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敵か味方かロザーラ・サルタニア

「ロザーラ・サルタニアだ」

 彼女の一声はそんな自己紹介で始まった。


 魔法局の入り口ホールは朝の出勤も収まり、暑苦しい人いきれは秋の涼風にのって一掃されている。すっかり落ち着きを取り戻した空間は、物音の余韻を遊ばせる自由を取り戻していた。

 そこに彼女の風貌に似合わぬ、物静かな低めの声が残響をもたらす。


「僕はラド、よろしく」

 自分より頭ひとつは大きいロザーラを見上げて手を差し出す。

 黒髪が陽光を浴びて虹色に輝いている。


 彼女は意思が強そうな黒い目を一つしばたかせて、一瞬、出された手をみやった。

 この場合、どんな挨拶が適切かラドには分からない。どうやら家名があるところをみるとこの人は庶民ではない。そんな人にどう挨拶をしたらよいだろうか。まさかヒューゴのようにハグはないだろう。

 庶民の自分のほうが跪く? いや曲がりなりにも自分が所長だ、立場が逆転している。

 ならば無難にお辞儀か? それは前の世界の話だ。だが他に引き出しもないので、取りあえず敵意がないことを示すべく手を出しておく。


 この二人の出会いをイチカはハラハラしながら見ていた。

 ロザーラはピクリとも動かない。

 ラドもじーっとロザーラを見上げている。

 身長差から言うとロザーラがラドを見下している構図になる。

 まさか、このまま二人は何も語らないつもりではないだろうか。

 不安になり助け舟を出すことにする。

「あ、あのう。ロザーラさんはお幾つでしょうか」

「十八だ」

 耽美な少女の横顔が、ぶっきらぼうに答える。

「えっと、お綺麗な髪ですね」

「それがどうした」

「……」

 イチカ全力のコミュニケーション玉砕。

 とっかかりの世間話で拒絶されては、会話など成立しようはずもない。

 今でこそ、そこそこ起伏のあるコミュニケーションが取れるようになったが、元来イチカはアキハのようなエモーショナルな方ではない。一方的に話を切られるような会話にならないコミュニケーションはお手上げである。


 ロザーラはそんなイチカの戸惑いなど歯牙にもかけず、気張るようにラドを見ている。


 ラドは、“見つめる”を通り越して“突き刺さる”ロザーラの態度に、カチンとしたものを感じつつも、感情的にならないように話しかける。


「僕は王都の礼儀には詳しくないんだ。もし握手が”よろしく”という意味でないなら、キミと今

後良い関係を作る然るべき挨拶を教えてほしいな」

 合わせて小さく微笑む。

 ロザーラは僅かに視線を外すと「良い関係になるつもりはない」と言って、全ての関係を放棄するように背を向ける。

「それはここにはもう来ないと言う事かい」

 背中にかけた声に足が止まった。

「それはない」

「なら僕らと一緒に働くんだね」

 何を考えているのか分からない沈黙。

「たぶん働くのだろうな」

 考えたような間をおいて出てきた答えは、まるで自分の事ではない期待はずれの答えだった。

 ラドに幻滅したのか、それともこの仕事そのものが不満なのか、あるいは彼女のノーマルなコミュニケーションがそうなのか、彼女の心裏はまるで分からない。だがロザーラは去ったあとには、影絵のように輪郭のはっきりしない残滓があった。


「どういうことですか?」

 このような複雑な人の心に触れたのは初めてだろうリレイラがキョトンとラドに尋ねる。

「どうやら訳ありみたいだ」

「握手は求められれば応えるものです。母さんもそう言っていました。主任は無礼を指摘すべきです。いえ私は間違えました。良好な関係を作るのが今日のミッションなら、我々の彼女を止めるべきでした」

 健気にも必死に理解しようとするリレイラは困惑気味だ。

「すみません、お力になれず」

 しょんぼりのイチカ。

「イチカが気にする必要はないよ。まったく――」と、言いかけて、ここでこちらか関わりを切ってしまうのは違うと思いラドは口を紡ぐ。この人事もアンスカーリの計略だったら、あの爺さんは相当の曲者だ。

 ――にゃろ、魔法の研究者が軌道にのったら、爺さんの毛がなくなる魔法を開発して毎日呪いかけてやる!



