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静けさ

「いま来た」

 鼻の頭を真っ赤にしたロザーラは魔法研に入るなり、暖炉に手を当てて通勤で冷え切った体を温める。今朝は吐く息も白くなり、いつまでも消えないほどの寒さだ。

「今日は寒いですね。ロザーラさん、仕事は温まってからでいいですから」

 イチカの細く流麗な声が魔法研に広がる。

「すまぬが、そうさせてもらう。所長はどうした?」

「ラドはロザーラさんと昨日行った魔法の実験結果を家でまとめています」

「なんだ、家で仕事をしているのか」

「夜中に突然閃いて『これでマギウスカウンターが作れる』と、大声を上げていました」

 リレイラの補足にならない補足にロザーラは質問を重ねる。

「マギウスカウンターだと?」

「はい、魔力放射を受けた魔法陣をマギウスグリッドと接続し、マギウスカソードとマギウスアノードの間に配置すればマギウスアノードの増幅率に変化が起きるので、それを空間に展開した熱魔法で可聴領域のサイン波に置き換え音の大きさで魔力を測定すると主任は言っていました」

「どこの方言を言っているのか分からんが、わたしはそれを覚えているリレイラに感服するよ」

「恐れ入ります」


 ロザーラは温めた手をひと揉みしてコートを脱ぐ。そして木染めの茶と緑を散らしたレイヤードのスカートをふわりと泳がして振り返った。

「さて、所長はいないが仕事をするか」

「はい、今日もよろしくお願いします」


 カレスには「気取られるな」と言われたが、別にヤツの言葉に従った訳ではない。

 この生活から抜け出すためには十歳児が行う工作活動の決定的な証拠を掴まなくてはならない。そのためには彼らの活動に溶け込む必要があるのだ。

 まず気を付けるべくは生活態度だ。

 信頼とは信用の蓄積だ。信用は日頃の生活態度という仔細に宿る。朝は定刻に出勤し、慎ましく挨拶をして彼らと言葉を交わす。十歳児をうっかり『貴様』などとは呼ばない。甚だ抵抗があるが所長と呼ぶ。頼まれた仕事も文句を言わず責任をもって全うする。

 さすれば十歳児は必ずボロを出す。


 そう自分に言い聞かせるが――自分の言い訳は自分が一番よく知っている。

 態度を改めるのは、十歳児の悪事を暴くためだけではない。アンスカーリに頭を下げた父上に迷惑がかかるからでもない。ままならぬ環境と不本意な仕事に駄々をこね、自分の価値観を我儘にぶつけている姿が子供っぽいと思ったからだ。

 悔しいが十歳児が言った『外の世界の真実を見てない貴族様』は正鵠を射ていた。心に刺さり茨の言葉となって、未だ我が身に残っているということは図星だったのだ。

 もちろん自分が苦労を知らないお嬢様だとは思わない。だが日々の中で生死を感じた事など、生まれてこの方一度もなかった。

 だがそれが生の庶民の生活なのだという。

 サルタニアでも城下を歩けば、野党や強盗、狂獣、半獣の類に襲われ、略奪された話はよく聞く。その度、領民は笑いながら「なんとかして下さいよ。お嬢様」と言ったものだが、その心裏は笑い事ではない本音の悲鳴だったのだ。そうとは気づかず胸を叩いて「まかせろ」と言っていた自分が恥ずかしい。

 それを直視したくなくて、諜報活動のためとか、我が身の解放のためとか、お題目を立てて行動を改める。

 なんとも情けない。


 だが態度を改めた効果はすぐに表れた。

 十歳児はホッとしたのか、間をみては個人的な事を話すようになった。ホムンクルス工場のこと、パラケルスの生活のこと、魔法学校の友人のこと。

 自分の事を話すと相手の事も知りたくなるのが人情だろう。十歳児は逆に私の事も聞いてきた。

 仕方がないので差し障りのない範囲で私的な事を教える。兄が二人いる事。その兄を尊敬し慕っていること。サルタニアという土地柄や名産など。

 だが、鬼栗が好物だと教えたのはマズかった。十歳児は自分も好物だと水を得た魚のように鬼栗にまつわる思い出話を語る。こんな昔話に花を咲かす姿をみると、子供の割には少々じじむさいと思う。

