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真実の見極め方

 ウィリスはラドが入っていた南京袋に詰められて、半獣人の集落に連れていかれる。

 聞きたいこと山ほどある。なぜこんな事をしたのか、あの女は誰なのか、王都からの命令は何だったのか、連れ出したイチカをどうするつもりだったのか。その尋問にふさわしい場所はココしかなかった。


 アキハのライトの魔法に照らされるウィリスの顔はげっそりとしており、窓から落とされたときに出来た擦り傷が頬骨のあたりに痛々しくあった。

「ウィリス工場長、僕があなたに聞きたいことは分かりますよね」

「俺はただその女と街に行っただけだ」

 アキハ、ライカ、イチカの囲まれたウィリスはがっくり肩を落として、情けなさをありったけ染み込ませた言葉を紡いだ。

「いやいや流石にそれは苦しいでしょ。部下をつれて売春宿にいる? どんな変態ですか」

「そ、それは俺の……俺の性癖だ!」

「ちょっと……それド変態」

 ウィリスの狂った断言に流石のアキハも毒づきを通り越して呆れる。


「なんで、あなたはあそこに行ったんですか、そしてあの女は誰なんですか」

「あ、あれはちゅ、中央からの使いだ。イチカを見たいというから」

「いやウソ下手過ぎでしょ。王都からの使いとあなたは売春宿で寝るんですか?」

 ウィリスは怖い顔をしたライカとアキハを交互に見る。そして情けなく「へへ」と半笑いをすると諦めたようにしょんぼり答える。

「ここの娼婦です」


 そうだろう。ならなぜウィリスは情婦に目覚めたホムンクルスを会わせる必要があったのだろうか。さらに踏み込んで聞かねばならない。

「その情婦はどこの者ですか」

「そんな個人的なこと、お前に言うつもりはねぇ」

「ウィリスさん、あなたは自分の立場が分かってない。あなたは王都の誰かと接触して目覚めたホムンクルスを横流しする計画をしていた。あなたの執務室にその書簡がありました。それだけでも背信行為なのに、さらにあの女とも取引をしていたんじゃないですか? たぶん王都の使いとは報酬で折り合いがつかなかったとかで」

「ラド、てめぇ、俺の部屋に入りやがったな!」

「あの女は何者ですか、イチカをどうするつもりだったんですか」

「知るか!」


 捕まった身でありながら非協力的な態度にラドもカチンときた。美しくはないがアレをやるしかない。

「ライカ、ちょっとウィリス工場長のみだらな下半身にお仕置きしようか」

「お仕置きってなんだ? ちょんぎるのか?」

「ちょんぎっても、つぶしても構わないよ。宦官にしても死なないのは歴史が証明してるから」

「じゃ、その石でつぶすにゃ」

 ライカは冗談か本気か分からないが自分の胴回り以上もある大きな石を持ち上げる。それを高々と頭の上に掲げ、狙いを定めて振りかぶる。


「うわぁぁやめてくれ! いういう! 売るんだ! あいつを! エカテリーナの紹介で!」

「だれに!」

「知らねぇ」

「ライカ」

「にゃ!」

「宵の国だ! 宵の国のやつだ!」

「宵の国? シンシアナ自治領の?」

「そうだ! 売った金でここを出て二人で住む約束だった」

「そんな約束、嘘に決まってるでしょ」

 すかさずアキハが食いつく。すぐのぼせ上がる男と違って女は冷静だ。

「エカテリーナは娼婦をやめて俺と結婚したくて、そのために金が必要なんだ」

「はぁ? バカじゃないの! そんなどこの娼婦だって言うたかり話よ」

 全くアキハの言う通りだ。それを十二歳の子供に言われるのが情けない。

「違う。エカテリーナは俺への愛ために危険な橋を渡って」

「絶望的ね」

「死んだほうがマシにゃ」

 アキハとライカは虫けらでも見る目で捕縛され跪くウィリスをみる。男の情けない面をさらけ出し続けるウィリスを見ていると同じ男として非常に恥ずかしくなる。ウィリスは前の世界の自分の年齢とさして変わらない。自分が同じ目で彼女たちに見られる事を想像すると恐ろしくて玉が縮み上がる。

