アキハ上京す
『拝啓、ラド
ちゃんと研究してる? イチカやリレイラやライカに変なことしてないでしょうね。
私も王都に行く事になりそう。親方の準備がやっと整って窯の火を落としたんだ。
工具はもうエルカドの所に渡してるから、その荷造りが終わったら私も出るつもりよ。
家は母さん一人になっちゃうけど、私が居なくなったらきっと母さんも幸せになれると思うから。きっとイイ事なんだと思う。
じゃ私が来るのを待っててね。
アキハ』
魔法研の玄関前で手紙の封を切って中を確認するラドは、クリーム色のコートを着た女性と向き合っていた。
「って、この手紙をなんでアキハ本人が持って来てるワケ?」
「だって、ラドの家に行ったら誰も居ないし」
「そりゃそうだよ。仕事してるんだから」
「それで中に入れなくてポスト見たら手紙が入っててさ、『あ、これ私のだ』って」
「そうだろうね。王都への定期便に同乗してくるなら、同じタイミングになるよね」
「でしょ!」
「でしょじゃないよ。意味ないじゃん。先に知らせてくれないと」
「でもちゃんと、王立魔法研究所まで来れたでしょ。すごくない!? わたし。住所だけできちゃったんだよ。こんな看板もない民家に」
アキハは、どこそこと建物の上下左右を指さして、きょろきょろとそれらしきものを探す。そしてアハと笑顔をラドに差し向けた。
「失礼だなぁ。民家で悪かったね」
久しぶりだというのに、そんないつもの会話だ。幼馴染というのは、それだけでロマンがない。会った瞬間にいつものパターンに陥ってしまう。これがお互いに求め合う二人の逢瀬なら、この三か月の時間を噛み締めて、二人はかたく抱き合ったことだろう。
「来るって言ってなかったから、何も用意してないよ」
「いいよべつに」
なんて長年連れ添った夫婦みたいな会話をして、玄関から廊下を伝い、研究所ならぬ、ただの部屋の扉を開ける。
そこに小さな銀髪の頭をみとめたアキハは、その背中にわっと飛びついた。
「わーん、イチカ! ひさしぶり!」
「声がしたので、やっぱりアキハだったのですね」
「やーん、髪伸びた」
「そうでしょうか? いえ、そうですね。最近、目に入って少し邪魔に感じてました。アキハはいつにも増して元気ですね」
「うん! やっと王都だもん。元気でないわけないじゃない」
もう飼っているわんこを溺愛する、某動物王国の主人。そこに隣の部屋から古文書を持ってきたリレイラが現れる。
「リレイラ!」
「アキハ、少し声を小さくしてください。上の階から苦情が来ます」
「はぅっ、ごめん。つい嬉しくて」
「ええ、私も会えて嬉しいです。アキハは根っから楽しいので私も楽しくなります」
「あははは、わたし楽しいかしら」
後頭部に手をあてて、何がうれしいか自慢げに大笑い。
「そりゃ、アキハ、半分バカにされてるんじゃないの?」
「うっさいわね。バカラド」
「なんで、僕だけ冷たいのさっ」
「ラドだからよ! あれ? ライカは?」
「ライカは仕事だよ。パーンの子達をつれて親方の工房の更地の基礎工事」
「へー、もう工事してるんだ。ところでパーンの子達って?」
「いろいろあってね」
「ふーん」
細々と燃える暖炉の薪がパチリと爆ぜる。もう寒い季節だが、こんな小さな暖炉でも火があれば心も体もほっこり暖まる。
「アキハ、コート預かるよ」
「うん。ありがとう」
アキハは体を慎重にくねらせて、体のわりに小さなコートから手を抜く。
「コート、ちっちゃくなっちゃったね」
このコートはよく覚えている。自分がパラケルスの籠りの前夜の時に、三人に買った毛皮のコートだ。もう二年も前に買ったものだから、その間に急成長したアキハには随分と小さいく丈も袖もつんつるてん。着続けると肩が凝りそうだ。
「ううん、すごい温かいよ。ちょっと旅で汚れちゃったけど」
「わたしも、このコートを見ると涙が出そうになります」
「そうだね。あの日は僕の人生の中でも一番うれしい出来事の一つだよ」
そこにポツンとリレイラが参加する。
「あのう、この話題に関してリレイラだけ仲間はずれな気がします。主任、私も思い出が欲しいです」
「あらリレイラ、ちょっと見ない間に、すごい賢くなっちゃったね」
「でしょ、僕もタジタジだよ。毒舌で」
なんて話しているとガタガタと玄関扉が開く音がする。
「いま戻った。おい、今日は何をする。魔法の研究に付き合ってやっているのだ。ちゃんと計画的にだ――」
廊下伝いに響いてくる声と革靴の音はロザーラ。
今日の午前中は魔法局に用があり、午後からここに出勤する予定になっていた。それが昼を過ぎても来ないので、今日はもう現れないかと思っていた。
研究室の押し扉が開くと、綺麗な紫に染めた大きな襟付きのコートが見えてくる。
寒いが帽子はしておらず、黒い髪はコートから出している。スレンダーな胸元には、銀で細工したガラスのブローチ。
コートの前合わせにボタンはなく、黄色の撚紐で止める形になっている。
