街道を行く
六月にしては汗ばむ陽気に空を見上げたラドは、気の早い夏の使者が描いた油彩画に目を細める。
眩しい朝日がまだ薄緑色の空のキャンバスに様々な色を与えている。朝焼けを抱いたほうき雲の赤、地平線を隈取る金、明け切らぬ天頂の藍。
まだ日の出も早いというのにホムンクルス工場は騒がしい。
「じゃ工場を頼んだよ」
「おまかせ下さい」
「じゃ行ってくるぞ」
「イチカこそ、独りなんだから気をつけるのよ」
「ありがとうございます、アキハ。みなさんお気をつけて」
そんな涼やかな声に見送られて、三人は旅路につく。
ホムンクルスを六体も載せるのだ。馬車は大型の三頭立て。
背の低い木製の屋根付き荷台には、横に並べたガラスの器がみっちり詰まっている。ガラス容器のサイズは四スブ(百二十センチメートル)くらいだが、それでも六個も詰めると一杯一杯で人が乗るスペースは全く無く、ラドとアキハそしてライカは荷台の後ろを歩くことになる。
エルカドには高いお金を払って護衛を二人もつけてもらった。
御者も入れると三人を雇うことになる。往復二十日超えの旅程で三人雇うと……、エルカドが笑顔で手持ち黒板に書いた金額を見てラドは目玉が飛び出た。
「専用便だとこれでもギリギリだ。混載便がいかに安いか分かるだろ。公証荷屋なんて言ってるが結構キビシイの商売なんだぜ」
確かにごもっともである。そりゃ魔法の使える人を雇って護衛の費用を浮かせたいのも理解できる。
だが、そんなに物騒な旅なら運搬費用は王都が持ってくれればいいのに。着いたら絶対魔法局に抗議してやる。
「いい天気ね。絶好の旅日和じゃない」
そんな裏事情を知らないアキハは初めての旅行にご機嫌だ。
「アキハは呑気だねぇ」
「うーん、お日様、気持ちいい~。ねぇラド、手繋いじゃおうか」
「な、なんで!!!」
「そんなに驚かないでよ。ピクニックみたいだなって思っただけなんだから」
なんでそんなに驚くのかと目を瞬かせたアキハは、まぁいいかと気持ちと相手を切り替える。このステキな気分を分かち合いたい。そんな思いを溢れさせて。
「じゃライカ、お歌を歌いなが行きましょうよ」
「♪緑の風に吹かれて~、あなたの声を、どうか私に~」
「ねぇ、ライカも一緒に歌ってよ」
歌になど全く興味がないライカはうわの空。代わりにぐ~とお腹をならす。
「歌よりライカは、お腹がすいたぞ」
「僕はお腹は空いてないけど疲れたよ」
「もう、早すぎでしょ! まったくあなた達ときたら!」
なーんて平和なやりとりは、道端の木陰で休む昼下がりの昼食時には過去のものになっていた。
「――を置いてけって、セリフ、もう聞き飽きたわ!」
そうアキハが怒って言うのも無理はない。初日の午前の旅程だけで、もう四回も襲撃に合っている。そして旅の仲間に女がいると決まってこんなセリフを言うのだ。
「女を置いて行け」と。
「確かに私が美人なのは分かるわよ。スタイルも抜群だし。だからってみんな同じこと言う?」
『は? いまなんて言った?』と、あわや心の声が出そうになった。
「もういい加減にしてってカンジ」
いい加減にして欲しいのはコッチだ。まぁ確かにアキハは子供のころからクリクリっとした目元でめんこい感じであった。それが大きくなって一段と磨きがかかったと思う。
髪を伸ばし始めた頃から気づいていたのだが、アキハは母親似で美人だ。そして親方のところで鍛えられているだけあって体の均整もとれている。
だが、それを自分で言うか!? しかも抜群などと最上級で。
「アキハ、そういうのは自分で言わない方がいいと思うけど」
「なんでよ」
なんでとキタかー!
ラドは今日の襲撃を思い出して、アキハの印象を訂正する事にする。すっかりやんちゃも抜けてなんて思っていたが……こいつ猫かぶってやがった!
