火種
ほどなくして王都からアンスカーリの使いという貴族が、事前連絡も無しにホムンクルス工場に来訪してきた。
「キミがラドくんだね」
執務室のノックとともにやってきた彼は、青年の青臭さを残す二十歳くらいの男だった。線の細いひ弱な印象だが、えらく人懐っこい顔でドアの横に姿勢よく立つ。
ラドはこの世界に来て貴族という者を見たことが無かったが、濃緑のフロックコートを羽織った美しい身なりと、やけに整った髪型をみて、この人は位の高い人だと察することができた。
とっさに座っていた椅子から立ち上がり跪いてその場にかしずく。それを見て同じく仕事に勤しんでいたイチカも席を立ち、ラドの一歩後ろに控えて片膝をついた。
「いかにも、自分がラドです」
頭を垂れて恭しく言葉を発する。
「ほほう、年の割にはしっかりしているようですね」
いきなりマウントポジション!
話し始めると鼻にかかった下卑たしゃべり方でどうにも人を小馬鹿にした風があり、そのせいか威厳と気品に大いに問題を感じる。
本心では頭を下げたくない! だがそこはサラリーマン経験者。
大人の対応、大人の対応……。
「お褒めにあずかり光栄です」
「最敬礼をどこで覚えたのですか」
「体が自然に動いたまでです。田舎者ゆえ礼儀などわきまえておりませんが、無礼でなかったことに安心しております」
この世界の礼儀を知っていたわけではないが、どこの世界も膝を折って下に構えれば敬意を表すらしい。
「ウィリスが教えたとは思いませんが、礼節をわきまえた子は好きです。子供は素直が一番」
いちいち腹立たしいわー、コイツ。
「ウィリス工場長をご存知なのですか」
「告発の書簡は受け取りました。まったく困った人です。愚行のツケは我々が払わなくてはなりません。ラドくんにもご協力いただきます」
来訪者はちらりと細めた目を下に向けてラドを見下ろす。
書簡とはラドがカレス・ルドール宛に書いたものだ。ならば目の前にいるのは、カレス・ルドールその人であろう。
イチカ誘拐事件の後、ラドはウィリスの執務室を片っ端から調べた。
するとカレス・ルドールという人物からの書簡が大量に見つかった。内容はホムンクルスの生産命令。
中央との連絡はカレス以外の者からはない。
だがその書簡に交じって目覚めたホムンクルスの製造と引き渡しが書かれた書簡があった。つまりウィリスはカレスとべったり癒着していたことになる。
そんな相手に告発の書簡を送ってよいのか迷いはあったが、まさか工場長の失踪を放置する訳にもいかず、やむを得ずカレスを宛先に事の顛末を報告したのだ。
だがこれは吉と出たようだ。気になっていた相手が向こうから出向いてくれたのだから。
カレスは目覚めたホムンクルスを狙っている。イチカの安全は完全に保証するにはカレスをこちらに取り込まねばならない。
ラドは、これよしと恭順のフリをして策を巡らすことにする。
思う所があっても素直に従うのは、悲しいかなリーマンスキルの基本中の基本だ。
「貴台のご用の程は?」
「その前にアンスカーリ公からの辞令をお伝えします」
「辞令?」
辞令とはウィリスの後釜の事だろう。ホムンクルスの製造を指揮するために中央から新たな工場長が来る。ラドはその工場長の面倒を見る役を押し付けられるのだろう。実に面倒な話である。
封蝋のズレ四つ折り紙(正方形の紙を少しずらして四つ折りにし一点を封蝋した書簡)を開くカレスの手元を漫然と見つつ溜息を飲み込む。
「汝、パラケルス街在ラドに、カレス・ルドールがブリゾ・アンスカーリ公に代わり辞令を発す。汝にブリゾ・アンスカーリ ホムンクルス製造工場工場長の任を与える。以上、身命を持って履行せよ」
「……へ?」
「どうしましたか? アンスカーリ公がラドくんを工場長に任命すると仰っているのです」
一瞬、我を失いポカンとしたが、すぐに正気を取り戻しカレスが狙う目覚めたホムンクルスの奪取と、どう繋がるのかを考える。ウィリスが逃走の際に口走った、『アンスカーリに言えば』の言葉から、目覚めたホムンクルスのことはアンスカーリの耳に入ってないと思われる。ならばアンスカーリは自分の名前も知らない筈だ。ということはカレスが自分を工場長に推したということか?