いかにも貴人の出で立ちのロザーラは、扉をあける手を途中で止めて、半歩敷居を跨いだ格好で一人の女性に視線を留めた。
「誰だ、貴様」
「ちょっとロザーラ、初対面で貴様って」
そのトーンから分かる通り、ロザーラは明らかに警戒している。どうしてそうなのかは分からないがロザーラは、とにかく初対面の人物を酷く警戒する。それは貴族の子爵の箱入りだからかもしれないが。
「こ、こんにちは。わたしはアキハ。ラドの幼馴染だけど」
ロザーラはちらっとラドを見ると、「ちっ!」と舌打ち。
「ここは民家と変わらぬが王立機関だぞ。それを半獣人に続いて民間人とは。奴隷を許したからと言って、全て認めた訳ではない」
言葉のとおりパーンの八人はロザーラにはラドの奴隷だと言って無理やり認めさせた。奴隷を使役するのは庶民にも認められた権利だ。家に上げたのは問題だが、それだけで八人を断罪するには至らない。
「ごめんロザーラ、それは僕が軽率だった。たしかに気楽に上げるべきじゃなかった。少なくとも部屋に入れるのは。キミの言う通りだ」
「あの? ラドのこの美人さん、だれ?」
「ああ、ロザーラ・サルタニアさん。まあ魔法研の職員? いや研究員ってところかな」
「研究員になった覚えはない」
アキハは手招きしてラドを呼ぶ。それに応えてアキハの元に行くと、アキハが小声でラドの耳にささやいた。
「なんで、ラドの周りは女の子ばっかなの! それも美人ばっかり」
「知らないよ。僕が選んだわけじゃないんだもの」
「じゃ誰よ」
「アンスカーリだよ。一人付けてやるって」
「でも研究員じゃないって言ってるじゃない」
聞こえそうな、ひそひそ話を断ち切りロザーラが切り出す。
「おい、そこの娘」
「はい!」
「幼馴染と言ったな。なぜココにきた」
「はい、今度、王都に金属工房を出すことになって、それで王都に引っ越しで」
「金属工房……」
ロザーラの顔が曇る。
その緊張感走る現場に、地響きのような低音ボイスが響いた。
「おい! アキハ!!! テメェここでなにしてやがる、仕事ほっぽり出しやがって、とっとと帰るぞ。このクソガキ」
破壊する勢いで玄関をおっぴろげ、ドカドカと飛び込んできたのは親方!
「きゃっ!」
ロザーラを突き飛ばして、アキハの耳を引っ張り、強引に連れだす。
「いダダダ、ごめんなさーい。親方耳がちぎれる!」
「途中で消えたと思ったら、やっぱりココだ。てめぇの仕事は逢引きじゃねぇ! 工房を作るんだよ! ゼロから。わかってんのかこのタコ助が」
「わかってる。わかってるって!」
「シンシアナ人……なんでシンシアナ人がここにいる!!!!!!」
あちゃー、もう最悪の展開である。
言い訳のしようがない。この乱暴で大きな体をみて、ガウベルーアの大きな人ですなんて言えるわけがない。もうその前の金属工房のあたりから雲行きは怪しいのだ。
「貴様!!!」
「待って、きっと誤解してる。絶対誤解してる」
「衛兵! 衛兵!!!」
「わ、わーわ、ちょっとストーップ」
ラドはもう仕方なく、叫び出したロザーラに前から飛び掛かり、口に手を当てて無理やり声を止める。支えきれないロザーラは勢いのままに後ろに倒れ、廊下の壁に背を当ててバタリと横に倒れる。その上にラドが乗る構図となった。
「き、きさま」
もう狼藉どころじゃないが仕方ない。この娘を取り押さえない事には大惨事になる。だがロザーラは、その押さえた手を噛む。
「いった!」
ラドが手を引っ込める間にうつぶせにひっくり返ろうとするロザーラ。だがラドはそれを許さない。ロザーラの肩を床に押さえつけて肘でのしかかり、今度は両手で口をおさえにかかる。
「降りろ。私から降りろ!」
「ムリ!」
「ちょっとラド、なにやってんの!」
その様子を見て黙っていられないのはアキハ! なんとかラドの元に行こうとするが、「逃がすかクソガキ!」と親方はアキハの足が浮くほど耳を引っ張る。
その凄惨な光景に「ひぃぃぃ」と震え上がるリレイラ。イチカに至っては呆然自失。
ロザーラを上から押さえたはいいがラドは小さすぎた。ロザーラは彼を上に乗せたまま、仰向けの体をねじって這って玄関までにじり寄る。
外に出すのはマズイ。外で衛兵を呼ばれたら、もう取り返しがつかない。それでなくても貴族の権限ならば不敬を盾にとられれば、ブタ箱送りは簡単なのだ。
その危機が一歩一歩と迫っている。
そして遂にロザーラがラドを両手で跳ね除け、玄関を開けたその時!
玄関正面に立っていたのはライカだった。
「どうしたにゃ?」
僥倖!
「ライカ、ロザーラを止めろ!」
「ん? なんでか分からないけど、分かったにゃ!」
次の瞬間、ライカの手刀でへなへなと落ちてくロザーラの背中がラドの視界にあった。
終わった……。止めろと言ったが、落とせとは言ってない。
うっかり掲載日を間違えて書きかけを大量投下してしまいました。
めっちゃ焦った。