そして僕は途方にくれる
アンスカーリとの交渉を終えたラドは、一路、パラケルスに戻る。
帰路はアンスカーリから借りた馬と往路を共にした馬車馬に二人ずつ乗って帰ることにした。
アンスカーリ曰く、老馬なので返却は無用とのことだが、さらりと馬をくれてやるとは貴族とはなんと凄いものだと思う。
なにせ馬である。白馬である。ホワイトホースである!
個人が馬を持つなんてどういう生活だろう。パラケラスでは個人で馬を持っている人はいない。あっても耕作用の共有馬か荷馬車用の駄馬くらいだ。前の世界で言うと、自家用ジェットを持っているに等しいくらいスゴイ。ビヨンセかおまえ!
だが馬を借りてもラドには乗れない。アキハは荷馬車は引けても馬は何とかまたげる程度。リレイラは言うに及ばずだ。
誰が手綱を握るか。
ラドとアキハが目線で美しい譲り合いを行う中、一人、冒険者がいた。
「ライカが乗るにゃ」
なぬ!
「ライカは馬に乗ったことがあるのかい」
「ないにゃ、でも乗れる気がするぞ」
「……」
何の根拠があって、この子はこれほど自信満々なんだろう。
「本当に乗れるの?」
「問題ないぞ、ようは馬に勝てばいいのにゃ」
意味不明な事を口走るとライカは馬の正面にまわり老馬の目を見る。そして目力を込めて、グルルと喉から唸リ声をあげる。
すると老馬はぶるるんといななき頭を下げた。
「ライカの勝っちにゃーーー!」
「え、勝ったの? 全然分らなかったんだけど」
「馬、おまえの名前はなんだ?」
馬が答えるかって。
「しゅにんは何がいい?」
「え? 僕がつけるの?」
「しゅにんの好きな名前でいいぞ」
「ええっと、じゃキタサンとか」
「キタ? 変わった名前だな」
「いや、無理にその前でなくていいです。怒られたら怖いですし」
「だれに怒られるにゃ? まあいいや、じゃそれでいくにゃ!」
ライカは颯爽と馬にまたがり、白馬の背中をバンと叩いた。
馬の足は早い。さすがプライベートジェット級! 中東某国に高飛びしたカルロス・某ーンさんよろしく帰路は何事もなく、わずか五日で帰ってしまった。
これでやたら密度の濃かった王都への旅は終了だが、工場の執務室に戻ったラドは着くなり机に突っ伏してしまった。
口から出まかせに新しい魔法を作ると言ったが、まだ魔法の原理が分かった訳じゃない。とりあえず魔法がエネルギーそのものであり、荷電粒子の性質を持つとは分かったが、それ以外は全く分からないと言っていい。
「魔法か……」
ラドの記憶で魔法といえば、とあるゲームにあるような地水火風雷の多彩な攻撃に瀕死の傷さえ治す癒やしの超能力。どんな毒でもたちどころに解毒し、原理は思い描くことも出来ないが身体能力まで強化ができて、あまつさえ死人ですら生き返らせる万能の力という印象が強い。
だが現実はひたすら地味で、夢なんか欠片もありゃしない。
或いはと現代魔法の書籍をあさってみたが、魔法の種類は光と火、氷冷と水しかなかった。
地味……。
地味すぎる。
唐揚げとコロッケしか入っていない弁当くらい地味過ぎる。いや両方とも好物でしたけど。
「コロッケ食いたいなぁ……」
違った。現実逃避に走ってしまった。
たしかに火の魔法は強力な武器になるが、氷冷は氷塊が空から降ってくる的な派手なものではなく、ただ効果がある部分が冷たくなるだけだ。ウィリスに使ってある程度の効果は認めているが、その位しか使い道がない。
水に至っては、しっとりモイスチャーなおしめり程度。
解読されていないからか、元々こんなものなのか……。
この魔法で何を施せと言うのか。
「はぁ~、一般魔法兵が使える効率のいい新しい魔法ってもなぁ」
椅子に斜めに持たれつつ、ウンウンうなっていると、
「ラドが不在の間に書庫を整理したんです。そうしたら古文書が一杯でてきました」と、イチカが顔も見えなくなるくらいの一杯の書籍をもって執務室に入ってきた。
「あ、ごめん重かったでしょ。言ってくれた一緒にやったのに」
「いえ、ラドがいつか整理したいと言ってましたから」
皆が王都から帰ってきたのが嬉しいのだろう、イチカが満面の笑みでラドに微笑みかける。
「ありがとうイチカ。いつも済まないね。僕がだらしないからイチカに迷惑をかけてしまって。ゴホゴホ」
「わたしもラドのお手伝いをしたいですから。ところで、どこかお体でも悪いのですか?」
「ううん、このセリフのあとは咳をするのがルールなんだ」
「はぁ……」