 そんな想像をするラドの背を、つんつんと引っ張るイチカ。


「この人は、みんなが寝静まったら街外れの街道で待つシンシアナの馬車で逃げると言ってました」

 ラドの背に隠れたイチカが、捕まっていた時に聞いた話をする。

「て、てめぇ」

 なんて事だ! ということはマスカレードの女はシンシアナのスパイじゃないか。シンシアナの馬車を用立て他国領まで運ぶなんて内通者じゃなきゃ出来る話しじゃない。

 だがそれが大きなヒントになった。


「ウィリス……そういことか。やっと全てがつながったよ。工場にシンシアナ帝国の兵が来たのは、あの女がシンシアナにイチカの情報を流したからだ。そして女に情報を流したのはあなた。工場が襲撃されたとき、あなたは執拗に僕のせいにしようとした。それは襲撃が自分のせいだと思われたくなかったらだ。あなたは僕の本か何かを見てイチカのことを知り、調子よくもあの女にしゃべったんだ。シンシアナのスパイだと知っていて」

「ちがう! おれじゃない! 本当だ! おれじゃない!」

「僕らをシンシアナに売ったな!」

「ちがう! やっていない!」

「信じられないわよ、信じられるわけないじゃない!!!!!!」

 あの工場襲撃の惨状を目撃したアキハは、ウィリスも驚く勢いで厳しい言葉を浴びせた。あの被害者の中にはアキハと仲良くなった門番がいた。流れ者だが人のいい子供好きな彼らはアキハがラドの世話に来たと言うと、工場長に内緒で門を通してくれていた。

 アキハの数少ない友人。

 アキハには彼らの死体は見せていない。それを知っていたから見せなくなかった。

 そんな彼らが惨殺された原因はこの男にあったのだ。アキハが怒らないはずはない。


「そいつ……、絶対許さない!」

 怒りのあまりアキハの目がいつぞや見た獣の目になっている。ここで放置したらアキハはあの時のようにウィリスを殺めてしまう。それだけは絶対に避けたかった。もう二度とアキハの手を汚させなくなかった。だから人を殺めねばならない時があっても、次は自分がやる番だとラドは心に決めていた。


「アキハ、落ち着くんだ!」

「こいつを許せっていうの! コイツのせいで工場のおじさんが死んでるのよ!!! イチカだって二度も死にそうになってる! 私たちだって殺されそうになってるのに!」

 ジリジリとウィリスに詰め寄るアキハをラドは前から抱きかかえて押さえる。だがいくら力を込めても自分より大きいアキハを押し返す事ができない。

 ――このバカ力が!


「ライカ! アキハを押さえて!」

「わかった」

 ライカはアキハ腕を後ろから羽交い締めにして、今度は二人がかりアキハを押えこむ。

「落ち着けって! だれも許すなんて言ってない。ちゃんとこいつには断罪する。だから止まれって!」

「わたしは十分落ち着いてるわよ。ちゃんとこいつが悪党だってわかってる!」

「そうじゃない!」

 全然冷静じゃないじゃない!

 アキハは抑え込む二人を引っ張ったまま、一歩また一歩と進む。


 そのアキハの前にイチカが手を広げて立ちはだかった。

「アキハ、私を見てください。わたしはこうして無事でアキハと話をしています。アキハはいつもわたしに喜びをくれる。そんなアキハを私は悲しませないと約束しました。でもいまのアキハは違う! そんな目のアキハを見るのはとっても辛くて悲しい。わたしはいつもアキハと一緒に笑って泣いて、ラドやライカと一緒に過ごしたい。アキハだけ辛くならないで」

「イチカ……」

 ふっと力が抜けたアキハをイチカの小さな体が抱きしめる。

「アキハ」

 まるで魔法から覚めるように、アキハの怒りがスーッと引いていく。


 そんなこんなで揉めたり納まったりしていると、ライカが突飛な声を上げた。

「あ、アイツ逃げたぞ!」

 ウィリスが縄をといて逃げ出しているじゃないか!

「ばーか! 勝手にやってろ! その女はいらねぇ。それに本さえありゃ目覚めたホムンクルスは作れるんだ! これをアンスカーリ様に手渡しゃ俺の勝ちよ!」

「ちきしょう!」

 ライカは地団太を踏んで悔しがるがラドは冷静だった。

「イチカ、ウィリスの足に氷冷の魔法を」

「火ではないのですか?」

「ああ、あんなやつのためにイチカに罪を負わせたくない」

「はい」

 ウィリスは勘違いをしている。確かに本には今までの実験結果や仮説は書いている。だが目覚めたホムンクルスを作る方法までは書かれていない。だがアンスカーリという大貴族に本が渡るのはマズイ。イチカの事が貴族に広まればイチカは間違いなく実験台だ。


