけど工場の運営はライカの妹のマイカに任せてるんだ。僕の体はココだからね」

「半獣人の妹か。そのような者に務まるのか」

「パーンね。彼女は優秀だよ。その証拠にマイカは僕と会うまでは読み書きなんて出来なかったんだ。それが――」

 少年はちらっと手紙に目をやると、瞬時に中身をあらためて手紙を差し出す。

 自分宛の手紙を他人に見せるのはどうかと思うが、拒む理由もないので見せてもらう。そこには少々クセがありつつも律儀な文字があった。その内容に興味が引かれる。


『ラドさんへ

 王立魔法研究所のお仕事は順調でしょうか。そしてライカ姉さんは大人しくしていますか?』

「随分、気配りの冴えた半、パーンだな」

「でしょ、小さい頃はやんちゃだったけどね」

『こちらはホムンクルスの量産命令が何度も王都から届き、大変な騒ぎです。マッキオ工房が無くなったので培養器が増やせず、王都からの要求に応えられない状態が続いています。

 そこでマッキオさんに、パラケルスにひと月ほど戻ってもらい培養器を作っていただくようお願いしました。しかし、ラドさんもご存じのように、ガラス培養器でもホムンクルスは直ぐには育てられません。

 そこでお願いがあるのですが、もう少し要求を下げられないか、ラドさんから魔法局にお取次ぎいただけないでしょうか。』


「だって、ロザーラ」

「それは私の管轄ではない。所長も知ってのとおり私は生産部とは関係がない」

「だよね。それは僕もだ。これはアンスカーリさん案件かな」

「さんではない。様か公と呼べ。失礼だ」

「これは失礼。でも本当に増産は止めたいんだよ。僕は工場長なんてやってるけど、本当はホムンクルスなんか作りたくないんだ」

「それには同情を禁じ得ん。あのような役にも立たんものをアンスカーリ公は何に使うものやらだ」

「そうだねー。じいさんには初日に会ったっきり会えないしなぁ。ロザーラは貴族なんだから、ちょいちょいっと会えないのかい?」

 今度はじいさんか。大貴族つかまえてじいさんとは無礼にも程がある。そもそもアンスカーリ公をこう呼ぶ者など見たことがない。

「じいさんではない! 会えるわけなかろう」

「でも、夜会に出てるじゃない。そこで会えないの」

「な、なぜそれを知っている!」

「早く帰るときは、そういう日なんでしょ。魔法局の若い職員に聞いたもの」


 予想外の情報網に驚く。だが工作員の情報網を疑う前に、夜会の事をどう受け取られたのかが気になった。

 自分がそんな安い女だと思われるのは心外だ。なにせ自分はあんな催しには興味がないのだし、好きや好みでヒラヒラのドレスに身を包み、くだらない雑談に合わせて微笑んでいるわけではないのだから。

 参加する女どもはきゃぁきゃぁとうるさく、男どもはどいつも浅薄愚劣で話すだけでため息が出る。そんな者たちと同列に思われるのは耐えられない。

 父上が夜会の予定をねじ込んで来るたびに眉間に皺が寄る。そして『アンスカーリ公がダメならばアンスカーリ公の覚えめでたい男子を籠絡せよ』という手紙を思い出すと暗澹たる気持ちになる。

 くだらん、実にくだらん。

 それがサルタニアの為だとは分るが、夜会なる手段には納得できない。

 夜会に出て彼らを見る度に兄上に会いたくなる。知的で優しく紳士な兄上と話すのは楽しい。

 ああ、兄上に会いたい。もう何か月、話していないだろう。今は外遊中なのだから妹の顔を見に王都まで来てくれればよいのに……。

 いや、いかん! 何を甘ったれた事を。


「所長には関係ない! それも仕事なのだ」

「ふーん、貴族ってのは大変だね。そこにアンスカーリ様は来ないの?」

「あれは若い者どものたまり場だ。公はそういう所には顔を出さん」

「そうかぁ」

「用があるのならば所長が直接――」

 突然、大きな音が扉の向こうに転がり込んできた!