一回目の襲撃、「げへへ、女を置いてけ」と言われて、「きゃっ野盗。こわい」
二回目の襲撃、「女がいるじゃねぇか~置いてきやがれ」と言われて、「置かれてたまるもんですか」
三回目の襲撃、「お、女か! てめーら女を置いてけ」と言われて、「アンアらいい加減にしなさいよ!」
四回目の襲撃、「ヒャッハー、オンナだ! オン――」の段階でアキハは続きを言わせる前に「はーっ!」と掛け声を発して斬り込んでいた。だがその向こうで「あー! わたしの雲切丸がーーー!」と奇声が聞こえたのだが。
どうやら自慢の剣が折れたらしい。
「狙わるような美人は、自分で剣を打ってあまつさえ自ら戦いに行って、いきなり剣を折ったりしないんだよ」
「だって相手の剣の方が太かったんだもんっ!」
こんな事をしていちゃ、いくら歩いたって王都に着かない。結局ラド達は襲撃の対応で目的の距離の半分も届かず夜を迎えてしまった。
しかたなく大きな石を背にして陣をはり、暗くなる前に野宿に入る。
火をおこして地面をならし一晩の寝床をとなるスペースを作ったら晩御飯の用意だ。
「ちょっと何なの。ぜんぜん街道警備がいないじゃない!」
武器が壊れたからか、四度も襲われたからか、アキハは焚き火に車座に座るなり晩御飯の準備をする御者と護衛に愚痴り出す。
「ここ最近はこんな状態でさ。なんでも兵士が少なくて街道警備には回せねぇとかでして。ウチもそれで魔法が得意なやつらを集めてるんですが、へぇ」
高い金で雇われた御者の男がおっとり答える。おっとりしているがこの御者、魔法の腕はなかなかだ。
エルカドが自衛のための魔法と言っていたが、外の世界では野盗から自分と荷物を守る力が必要なのだ。パルケルスの治安も良くないが街の外はもっとヒドイと今更気づく。
「どこからくるのよ、この野盗達」
「シンシアナの残党が殆どですが、ガウベルーアの者もいます。戦役を生き延びたやつらでしょう。いい年をした老兵か負傷兵の風体ですから」
護衛の一人、カルピオーネさんが、よく響く渋い声で答える。
「ここいらなら半獣人も出るぜ。この先に森があるからな」
もう一人の護衛、ピエントさんが親指であちらを差して補足する。ちなみに折れたもう一つの指はライカを示している。それを目ざとく見つけたライカ。
「半獣人じゃない、パーンだぞ」
「パーン?」
「ああ、すみません。僕らの言葉です。半獣人なんて差別的な呼び方じゃなくて僕らはライカのような種族を敬意を込めてパーンと呼んでいます」
「へぇー、呼び方を変えたって何も変わらんだろ」
「そんなことないぞ!」
食ってかかるライカの裾を掴んで止めると、ライカは「しゅにん~」と言いたそうな顔をラドに差し向けた。
健気にも我慢している様子。
「まぁ、ライカ落ち着いて。これから変わっていくんだ。最初はこういうものなんだよ」
「でも、その子は強いですわ。接近戦にもつれ込んだら頼りになりまさ。魔法は近距離攻撃には弱いですから」
御者の言葉に今度は猫耳を立てて急に上機嫌だ。
「だが、大丈夫なんだろうな。狂乱したりは困るぜ」
ピエントが不安を口にするとライカの機嫌は急降下、ぶすっとふくれる。
「ライカはそんなこと、しないぞ!」
「やはり皆さん気になりますよね。でも狂乱について全く心配はいりません。原因も抑制方法も完全に分っていますから」
「そうなのですか?」
「ええ。僕の工場ではパーンを雇っているのですが、この一年間なんの騒ぎも起ってません。というかパラケルスでも最近騒ぎはないんじゃないですか」
「へぇ、確かにここ一年はそんな物騒な話はとんと聞きやせんなぁ」
「そうにゃ!」
集落の仲間に宣言した通り、パーンの人権を何とか高めたいラド達は、まず狂乱しない、人を襲わないことを第一歩にした。狂乱はパーンにとってはただの繁殖行動だが人にとっては違う。
だからといってパーンの性欲を抑えればいいという話ではない。
なんのことはない、パーンの集落内で盛り上がればいいのだ。それはパーンにとってはちょっとした我慢らしいが共存のためには必要な我慢だ。
パーンの友人曰く、狂乱中は何ともヒトが魅力的に見えるのだそうだ。気の毒に思うがこればかりは仕方ない。
「なら安心だ。明日もたのむぜ。猫ちゃん」
「猫ちゃんじゃないぞ! ライカだっ!」
ピエントは笑いながら干し芋と草の根を溶いた温かいスープにほっこりと緩んでいるが、明日もどれだけ野党にあうものか。まさか、これほど街の外は荒れているとは思わなかった。
思った以上に王国の経済は悪いのか、安全保障が脅かされているのか……。
せっかく生まれ変わっても平和は遠い。
誤字報告ありがとうございます。