 初対面のロザーラと良い関係を作るのが今日の目的だったが、それが一瞬で終わってしまったので、すっかり時間を持て余してたラド達は、仕方なく市場まで買い出しに行くことにした。

「帽子は嫌いにゃ、頭がムズムズするぞ」

 ラド達がロザーラと会っている間、近くを散策していたライカが髪をクシャクシャにしながら歩いてくる。

「少しの我慢だよ、できるだけ早くライカが自由に街を歩けるよう手配するから」

「しゅにんが言うなら我慢するにゃ」

 ラドがボサボサのライカの頭をなでてやると、ライカは一転、機嫌を直して目を細める。本当は帽子なんて被らせたくないが、奴隷証の首輪をつけるよりはマシだ。

 舐めてかかって捕まったら釈放はかなり面倒そうなので、魔法局と打ち手の交渉をするまでは帽子でネコ耳を隠すのは仕方がない。


「ライカ、今日の仕事は終わりだ。街に行こう」

「ホントか! 研究所の仕事は楽でいいにゃー」

 まったくライカは。上機嫌すぎて訂正する気にもならない。



 王都は実に刺激的だ。

 ラドの家は王都の中南東、ペペルヴォール地区にある。これはアンスカーリが安全な場所として選んでくれたものだ。とはいえ特別待遇ではなく、ただの官舎である。

 官舎にはアンスカーリ家の使用人が住む。使用人というと使い捨ての小間使いのイメージがあるが、実は逆で敵の多いアンスカーリが身の回りを任せるという意味で、非常に信頼の厚い者が選ばれる。

 特に腹心ならば、貴族出身ではないにも係らず、何代にもわたって仕える一族もおり、そのような一族は特直従者(とくちょくじゅうしゃ)と呼ばれ、アンスカーリは好んで一般人の従者を召し抱えている。

 そのような採用をするのは、魔法の全てを押さえているアンスカーリ家の特別な事情によるものだろう。

 アンスカーリの領地を守る魔法兵は、それほどアンスカーリからの信用は厚くない。魔法兵は各地から集められた徴用兵だ。そんな忠誠心のない者達に命を預ける愚か者はいない。だから兵力としては信頼を置くが、アンスカーリは彼らには近づかない。兵と接するときは必ず騎士団を挟む。

 なお徴兵された魔法兵は、ひと部屋に四、五名を詰め込んだタコ部屋で生活をする。それを三~四年経験するのだからたまったものじゃない。

 ただし、飯はうまいのが出るらしい。逆に官舎にはそんなサービスはない。


 その官舎の一つ、五階建ての建物の二階にラドは、イチカ、ライカ、リレイラと住むことになる。

 前の世界で言えば六畳二間の2DKといったところか。玄関を抜けると短い廊下があり、左右にひと間ずつ区切った日の字作りの間取りとなっている。

 王都の土地事情を考えるとパラケルスの家より大分狭くなるのはやむを得ないが、住み心地は農奴の借家よりはるかによい。石木造りの建物は思った以上に断熱効果があり、秋霜の季節の寒暖差を吸収してくれる。

 暑さ寒さが嫌いなライカは「これは快適にゃ」と大喜びだ。


 さて本題に戻ろう。

 市場まで買い出しに来たのは、官舎には調度品が何もないからだ。ガランと開いた白箱には、跳ね上げ式の窓が一つと、暖房兼かまどとなる暖炉が一つのみ。

 手元には旅の道具こそあるが、旅の生活など雑魚寝が基本の野宿仕様だから、これではどうにも生活が成りゆかない、そこで自分達で必要な生活必需品を買い出しに行かねばならない。


 欲しいのは健康で文化的な最低限の生活。

 そのためには快眠を約束する毛布が欲しい。今は秋だが朝方はもう寒いし、冬支度も本番がくる前に準備はしておきたいものである。

 そしてもう一つ欲しいのは行李。

 見た目は子供のラドだが、女の子と住むにあたっては、実は結構気を使っている。なにせお年頃を迎える三人なのだから、隠しておきたいモノもあるだろう。

 いや、ライカには隠して欲しいモノがあって欲しい。パンツとかパンツとかパンツとか全部部屋に広げるのは勘弁して欲しい。


 ペペルヴォール市街は王都のイチ区画に過ぎないのにバカでかく、パラケルスと違って石で覆われた迷路のような街になっている。

 その迷路の角を何度か曲がって大通りに出ると、そこは馬車が行き交う人の流れになる。

 その流れを渡ると、向こうには大きく切り開かれた自由市場、つまり商業地域が現れる。

 その自由市場もバカでかく、パラケルスの街くらいあるのではないかというサイズだ。


 これだけデカイと売り物は何でもある。

 パラケルスではめったに出ない川魚も様々な種類が売っている。酒もイモ酒、麦酒、アロエ酒、他にも見たこともない種類の飲み物が壺に入って露天にずらりと並ぶ。

 野菜もしかり、肉もしかり。

 そしてなんとお菓子が売っている!