 音の主は廊下を駆け、部屋の扉の前で床板も踏み抜かんばかりに派手に制動すると壁ごと壊す勢いで戸を開ける。そこには仁王立ちで息を切らせたアキハの姿があった。

 手にはくしゃくしゃになった一枚の紙を握り占めている。

「大変! ラド! サルタニアがシンシアナに攻め込まれたって!」



 自分でも何歩で戸口まで行ったか分からなかった。

 アキハが持ってきた紙を奪い取り、壁に当ててシワを伸ばす。そこには手書きで書き写された大きな見出しが躍っていた。


『サルタニア シンシアナ兵二万に囲まれる』

 二万という数に頭が真っ白になった。


「なぜ……、はっ」

 だが思考は即座に回復した。

 たしかに今は穀物庫が一杯の時期だ。だが、このタイミングのよさ。そして今までない大規模な攻撃。

「貴様! さてはシンシアナに漏らしたのではあるまいな!」

 振り向きざまにラドの胸倉を捕まえる。

「なんで、僕が!」

「あの手紙! シンシアナ人は、いまパラケルスにいると書いてあった! それに兄上達が外遊の今を狙うなど、あまりに出来すぎているではないか! 兵が一番手薄な時期を狙いヤツらの略奪の手引きをしたな!」

「なんだよ急に! だいたいそんな事をして僕に何のメリットがあるんだよ!」

「兄上の外遊は貴様にしか話しておらん! このハブルとシンシアナ人と半獣人を飼い、アンスカーリ公に取り入って、貴様、何をする気だ!」

 ロザーラはその細腕から想像もつかない力でラドを釣り上げる。寄る辺を失ったラドの足は踏ん張ることもできず、なすがままにロザーラに投げ捨てられて机の角にしたたか背中と肩を打ちつける。


「ちょっと! やめなよ! あなたが戦う敵はここじゃなくて、サルタニアにいるんじゃないの!」

「アキハっ」

 痛みにうずくまるラドから静止の声が飛ぶ。

「だって、勝手に思い込んで、勝手に怒って、バカじゃない!」

 それは正論だ。だが正論だからといってそれを誰が批難できよう。そういう思い込みが人間の本質なのだ。少ない情報を頼りに誰もが生きている。誰を信じればよいかなんて分からない。それでもどこかに確かさを求めなければ生きてはいけない。人とはそういう弱い生き物なのだ。

 それでもロザーラは己を制し、怒らせた肩を無理矢理に戻してラドに背を向ける。

「わたしはサルタニアに戻る。サルタニア女公子の使命を果たす!」

「一人で行ってどうするつもりだよ。アンスカーリさんに相談しよう。援軍を出してもらうようにかけあうんだ」

 だが助言はロザーラの前を素通りしていく。

「サルタニア家のプライドがある。おいそれと援軍は頼めん」

「そんなくだらないプライドなんて」

「バカもの! あの地に子爵など不相応なのだ! ここで援軍を頼めば貴族の間で笑いものになる」

 そう言い残してロザーラは魔法研を後にするのだった。



 ロザーラが去った後、ラドはライカ達を使って情報を集めることにした。アキハが持ってきた情報が偽という可能性もある。ウソじゃないにしても二万という数字が真実なのかも知りたい。


