仕事
「ラド、起きてー」
アキハは眠たい目をこすると、むくりと立ち上がり、床にへばりついて眠るラドの頭を靴先で突いた。
「朝だよ」
「はむむ……」
「朝だよー」
「むにゃ、やめ……て」
「あ・さ・だ・よー」
「あーってもう! 痛いって!」
ラドはまだ寝ていたかったが、流石に何度も何度も木靴の先で頭を小突かれては睡りも妨げられというもので、仕方なしに気怠く体を起こす。
あの後、やっとのことで興奮を鎮め毛布に潜り込んだのも束の間、今度は寝相が悪いアキハの肘鉄やら膝ケリが何度も飛んできて、寝ている場合ではなかったのだ。
「ふわぁぁ」
アゴが外れるほどのあくびをして体を伸ばす。
ガラスのない連子窓からは眩しい朝日が差し込んでいる。朝の空気は鮮烈で冷たい。小枝に留まる小鳥の挨拶が騒がしく頭の中に響くのは寝不足のせいだろう。
「うーん、なに、いま何時?」
「知らない、でも日の出だもん、仕事に行かなきゃ」
「うーん、仕事? 行ってらっしゃい……」
「何言ってんの! ラドもだよ」
「んん……えっ???」
想像してない事を言われてラドは飛び上った。まさか働いているとは思っていなかったのだ。
「僕、働いてるの!? どこで? どんな仕事を?」
「ああそうかぁ、全部忘れちゃったんだもんね」
ラドはその言葉に自分は夢の世界を生きているのではない事を確信した。目覚めても時間は繋がっている。アキハはアキハであり、自分はラドのままだ。身長も変わっていない。目覚めても同じ世界、同じ場所にいる。
その事実に改めてじんわり感動を味わう。
剣と魔法の世界なのだ。ココは!
「じゃ、わたし、一緒に行ってあげるよ」
「ああ、うん? ありがとう。でもその前に」
「朝ご飯!」
二人は顔を見合わせて笑った。そして初めての異世界? 新世界? のご飯である。
アキハの家は二部屋の平屋で、アキハの母は昨日遅かったのだろう。居間のテーブルに突っ伏してまだ夢の中の住人だった。
だから朝食は二人で上の床で取る。
アキハが厨房――と言っても裏口に石をくり抜いた竈がひとつあるだけ――から持って来きたのは冷たくなったふかしイモと牛乳。どうやらここではイモ類が主食で、食べ物は作り置きらしい。
期待をしていなかったと言えば嘘になるが、この世界のお食い初めがイモひとつとは。
「母さんが起きてたら火を使うんだけどね。でも冬はこんなもんだよ」
「ふーん、夏は違うの?」
「春になると畑に行くから、広場に配給食堂が出るの。キビ餅とかゴンゾ豆のスープとか温かいのが食べれるんだよ」
ゴンゾ豆? 聞いた事のない作物だ。
「肉はないんだ」
「そんなの食べられるのは、騎士さんとか貴族だけだよ」
どうやらパラケルスはそれほど豊かな土地ではないらしい。これは庶民の一般的な食のようだ。
ふかしイモは繊維が多くて歯に挟まるが甘くてなかなかおいしい。寒い地域なので根菜は甘くなるのだろう。
「このイモはなんていうの?」
「ん? ひげ根イモ」
なるほど、言い得て妙なネーミングだ。
床に座り込んだアキハはせっせかイモの皮をむくとクリーム色のイモを口一杯に詰め込む。よくそんな小さい口にそれだけ入るものだと思うが、案の定、喉に詰まらせ苦しそうに胸を叩いて、あわてて竹コップの牛乳で一気に流し込む。そして「喉つまっちゃった」と、カラカラと笑う。
ラドはやっぱりこの子は秋葉じゃないと思う。秋葉は小さいころから優等生タイプで、がははと笑う事もなければ、ガッツいてご飯を食べる所も見たことがなかった。そして食べるのが遅いラドに「いつまで、くちゃくちゃ食ってんのよ!」と急かすこともなかった。
ラドは急かされて残りのイモを口に詰め込み、まだ飲み込んでいないというのに、強引に手を引かれて家を出る。向かうは自分の職場らしい。
仕事……。
(最後の記憶では、自分は派遣先の会社で倒れたんだよな。あっちの世界では工作機械のエンジニア兼サービスマン兼営業で、朝八時半から夜は終電がなくなるまで働いてたんだっけ。そこからやっと解放されたと思ったのにまた仕事か。せっかく剣と魔法の世界で子供に戻ったというのに)
魔法騎士の道は前途多難だ。
アキハはラドを街外れに連れて行く。明るくなって分かったがパラケルスはさして広くない街だ。街道から離れるとあっという間に閑散とした農地になる。その農地も冬は休耕しておりカラカラの赤銅色の土が一層物悲しさと貧しさを強調している。
そんな寂寥感漂う道を、草木染めのアキハのスカートを追いかけて歩く、歩く、歩く。
もう三十分は歩いたろう。すれ違う人はいない。ここまでの道のりに民家がないのも、道中見かけたのが石壁だけになった廃墟だったのもよろしくない。こんな所に仕事場があるんだろうか、こんな所でやる仕事は何なのかと不安になる。
だが畑が切れた更に向こうに、蜃気楼のように白い石塀が見えてきた。遙かに小さく見える山脈を背景にぽつんと。
その存在だけでも違和感があるのに、近づくと四方を壁に囲われた極めて厳重な守りの施設だと分かった。石壁はラド身長の数倍、近づいても離れても中を伺うことはできない。せめて音だけでもと耳を澄ませてみても音すら聞こえない。だが妙な臭いだけは漏れてくる。
いったい何の建物なんだろうか?
その疑問を口にする前にアキハは石塀につながる大きな門柱の前で立ち止まる。
「ここだよ」
「ここ? これって工場か何かかな?」
「うん、ホムンクルス工場」
「ホムンクルス?」
「わたしが紹介したんだよ、ラド、ずっと仕事見つけないから」
「いや聞きたいのはそうじゃなくて、ホムンクルスって」
「よく知らないけど。動物を育てるんでしょ。親方が言ってたよ」
やっぱりあのホムンクルスである!
「アキハ、ホムンクルスっていうのは人だよ! いうなれば人造人間。一種の錬金術で女性の子宮以外で人を製造するんだ。僕はそんな凄い事をしてるの?」
一気に説明するとアキハが怒った顔でラドを見つめ返す。
「むつかしいんだよ。昨日からラドの話し。すっごい難しい言葉いうから、あたし全然わかんないんだけど」
「あっ、ごめん。困らせるつもりはないんだ」
「工場でいろいろ教えてもらってるのは分かるけど、わたしにも分かるように話してよ」
「あ、うん」
プンスカと怒るアキハを宥めつつ心の中で思う。どうやら自分は凄い事をしているらしい。ちょっと錬金術なんてそれっぽいじゃないか! この世界の僕も捨てたもんじゃないぞと。
そう思うとラドの足は自然と早くなるのだった。