八人
台風と化したロザーラが去った部屋は、散らかってもいないのに何やら雑然としており、そこに残るいたたまれないわだかまりは、窓を開けて新しい空気を取り入れても消える事はなかった。
そんな部屋の入り口に、状況に取り残されたライカがポカンと立っている。
気づいたラドが、いつになくだが、そっぽを向いて謝る。
「ごめんライカ、間が悪かった」
「そうか、ごめんだった。しゅにん」
ライカは女の子だが豪放磊落で、細かい事は気にするタチではない。だからといって鈍感な訳ではないので、この空気を作ってしまった事を気にしているようだった。
だがそれは違う。ライカ達の出自が悪いと世間が言っているだけであって、新しい街で出会った新しい友人を親友に会わせるのに何の悪があろうか。
「ライカは悪くないよ」
ラドは気を取り直してライカに近づくと、爪先立ちしてライカの頭にぽんと手を乗せる。
「どこまで状況を把握したか分からないけど、ここにいるみんなは急に僕の仲間になっちゃったんだ。勝手に決めちゃって悪かったけど」
「どんな仲間だ?」
「どんな仲間か……」と、言われてハタと止まる。
「というかキミ達はライカと、どういう関係なの?」
仲間と言っておいて、いまさら「キミ達だれ?」と聞くのもおかしな話だが、教えてもらわないと、ライカの後ろに続く子達が何者なのかも全く分からない。
ライカは一人ずつ大きい子から呼び出して紹介する。
「一番大きいのは、ライオンのパーンのイオ、次がサルのパーンのザファ、二人とも男の子にゃ。次は――」と、紹介が続く。
聞くと街の市場の裏にスラムがあり、そこには奴隷のパーンが住んでいるという。ライカはこの街を探索して、そのスラムを見つけたそうだ。スラムのパーンは街ごとに飼われている所属奴隷で人がやりたがらない荷運びや畑作、燃料運びや汚物処理などをやらされているという。
だが王都では、そのような仕事をしている奴隷はどこにも見なかった。
それを問うと、そのような静脈流通は、ひと目につかない裏路地で密かに行われているのだと教えてくれた。つまり王都の美しい石造りの建物の裏には、虐げられた暗黒の裏の顔がある。まだ観光客の域を出ないラドは表の顔しか知らなかっただけなのだ。
「でもきみ達は奴隷じゃないんだよね」
それにはイオが答える。
「父ちゃん母ちゃんはみんな奴隷。でもオレらは見つからないようにしてる」
これは困った。ライカが連れてきたのはイオを含めて八人。彼らはみな捕まると街の所属奴隷になってしまう対象だ。雇うにしても、このまま外に出せばあっという間に捕まってやっぱり奴隷だ。そして奴隷制度は確立した制度だから、一度捕まればそう簡単には開放できない。
といって、この人数を家にかくまうのは無理だ。それにロザーラには自分に仕えていると言ってしまった手前、働いてもらわないと辻褄が合わない。
「うーん」
「なに悩んでるんだ、しゅにん」
いきなり腕を組んで唸り出したラドのせいで、また空気が重くなる。それを見かねたイチカがパンと手を叩いた。
「とりあえずゴハンにしましょう! 皆さんお腹がすいたでしょ? 裏の貯め井戸で手と顔を洗ってきて下さい。リレイラ、場所を教えてあげて」
「はい」
「私はお昼を買ってきます。ラドも一緒に行きましょう」
「はーい」と、無垢な子どもたちの元気な声が部屋一杯に響いた。
だが元気に返事をするパーンの仲間達の横を、そーっと逃げ出そうとする者がいる。
「ライカ、あなたも洗うんですよ」
「それは見逃して欲しいにゃ」
意外によく見ているイチカであった。
ラドはイチカと買ってきたカチカチのペトパンをちぎりながら、ライカと八人のパーン達の顔をみた。床に車座に座る面々は、上は十二,三歳、下は六歳くらいの様々なパーン達。
ロザーラが魔法研を飛び出して、今は一時の平和が訪れているが、戻ってくれば当然「あの半獣人はどうなった」と追及が始まるだろう。それに皇衛騎士団を連れてくる可能性もある。その場しのぎに「仕えている」と言ったが、仕えて何をしているのかを用意しておかなければならない。
「イチカやリレイラとも話したんだけど、ロザーラに言っちゃった手前、僕は君達を雇わないといけないんだ」
「雇う? 雇うってなんだ?」
ライオンのパーン、イオの金色の瞳が、キラキラと純粋な輝きを放ち、この子が雇うという概念を本当に知らないのが分かった。ラドはこの子が分かるように答えるべく、あぐらの足を崩して身を乗り出す。
「僕と一緒に働くということだよ」
「お父ちゃん母ちゃんみたいになるのか」
この子はこの中で一番年上っぽい。だが、思いのほかしゃべり方が幼い。それは奴隷の環境には、学びが全く無いことを意味していた。
「奴隷とは違うよ、働いてお金をもらうんだ。酷いこともされないよ」
