それぞれの事情
王立魔法研究所は、この官舎からほど近くにアパルトマンを借りて開設することにした。
呼び名は「魔法研」。
はじめは変な王立機関だと思っていたが、略称を思いついてからは、なんだかどこかの特撮の出てくるスペシャル組織みたいでカッコよくて、すっかり気にいってしまった。
魔法研の所在地は、本当は郊外の一軒家が良かったのだが、予算の都合と立地が遠いため諦め、官舎のほど近くのアパルトマンにした。
このアパルトマンは馬車がすれ違える幅の路地に面しており、石造りの四階建。そのうち一階の二部屋を使わせてもらうことにした。日当たりは悪いが、窓をのぞけば通りを歩く人が見えるので陰鬱した感じではない。
だが、「王立」「魔法」「研究所」と名付けてよいか分からない程、庶民的になってしまった。
部屋は一部屋十五スブ四方で窓が一つ。その一つを研究室とし、もう一部屋を書庫とした。どうせ研究員はイチカ、リレイラ、ロザーラしかいないのだ。一部屋を潰しても問題はない。
ロザーラは一応働く自覚があるのか、毎日、生真面目に出勤してくる。
だがここに来ても、ただ座ってラド達のことをじーっと見て、たまに大きなため息をついて帰る毎日だ。
会話がはずんでいる時に大きなため息をつかれると、何か気に触ることでも言ってしまったのではないかとビクついて、つい話を止めてロザーラを見てしまう。だがロザーラ本人は『あなた達の事など知りませんわ』といわんばかりに、アンニュイな顔をして視線を窓の外に飛ばしてしまう。
何もしてないのに、四方に蜘蛛の糸のような緊張感を張り巡らせるのはやめて欲しい。何の嫌がらせだって話だ。
さてラドが仰せつかった研究対象は“ホムンクルスの製造”と“新しい魔法の開発”だ。
ホムンクルスの研究は、道具が揃わないと進めることができないので先送りしている。いまやホムンクルスの製造にはガラスが必須になっており、それを作れる工房が王都にはなかったのだ。
だがその言い訳も、近々に親方が王都に進出してくるので、やりたくないホムンクルスの研究はそれを待って始めねばならない。
魔法の研究はイチカとリレイラと共同で進める。
幸いイチカもリレイラは、現代において比類なき魔法の達人である。凡庸な研究者の百人よりも二人の方が遥かに頼りになる。
その二人と共に、まずは魔力の測定装置を作ることにする。
アンスカーリとの最初の約束は、「ホムンクルスに寄らない魔法を作る」ことだった。その魔法を開発するためには、魔法の出力と魔力の消費量を比較して変換効率を計算しなければならない。
こういう基礎研究は好きだ。まさに魔法を研究してる感じがする。
ライトニングというド派手な魔法を作ったが、実は中身は力技で美しくない魔法であった。
作るなら、もっと構造化され洗練された魔法を作りたい。そのための基礎研究を惜しむなどありえない!
その研究をロザーラにも手伝ってもらいたいのだが……。
魔法そのものの行使はイチカやリレイラでも出来るが、実験結果をまとめたり、諸道具を手配するなど協力をあおげる人脈を紹介してもらうには、ロザーラの力がぜひとも必要なのだ。
特にイチカは最近、魔法を使うと疲れるらしく、こっくりこっくりしている。あまり無理はさせたくない。
そう思い「ロザーラ、キミにお願いがあるのだけれど」と、声をかけてみたのだが……。
返ってくる答えは、
「ふぅぅぅぅ~」
のみ。
ラドなど存在しなかったように、退屈げなため息だ。
――がん無視ですか! スルーパスですか。
ならばと、リレイラ発案、“お菓子でも一緒に食べましょう”作戦を発動してみる。
彼女も女の子だ、甘いものは好きに違いない。モノで釣るのは気がひけるが会話のとっかかりくらいにはなるだろう。
「ロザーラ、ブッセを買ってきたんだけど、一緒に食べない?」
なんて楽しげな雰囲気で言えば、
「いらぬ。お前達で食べればよかろう」
取りつく島も無し!
