宿場街パラケルス
街道をひたすら真っ直ぐ歩くと広々と続く乾いた平地の向こうに、ぽっかりと街明かりが浮かびあがってきた。
歩くほどに漆黒に映える明かりは大きくなり、遂に人々の喧騒が聞こえてくる。
街道のオアシス、宿場街パラケルスである。
パラケルスに着いたアキハは、記憶が曖昧なラドを思い丁寧に街を案内しながら自宅に向かう。
「そこのINNがラドのウチね」
サラリと言われてもピンとこない。
INNは木造二階建の大きめの建物で高床式になっている。入り口は両開き戸。窓にガラスはなく木の横連子窓になっている。入り口の手前には木板がぶら下がっており、木組で「ナナリーINN」の文字。文字はミミズがうねるような形でアルファベットでもひらがなでもないが、なぜかラドにはするりと読めた。
「ここは宿屋だよね」
「そ、ラドはおばさんと一緒に住んでるんだよ。二階の物置部屋にね。わたしちょっとおばさんに話してくるから」
アキハは子供らしく言いたいことだけを一方的に言うと、軽やかに階段を駆けあがり店明かりの中に消えて行く。
この軽さ。さっきまで襲われていたと思えないメンタリティだ。
カランと開いた扉から一瞬喧騒と明かりが漏れ、だが陽気の中を伺う間もなく戸は閉められる。
手持ち無沙汰になったラドは階段に腰かけてアキハの戻りを待つことにした。
パラケルスは街と呼ぶには田舎臭いが、暗くなってもどの店からも明かりが漏れており、それなりに栄えているのが分かった。
街並みを彩る建物はみな木造で二階建までしかない。屋根はテラコッタの切妻式。壁は下だけ柱を塗り残したグレーの漆喰で、そんな統一感のある商店が道沿いにみっしりと並んでいる。遠くは暗くて分からないが、この道沿いの商店はまだ続いているのだろう。
INNの横は生活雑貨や小物を売っている店だ。街道に張り出して露店を出している。露店の粗末な屋根には明かりを灯したランタンがぶら下がっている。色味を僅かに変えながら柔らかい明かりを発するこれは魔法の明かりなのだろう。
ラドは中央のすり減ったINNの階段から立ち上がり値札を見にいく。サラリーマンの悲しい習慣だが市場の相場感を知らないと不安でしょうがない。
木製のスプーンが三ロクタンとある。すらすらと単位が読めたのは驚きだが、それが高いのか安いのかは分からない。ただ金属製のナイフは四百五十ロクタンもする。この世界では金属製品は高いらしい。
その隣の露店では食べ物を売っている。黒くてゴロッとしているのは根菜かイモだろう。五ロクタンとある。まだ寒い季節だ、葉物野菜は殆どない。
「なんだいラド。欲しいのはノリイモかい? それともヒゲ根かい?」
野菜を売っているとは思えないどっぷりとした婦人が、体格の割にかわいらしい声で話しかけてきた。
「ごめんなさい、見ているだけですから」
急に声をかけられてびっくりして逃げるように答える。
「なんだい、ずいぶん他人行儀だね」
怪訝そうに言われてハッとした。INNの横なのだからこの婦人はお隣さんなのだ。という事は顔見知り。よそよそしいのは怪しまれる。
「えーっと、あのぉ、その……」
「なんか変ねぇ。またアキハちゃんに負けたのかい? それとも喧嘩でもして、ひっぱたかれたかい?」
わふわふと体を揺らして哄笑する隣人。何と答えたらよいのか。情報が少なすぎて選択肢も出ない。
「喧嘩ではなくて、僕達はその~ちょっと街の外にある――」
話が続かないラドの曖昧な回答を止めたのは、いつの間にか戻ってきたアキハ。
「失礼ね喧嘩なんかしないわよ! それよりラド、なんでいつもの所で待ってないの! 探しちゃったじゃない」
いつもの所と言われてラドは首をひねる。記憶がないと言ってるのだから、そこに居ないに決まっているだろう。だが当のアキハは全く気づいておらず、本気で不満を漏らしているようだった。