 しばらくすると街の裏ルートから情報を集めてきたライカやイオ達が戻ってきた。

 表には出ない情報が裏にはある。静脈流通に捨てられるのは何も物ばかりとは限らない。貴族の表玄関からは漏れない情報も、バックドアからは案外簡単に漏れてくるものだ。

 なにせ屎尿を含む廃棄物は貴族であろうと庶民であろうと同じところから出てくるのだから。


 魔法研で顔を突き合わせたライカの表情は重い。

「良くない情報ばかりだぞ。シンシアナの侵攻が早くて街の周り畑は壊滅だって」

「お城の外では麦がうばわれてるですの」

 略奪か。

 ウサギのパーン、シャミの声には悲しみが混じっていた。パーンの子達は常に被害者側に居た者達だ。人の苦しみを我が苦しみのように思ってしまうのだろう。


 街の表側の情報を集めに行ったリレイラの話はもっと深刻だった。

「サルタニアは籠城に入ったようです。城壁はサルタニア兵に包囲されています。逃げ遅れた農民の多くは奴隷になったようです」

 単純な略奪ではないらしい。向こうは城を落とすつもりなのだ。


 報告を終えたリレイラがきょろきょろと、あたりを見回す。

「ところでロザーラがいませんが、どこにいるのですか?」

「さあ。単身サルタニアに向かうのか。それとも王都の仲間に会っているのか」

「さあ、なんて冷たいじゃない。ねぇラド、なんとかしなきゃだよ。一人で行ったって死ぬだけだよ! せっかくロザーラさんと仲良くなれたのに」

「でもこれは戦争だよ。簡単には止められない。それに自領を守るのは貴族の義務だもの」

「それは分かってるけど」

 女の子四人の目はラドを見つめたまま動かない。


「せめてサルタニアまで一緒に行ってあげなよ。女の子一人でなんてムリだよ」

「しゅにん、ロザーラはおっかないけど、知らんぷりはちょっと冷たいぞ」

「ラド、ロザーラさんの事情も分かってあげてください。あの方の目はとても悲しくて、私はそれがとても気になるのです」

「主任、感情的なわだかまりがあるのは否めませんが、ここで助力を申し出るのは戦略上意味があります。ギブアンドテイクです」


 先日まで冷たくあしらわれていたのに、全くお節介というか……。

 でも恩を売るとかではなくて、やっぱり困っている人は助けたい。農民は手塩に育てた作物を奪われるのもショックだろう。ロザーラとは色々あるが彼女も同じく巻きまれている側だ。それに――。


 あの魔法騎士なら、きっと助けにいく。


「わかったよ。よし! リレイラ街に行ってサルタニアの地図を買ってこい。アキハは旅の準備、ライカは馬車を借りて来るんだ。キタサンも連れて来い」

「はい!」

 四人の声がぴったりと揃った。



 朝もやが立ち込める明朝。

 ラドはウルック街道に繋がる東跳上門の前でロザーラを待っていた。

 街道は王都からウルック領を縦断し、穀倉地帯を抱える幾つもの大都市を縫って、シンシアナとの緩衝地帯にほど近いサルタニアに至る。

 ウルック街道は寂れたサノハラス街道とは異なり行き交う人も多く、別名「食の道」とも言われる大動脈だが、さすがに日の出まもない未明では街道を通る者などおらず、ただ冷たい空気を北の大地から運んでくるのみ。

 ラドの横には、二頭立ての大八車を一回り大きくしたくらいの簡易馬車がひとつ。その小さな馬車の左右に、アキハ、ライカ、リレイラが並んで立っている。

 様相はいつもの旅支度。

 イチカには留守番を頼んだ。自分達に何かあってもイチカなら良きに取り計らってくれるだろうから。


 そんな姿を朝焼けの中に見つけたロザーラは、跳上門の中央で足をとめた。

「……なぜ貴様がここにいる」

「サルタニアに行くんでしょ」

 朝の静寂に似合わない大声が掘りを超えて飛び交う。

「頼んでなどいない!」

「だって仲間を一人で死地には向かわせられないし」

「仲間ではない」

「残念だよ。僕はロザーラの事を仲間だと思っているけど」

「間諜かもしれぬ者とは一緒におれぬ」

「まぁ、仮に僕らがスパイだとしても旅の最中に情報を漏らす相手もいないけどね」

「そう言って、貴様は仲間を連れて王都から逃げるのか?」

「そう言うと思って、イチカを置いてきた」

「……後から出国などいくらでもできる」

「ならちょうど僕らもサルタニアに行きたいと思ってたんだ。これは偶然の出立だったね」

「まったくああ言えばこういう! ならば好きにしろ!!!」



 サルタニアへの道程は宿場街に泊まりながらだと、ゆうに二週間はかかる。今回はそれを八日で踏破する強行軍となる。

 朝は日の出と共に歩きだし夜は暗くなるまで歩く。全員が歩き続けるのは疲れるので二人ずつ交代で荷馬車に入って休憩を取る。馬がヘタるのが怖いが、それを心配して足は止められない。

