親子・幼馴染
場面は少し遡る。
女の子達が水浴びに行くのを見送ったラドは、緑陰が遊ぶ草原に寝転び腕枕で天を見ていた。
頭を空っぽにして緑の絨毯に身を預けると、朝鳥がチキチキとさえずる声が耳一杯に入ってくる。
季節は初夏。
そよ風が気持ちいい。爽やかな空気と相まってこの快適さはまさに街道のオアシスだ。
兵士の二人は、どこからともなく根菜を採ってきて手持ちの乾燥芋と合わせた朝ごはんを用意している。芋粥と言えば粗食の代表だが、何日も食べてない気がする腹には大層なご馳走だ。
ラドは寝ながら体を伸ばす。
「んんーーー、やっぱり、イチカを置いてきて良かった」
芋粥の甘い香りに気持ちが緩んでつい独り言。
ここにイチカがいたら確実にやられてただろう。あのコゴネズミの数では接近戦は必至だったが、イチカの反射神経では戦場を避けられなかっただろう。
「でも三人ともかぁ」
御者さんや護衛のカルピオーネさんとピエントさんには悪いことをした。僅か五日の旅仲間でも情はうつる。もし自分に雇われなかったら、こんな事にはなっていないと思うと本当に申し訳なく思う。
「それにしても、なんでゾウフルが」
何であんな巨大な狂獣が街道にまで出てくるんだろう。パラケルスは辺境とはいえ直接王都につながる街道を持つ街で、しかも大貴族アンスカーリの直轄領だ。狂獣が住む森が並走しているがゾウフルが居るとは思えない。もしゾウフルが日常的に出ていたら今までだって物資が滞っていたはずだ。
やはりあの女が目覚めたホムンクルスの事をシンシアナに報告したか。襲ってきたシンシアナ兵はたしかにホムンクルスを狙っていた、でも、それと狂獣が徘徊する理由が繋がらない。そして『狂獣はシンシアナ兵を狙わない』の意味も分からない。
「でもよくあのタイミングでリレイラが目覚めたな。ライカの勘はなかなかだよ」
あのまま工場にリレイラを置いていったらライカは目覚めに立ち会えなかった。恐るべしは獣の勘である。でも生死にかかわる刺激がなかったらリレイラは目覚めなかった訳で、ならば勘というよりはライカの強運が目覚めを誘った訳だ。
それがあの襲撃ならイヤな強運だが、おかげで目覚めのカラクリが確定できたのだから結果オーライか。
「結果オーライ? んー、でも何か引っかかるんだよなぁ」
三人プラス一名は生き残っているのだから、被害甚大なれど結果は良かったはずだ。だが、うっすら感じるこの不安。安易に安堵して、ここでのんびり女の子達の水浴びを待ってていいのだろうか。
何かは分からないが心がザワついている。御者さん達の事か? 助けてくれたのに怒鳴ってしまった街道警備の隊長さんの事か? それともライカの体調? アキハも怪我はしてたが、それはまぁあいつ頑丈そうだから大丈夫だろうけど……。
「あっ! リレイラ!」
そうだ! リレイラはホムンクルスだということだ!
彼女を洗ってはいけない! 今はまだ体に残る培養液が効果を発揮しているが、洗い流してしまえばリレイラは一時間後に衰弱して死んでしまう!
「バカ! 何で誰も気づかないんだよっ!」
飛び起きたラドはリレイラを救うべく女の子達が水浴びする流水へ走る。
そうして息を切らして木立の合間から顔を出した瞬間だった。
「アキハ! リレイラを、あっ!」
アキハの叫びと同時に何か黒いものコッチに飛んできた!
「あらっ……」
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「ちゃ…」
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言い終わる前にラドの思考はブラックアウトしてしまった。
しばらくして、ラドは頭支える柔らかさに目を覚ました。
「あんた達、魚はいいから前隠しなさいよ!」
「お魚♪ 始めて見ました」
「アキハ凄かったぞ。こんなツルツルなのよく掴んで、あんなに早く投げれたな」
「知らないわよ!」
頭の上でアキハが怒鳴る声がする。
「あ、ううう」
声を出そうとするが朦朧としており口がうまく動かない、目もまだ回っている。
「あ、起きた? ラド」
焦点が定まってくると、眼前に上から自分を覗き込むアキハの大きな瞳があった。どうやら自分はアキハに膝枕をされているらしい。
アキハはまだしっとりと湿る麻の下着一枚になっていた。下着と言っても前の世界のモノとは大分違う。上は浅葱色のゆるいTシャツ、下は紐で縛ったボクサーパンツみたいなものだ。
その横ではライカとリレイラが、きゃっきゃっとじゃれ合って片手に余る大きさの魚を投げあっている。
なぜ魚?