忘れてるのはあんたの方でしょうが、なのになんで僕が――と言おうとして思いとどまる。どうやらアキハはそういう子らしい。しっかり者の秋葉のつもりで話すと色々ズレる。
そう理解してラドは軽くため息をつき話を戻す。
「それでお母さんはなんだって?」
「今日は忙しいから宜しくだって。王都から団体様がきてるから、その方がありがたいんだって」
手を広げて呆れるアキハの言葉を聞いて、隣人は平置きの陳列台から身を乗り出してきてニヤリ。
「ああ、それでかい。魔法士の団体さんに母さんを取られて拗ねて出てきたんだね、可愛らしくお母さんだなんて」
拗ねて? どうやらこの世界の自分はそういうキャラらしい。アキハに比べてずいぶん弱弱しいメンタリティのようだ。
納得するしかないラドは無表情に隣人の推察を受け止めた。からかわれているのは分かるが自分を知らないのだから、そういう自分なのだと認めるしかない。一方、隣人はこりゃ意外といった顔をした。
流れる沈黙。
その意味に気づいたアキハがパッと目を見開き、「あっ!」と声をあげる。そして、そっとラドに耳打ち。
「ごめん、そーいうのも覚えてないんだっけ? ラドはいつも、お母さんなんて言わないんだ。母さんって呼んでるから」
「そうなんだ。それで甘えん坊扱いされたんだね」
「ううん、甘えん坊はその通りなんだけど。人混みじゃおばさんの後ろに隠れてスカート掴んで歩いてるし。ちょっとからかわれたらすぐ泣いちゃうし」
自分事か他人事か微妙な立場であるがさすがにそれはキツイ。こんな小さな子に恥ずかしい事を言われてラドの頬は軽くヒクついた。
アキハは親方と仕事と言っていたとおり、この世界の十歳はもう働いて家計を助ける年齢らしい。そんな世界で母親の裾を掴んで歩いているのは、かなり幼稚だろう。
「ちょっと大人になったほうがいいよ、ラド」
お姉さんぶったわけではないイントネーションが逆に痛い。
「ハイ……ご忠告痛み入ります。以後、気をつけます」
実年齢三十一歳としては受け入れがたい現実だよ。
アキハの家は街道を大きく外れたパラケルスの外縁にあった。宿場街は街道に沿って栄えるため、道から離れるほど寂しく貧しくなる。例外は豪農だがアキハの家は明らかにそれとは違った。
廃材で作ったような平屋のほったて小屋に、気休め程度の扉がついている。
アキハはそのノブを、そっと引く。
ツリーハウスのような隙間だらけな粗末な天井には電気はなく明かりはランタン。部屋には前の世界とは明らかに違う調度品が一杯ある。
テーブルや椅子は武骨な木製だが、部屋のどこを見回してもプラスチックやガラス製品はなかった。筆記用具に至ってはペン先に獣の歯を使った獣歯牙ペンだ。
前の世界に換算すると、文明レベルはせいぜい中世といったところだろう。
そんな貧相な家の役割など、飯か寝るくらいしかない。
アキハは家に入ると、ただいまも言わずスタスタと奥の部屋に向かい、決められた所作のように毛布を広げる。
「寝よ、ラド」
「えっ! いま?」
「そーだよ、寒いし帰ったら寝るしかないじゃない」
「でも、毛布一つしかないけど」
「一緒に寝るんだよ」
「一緒に!? いやでも男女七歳にして席を同じにせずと言いましょうか、さすがにしとどをともにするのは」
「なにわかんない事、言ってるの? いつもそうしてるじゃない」
何に狼狽えるのか分からないアキハは首を傾げてふむっと口をへの字に結んだが、次の瞬間には毛布の縁をわっと持ち上げて、「いいから寝るの!」とラドを自分ごと毛布に巻き込んだ。
「あわわわわ、だから僕はっ」
言ってもせんないが、アキハはまたラドの記憶の所在を忘れているのだ。
アキハの重さがのしかかり、ラドはそれから逃れるように毛布から顔を出す。
するとアキハも毛布の隙間からひょっこり顔を覗かせて、いじらしくも「ラドは私と寝るのいや?」と聞いた。
嫌? そんなことはない。何も分らない子供の自分を守ってくれたのだから。
