手紙
○月○日
僕におりた突然の辞令からもう一年だ。
あれから色々あったが、予想に反してカレス・ルドールの来訪はその後なく、ホムンクルスの生産は順調に推移している。
母、アラッシオとはやっと本当の家族になれたと思う。でも母が近しく感じられるほどに、こんな工場で働きパーンを雇う自分が母にとって迷惑なのではないかと思うようになった。
ウィリスが忽然と消えたことで、街では『アラッシオの拾った子がウィリスを殺した』と噂が流れている。
毎日イチカを家に連れてくるのも不自然すぎる。
もう母に甘えるのは限界だ。
○月○日
今日から所帯持ちだ。工場の近くの空き家を借り受けてイチカとライカと住む。
家族を持つなんて前の世界でも未経験だし自分でもまさかの決断だ。
結婚もしていないし、この世界でも早すぎる独り立ちだが、僕と母にとって必要な巣立ちだと思う。
それが本当に良かったのかは、まだ分からないけど。
○月○日
ライカの妹、ちぃち達はおどろく早さで大きくなり、マイカとエイラは今日から僕と一緒にホムンクルス工場で働くようになった。
一年前はやんちゃで手がつけられなかったマイカが人並みに聞き分けよく働いている。
ライカは「仕事が雑で困ったやつにゃ」と緩んだ顔で言うが、それはどの口が言うのだろうか。だがそういう所が姉妹で似ていてかわいい。
三女ノイラは知らぬ間にパーンの集落の誰かと結ばれて、何処かへ行ってしまったそうだ。
獣化度の高いパーンではよくあることだそうで、ライカもマイカも気にしてない。
○月○日
今日、アキハの笑顔が随分、僕の上にあること気づいて驚いた。
考えてみればアキハは僕より早い生まれで先に十四歳になっている。家系的に大きいのかアキハの身長は五十五シブ(百六十五センチメートル)を超えており、ガウベルーアの大人の女性よりだいぶ大きい。
性格も随分落ち着いて、出会った頃のようなやんちゃはすっかりナリを潜めてしまった。そして時々いっぱしの大人の女の顔をする。
思い出すと前の世界でも女の子は、ある日突然大人になる。秋葉が急に化粧をして目の前に現れたときは、別人かと思いびっくりしたものだ。
そして何だか僅かにズレた距離感がほんの少し切なく思える。別にアキハが嫌いになったんじゃない。ただ僕はまだ背も小さいし、せめてアキハといるときは子供の時みたいに自分らしくバカをやりたいのに、それが出来なくなっていくのが寂しいのだ。
まるでアキハは皆のお姉さんになってしまったようだ。
初夏の涼風がカーテンを揺らし、書きたての日記のページをハラハラとめくる。若葉の香りが舞い込み、差し込む日差しが早くも肌を刺す昼前の静かな工場長執務室。
「ラド、エルカドさんから書簡を預かりました」
革靴の踵をならして執務室に入ってきたイチカの落ち着いた涼しい声が響く。
「どこからだい」
「わかりません。封蝋がいつものと違います」
「どれどれ見せて。随分いい紙だけど」
ラドが細い指から手渡されたズレ四つ折り封書の封蝋を切ると、パリっと乾いたいい音が部屋に響いた。
この音は厚手の紙を使っているから出る音だ。かつてこのような上質紙の封書は届いた事はなかった。
イチカは手紙を読み進めるラドの表情を神妙に見守っている。
いい事が書いているか悪いことか書いているかは顔を見ればすぐ分かる。ラドはそういうのを隠すタイプではない。
「あまり良いことは書いてなかったのですね」
「ああ、王立魔法局からだ」
「直々ですか?」
「僕を名指しだよ。今すぐ目覚めたホムンクルスを王都まで持って来いだって」
「カレス・ルドールですか?」
イチカの顔が曇る。ホムンクルスの情報はカレス・ルドールからどこに流れたかは分からない。だが少なくともこの一年、カレスから目覚めたホムンクルスに関する要請はなかった。それがなぜ今頃になって。
「いや、彼の名前は手紙にはないね。かわりに魔法局からの製造指示になっているよ」
「なぜ魔法局なんですか?」
「分からない。ここはアンスカーリの工場だけど魔法局は関係ないはずだ」
そうは言ったが、ラドにはホムンクルスと魔法が密接に関係している気がしてならなかった。
イチカの魔法は人のそれを超えるものがある。最初にイチカが魔法を放った時の衝撃は忘れられない。初めての魔法なのにラドが森で会った魔法騎士に匹敵する威力の魔法をイチカは放った。そんなことはホムンクルスにしか出来ない。
春風を受けてイチカの黒いローブ服がゆるやかに遊ぶ。祈りの形に手を組み不安げにラドを見るイチカが所在なくそこに在る。
「どうするのですか」
「うーん、これは断れないね。無視したら僕はたぶんココにはいれないよ。そしたら皆が路頭に迷ってしまうし」
「そうですね」
「まぁいい機会だ。僕が行って説明してくるよ。いろいろ確認したいこともあるし」
