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水浴び女子会

 流水と言っていたがそれは滝みたいなものだろうか、それとも池みたいなものだろうか? アキハは水浴びと聞いて想像を膨らませていた。

 なにせ全身泥だらけの傷だらけ、そして鼻が曲がる程の悪臭を放つ狂獣にもみくちゃにされ、シンシアナ兵にはコテンパン。

 体も気分も気持ち悪くて、そんな汚物を一刻も早く洗い流したかったのだ。


 二人を連れて木立の合間を抜け、街道警備兵に聞いた通りにに真っ直ぐ行くと、風の音に紛れて清水が溜りに注ぎ落ちる、ちょぼちょぼという音が聞こえてきた。音を目指して更に進むと木々は次第に薄くなり、ぼっかりと天が抜けた空間に出くわす。

 そこには高さ一セブ(三メートル)程の小人が作ったような滝があり、流水が玄武岩の黒い石組みに流れ込んで出来た青々しい泉ができていた。ちょろちょろと流れる清水がゆっくりとくぼみに溜まった天然の貯め池だ。

 くぼみの大きさは三セブ平方もない。周りは溢れた清水がひたひたと流れて濃緑に苔むし、葉陰に彩られてた天然の日本庭園のようになっている。


「うわぁ、きれい~」


 アキハは思わず黄色い声を上げた。

 透明度の高い池水が朝日を反射して輝いている。

 リレイラも初めて見る世界の美しさに目を細めている。あるいはただ眩しいだけかもしれないが、この光景にはさすがにまっさらな心でも感動を呼ばずにいられないだろう。

 そして、その後ろには、少しびっこを引いたライカが某家政婦のようにリレイラの後ろに隠れてこちらを覗き見ている。


「ここなら、水浴びできそうね」

 この景観を壊すのはちょっと惜しいが想像する水浴びの気持ちよさに、快楽の天秤は容易に目の保養から体の快楽に傾く。

 リレイラはアキハの感想に「はい、キレイな水ですので問題ありません」と実直な解釈を返す。こういう堅苦しい応対は生まれたばかりのホムンクルス特有の傾向なのだろう。普通このような対応をされれば訝しくも思うが、イチカで体験済のアキハはなんら違和感を覚えなかった。むしろ突然自分の前に現れたリレイラと余りに自然に話す自分の方に違和感があった。

 ラドの工場でずっと見てきたから、彼女と一緒にいることに慣れてしまったのだろう。

「うふふ、大概のことで驚かなくなっちゃったなぁ」

 ひとりごちる。


 そしてリレイラがイチカよりもはるかに多くの知識を持って生まれてきた事に不思議を覚える。

 ラドは行動が伴わないホムンクルスの知識は経験と一致しないので不自然だと言っていたが、リレイラはまるで見て体験したように物事を知っている。

 先刻からリレイラとライカがひっきりなしに話しているが、イチカの時より会話はスムーズだ。これはライカがガラス槽の外からいろいろ話しかけたおかげだろうか? 生まれた瞬間からリレイラはライカの事を母さんと呼んで非常になついているのだし。それともリレイラは特別なのか?


 そのリレイラが母であるライカに訥々と指示を出す。

「母さんも早く服を脱いでください」

 なんだろう、これではまるでリレイラの方が親ではないか。

「うー、母さんはいいや」

「なんで? ライカも水浴びしなよ」

 ついリレイラより早くツッコミを入れてしまう。ここまで来てこの子は何を言うのだろうか。

「母さんは汚染されています」

「そうよ、ラドじゃないけど病気になっちゃうよ。アンタ私より汚いじゃない」

 そう言って改めて自分の姿を水鏡に映してみると、汚いコゴネズミふみつけられて全身どろだらけ、髪はホコリを吸うだけ吸ってバサバサである。それはライカも同じで、そのうえ彼女は吐血で血みどろときている。

「う~、けどぉ」

 アキハは自分の穴だらけの服を脱ぐと、リレイラのローブを脱がせながらライカが着ている、冒険者用の厚手の麻編みの服の裾をつまんだ。服は血でカチカチになっており補強のための肘当てに使うなめし革と変わらない硬さになっている。