 だから野営はクタクタだ。しかも冬の野宿なので本当に辛い。


 旅は五名だが寝られるのは三人。寒さをしのぐために馬車には三人がぎっちり詰まって休みを取る。寝返りなど打てやしないが、地べたに寝るよりは遥かにマシだ。冷たい地面に体が着いていないだけで負担は驚くほど小さい。

 残り二人は見張りも兼ねて外で待つ。交互に起きて夜を明かすのだ。

 その役割が二日目にロザーラとラドに回ってきた。


 焚火を挟んでラドとロザーラは向かい合う。

 冬の夜ははるか遠くの音まで運んでくる。その音が風の音なのか、獣の鳴き声なのか、それとも野党の奇襲なのか、聞き分けるには集中力が必要だ。

 そんな不慣れの緊張からか、あるいは寒さのためか、ロザーラは毛布にくるまり焚き火にあたりながらガタガタと震えていた。その震えが髪飾りの貴石が当たる音で聞こえてくる。


「ロザーラ、寒いかい?」

「寒くない」

「キミは嘘が下手だなぁ。唇が青くなっているじゃないか」

「焚き火がある」

「冷えきった体は焚き火くらいじゃ暖まらないよ。サルタニアに着く前に凍死の処理はごめんだからね」

「……」

 冗談のつもりで言ったが、ロザーラは辛そうに睫毛を伏せる。

 まさか本当に凍死は無いと思うが、体調を崩すことは十分考えられる。

 仕方ない。


「僕は子供だから体温が高いんだ。もし嫌でなければ僕をあんかに使いなよ」

 ロザーラは青い唇を震わせて、音になりきらない声で「ああ」と答える。首を横に振れぬほど寒いのだ。

 毛布ポンチョにしたラドは風を起こさぬようにそっと立ち、ロザーラの横で毛布を広げる。一気に体温を奪われる死を意識するほどの寒さだ。

 ロザーラもそれを覚悟しつつ震える手で毛布を広げる。

 その毛布にラドが入り、二枚に重ねた毛布から二人して首を出す。


「ありがとう」

「なぜ、礼を言う」

「僕を信じてないんだろう。なのに懐に入れるんだから」

「……背に腹は代えられぬ。今だけは信じる」


 ロザーラの歯が鳴る音が耳朶に響く。ガウベルーア人はそれほど寒さに強くない。パーンのライカは寒いのは嫌いだが耐えられない訳ではない。ライカの血が引き継ぐリレイラもやはり寒さへの耐久がある。アキハも寒さを訴えるが眠れない程の辛さではないようだ。体が強いのはシンシアナ人の特徴なのだろう。

 翻ってガウベルーア人は総じて体も小さく筋量も少ない。多分、そういうのも関係して寒さに弱いのだろう。


「キミには辛い旅だね」

「私が行くと決めたのだ、一日も早く着きたい」

「サルタニアに着いたらどうするんだい」

「……」

「一人で敵軍にでも乗り込むつもり?」

 ロザーラの二の腕の冷たさがラドの背中に伝わってくる。それと力を籠める感覚も。

「まさか無策だったとか?」

「うるさい! なんとか籠城する父上と合流する!」

「合流してどうするの?」

「……ともに戦う」

「キミは本当に一本気なおてんばだなぁ」

「ば、バカにするのか」

「いいや、僕は好きだけどね。アキハといいライカといい、僕の周りはそんな子が多くてちょっと面倒が多いけど」

「ならばお前はどうなんだ。一緒についてきて五名になったところで何も変わらんぞ」

「ロザーラ、僕達は何の研究をしてる?」

「それが今の話と何の関係がある」

「大ありだよ。魔法だ。新しい魔法の研究をしている。だからロザーラにも手伝ってもらってたんだよ」

「はぁ?」

「まぁ任せてよ。こういう時のために魔法はある!」

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