 それも生クリーム菓子である! 牛乳があるのだから生クリームがあってもおかしくないとは思っていたが、やはりあるところにはあるのだ。

 だが、見覚えのない形のお菓子だ。なんという名前だろうか?


「おじさん、このお菓子はなに?」

「ほほぅ、ボウズは、ここらへんの子じゃねーな」

 得意げに笑顔を作る、おやじ。

 ――ぼ、ボウズ……。いやたしかに見た目はそうだし、お菓子をワクテカしながら見に来てますっけど。

「パラケルスから……です」

「ド田舎だな、そりゃ見たこともないだろ。これはブッセという菓子だ」

 ブッセ! あのお菓子のホームラン王と言われるあれか! 形は四角くてクリームが上にふんわり被さっている。生地に間にクリームが挟まっていないとブッセらしくないが、言われてみれば素材はブッセ感がある。

 食べたい。

 超食べたい。

 この世界のブッセを食べてみたい。

 自慢じゃないが、子供に戻ってから甘い物は無類に好きだ。だがボウズと言われた手前、このおっさんの前で「お菓子ちょうだい」とは言いたくない。

 白い帽子を被るブッセさんを凝視し、そんな葛藤を繰り返していると、横にいるイチカもリレイラも、じーっと初ブッセを見ているではないか。

 ――そうだ! ここはガールズをお菓子購入の言い訳に使うことにしよう!


「二人ともしょうがないなぁ、そんなに食べたそうだなんて」

 そう、お菓子を食べたそうな二人のために、買ってあげる体にすればよいのだ。

「すみません、そう見えましたか? 私はただお菓子と言うものの主原料を考察していただけなのですが」

 ――え、イチカ、そんなくだらないこと考えてたの?

「じゃ、リレイラは」

「いけないのです。何でも食べたがるのは、節度がなく恥ずかしいことだとイチカに先ほど教わりました」

 ――イチカ!!! なにジャストタイミングで余計なコト、教えてんだよ!

「で、でも、食べたいでしょ」

「いえ、お気遣いなく」

「見たことない食べ物を食べるのも社会勉強ってもんだよ、興味あるでしょ」

「ええ、原料と製法に興味があります」

 ――なら、くえよ!


 そこにリレイラがぬっと割り込んでくる。

「主任が食べたいなら、私もご相伴にあずかります」

 ――なに、余計な敬語ばっかり覚えてんだよ!

「ら、ライカは……」

「いらないにゃ。肉なら食べるにゃ」

「……」

 ――だめだ! こいつは戦力にならねー!

「ラド、行きましょう。行李を買いに行かねばなりませんから」

 イチカがついついと袖をひっぱる。

「主任、早くいくにゃ」

 ライカが背中を押す。

「あっ、あっ、あ、待って」

「どうしましたか?」

「しゅにん、早く次の店、みようなのだ」

 ――ああっ、押すな、引張るな、急かすなーーー!


「あーもう! 買おうよ、食べようよ! 食べたいの! ブッセ!」

「あら、そうなのですか? ならそう言えばいいではないですか」

「だって」

 イチカが表情を変えずに歩みを一歩戻す。

「しゃうがないですね。ご主人。そのお菓子を四っ下さいませんか」

「まいど! よかったなボウズ」


 よかったな、ボウズ……

 よかったな、ボウ……

 よかったな、ボ……

 おやじの声が耳にリフレインする。


 ――僕のプライドが……。


 イチカから手渡されたブッセは、濃厚なミルクの風味で甘さ控えめ。ふんわり生地の上品なお味でした。でも、ちょっぴり涙の塩味がしました。


「ブッセ、甘くてまずいにゃ~」

 ほんと王都って刺激的。

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