「アキハ、なんで僕はここに?」
「もう、あの程度で倒れないでよ、心配するじゃない」
倒れた? 僕が? 何で?
……いや思い出した。まるで勝手に昏倒したような言い方だが、倒れたのはお前が投げた何かに当たったせいじゃないか! しかも顎に当たった。不意打ちでチンを打たれて倒れないヤツなんかいやしねぇ! そうジョーも泪橋のふもとで言ってたわ!
……と思う、自信ないけど。
「まだ目眩がするよ。アキハのせいで」と、言いかけて自分の顔が熱くなるのを覚えて視線を外す。
「どうしたの?」
「あの、膝枕もういいかな」
「まだ目眩するんでしょ。いいわよ遠慮しなくて」
「ううん、遠慮というか」
「なに?」
「アキハ、その下着が……」
「うん、全部洗っちゃったから。でも下着くらいならラドならいいかなって」
「じゃなくて見えるんだ下からだと、その隙間から」
「えっ?」
アキハはラドの視線を追う。
ゆるい麻の下着が胸元でハングして、ラドの視線はお腹の下に向かっている。お腹の下はスカスカだ。ということは膝枕をすれば当然、下からまる見え。
「きゃ! ちょっと、えっち!」
アキハは慌てて両腕で下着の上からお腹を押さえた。反動でラドの頭が膝から落ち、ゴチリといい音を発する。
「いてっ、違うよ!」
ラドは否定しつつも、しっかり目に焼きついた二つのお山を思い出す。
――ああ、男って! 男ってヤツは!
それを振り払わなければと思い、無理やり違う事を考える。
――この世界でもこういうときは「えっち」と言うんだ。
違うだろ! アホか僕は! ダメだ話題を変えよう。
「えーっと、アキハ、大きくなったね」
「変態! 人の胸見て言わないでよ!」
「いやいやいや、そうじゃなくて! ちゃんと大人になってるってことだよ!」
「大人?」
大人と言われてアキハはエロい事かと思ったが、そうではなく身長や体が成長しているという事だと気づいた。
ラドがそれを気にするのはアキハも分かる。なぜならラドは三年前から全く変わっていないからだ。
近所の同い年の男の子は、ふにふにだったほっぺたが精悍に引き締まり、体は大きく筋肉質になって髭なんか生えてきている。だのにラドはほっぺたはふにふにのまんま。相変わらずクリクリのうるんだ黒い瞳で、身長も一シブだって伸びてない。
小さい頃は言えた『ラドはちっちゃいね』なんて冗談は、もう言えない状態なのだ。
「僕はアキハに置いてかれちゃうね」
そう悲しげに言う黒い瞳が自分を見ている。
そんな顔をされているのに、ラドが普通の子とは違う事に”自分と同じ違う”を感じて嬉しくなってしまう。でもラドに置いていかれる不安もアキハは感じていた。
気づけば工場長になって、イチカと難しい魔法の研究をして、目覚めたホムンクルスなんか作っちゃったりして王都に呼び出されるような人になっている。
一方、自分は親方の元で下働きを続けているのに独り立ちなんて程遠い。
ラドはきっともっと凄くなる。
自分はそんなラドの横にいられるのか、叶うなら彼をここに繋ぎ止めておきたいが、そんな想いの押し付けがラドの足かせになるのも分かる。
でも……。
――ダメだ私、そっちにいくな!
「大丈夫! 心配そうに言わないで。わたしはラドとずっと一緒だよ。ラドが私を置いて行っても私がラドを追いかけちゃうし」
ラドはアキハの顔から視線を外し、膝枕から落ちたままの形でとどまっている。それがまるで時が止まったラドの成長そのものに思える。
「そうだラド、ちょっとここにいて。さっき池の中できれいな青い石を見つけたんだ。透明でガラスみたいなのにちょっと重いの。これなんだけどって、あれぇぇぇラドどこ???」
ちょっと石を取りに目を離したすきにラドがいない!
きょろきょろ見まわすと……いた!
さっきまでそこにいた筈なのに、匍匐でライカとリレイラに後ろ近づいているではないか。
「何してるの!」と声をかけた時にはもう遅い、ラドはおもむろに二人のしっぽをむんずと掴んでいた。
「にゃ!」
「はぅぅ」
急にそんな所を握られて、ぞぞと逆毛を立てる二人。
「サイズは違うけど同じしっぽだ! ライカの形質が遺伝してるという事は、リレイラは本当にライカの子なんだ! ということは仕込みの段階でライカの遺伝子が入って、二つの遺伝子を引き継いだ受精卵ができたんだ。これがもう一つの目覚めの条件だったんだ。でもイチカはどうなんだ? イチカにも尻尾はあったろうか。ん?」
「……ライカ、リレイラ、そいつ、やっちゃっていいわよ。容赦なく」
「え?」
アキハの低い声にラドが顔を上げた瞬間、目の前を鋭い影が通り抜ける!