行き詰まりの手遊びに伝統芸を披露するしかない。
この古文書はアンスカーリがどこからともなく集めてきた物らしい。アンスカーリはこれを解読して現在の魔法を作ったと現代魔法史に書いてあった。だから勝手に漁っていいものではないのだが。
”こんなところに半ば放置している方が悪い”
鍵の壊れた書庫に雑然とあるのだから、もう役目の終わった本なのだろうと解釈し、有効に使わせていただくことにする。これは本の仏様への最大の法要だ。
とはいえ、ラドも全ての古文書を読んでいるわけではなかった。そもそも古文書の文字は読めない。多分だが年代か地域により文字が違うのだと思う。
という訳で、現代訳がない本は図をさらっと眺めた程度。
その図も高次元立方体っぽいモノが縦横斜めに連なり、地図のように接続された意味不明なものだが、そういう意味不明で読めない本の方が、いいことが書いていそうな気がするんだよなぁ、なんて直観もあり、いつか解読しようと気にかけていたモノ達だった。
そんな古文書を手に取り、退屈げにパラパラとページをめくる。
「元気がありませんね。王都でなにかあったのですか?」
帰宅するなり唸っているのだから、イチカが心配するのも無理はない。
「うん、実は新しい魔法を作るって約束しちゃって」
「新しい魔法ですか? どんな?」
「ノープラン」
「それは、困難な約束ではないでしょうか」
「そうだねぇ」
「大丈夫なのですか?」
「あははは……なまらヤバイ」
「なまら?」
「方言だよ、とてもという意味」
「覚えました。ラドはなまら物知りです」
「そうそう、そんな用法だよ」
「……なにかお手伝いしましょうか」
「そうだねぇ……」
気づくとイチカがラドの黒い瞳をのぞき込んでいる。吸い込まれそうなエメラルドの瞳が心配げにきらめくのにキュンとくる。
いや違う! キュキュンしてる場合じゃない。開かない埒をどうこじ開けるかだ。
イチカが手伝ってくれるなら、ここは仲間の力を借りてみよう。
「ありがとう、じゃイチカのことをいろいろ調べてみようかな」
「はい! でしたら」と、イチカはその場で黒のローブワンピをたくし上げ始める。
「ちょっと! どうしたの急に!」
「はい、ラドが私を調べると言うので服を脱ごうかと」
「ストップ、ストップ!」
ラドはぎりぎりパンツが見えそうな所までたくし上げたイチカの手を捕まえて、すんでのところで裸になるのを押しとどめる。
「裸にならなくても、大丈夫だから!」
「そうなんですか?」
「服を着て! アキハに最初に言われたじゃない、女の子は慎みを持ってって」
「ええ、でもあの時、ラドは笑ってましたよ」
「あーれーはー! いいから、大体こういう変なシーンでアキハが突然現れるんだから」
時に人は抗い難い力にさらされる事がある、それを人はこう呼ぶ。
”フラグが立った”と。
「しゅにん! ライカは腹がへったぞ! あっ!」
「リレイラも腹が減りました! あっ!」
執務室の戸が勢いよく開くと、そこには腹ヘリ親子の姿が。
「あーあ、しゅにんがイチカに変なことしてるの見てしまったのだ。これはアキハに言っちゃうべきなのか?」
やっぱり!
「母さん、どうして主任はイチカと抱き合っているのですか。そしてイチカはどうしてお尻を出しているのですか?」
「男と女はそういう生き物にゃ。今晩、母さんがリレイラに教えてあげるにゃ。お肉の夕ご飯を食べながら」
「お肉が食べられるのですか!?」
ライカがニヤリと笑って八重歯を見せた。
――こ、こいつ。
「やっぱりフラグじゃないか! なんでキミ達はそうタイミング読むかなぁ、もう!」
自然科学の基本は観察である。では魔法という目に見えないモノは何を観察するのか?
それについてラドには勝算があった。
イチカとリレイラが使う魔法と人が使う魔法の違い。つまりホムンクルスと人の違いを調べるのである。
この二つには決定的な違いがある。ホムンクルスはいきなり魔法が使えるのに、人は個人に特異な方法を掴まないと使えない。イチカを調べようと思ったのは、その点についてだった。
アンスカーリ曰く、ホムンクルスは『人を模して戦う』古代の魔法兵だ。魔法については現代より根源に近い存在に違いない。
新しい魔法の開発には少々遠回りに思えるが、この違いの観察は筋がいい研究になりそうな予感がある。
と言うことで、早速、ヒト代表の被験者を連れてこよう!
心当たりは一人しかいない。