だが彼に何のメリットがあるというのだろうか。
「どうしましたか?」
「いえ、何故自分なのかと」
「ラドくんの功績を考えて私が推薦しました。もっとも拒否権はありませんので受けてもらわねば困ります」
躊躇するが断る由はないが一応聞く。
「功績ですか?」
「ええ、ガラスの培養器です」
目覚めたホムンクルスなんて言う訳はないので、およそ想定通りの返答だ。もう少し情報を引き出したいが、これ以上深く聞くのも逆に勘ぐられる……。
「分かりました。謹んで拝命いたします」
カレスは鷹揚に頷くと、上着を裾からピンと伸ばして話題を変える。
「さてラドくんに権限が渡ったところでご協力のお願いです。目覚めたホムンクルスの情報を教えていただけませんか? アンスカーリ公は目覚めたホムンクルスが送られてくるのを今か今かとお待ちなのです」
やはり目的はそれか。だが余りに無思考というかドストレート。まさか子供だからって工場長の冠を被せれば簡単に協力すると思われたのだろうか? ならばなめられたものである。激しく不愉快だ。
「残念ながら、そのような情報は持ち合わせておりません」
軽くはぐらかしてみる。さてどうなるか。
「ウソはいけません。そこのイチカくんが、そうなのではありませんか?」
ちっと心の中で舌打ちをする。やはりウィリスは両掛けしていたか。もっとも言っていなかったとしてもウィリスの行動を見ればカレスでも察しがつくか。
「なんの事でしょうか?」
「キミは工場長だ。ならば私の発言は命令だと受け取ってもらいたい。工場を所有しているのはアンスカーリ公だが、私はアンスカーリ公の信託を受けてここに来ている」
その言葉にラドはピンと閃く。
「一つ書簡に書き忘れたことがございます。ウィリス工場長の件は余りに重大でしたので、私はこの事をアンスカーリ公にもお伝えしております」
さてどう出るカレス。無論、アンスカーリとは全く接点はない。だが自分宛てに辞令が通っているのだ、あるいは丁度よくカレスが結び付けてくれるかもしれない。
その予想は当たる。
この一言はカレスにかなり響いたようで顔色が土気色に変った。いや、顔色どころではなく語気すらにわかに荒く、「アンスカーリに何を言った」とラドをにらみつける。
やっと本性を現したな。
自慢じゃないが人を怒らせるのは得意だ。そのせいで過労死するほどに。
「親書ですので詳細はご容赦いただきます。ただホムンクルスは人を狂わす、アンスカーリ公もお気をつけ下さいと」
「それで先手を取って私を刺したつもか!」
「侮っていただいては困ります。卑職があなたの裏仕事を知らないと思われましたか? 考えてもいただきたい。アンスカーリ公といえばガウベルーア随一の大貴族です。その方があなたごときの推挙で僕を工場長にするはずがないでしょう? 僕が目覚めたホムンクルのことをお伝えしたから僕はこの辞令をもらったのです」
我ながら言ったもんだと思う。こんな戯言、冷静ならば疑われて当然だ。だが頭に血が上ると人は冷静な判断力を失う。それは前の世界の職場で何度も体験した痛い思い出だ。
なんとしてもプロジェクトを救いたくて、『このまま進めば、このプロジェクトは破綻します』なんて大真面目に部長とクライアントの前で進言して、更にひどい職場に左遷させられたことがあった。
論理的に考えれば、破綻直前のプロジェクトからメンバーを抜くのは自爆だ。だがクライアントの前で恥をかかされた部長は何の躊躇いもなくその決断を下したのだ。冷静さとはそういうものである。
その経験からカレスはこの話を容易に飲み込むと想像ができた。
きっと自分でも驚くほどラドを推挙した事があっさり受諾されたか、推挙などしていないかのどちらかだろう。カレスは辞令を伝える際、ラドを取り込むために恩を売るようにもったいぶって言ったのがその査証だ。そういう薄っぺらい所を突かれると人は実に弱い。
事実、カレスは怒りに震えている。
こんな子供にまんまとしてやられた悔しさと、獲物を目の前にどうにも手が出せない苛立たしさに。
「アンスカーリを味方にしたつもりで、いい気になるな」
「いい気もなにも自衛です。イチカになにかあればアンスカーリ公に報告させていただきます。いえ、なにかしそうですから先に報告しておきましょうか? 『欲にまみれた小貴族が、あなたの目の届かない裏で悪事を働いております』と」
「バカにするな! 不敬の罪で今ここで焼き殺してくれる!」
カレスはさっと手をかざし詠唱の一句目を口にする。火の魔法だ!