「あっ、でも」
「いらぬと言ったはずだ」と、ジロリと睨まれる。
小島も岩礁も無い漂流っぷりに悲嘆を超えて驚嘆していると、「主任くらい甘いものに目が無い駄々っ子ならよかったのですが」と、リレイラが気になること言うではないか。
「リレイラ、そういうことは口に一杯クリームを付けながら言うもんじゃないよ」
リレイラは、そのクリームを人差し指でスルリと取りラドに見せる。
「食べますか?」
「食うか!!!」
これじゃ、ただリレイラに餌を与えただけで終わりじゃないか。つーかコイツ自分が食いたかったらこの作戦を発案しやがったな。
しからば、イチカのアドバイスに従って、興味のあることを正面から聞いてみる作戦。
「ねぇ、ロザーラの故郷はサルタニアだよね。どんなところなんだい」
恐る恐るであったが、遠目で窓の外を眺めていたロザーラに椅子を寄せて話しかけると、予想外にもロザーラは意思の強そうな視線をこちらに合わせてきた。
「……」
言葉はないが。
「たしかに大穀倉地帯なんだよね」
「……」
「いいなぁ、僕の故郷のパラケルスは寂れた乾燥地帯でね。採れるのは芋ばっかりだよ」
「そんな良いところではない」
おお、キターーー! ついに話し始めた。
「いやいや謙遜を。いいところじゃない。気候も湿潤で暖かいし」
「シンシアナに近い東方の城塞都市だ。守れど守れど城外には敵が現れる。今時分は麦の収穫だ。秋になれば野党の類に実りをかっさらわれることもある、なまじ柄に似合わぬ沃土だから父上は……、いや今のは忘れてくれ」
「シンシアナが心配なのかい?」
「平民には関係のないことだ」
あらら、また閉店ガラガラムード。
「もし心配なら、サルタニアに一時帰国してもいいけど」
「うるさい! お前には関係ないと言った!」
青地のワンピースのようなドレスを激しくゆらし、彼女は理由も言わず椅子を立つ。
ラドはその胸元にあった白の幾何学模様の飾り刺繍を目で追った。背中にかかる長い黒髪が、ふわりとたなびき、ロザーラはラドに背を向け大またで靴を鳴らし扉の外に行ってしまう。
理由は分からないが逆鱗に触れてしまったらしい。いや苦悶の表情を浮かべるのだから逆鱗ではないか。その押してしまったスイッチの名をなんというのか、ラドには分からなかった。
研究は好きだが無理矢理あてがわれた王立魔法研究所の仕事なんて、めちゃめちゃモチベーションが上がる仕事じゃないし、アンスカーリの鉄槌が落ちない程度にサボればいいと思っていたのだが、人の性というのは容易に変えられないもので、つい相手が魔法だと否応なしにも研究が進んでしまう。
イチカは手伝ってくれるのは想定内だったが、リレイラがこの研究に興味を示したのは朗報だった。古文書を解読していて分からないが言葉が出てくると、リレイラは興味津々に聞いてくる。そこにフックして新しい発見につながることが多い。けど、
「量子力学の存在確率とはなんですか?」
「高次元に折りたたまれた空間の――」
「この波動方程式の――」
そんな難しいこと聞くなぁ!
さて、この魔法オタクの盛り上がりに、一人ついていけない子がいた。
ライカである。
なにせ全く魔法には縁がない。魔法研にはライカが興味を持ちそうなおもちゃはないし、ココにいてもすることがない。退屈を察知したライカは魔法研開所翌日には既に来なくなり、一緒に家を出ても「じゃあな、しゅにん」と途中で分かれどこかに雲隠れしてしまう。
といっても晩御飯にちゃんと帰ってくるので、まあいいかと思っていたのだが、そのライカが、「しゅにーん、友達を連れてきたぞーーー!」の一声とともに、研究所の扉を勢いよく開けて泥だらけの子を一杯連れてきた!
後ろにぞろぞろと続くのはパーンの子達。
「街で仲良くなったにゃ! えーっと、この子はライオンのパーンだ! 名前はイオ。ライオンなんて珍しいだろ! こっちはサルのパーンの子だ。今日は一緒にご飯を食べるんだ」
突然の珍客に驚いたのはラドもイチカも同じだが、その光景を断じて受け入れられない者が一人いた。言わずもがなロザーラ。
「野良半獣!!! 何をしにここにきた! ここは貴様ら穢れた者の来るところではない!!!」
その瞬発力たるや、人は心の準備がないとこれほど無防備になるものなのか、イチカもリレイラも「ひぃぃ」と裏声になって飛び上がる。それはラドも同じで人の怒声に本当に飛び上がったのは生まれて初めてかもしれない。なにせ普段のアンニュイな彼女から想像も出来ぬ罵声なのだから!
だが慄いてはいられない、ロザーラは片手を突き出すと低く唸る声で呪文の詠唱を始めたからだ。
ここで魔法だなんてありえない!