「イン ジャルアルト フォルゲン エイス――」

 短い呪文だったが効果はあっという間に現た。ウィリスの小さくなったシルエットがゴミ山の上にパタリと倒れる。

 エルカドは氷冷の魔法は戦闘に向かないと言ったが、足や手など局所に使うことで相手の器用さをうばい、弓を引けなくしたり足を痛めて走れなくしたりすることができる。

 自分も非常に弱い魔法を食らってみたが効果は体の中から瞬時に現れ、うめき声を上げるほどの痛みに襲われる。実は地味に辛い魔法なのだ。


「いてー!!! 足がっ、俺の足がーーー!!!」

 今頃ウィリスの足は真冬の川に晒したようにキンキンに冷え、痛みのあまり動かなくなっているだろう。


 痛みにのたうち回るウィリスに追いついたライカが、彼の正面から喉仏に向けて爪を突きつける。

「おまえ、本当に悪い奴だ。ライカ怒ったぞ」

 猫系半獣人の爪は固くて鋭い。そして随意に出し入れが出来る。その爪がゆっくり伸びてウィリスの喉にプスリと刺さり、先から赤い筋が一つ、二つと服の中に伝っていく。


「ひぃぃぃ、助けて、助けてください! 俺を殺したらお前ら捕まるぞ! だ、だれもお前らの話なんか信じるもんか! それに本の在り処だって分からなく!」

「ライカ、やめろ! 殺しちゃいけない!」

「でも、こいつまたしゅにんやイチカに悪いことするぞ、仲間に悪いことをする奴をライカは許さないんだ」

「でも、そいつの言う通りだ」

 ほっと胸をなでおろすウィリスをライカは歯ぎしりをして睨みつける。

 ウィリスは悪い奴だがパラケルスには警察はない。こんなひなびた街には行政があるかも分からない。そもそもパラケルスはどのように統治されているのか考えた事も無かった。

 王都というのだからガウベルーアは王国だと思うが、この国に法律があるのか裁判があるのか。犯罪者がどうなるのかも分からなかった。

 ウィリスを取っ捕まえたのはいいが、この後の事は考えてはいなかった。



「ラドさーーーん!!!」

 瓦礫の向こうから半獣人の集落の男の声がした。

 だが人影は二つで、声の主の年長の男はこちらに頭を下げて、もと来た坂を戻っていく。一方もう一つの人影は足元の見えないほど暗くなった瓦礫の山を、おぼつかない足取りで一心にこちらに向かって下りてくる。

 そこに向けてアキハがライトの魔法を強く照らした。

 足場の悪い瓦礫を慎重に選んでいる。

 よろけながら一歩一歩と此方に来る。

 近づいて分かったが足元がおぼつかないのは足場が悪いからではない、足を引きずっているからだ。


 アキハの明かりは遂に人影の顔を照らす。

 頬のあたり大きなアザと顎の血の跡がある女性。そのシルエットに見覚えがあった。

 アラッシオ!


「なんでここに……」

「追いかけてきたの、レイフさんの所から」

 一歩を踏み締めながら、アラッシオはラドに向かって声を届ける。

「なんで、レイフの酒場に?!」

「レイフさんに今月のお金を戴きに行ったら、二階でイチカちゃんを見つけて。ウィリスに殴られて気を失っちゃったけど気づいたらあなたとアキハちゃんの声が隣からしたから」

 背中からウィリスの盛大な舌打ちが聞こえる。

「ババァてめぇ、どうやって逃げてきやがった!」

「レイフさんに助けてもらいました。あれだけ騒げばレイフさんが娼館に駆けつけてきます。あなたイチカちゃんをどうするつもりだったの! この子たちは私の子よ! あなたのものじゃないわ!」

「ウソ言うな! そいつらはお前の家族でも子でもねぇ。てめえの腹からは半獣しか生まれねぇのは俺がよく知ってるぜ」

「そうさせたのはあなたでしょ! あなたが私を街外れに連れ出さなければ!」

「ありゃ娼婦のテメェが金ぶん楽しませなかった正当な要求だ!!!」

「そんなのあなたの勝手な言い分よ!」

 普段は言い返せないアラッシオだが今日は違った。ラドを胸に抱けたことが彼女に前を向かせていた。そして我が子を守る勇気を与えている。

「襲われたのは俺のせいだってか!? ひょいひょい着いてきやがって、テメェも期待してたんだろうが! クソババァ!」

「ちがいます! わたしは断ったのに縛られて裸でっ――」

 だがそこまで言ってアラッシオは、続きはラド達に言う話ではないと思い言葉を止めた。言いたい言葉を飲んだからだろう。子供達の前で泣くまいと思っても瞳から涙がじんわりと染み出してくる。思い出す辛さと未だ受け入れられない過去の重さと、自身弱さに敗北した悔しさに白くなるまで唇を噛む。