すると八人は「お金をもらえるの?」、「何でー」、「怒られないかなぁ」と、マチマチに話し出す。その素朴な声はパーンの環境の悪さを如実に表している。それを察したイチカもリレイラも表情を曇らせてラドをみた。
一方、ライカは自慢げに声を張り上げる。
「ライカもしゅにんのもとで働いてるぞ。ライカはしゅにんの護衛だ」
「ごえー? ごえーってなにですのー」
「護衛は護衛にゃ、うーん」
「護衛とは主に付き添い、身の危険を守る人のことです。主任は少々度を越した発言で危険に陥る事があるので護衛が必要なのです」
サラリと聞き捨てならない事を言う。
「いやそんなことないよ、それさっきの事を言ってるでしょ、リレイラ」
「はい、私が止めなければ危なかったと思います」
リレイラの毒舌が炸裂する。
「しゅにんはあぶない人なの?」
小リスのような前歯とアーモンドの瞳を持つ子がとんでもない事言う。
「はい、危ない事をする人です」
「ちょっと、リレイラ!」
「しゅにん、こわい」
小さいパーンの子達がラドから少し距離をとって小さくなる。見た目から察するに豹や狸、うさぎ、イノシシの半獣っぽい。どの子もライカより獣化度が高く、顔はすこし野性味を帯び、手の甲に体毛が見えたり、明らかに瞳が人とは違っている。
「ちょっと! リレイラ。怯えちゃったよ!」
「でもいい人です。まず私達にお腹一杯ご飯をくれます。そして、とても倫理的です」
「おなか、一杯ですのー!」
「りんりー?」
「皆さんをいじめない人ということですよ」
「よかったー」
イチカがほっこり笑って教えると、尻込みしていた小さい子達はまた笑顔に戻って、ラドに微笑みかける。どの子も身なりはひどいが、かわいい笑顔をしている。
「じゃライカは凄いヤツなのか」
イオはそんな小さい子達の無邪気さを見て、ふっと気配をゆるめると、話を切り替えてライカに聞く。
「凄いかにゃぁ~?」
「ライカは凄いよ、僕は何度も命を助けてもらってるんだ」
「ライカちゃんすごいですの!」
「にゃははは」
真っ赤になって、照れ隠しにネコ手で何度も頭をかくライカ。
「イオも雇われたら、護衛か?」
「そうだなぁ。イチカどうしようか?」
「そうですね。魔法の研究は無理ですから……でも護衛は今は不要ですし。そうですねマッキオさんの工房の工事の手伝いとかどうですか? そろそろ着工のはずですし」
「なるほど、それはいいね!」
確かに彼らに出来る仕事といえば、今はそのくらいしかない。もっとも、なんで親方の王都進出の手伝いをしなければならないかは腑に落ちないところだが、どうせまたいろいろ厄介事を頼むのだし、ここで軽く恩を売って置けばお値段の勉強に繋がるかもしれない。
ここはイチカのアイデアに乗ることにする。
「いいみんな、僕の友人がペペルヴォールの自由市場の端っこに工場を作るんだ。そこのお手伝いをしてくれないかい? もちろんお金を払うよ」
「おー、お金だ」
「あんまり期待しないでね。あと大事なことが一つ。街で働いている間は首輪を付けて欲しいんだ」
「しゅにん! 奴隷証はダメだっていったじゃないか!」
当然だがライカが驚いた猫のように敏感に反応した。奴隷証は絶対に付けないと言ったのはラド自身なのだ、それを本人が覆すことがライカは信じられない。
「ごめんよライカ。今の僕の力だとこの方法でしか、この子達を守れないんだ。その代わり仕事が終わったらココに戻って首輪は外して帰るんだ。朝来たら、ここで首輪を付けて仕事をする。いい? それは僕がキミ達を奴隷にするからつけるんじゃない。自分達の身を守るために使って欲しいんだ」
「うーん、納得いかないけど、しゅにんでもダメな事があるのか。しかたないにゃ」
「あとライカ、あの小瓶をこの子達にも渡してあげて。今の季節は大丈夫だと思うけど。上の子はあってもおかしくない年だし、念のため」
「わかったにゃ!」
「ライカはどうするのー」
小さい子達がライカの腕を引っ張って、な~な~と甘えてくる。
「じゃ明日からライカも働くにゃ!」
「おー!」
八人の声が揃って、小さな部屋が子供達の声で一杯になった。
ラドは急に八人を雇う事になった。
これが“仕える“ことになりロザーラが納得するか、彼らの生活を支えられるのか、全く分からない不安な船出となったが、それを象徴するように上の階から「ドン!」と大きな音が響く。
「うるさいぞ、下のやつ!」
くぐもった声が天井から聞こえてくる。
「主任、追い出される前に、もう一度、謝罪に行きましょう」
さっきのロザーラとのやりとりで、うるさいと怒鳴り込まれて二階の大家に謝りに行ったばかりである。なんで大家が住んでいるアパルトマンの一階を借りてしまったのだろうか。こんな事ならムリしても一棟を借りればよかった。