ブリゾ・アンスカーリ
当然だが、こんな事をして無事で済むハズがない。
ラド達は駆けつけた衛兵に取り押さえられて、暗くて狭くてじめじめした部屋で尋問を受け、あわや拷問の所を検問で見せた封蝋の手紙を見せて逃れ、ライカが護衛であることを証明するために街道であった襲撃を説明して、信じない尋問官に納得してもらうために街道警備隊まで伝令を飛ばして裏を取ってもらい、やっとのことで信じてもらって解放された。
その間、ライカはずっと「ごめんにゃ、ごめんにゃ」と祭礼の祈祷師のようにひれ伏して謝り続け、リレイラは「お腹が空きました」と訴え続け、アキハは何を思ったか腹の皮を摘んでは必死に筋トレをしていた。
いったい何をしてるんだ? そう思っても鬼気迫る勢いで腹筋運動をするものだから、理由も聞けない。
尋問が終わると、今度は軟禁部屋に移される。衛兵の監視が付くということは無罪放免とはいかないらしい。どうやったら無実を証明できるものか……。
すると軟禁部屋に文官と思しき人がノックも静かに現れた。
足音のしない男は幽霊のようにそろそろと、だが視線はラドから外さずに近づいてくる。そしてニヤリ。
「いやぁ、どうもすみませんでした。まさかホムンクルス工場の工場長がこんな子供でしたなんて」
こんな子供……。
へらへら謝りながら、かいてもいない汗をハンカチで拭う。
「いえ、分かって戴けて何よりです。ただ一つ訂正が。来年成人なので子供という程の年ではありません」
「たしか十四歳でしたか? それは随分お若い事でぇ」
――バカにしてるだろ。絶対バカにしてるだろ!
「歳の話はやめましょう。僕は魔法局製造部長にお話がありまして、その取り次ぎをお願いしたいのです。この書面にあるとおりホムンクルス納品の件で、ご説明したい事があります」
「その事ですが、あなたにいえいえ、工場長に興味をお持ちのお方がいらっしゃいましてぇ。そのお方との面会を組んでおります」
「興味?」
「ええ、ご案内しますのでお連れの方とご一緒に」
なんか事態が悪い方向に進んでいる気がするぞ。
妙に腰の低い男は、本心の分からない笑顔を貼りつかせてラド達を上の階へと案内する。
「こちらでお待ちを」
案内されたのは、やけに豪奢な広間。
退室した男が扉を閉めると、部屋の気配は不気味に引き締まり、辺りは全くの沈黙に覆われた。
足の長い絨毯に、壁にはもったりと重い真紅のドレイプ。
押し紙で飾られた壁面は、石と木で作られた建物に全く異質な存在感を与えている。
それは豪華な感動ではなく、上からのしかかる圧迫に近い。
なにかヤバイ、とにかくヤバイとしか言えない。やっぱり衛兵を威嚇したのがヤバかったか、ココで事を起こせば魔法の国の中枢を襲撃したのに等しいのだをから。
そんな息苦しく空間に押し込められて、もうどのくらい経つのだろう。
「しゅにん、もうダメだ、お腹がへりすぎて動けない」
「母さん、わたしもです」
「ラド、私も。今日朝しか食べてないじゃない」
ああもう、キミ達! このヤバさわかってる? こんな時にどうしてウチの女どもは飯の話しかしないんだ!
心の声は叫んでも、こんな所では叫べない。
「これが終わったら、ちゃんとご馳走たべさせてあげるから。この部屋を見てごらんよ。ちょっとお腹空いたから帰りますって言える雰囲気じゃないだろ?」
「そうかにゃ?」
「そうでしょうか?」
「そうなの?」
「そうだろっ!!!」
場の空気を読んで気もそぞろないのはラドだけらしい。
「うほほほほ、元気がよいのう。若いというのはそれだけで良いものじゃ」
「へ? どなたですか?」
急に現れた長い白髭の老人は、相好を崩しゆるりとした足取りで部屋の前方に置かれた豪奢な椅子に腰掛けた。只者ではないと感じたラドは急いで傅く。
猫背気味で体つきこそ小さく貧相だが、着ている服の質感が違う。
詰め襟のシャツに、なんの糸で織られた分からないが柔らかな若竹色の羽織をひっかけ、ゆったりとした浅葱色のズボンをはいている。そのズボンには何段かの折り目があり、雰囲気は袴のようだ。こんな特異な服装の人を王都では見たことがない。
だが着ているものが違う以上に、得体の知れぬ威圧感がある。
だが三人はぼーっと突っ立たままで動こうともしない。こういう時の機転はイチカのようには行かない。ラドは再度立ち上がって三人を並ばせて跪かせる。
「畏れ多くも、誠に無礼なところをお見せしました。田舎者の護衛ゆえ礼節にはとんと疎く」
「まあよい。田舎なのは知っておる。儂がつくった工場じゃからな。そこの娘、傅くときは武器を前に差し出せ。胸元から懐刀が見えておるぞ」
「あ、はいっ!」
アキハがお手玉をしながら慌てて懐刀を前に差し出す。
「お前がラドだな」
「はい」
ラドは顔を上げて声の主をしかと見る。
「驚いたな……」
「真に自分がラドです」
「否、その話ではない。ホムンクルスを作った件じゃ。ラドよ、目覚めたホムンクルスは持ってきておるのだな?」
「それは……畏れ多くも釈明をお許し願えますか」
「よい、一応聞いてやろう」
「道中、狂獣とシンシアナ兵に遭遇いたしました。その戦闘によりホムンクルスを全て失い――」
広間にぐ~とお腹の鳴る音が響く。
「母さん、お腹がぺこぺこです」
「しっ、静かにするにゃ」
――小声でも聞こえてるんだってーの!