「イチカ!」
名を呼ばれたイチカは即座に立ち上がり同じく火の魔法の詠唱に入る。
「カレス! 魔法で勝てると思わない方がいい。僕らはあなたの詠唱が終わるまでに火の魔法を叩きこめる。ホムンクルス力を甘く見ない方がいい」
それを裏付けるようにイチカの詠唱は早く、まるで早送りした録音のように恐ろしい早さで詠唱を進める。その様子を見たカレスは顔を青くして詠唱する口を結び、かざした手を下した。
「愚かですね。仮にあなたの魔法が早くて僕を焼き殺してもイチカはあなたを倒すでしょう。もし逆にあなたがイチカを倒したなら、あなたはアンスカーリ公に譴責され貴族の名誉を失うでしょう。そんなことも考えずに魔法の詠唱を始めたのなら、アンスカーリ公も不肖の部下を持ったと気の毒になります」
「こ、小僧、覚えていろ。この屈辱は忘れぬぞ」
「どうぞご自由に。僕も覚えておきますよ。あ、そうそう、辞令ありがとうございます。王都に戻っても、ゆめゆめ油断なされぬよう。カレス・ルドール卿のご無事をお祈りしています」
怒りに床を踏み鳴らして、力いっぱいドアを蹴り開けて去るカレスの尻を、ラドは辞令を振って見送った。無駄にきらびやかなカレスの宝飾剣がドアにすき間に吸い込まれていく。
イチカが、ふぅーと息を吐いた。
想像はしていたことだがカレスは思ったより貪欲だ。ふいに『ホムンクルスは人を狂わす』と言ったが、それは至言だと思う。
ガウべルーア王国もシンシアナ帝国も、なぜ目覚めたホムンクルスを欲するのだろうか。それ知らずしてイチカの安全は守れないのかもしれない。そしてカレスはまた来る。必ず来る。その時のために準備をしておかなければいけない。
そんな不安に眉間に皺をよせるラドに、イチカは殺気立った小動物をなだめるような静かな口調で語りかける。
「ラド、心配しないでください。きっと大丈夫です」
「ああ、僕がイチカを守る。守ってみせる」
「違います。みんなで、ですよ」
肩から力が抜けていくのが分った。
「そうだった……。そうだね、イチカ。みんながいるんだった」
「ええ、それにラドは工場長ですから。きっと今よりも大きな事ができるようになります」
「それもそうだった。すっかり忘れるところだったよ」
考えてみれば、これは結構凄い事だ。
こんな田舎で何のコネもない子供がホムンクルス工場の工場長である。まぁウィリスの後釜というのがちょっと引っかかるが。
「早速、アキハとライカに報告しなくちゃ。そうです! ラド、パーティーをしましょう。アキハに教えてもらったのです。こういう時はパーティーを開くのだと。それをやってみたいのです!」
そうしてイチカは実感の沸かないラドを置き去りにして、弾むような足取りでライカに探しにいくのだった。
~後日談~
その後は怒涛の日々だった。工場のヒトの労働者はラドを恐れてほとんど辞めてしまったので、ラドはこれ幸いと半獣人たちを雇い工場を操業した。
イチカ待望のパーティーは集落の皆と行った。
皆で近くの森に入り猪を狩り、有り金を集めて市場で沢山の食材を買った。
イチカはアラッシオと沢山の料理を作り皆に振る舞った。ゴンゾマメのスープ、ペト麦のパン、マメ煉瓦の油炒め、ヒゲ芋の揚げ物、キビ餅。そしてめったに食べられない猪肉。
どれもラドにとっても集落の皆にとっても大層な御馳走だ。
焚火を中心に輪になって座り、存分に食べて思い思いに踊る。そんな皆の笑顔を見ていると胸が熱くなってくる。
堪えきれなくてアキハの肩を叩くと、アキハはラドが何を考えているかわかったらしく「うん」と頷き、ラドをひょいと持ち上げて肩の上に乗せた。