「待って! ロザーラ! ライカは僕の仲間なんだ!」
「はぁ、仲間だと」
ラドが蹴倒した椅子が部屋を転がり、机から落ちた獣歯牙ペンが部屋の中をコロコロと彷徨う。ラドは視界の角にそれを捉えつつ、慎重にライカとロザーラの経緯を思い出す。
魔法研にライカが来たのは初日だけだ、その後はすることもないのでココには来ていない。ロザーラの出勤が始まるのは荷物の搬入が終わった三日目からだ。ちょうどロザーラと入れ違えになっている。だからロザーラはライカとは会っていない。
「ロザーラは落ち着いて聞くんだ。キミにとっては初対面だけどライカは僕らとずっと苦難をともにしてきたんだ」
ライカが両手で仲間たちを背中にかくまい、コクコクと激しく肯首する。
するとロザーラはライカとその後ろに引き連れた、明らかに身なりの汚いパーンを見比べる。
「ならば後ろに引き連れている野良はなんだ」
凄みをきかせるロザーラの、たっぷり間をとった喋りにラドは答えをためらった。知らぬと答えれば彼らの処遇はどうなる。野良半獣の末路がお咎めなしとは思えない。なら彼らも仲間と言えばいいのか? それでロザーラが信じるとも思えない。
ならば。
「ロザーラはそう思わないかもしれないけど、全員、僕に仕えている」
「貴様の所有物だというのか。ならば奴隷証の首輪はどうした」
「僕らには、そんなものはいらないんだ。彼らは賢いし狂乱の心配もない」
ロザーラはライカを一瞥してラドを睨む。
「その言葉を信じて、私が奴らを見逃すと思うか。臣民の日常を守るのが貴族の勤めであるぞ。飼われていなければ奴らは人を襲い盗みをする」
「それは仕事がないからだ。住む家と仕事がなければ、人だって野党に落ちるし盗みもする」
「危険な獣を放置する事が問題なのだ。犬猫にも劣る奴らに仕事などあるか!」
次第にヒートアップしていくロザーラに、ラドのトーンも上がっていく。ここで折れるということは、ライカが連れてきた友達を獄に送ると言うことだ。そんな事ができるはずがない。
「ロザーラはものを知らなすぎる。半獣人は人と同じなんだ。読み書きもするし、人より身体的にも優れている。危険だというけど人を襲うのは狂乱の月だけだ。それも発情のときだけで抑制方法も分かっている。そういう生態も知らずに断じるのは愚かだ」
「私が無知だというのか、貴様は!!!」
珍しく熱くなったロザーラがラドに詰め寄る。シンプルだが品よく造形された金の髪飾りの貴石が細かく揺れて光り、彼女の代わりに怒りにふるえていた。
怒りの原因は分からない。ラドが生意気なのか、サルタニアでパーンにひどい目にあった恨みなのか、はたまた今日は虫の居所が悪いだけかもしれない。だが……。
「この件に関して僕は引く気はない。ロザーラが守るものがあるように僕はパーンを守る。ちょっと言われたくらいでハイそうですかとライカ達を引き渡すわけには行かない」
「ならば貴様は、そいつらと牢に入る覚悟あるのだな」
眦を決してロザーラが問う。
「ロザーラがここで彼らの罪状を言えるなら」
「ならばそこにいろ、いま皇衛騎士団を呼んできてやる。存在自体の罪で牢にぶち込んでやる」
「いいとも、僕は自分にウソは付きなくない。それは何より卑怯だ。けどその前にロザーラがそんなご立派な貴族なら、庶民の範たる行動を取りなよ。ここに来て日がな一日、ため息をついて何もしない。別に愛想よくしろとは言わないけど、周りに気を使ってもらわなければやっていけない人に半獣人がどうとは言ってほしくないね」
「貴様っ!!!」
「みんなロザーラみたいに働かなくていい身分じゃないんだ。生きるためには、やりたくない事もやらなきゃならない。それこそ気が滅入ることも」
饒舌だったロザーラの口が止まる。
「僕だってそうだ。そして時には生きるために悪事と知って盗みもするし人を貶める。ロザーラはそんな人達の心の内が分かるかい」
「主任」
リレイラの声を無視してラドは続ける。
「庶民やパーンはそんな生ぬるい世界で生きてないんだ。いつ死ぬか分からない世界で生きている」
「主任」
「僕は片親で子供の頃から芋しか食ってない。ライカは捨て子で、いつ餓死してもおかしくないのに、三人の血の繋がらない妹を育ててる。イチカだって金目当てで売られそうになった。そんな外の世界の真実を見てない貴族様の勝手な決まりで僕ら家族の事をああだこうだと、言ってほしくない!」
「アキハなんか、十歳のときに人をあやめて――」
「主任! 言い過ぎです。その事は本件とは関係ありません」
ロザーラは歯を食いしばって瞬きすら止めていた。その目は潤んでいるのは悔しさなのか、怒りなのか。
そうして何も言わずライカを正面から蹴り倒し、勢い良く部屋を飛び出して行った。