「一人で行くんですか?」
そうイチカに言われて考える。
この街から王都までの路程は、大人の足で七日はかかる。馬なら楽だが自分の身長では乗れない。馬車はあるが荷物の運搬用で人が乗るものは貴族用だ。
子供の足で十日はかかるだろう旅を一人でいくのか? その間の護身はどうする。だいたい宿場町から宿場町は大人の足で一日十時間歩く距離なので子供なら野宿が必要だ。
「街道では最近、狂獣が出るらしいですよ」
狂獣とは遙か東の森に住むと言われる人を襲う獣。野生の動物など比にもならない凶暴な生き物だ。一説にはパーンが狂って狂獣になり森で増えたのだと言われている。
その狂獣が最近、街道あたりを徘徊しているらしい。
「ならライカと行こうかな……」
「私もお供します。もしもの時は魔法でラドを守れます」
「いや、イチカには危ないよ。それにこの工場を任せたいと思っているし」
イチカの表情が曇る。
「そうですか。確かに工場は誰が操業するのかという問題もありますが」
「ちょっとライカを警備室から呼んできてくれないかい」
「はい……」
イチカは少し肩を落として踵を返す。すり減ってテラテラに光った床が、イチカの革靴をぼんやり写して戸口に向かって影を残していく。
ライカは今、工場の警備班長をしている。人には誰しも強みがあるもので、ライカの正義感と統率力には目を見張るものがあった。暴れ者の妹を三人も面倒をみた経験なのか、言うときはビシッと言えるし、何かあったときの状況判断は早い。なにより強いのがよい。ただ、ちょっと子供すぎるのだが。
「――というわけで、ライカに護衛してもらいながら王都に行くんだ」
「王都? どんなところだ?」
ライカがきょんと耳を立てて興味を示す。表情以上にパーンの耳は物語る。その意味でも実にわかりやすい子だ。
「ここなんかよりずっと立派な街だよ。僕も行ったことはないけど」
「うーん、いいけど。リレイラと離れるのはいやだなぁ」
よほど不安があるのか、ライカの耳はへにゃりと垂れる。
「それはマイカに任せていきなよ」
「マイカは乱暴で不安にゃ」
じゃお前はどうなんだと思うが、本人は至って真顔だ。自覚がないとは怖いものである。
「うーん、それになぁ……でもなぁ」
ライカはよほど気になる事があるらしく、珍しく眉にシワを寄せてうんうん唸る。
「なにか気になることがあるのかい」
そう聞くとライカは思いもよらないことを平然と言った。
「うーん、母さんになれないにゃ」
「母さん?」
だが言われて思考を巡らせると、確かにそんなことを以前言ったと思い出す。
リレイラはもう大分大きい。イチカが目覚めたときと同じくらいの大きさまで育っている。だからもし目覚めるならそろそろだと先日ライカに教えたのだ。
だが、ついでの蘊蓄でインプリティングを教えたのがよくなかった。
『鳥の子供は、目覚めて最初に見た動くものを親だと思うんだよ』
『おお、そうなのか!』
そう目を丸くしてライカは感動していたが、まさか鵜呑みにするとは。
「だって、ずっとリレイラのこと可愛がってきたのに、目覚めの瞬間に立ち会えなかったら、母さんじゃなくなっちゃうだろ」
それは鳥の子の話だ。知能の高い人の子にはインプリンティングはない。その証拠に人の赤子は正しく母親を見分ける。そうでなければ産婆が全員の母になってしまう。
「大丈夫……だと思うよ。知能が高い赤ちゃんにはインプリンティングはないんだ。ホムンクルスは賢いし」
と、ちょっと自信なさげな言い方だったのが良くなかった。
「しゅにん! 言いよどんだ! ウソかもしれないにゃ」
「ウソじゃないよ!」
――むむ、このかすかな迷いを見破るとは、ライカも大人になったものだ。
だが、そんなライカもイチカにラドの旅のお供を懇願されて、「分かった一緒に行くにゃ~」としぶしぶ承諾するのだった。
まったく、変なことは言えないものである。
その夜、どこで聞きつけたかアキハがラドの家に飛び込んできた。扉を開けるなり、「なんで私に相談してくれないのよ!」と、すごい剣幕で声を張り上げる。
その頃、ラド達はちゃぶ台を囲んで家族団らんの夕食中。
ライカがフーフーいいながらやっとの思いで冷ました『イチカ特製アツアツスープ』に、ちょうど口をつけたところだった。
そんなところにアキハが扉も爆ぜる勢いで現れたものだから、さしものライカも驚いて口に含んだスープを吹きだす始末。
一方、ラドは落ち着いたものだ。このおせっかい姉さんは何かあるとこんな具合にラドの家に飛び込んでくる。もう慣れたものだ。
「何の事?」
半ば呆れて対応すると、「王都に行くんでしょ。ラドはいっつも私に相談してくれないんだから」と食い下がってくる。
「だって出張みたいなものだし、すぐ帰ってくるんだから」
「ラドが行くなら私も行く。だって心配なの」