「失礼しました、ホムンクルスは全て失われ、我々はその現状を報告するために入京いたしました。よって自分の手元にはホムンクルスはおらず」
「ならば、そこにいる娘はなんじゃ」
「娘ですか? これは護衛の者で右からアキハ、真ん中の者をライカと――」
「左の者、名を申せ」
だがラドはリレイラに発言させない。
「彼女はリレイラと申しまして、真ん中のライカの子でございます」
「子じゃと? 年が合わんのではないか。その娘はどうみても十五、六じゃ。左の者は十くらいじゃろ」
「それが半獣人の――我々はパーンと呼んでおりますが不思議な生態でして、彼らの種族は我々とは違い若年で急成長いたします」
「知っとる。お前よりもはるかに長く生きておる。その上で聞いておる」
言い訳が苦しい。この老人なかなか知識がある。
「ライカは姉兄弟の子を預かっております。ご存じのとおりパーンは迫害されておりますのでリレイラの実母は殺されております」
老人は一スブ以上もある長い髭を片手でひとなですると、「ふむむ」と一つ唸った。
「なぜ半獣人と来た。狂乱の危険を感じなかったのか」
「狂乱はもはや心配はありません。我々が狂乱と呼んでいる行動は生殖のための一時的な発情です。またその抑制方法も確立しております」
「そこのライカという娘、本当か?」
「ほんとうにゃ! だからライカ達はしゅにんの工場で働いてるぞ。リレイラもライカが育て、ふげっっっ!」
ラドが横においた杖を押し出して、後ろに控えるライカの腹をひと突きする。
「申し訳ございません。口の悪い娘でして。わたしが封じさせていただきました」
「ふぁははは、面白いやつらじゃ。ここまでは報告どおりじゃな。お前をラドと認めよう。だが報告とは違う点もあるようじゃが」
報告とは何か分からないが「恐縮です」と答えておく。
「誤魔化せると思うでないぞ。ホムンクルスはここにおるじゃろ。ここには血の匂いがする」
「それは私やライカが工場で働いているからではないでしょうか」
「バカにするでない。そもそもホムンクルスを復活させたのは儂じゃ。知らぬと思うてか」
マジか! なんと驚愕の告白。いきなり本丸に出会えるとは。という事はこの老人がアンスカーリ! なんで辺境の工場長と面会する気になったの分らないが、これはチャンスである。
「これまでのご無礼をお許しください。アンスカーリ公」
「アンスカーリ!?」
アキハが飛び上がって驚く。
「よく勉強しておるな。どこで知った」
「工場の書庫に潜り込ませていただきました」
しばらく沈黙が流れる。
互いに何を考えているのか、何を探り合っているのか分からない時間が過ぎる。
「リレイラと言ったか。そやつが目覚めたホムンクルスじゃな」
緊張が走った。アキハやライカも分かる程のビリリとした緊張が。
アキハはラドがこの局面をどう乗り切るのか想像もできない。
ライカも山場を悟り耳をピンと立たせる。
だがラドは目を閉じて動かない。
アンスカーリもまた、気だるく巨大な背もたれの椅子に腰かけたまま動かず……。
ラドの大きく息をする音が部屋に響く。
「公のおっしゃるとおりです」
「ラド!」
「しゅにん!」
アキハとライカが同時に声をあげる。
「逃げ切れんと思ったか」
「はい、本人を目の前にしては全て筒抜けだと確信いたしました」
「ふふふ、良い判断じゃ。じゃが血の臭いはウソじゃ。この距離で分かるわけがなかろう。お前を試してみた」
なるほどそうきたか。なら。
「アンスカーリ公、公が製法を確立したホムンクルスですが、わたくしはその製法を改良しているのはご存じですか」
相手の白い眉がぴくりと動く。
「ほほう、それは聞いておらなんだ。ならば儂のやり方には問題があったと申すか」
「はい、畏れ多くも」
「言うてみい」
「石槽は必ずしも適切ではありません」
「バカをいえ、あの石にこそ意味があるのじゃ」
「いえ、石は培養液の製造だけで十分なのです。育成中はむしろ衛生上のデメリットになります」
「言いおるな。ならばお前はどうしたのじゃ」
「培養槽を石からガラスに変えています」
「ガラスか。パラケルスで作られた新素材じゃな。王都にも入っておる」
「ガラスはホムンクルス培養のために私が作ったものです。また一定以上の大きさになったホムンクルスは培養液から出します」
「それではすぐに死んでしまうぞ!」
「それについては、また別の策があります」
また、後ろから大きな音で、ぐ~と誰かのお腹が鳴る。またリレイラかと振り返ればリレイラはふるふると首を振る。
――今度は誰だよ! どんな駆け引きしてるのかわかってるのキミ達は!
「ふぁはははは、後ろが騒がしいのう。じゃが儂も腹が減った。もういい時間じゃ、続きは飯を食いながら話そう、儂について来い」
何がどう転ぶか分からないものである、ラド達は大貴族アンスカーリと晩餐を共にすることになった。しかも三人娘と一緒に。
大丈夫だろうか。粗相して首を切られるのだけはまっぴら御免である。
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