一等高くなったラドは焚き火に集う仲間たちをぐるりと見回した。誰もが心から楽しんでいる。全身から喜びが溢れている。集落にはなかった皆の姿がここにある。
その姿を瞳に焼き付けて、彼らの息吹を大きく吸う。ずっと心に秘めていた事があるのだ。
「みんな聞いてほしい! 皆に言いたいことがあるんだ!」
ラドが声を張ると、半獣人の仲間たちはラドに注目し水を打ったように静まり返る。
「ありがとう。みんな僕の友達になってくれて。皆が僕を受け入れてくれて、ホントに嬉しい」
焚き火に揺れる沢山の瞳が一心にこちらを見ている。
半獣人の中には獣化度の高い者もおり彼らの目が鋭い。赤い目、青い目。全眼が真っ黒の瞳、縦長の横長の瞳。そんな彼の全ての瞳が優しい目をしている。
「だから僕はずっと皆にお返しがしたかった。それは大好きな皆が少しでも豊かになってもらうこと、おいしいご飯を食べてもらうこと、自分たちで生活が出来る力を身に着けてもらうこと。それが少しでもできたのなら僕は嬉しい」
そう、イチカが言ったとおり、もう何も出来ない自分じゃない。けどそれ以上に、こんないい奴らが苦しんでいる皆の姿はもう見たくない。
「僕ができることは何でもしたい。そして皆と一緒に少しずつ少しずつ前に進んで行く。僕らは狂乱と正しく向き合うことができる! 盗まずとも生きていける! 理不尽な暴力から団結して身を守れる! そしていつになるかは分からないけど、いつかは誤解が解けて、僕らは街のヒトとも仲良く暮らす事だって出来るから!」
車座に座っていた仲間たちが、一人一人と立ち上がっていく。
炎に照らされた彼らの顔が、決意を示すようにゆらゆらと揺れて夜に浮かび上がっている。
「それからずっと思っていたんだけど、半獣人って言い方はもう止めよう。僕は皆のことを”半分ヒトに非ず”だなんて思ったことは無いんだ。これから皆はパーンだ。パーンは”この地の生命の全て”という意味だ。僕らは異なる種族だけど心は一つ。仲間を信じて、互いを信じてどんな困難に乗り越えて強く生きられる。この工場をその足掛かりにしてほしい」
ラドの宣言だった。
パーンの仲間に向けた言葉だったが、虐げられてきた自分達に対する願いでもあった。
ここに居るのは誰もが世界からあぶれた者達だ。そんな人達の生活と命を微力でも守っていきたい。それが自分の願い。
アキハの肩を降りたラドはパーン達の歓声を浴びて仲間の輪の中に吸い込まれていく。
『騎士になりたかった。○○を守る勇敢な騎士に』
魔力がなくて魔法騎士にはなれなかった。でもその想いが “前の世界の知識”や“サラリーマンスキル”を魔法に替えてアキハやイチカやライカ、それにここにいる皆を守ったのだと思う。
歓声を上げる皆の笑顔を見ていると、こんな自分でも誰かの命を救えたんだという手ごたえを生々しく感じる。
前の世界の自分が役に立たないヤツだったとは思わない。でも今みたいにこんな仲間達と一緒に居る事を自分は本当に欲していたのだと確信できる。
――うがった見方かもしれないけど、僕はここにいるみんなの騎士になれたかな?
「ラドさん、まぁ一杯! 一杯!」
パーンの友人が勧める土酒に口をつける。
「うっくさっっっ!」
「わっははは、ラドさんにはまだ早かったがなぁ」
土酒のイモ臭さに舌を出しつつ、次は暇を見つけて美味いビールでも醸造してみようかと考える。
「この世界には酒税法なんかないしね」
やりたいことは一杯ある。アキハにライカにイチカ、それにこの仲間達がいれば僕は何だって出来る。
だって皆、僕の仲間なんだから。