「大丈夫だよ、王都の街道警備だっているんだよ。それにアキハ、親方の仕事はどうするんだよ」
あえてアキハの方は見ないで、スンと澄ましてスープをすすりながら言う。真剣に取り合うとイロイロ面倒だから。
「ううん、ちょうどいいの。親方ったらガラス製造でお金が儲かったから王都に工房を出したいんだって。その下見もしなきゃだから」
ホントかよ。そんな都合のいい話なんてと思いアキハの目を見る。だが先にアキハの大きな瞳がラドをじっと見ていた。その圧力に負けて、ラドは事の真偽は問うこともできず、「ウン」と言ってしまう。
何とも情けないが目は口ほどにモノを言う。特にラドとアキハの関係では。
「うっ、まぁ用事があるならいいけど。ついて来るんなら、ちゃんと武装してよ」
「まかせて! 私を誰だと思ってるの。マッキオ工房のアキハよ。武器を作るのが仕事なんだから」
「そうだけど、ちゃんと作れるの?」
「失礼しちゃうわね。親方の一番弟子よ」
「弟子、一人しかいないけど」
「一人でも一番弟子でしょ! 装飾剣なら何本も刀身を打ってるんだから。ねぇいつ行くの? それまでに仕上げちゃう」
そうワクワクしながらアキハが腕を絡ませてすりよってくる。それをラドは座りながらお尻をずらせて避ける。
「なんで逃げるのよ」
「いや、なんでも……。出発はあまり魔法局を待たせられないから三日後だ。二週間後には着きたいからね」
「そう。意外に早いわね。じゃすぐ準備しなきゃ」
アキハは要件を言いたいだけ言うと、じゃあ夜も遅いからとあっさりと帰っていく。「明日またくるからね」と帰りしなに睨みを効かせて。
苦笑いに手を振って送り出すラド。
「はぁ~」
――最近のアキハはダメだ。あいつは自分がもう大人だと分かってない。
それはきっと自分の見た目がずっと十歳の頃から変わってないからだ。アキハからみたら自分はずっと子供だから、あいつは無防備に自分に接してくる。自分だってアキハと同じ、もう十四になろうとしている。それを「ラド-!」とか言って抱き着いてくる奴があるか。
いやもう三十五歳か? どっちが正しいんだ?
そう悶々と考えていると、「どうしましたか? お疲れのようですが」とイチカが様子伺いに聞いてきた。
「いや何でもない」
「しゅにんは、アキハが好きなんだよな」
しれっと言うライカが横目でニヤリ。
――このおしゃべり猫が!
すかさず手元にあった木椀をライカに投げつけてやる。
「いたっ! なにするにゃ! しゅにん」
「ご飯は静かに食べなさい」
「お椀、投げる方がダメにゃ!」
書簡では目覚めたホムンクルスを持ってこいと書いてあった。だが、そんなものは出来てないことになっているので、とりあえずそれっぽいホムンクルスを六体ほど連れて行くことにする。
運搬にはエルカドの公証荷屋を使う。エルカドの所を使う理由はエルカドの荷屋にはガラス製品を運ぶスキルがあるから。ガラスは弱いので慎重に運ぶ必要がある――というのは建前で、実は交換条件でトロナをもらっているからだ。
こういう持ちつ持たれつも、サラリーマンスキルってやつですね。
旅支度も必要だ。
野宿をしなければならないので、ヒューゴ先生に相談して必要な冒険道具を購入する。
背嚢にロープ、干し芋、塩、火打ち石、縫製針に糸、簡易ナベ、竹の水筒に薬草。手拭いに軽毛布、そして厚めのフードつきのローブ。
「ラド君、護身と狩りのために短剣と弓を持った方いい」
「弓ですか?」
「わたしの所で習ったろう。ラド君は案外うまかったじゃないか」
「ええ、苦手ではなかったですが、街道を歩くのにそこまでの武装はいらないでしょう」
「いや過剰なくらいがいい。狂獣もいるが野盗もいる。街道はそこまで安全ではないよ」
「先生がそうおっしゃるなら」
そう言われて、旅の道具を三人分用意して持って帰ると、ライカは道具をみてテンションマックスだ。
「にゃー! かっこいいにゃー! でも弓はいらないにゃ」
「せっかく買ったのに?」
「ライカは接近戦がすきにゃ」
「アキハは?」
「わたしも弓はいらないわ」
「なんで?」
「接近戦が好き」
おまえら時々そっくりだなと呆れつつも買ってしまったものだからと、馬車には積んで置くことにする。
あとは、運びを出すホムンクルスの選定だ。
「イチカ、六体の選別は済んだかい?」
「はい、リストアップしました。当日エルカドさんの馬車が来たら引き渡します」
イチカからリストを受取り内容を確認する。
「うん、性別も年齢もバラバラでいい選別だ」
「ありがとうございます。ではリストは当日まで私の執務室で預かっておきます」
そうして、旅の準備は全て終わる。
明日から長旅だ。未知への期待と漠然とした不安。何かが動き出す予感を胸にそれぞれは眠りにつく。
だがその夜、物音すら立てずにイチカの執務室に忍び込む影に気づく者は誰もいなかった。