「服だってこんなだよ。それにお母さんがそんなんじゃ、リレイラのお手本にならないじゃない」

「わかったにゃ~」

 痛い所を突かれたライカが頭をかかえてイヤイヤと服を脱ぎ始める。それを認めたアキハは手を戻してリレイラのローブの結びを解いた。

「あ……」

 ローブをめくって気づいたが、ありえないことに中は下着一枚ではないか。そのことで、やっとこの子が突然現れたガラスの向こうの住人だったと実感するのだった。



 本当にいやいや服を脱いだライカは、そーっと池に近づき水に手をいれる。

「にゃ!!!」

 何に驚いたのか怯えた叫びをあげると、怪我人とは思えない瞬発力で池の水から手を引き、きゅっと丸くなる。

 その拍子に引っ掻いた水しぶきが目いっぱいアキハとリレイラにかかった。

「ちょっと、ライカ!」

「冷たいにゃ!」


 本当かと思い池に足をつけてみる。

「……気持ちいいじゃない」

 初夏の清水は驚くような冷たさではなく、むしろひんやりと心地よい。とは言えざぶりと入ると体がびっくりするので、片手で水をすくって体にかけながらゆっくりと池に浸かる。そして手を差し出してライカを招き入れる。

「ちゃんと手を繋いであげるから、ゆっくり入って」

「にゃ~」

 心底、嫌そうな顔をしてライカはそっと足を進めるる。その後押しをするのはリレイラ。


「母さん、同行します」

「リレイラは水、怖くないのか」

「問題ありません。母さんは怖いのですか?」

「怖いにゃ、溺れたら死ぬにゃ」

「あんたは、段ビラで撃たれて死なないんだから大丈夫よ」

「息を止めたら死ぬぞ!」

「もう、その時は私が助けてあげるから」

「絶対だぞ! 絶対だそ!!!」


 トラウマでもあるのあろうか。ここまで嫌がる子を面白半分に池に沈めるのだけは止めておこう。

 窮鼠猫を噛むと言う。そんないたずらでもしようものなら驚きのあまり子は裸で王都まで走り出しそうだ。

 ――あれ? ライカは猫だから窮猫人を噛むかしら。

 こんな事を考えるなんて自分もラドの悪い影響を受けたものだ。


 そーっと池に入るライカは、腹筋が六つに割れた褐色のしまった体をしていた。

 健康そうなライカの肢体をみていると、なんだか自分が恥ずかしく思える。ここ最近、そんなに食べているつもりはないのに、どんどん太っていくように思う。前は自分もライカのように腹筋が割れていて体も軽かったのに、今はお腹の周りや腕が心持ちふよっとしている。

 その腕を見ようとして腕を上げると、あちこちに切り傷がみえた。視線を落とすとふとももには大きな痣と擦り傷がある。気付かなかったが、おなかのあたりにもぷすりと刺された跡が。