ラドは思った以上に柔らかい毛布を引き寄せ、アキハに身を寄せることで答えた。
アキハからは、なぜだか秋葉と同じいい香りがした。
横になっても眠れないラドとアキハは、一つの毛布にくるまり、丸くなって色々な話をした。
アキハに父親がいないこと、母親は農奴でラドの母はアキハの母の姉であること。
そしてラドは拾われた子で、アキハの母の姉がINNで働いているときに拾ったこと。
アキハはそれを普通の事にように淡々と話したが、それはアキハが冷血だからではないことは直ぐに分かった。この世界では普通の事なのだ。
だが分かったからといって万事納得な訳ではない。まだ夢の可能性はあるが、もし夢でなければ、自分はこの過酷な環境で生きていかなければならない事になる。そう考えるとこの条件は厳し過ぎると思えた。そのうえ、ここでの生活の記憶がない。いくら隣にアキハが居るとはいえ人間関係すらぶった切られたゼロスタートだ。
外から獣の遠吠えが聞こえる頃になると、いい加減アキハも疲れたのだろう。話が的を射なくなり、時よりカクンと舟を漕ぎ始める。
「ありがとう。ねぇアキハ、僕は本当に色々忘れちゃったみないなんだ。だから僕がここで生きていけるように色々教えて欲しいんだ。僕の横にいて」
夢うつつのアキハは毛布を手繰って肩を寄せると、眠そうな目に瓦灯を映し、しっとり「うん」と微笑んだ。
触れる肩から無防備な暖かさが伝わり、意図してか分からないがアキハの手がするりとラドの手に重なる。
「大丈夫……だよ」
『大丈夫』か……秋葉の口ぐせだ。
そんな女の子のやわらかさに赤面しつつも、守られている安堵がじんわり心にしみてきた。
長かった一日が終わろうとしている。隣からは小さな鼻の寝息がスースーと聞こえてくる。
一人となったラドは、昼間にちりぢりになった自分が己の体に舞い戻ってくるのを感じていた。そして冷静な思考が研ぎ澄まされていく。
事情は複雑だが、ここでの生き方は教えてもらえばなんとかなる。分からない事はアキハに聞けばいい。ほんの小さな子だが頼りになる。まぁいい大人が何十歳も離れている子を頼りにするのはどうかと思うが。それに十歳の人間関係なんてたかが知れているゼロスタートでも問題には――そこまで考えてふと思考が逆戻った。
ちょっと待てよ。ここにいる自分は十歳だ。でも自分には三十一年の記憶がある。と言うことは二十年遡って生き直しができるってことじゃないか!? しかも剣と魔法の世界で!
え、ええ!?
まてまて!
夢かも知れないけど、ちょっとまて!
さっきまでココでやっていけるか不安が勝っていたが、この可能性に気づいてから急に全てが輝いて見えてきた。
未来は決まっていない。
人生は変えられる。
努力次第で自分は何者にでもなれる。
そう考えると拾われて片親しかいない状況すらも、束縛がない自由な条件に思える。
新しい世界。
新しい人生。
これが楽しみでなくてなんなんだ!
考え出すと、もうドキドキが止まらなかった。
獣油ランプの明かりに映る一つ一つの調度品が異世界の物珍しさをアピールしている。草で編んだ壺のような服籠、何に使うか分らない天井からぶら下がった捻れた棒。床に転がる竹のコップ。そのどれもが見たこともない無い形をしており、ここで生きるために使われているモノなのだと実感を伴って理解できる。
そしてローブの魔法騎士。
こんな緻密な設定は夢ではありえない。ここはリアルなのだ。確かに異世界なんだ!
そして夢にまでみた、剣と魔法の世界なんだ!
なら、やることは一つしかない!
「僕は騎士になる! 僕を助けてくれた魔法騎士みたいな、めっちゃかっこいい魔法騎士に! やったるで、ほげっ」
慣れない関西弁で高らかに宣言すると同時にアキハの足が飛んできて見事に顎にヒットした。
あまりにツッコミのタイミングいいんだけど、実は起きてね? アキハさん。
誤植訂正