 この子のアンバランスは実に面白い。

 出会いが良ければ、よい友になっていかもしれない。サルタニアの城下で出会った風変わりな少年。城外に出る度にその少年との出会うのが楽しみになる。そんな友人に。

 ――いや、それは夢想だ。ヤツはシンシアナとの繋がりが濃厚なのだ。現に禁忌の交友もある。



「おはよう」

 そんなロザーラの苦悩など知らないラドがじじむさく大あくびをして研究室に入ってくる。

「おはようございます、ラド!」

 嬉しそうに表情も明るく答えるパラケルスの魔女。

「主任、来たのですか?」

 一方テンション低めのリレイラ。

「なんだよ。来ちゃダメみたいに」

「てっきり、今日は家かと思いました」

「早速マギウスカウンターを作ってみたくて来ちゃったんだ。ああ、ロザーラ来てたんだ。丁度いい。実験に付き合ってよ」

 人を駒みたい言うなとムッとするが、「約束だ。付き合ってやる」と首肯する。


 十歳児と魔法の実験をやるようになったのは数日前からだ。向こうから一緒に魔法の実験をやらないかと誘ってきた。

「今まで通り、イチカとやればよかろう」と断ると、最近、彼女は魔法の使い過ぎで居眠りをする、いわゆる慢性的な魔力欠乏なのだと言う。ならば私は良いのかと反論しようと思ったが、十歳児の研究を知るには良い機会なので渋々を装って是と答える。


「ロザーラさん、すみません」

 イチカが深々と頭を下げて謝る。

 この礼節を弁えた常識人が、なぜ十歳児を慕っているのか全く分からない。しかも恐るべきことに彼女は古文書が読めるのだ。これほどの才覚と良識があれば、どのような活躍もできようものをと思う。

「気にしなくていいよ。むしろ今まで無理をさせて済まなかったね。イチカ」

 今のは私に対しての謝罪だ! お前が良いと言うな!

「いいえ、ラドの夢に近づくお手伝いが出来るのは嬉しいです」

 ひきかえ何という献上の美徳だろう。全く見上げた献身にただ感服するが、イチカへ向ける優しさに対して自分へのどうでもいい扱いには少々腹立たしさを覚える。


「じゃさっそく実験しよう。今回は平和な魔法だ。魔力の強さを計る魔法だからね」

「そこは先程リレイラから聞いた。どうやって作るのだ」

 監視のためにそこまで深く知る必要はないが、このマギウスカウンターなるモノに全く興味がない訳ではない。少しは教えてくれるだろうと期待をして聞いてみる。


「魔法とは魔力をエネルギーとした原子を直接操作する技術なんだ。例えば火の魔法は影響範囲の原子を強制的に振動させる。こうやって手と手を擦ると熱くなるだろ。物質を構成する原子も同じように動くと熱を出す。そのエネルギーが空間を通過する密度を計るんだ」

「……すまぬ、全く解らなかったのだが」

 その言葉を無視して説明は続く。

「その仕組みを魔法だけで作り上げる。魔法は直接物理現象を起こす力だからソフトウェアにもハードウェアにもなりえるんだ。起こすべき現象を考え、適切な魔法陣を古文書から持ってきて、発動させる魔法陣の通りに呪文を唱えればいい。これをマギウスセントラルドグマというのだけれど、分かれば原理は簡単だろ」

 困惑するロザーラなどお構いなし、ラドの説明は喋り出したらもう止まらない。

「魔法陣は、氷冷の魔法に使われる原子の振動を封じ込めるものや、共有電子を分断して化学的な結合を分離させるものもある。高度なものなら核転換すら可能だ。核転換と言うのは、原子は核と電子で出来ていて――」

 そんな何語かわからない話が三十分は続き、十歳児は勝手に「おっと、こんな話しをしている場合じゃなかった」と納得すると、まだ続きがありそうなのに話を切り上げる。

 単語すら分らなかったが、どうやら彼は魔法の極意、いうなればアルカナを語っているらしいと魔法に疎い自分ですら分かった。それはアンスカーリ家ですら到達していない知識で、そんな大事な秘密が井戸端会議のネタのようにぼろぼろとこぼれ落ちている。


 恐る恐る聞いてみる。

「所長、そのような秘密を私に言ってもいいのか?」

 この問いは今の説明が真実かブラフなのか探りを入れる質問でもあったが、一方で素直な疑問でもあった。なぜもこう簡単に極意を自分に教えるのか。教えても真似ができない自信があるのか。それともすっかり自分を信じているのか。

「そうだね、でも一緒に研究する仲間なんだもの。僕の知っていることは教えないとでしょ」

 屈託なく笑う顔は十歳の子供そのままで、こんな顔で笑う少年が裏で何かを画策している工作員とはとても思えなかった。それでもカレスはこの少年がシンシアナの工作員なのだと確信している。


 ――本当なのか? これほどの魔法知識を持ち、なぜこいつはシンシアナに与する必要があるのか。なぜこいつはなぜ私に全てを語るのか。


 ロザーラの混乱は深い。

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