 ――うぁ、あぶなっ。もう少し深かったら倒れてたかも。


 こういうのはじっと見ていると痛くなるものだ。痛みがじんわり増し始めたアキハは、急いで視線を二人に戻す。

 正面に立つライカの腕や足も傷だらけだ。右腕など皮膚が切り裂かれ、赤黒い傷口がイの字の形に開いている。これは傷が深い。

 その中でも左横っ腹にある大きな紫の痣が目を引く。シンシアナ兵の一撃が、いかに強力だったかが分かる。

 あれは遠目にもダメかと思う一撃だった。よくライカは生きていたものだ。


「あっ、そこ滑るわよ」

 そんな所ばかり見て、うっかり池底に苔が生えている事を言いそびれてしまった。

「うにゃ?」

 お約束にもライカは苔むした岩でツルッと滑り、脚を前に伸ばすだけ伸ばすと、どぶんと池に落ちる。


「ぎゃーーーー! 助けてぇー! 助けるにゃーーーーーー!」


 耐えていた何かがプツンと切れたのだろう。ライカは完全にパニックに陥った。

 パニックになった人に周囲の声は届かない。助けを求めてとにかく何かにすがろうと大暴れする。

「やめて! つかまないで! 私も転んじゃう」

 落ち着かせようと助けを差し伸べるアキハの手を自ら払い除け、しかしライカは両手をアキハの両足に絡めて何とか助かろうと縋る。

 暴れる猫に足を取られては、バランスなんか取れるものじゃない。ライカはどこぞの地縛霊かと思う執着で、アキハとリレイラを池底に引きずり込もうとする。

 アキハはそれを切っては立ち、また絡まれてはそれを断ち切り、自分も転びながらやっとのことで暴れるライカを立たせて落ち着かせた。



「はぁはぁはぁ……、もうライカ! 暴れすぎ!」

 池の深さは腿より少ししかない。よくそんな深くもない所であんなに暴れられたものだ。

 ライカは泣きそうな顔で耳もしんなりと清水をしたたらせて茫然と立ち尽くす。

 それを見たリレイラは、「母さん……」とぽつりと言葉を発した。

 生後一日目にして母親の大パニックを見たリレイラは何を思うただろうか。ライカもそれを心配してか惨めったらしい目でリレイラを見る。

 だがリレイラは優しかった。

 そっと手を出しライカの頭を撫でると「誰でも苦手はあるものさ」とラドと同じ口調でライカを慰めた。

「リレイラ……それは恥ずかしいにゃ」

 メンツ丸つぶれである。



 やっと落ち着いたライカにアキハは素朴な疑問をぶつける。

「そんなに水が嫌いなら、お風呂はどうしてたのよ」

「入らない」

「えっ入らないの、キタな!」

「水なんか入らなくても、ちゃんと拭けばキレイだぞ」

「そういうものかしら? でも今日はきれいにしなきゃだめよ。傷口だってまだ」

 そう言ってアキハはライカの右腕の大きな傷をそっと洗った。

 ――あれ? こんなに大きい傷なのに傷口がきれい。洗ったから綺麗になったのかな。

「この傷、一杯血が出たんじゃないの?」

「ん? 出たけど治ってきたぞ」

「うそ! 早すぎでしょ!」

「ライカ達はこんなもんだぞ」

 その答えはアキハにとって驚きだったが逆に納得でもあった。パーンは育つのも早いのだから傷が治るのが早くてもおかしくない。やっぱり人種が違うのだ。


 ライカがしっぽでリレイラに水をかける遊びを横目で見ながらアキハは思う。


 ――わたしもハブルだからラドとは違うのかもしれない。


 そう思うようになったのは、ホムンクルス工場で戦った時からだ。あの時の自分は自分じゃなかった。戦いに向かう高揚感と体が恐ろしく動く快感。そして切られているのに痛みを全く感じない異常な状態。それは昨日もそうだった。

 今はこんなに痛い体も、戦闘の最中は全く痛みを感じなかった。それどころかどんどん昂ぶって、コゴネズミの石槍がスローモーションに見えるほどだった。

 これがハブルの血。

 だが工場のときより体は大きくなっているのに弱くなっている気がする。前より体が重い。


 つらつらとそんなことを考えていると、ライカとリレイラが近くからじーっとこっちを見ていることに気づいた。

「どうしたの?」

「アキハ、おっぱい大きいな」

「な、なによ急に!」

「背はライカと変わらないのに、どうしてだ?」

「知らないわよ!」

「母さんも大きくなったら、ああなるのですか」

「母さんはもう大きいぞ。でもリレイラはなるかもしれないぞ」

 リレイラは自分の胸をみて、アキハの胸と見比べる。

「戦闘にはじゃまそうです」

「じゃまじゃないわよ!!!」


「……それに触ってみたいのですが」

「いやよ!」

「しかし自分にないものは好奇心が湧くのです」

「ライカもだ!」

 ちょっとなんなのこの二人。この変な好奇心、絶対ラドのせいだ!


 だが二人は断っても断っても手を伸ばしてくる。

 地縛霊リターン。右手を払えは左手が、ライカの手を払えばリレイラの手が。次から次へと執拗に迫ってくる。

 そしてフェイントをかけて繰り出されたライカの手がついにアキハの胸に。

「やん!」

「おお! なんだこれ!」

「やーめーてーーー」



 さて悪い事は重なるのがドラマだ。

「リレイラーーー!!!」

 そんな叫びが遠く林の向こうからこだましてくる。

「えっ! ちょっとラド!? 来ないでよ! あんた達もいいかげん離しなさいよ!」

「うんにゃ、もっちりしててやめられないのだ」

「母さん私も」

「何がわたしもよ!」

「アキハーーー! リレイラを水に入れちゃ――」

 遠くにあったラドの声がどんどん近づいてくる。


「ラド、来ないでって言ってるでしょ! やん!」

「どうだ? リレイラ」

「なんでしょう。手に吸い付く感触です。不思議です」

「ホントか? なら母さんももう一度」

「ちょっと、いい加減に、やめっ!」


「アキハ、ライカ、リレイラを洗っちゃダメだめなんだ!」

 なに、いつの間に! 声は間近だ!

「ちょっと、ほんとに来ないでよ!!!」

 そう言っているのに木立の隙間からぬっと顔が……。


「アキハ! リレイラを、あっ!」

「あ! じゃねぇー、このどすけべーーー! バカーーー!」

 アキハはその場にあった何かを掴んで思いっきり投げた。

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