「あぅ!!!」
ライカとリレイラ親子の息ピッタリの後ろ回し蹴りが見事にヒット。
「さすが……」
・
「親子」
・
・
「で…す……ネ」
ラド、本日二度目の昏倒である。
次にラドが目覚めたときは、お日様はもう高く既にお昼の時間だった。
「ううん……」
むくっと起きると、自分の上にかかっていたローブがはらりと落ちる。
「アキハ?」
呼んでみるが誰もいない。どこにいるのか探してみようと立ち上がる。
「……全裸!? なんで!?」
しゃがんで落ちたローブを拾い、もう一度それにくるまる。サイズが大きいから、アキハかライカのものだ。追い剥ぎではないが、なんでローブ一枚だけなんだ?
「あ、しゅにん起きたか?」
「母さん、小枝を拾ってきました。ミッションを終了します」
「ライカ、リレイラ。僕はどうしてたんだ」
「しゅにんはライカとリレイラいけない事をしたからお仕置きされたんだぞ」
「お仕置き?」
「しっぽ引っ張ったろ、あれはめっだ」
どうやらパーンにとって尻尾は、ある種の弱点で、ぎゅっと握られると感じてしまうらしい。
「ああ、そうなんだ。それはごめんね。知らなかったんだ」
「ならしょうがないや。しゅにんだから許す」
「ところで何で僕は裸なのかな?」
「アキハが服を洗うために、主任を裸にしました」
リレイラが真剣に答える。
「……はい???」
「わたしも手伝いました」
「にひひ、しゅにんはいろいろ子供サイズだな」
なんと衝撃の結末!
僕の貞操はいったい。アキハどういう神経で僕を十歳児として扱うのだろう。そうだ!!! 扱うといえば!
「ライカ! もしかしてリレイラを最初に仕込むとき消毒しなかったろ」
ビクリとなるライカ。
「……したぞ」
いきなり視線が不安定になり挙動不審だ。
「本当か? 全身やったか? 消毒液槽に首まで浸かったか」
「し、したぞ」
耳が垂れている。完全にウソだ。
「ウソだな」
ラドはライカのほっぺたをぐいぐい引っ張ってやる。
「ごめんにゃ~、だってライカは水がダメなんだもん」
「母さんは、さっきの水浴びでも大騒ぎでした」
「でもウソはだめだよ。僕らは再現性を確認する実験をしてるんだ。そのためには正しく過程を記録しないといけない。不都合なことも正直にね」
「ううう。わかったにゃ」
「ま、でもライカのお陰でリレイラが生まれたんだ、それはお手柄かな」
そう言うとライカの顔がぱぁと明るくなる。
「ホムンクルスの種にパーンの遺伝子を入れることはないんだ。生物は一般的に単体生殖だと弱くなる。そこにライカの遺伝子が入ることでわずかに獣化して、目覚めるだけの力があるホムンクルスとなったんだと思う」
「ふーん、それでアキハが『なんこうがなくても大丈夫』って言ってたんだな」
「そうだ! それを言いに来たんだよ! リレイラから培養液を落としたら死んじゃうって」
興奮気味に言ったが、当の本人は平然としたもの。
「わたしはすこぶる健康です」と、きょとんと小首を傾げて何を心配するのかと不思議がる。
「本当、健康そうでよかったよ。これもライカの遺伝子のおかげかな」
ライカの適当さが嬉しい誤算となって、リレイラが生まれた。
それはライカにとっても自分にとってもいい事ではあるが、冷静に考えるとマズイ事態でもある。
目覚めたホムンクルスは生まれない予定だったのに出来てしまった。しかも作り方も殆ど分かってしまった。
これを王都にどう報告するか。
一撃でゾウフルを倒したあの娘は誰だと詮索されれば言い逃れる答えはない。何かうまい言い訳を考える必要がある。だがそのまえに――。
「ところで僕の服、リレリラが着てるんだけど、僕、裸で王都に行くのかな?」
「主任は裸が好きだとアキハが言ってましたので良いのではないでしょうか」
やめて! ホムンクルスの最初の記憶に僕が裸好きって刷り込むのは、これで二度目なんですけど!
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