「ちっ! だからてめぇの体でそのガキを雇ってやったんだろ。それともまだ俺にたかる気か? 娼婦のてめぇに金を払ってやったのは俺だ! その恩を忘れやがってこの強欲ババァ」

「ちょっとまて! いま体で僕を雇うって言ったな」

「知らなかったのかよ! おめでたいなお前も。ガキのお前が仕事につけるか! ババァに詰め寄られて仕方なく雇ってやったんだ! その代金がババァの体だ。まったく乳の垂れた女を抱く俺の身にもなれってんだ!」

 ラドはアラッシオを見た。アラッシオは目を逸らして「ごめんなさい、ごめんなさい」と謝っている。その向こうには怒鳴り散らすウィリス。

「レイフをたらしこんで、金をせびりやかがって」

「たらしこんでません! このお金はレイフさんが私のために。それにちゃんとナナリーINNで働いたお金です!」

「なにがちゃんとだ、この恥知らずの半獣落としがっ」


 ヒューゴが言っていた――

「アラッシオは妹も養わなきゃならなかったからね、お金が必要だったんだ。それで裏商売に走ったのだと噂になった。だがわたしはアラッシオはそんなことをする人には見えないんだ。王都で沢山の娼婦を見てきたが、あんなオドオドした子には娼婦すら務まらないからね」

 ――レイフも同じく思っていんだ。だからレイフは義母にナナリーINNの仕事を世話した。本当はウィリスにやられたと気づいていて。


 その間も、「半獣落とし」「強欲ババァ」「恩知らず」と悪意に満ちたアラッシオを嘲る言葉が続いていた。

 もううんざりだ。

 この人は幼い頃から不幸の連続だった。だのに捨て子の自分を可愛がってくれて、それでも人を憎まず生きている。そんな義母の人生を全く知らなかった。知ろうともせず逃げて、突き放してた。そんな自分も許せなかった。

 ――なんで心を開けなかったのだろう……。


 ラドの口が動く。


「僕の母さんを悪く言わないでくれないか」

 ラドは地べたに押し付けられたウィリスを上から睨みつけていた。

「な、なんだてめぇその目は。ババァと同じ目をしやがって! こいつはいつもいつも俺を蔑んだ目で見やがる、娼婦のクセに。そのホムンクルスの女もだ! どいつもこいつも俺を馬鹿にしやがって!!!!!」

「ウィリス、僕が今、何を考えているか分かるかい」

「なんだ?」

 少年とは思えぬ低い声に、ウィリスはただならぬ気配を感じたらしく震わせ声を発する。

「ハンムラビ法典というのがあってね。『目には目を、歯には歯を』というくだりがあるんだ。僕はそれがキライでね。だって不公平だと思わないかい? 同じ事を仕返しても平等じゃない。だって被害者の精神的苦痛が含まれていないのだから」

「お、おまえ何いってんだよ」

「イチカを売ろうとした。僕の大事な母さんの人生をめちゃめちゃにした。真剣に必死に生きようとする人生を」

「ちょっとまて! お前何考えてんだよ。ホムンクルスをちょっとかすめて売っただけだろ。それにそのババァは娼婦だ、人生なんて関係ねぇ」

「ババァ……ホムンクルスを売っただけ……」

「そうじゃねーか、お前も作ってるからわかるだろ。ありゃモノだ。単なる商品だ。そんなの街のやつらだって売りモンをちょろまかすのは普通だろ」

「……」


「そいつはホムンクルスだ、俺達がいつも王都に送り出しているモノだ、モノなんだよ、なっなっ」

「もういい」

 ラドはもう冷静ではいられなかった。眩暈がして心臓は痛くなるほど脈打ち、喉が熱く詰まってきた。こんなに怒ったことは前の世界でもこの世界でも初めてだったと思う。冷静な自分はどこかに吹っ飛び子供の自分が全面に出てきていた。短絡的でわがままで、感情の奴隷の自分が、修羅の顔をさらけ出している。

 母に暴言を吐いたこと、自分を騙した事、イチカをモノだと言ったこと、そこに怒ったのか。それともこんな男と自分も一緒だと言わんとしていることに怒ったのか。そのどれでもない母を突き放して逃げ回っていた自分に怒ったのか。

 僅かな思考がかろうじて自分を観察するが、そんな思考は強風の前のロウソクのように掻き消え、もはや冷静さを取り戻すことは出来なかった。


 ウィリスを許す気は全くなかった。

 こいつは間違いなく罪を繰り返す。スキあらばイチカを狙い、どこか遠くにトンズラする。ほとぼりが冷めればまた母さんを傷つける。

 そして工場の事を中央に報告する。

 シンシアナ兵の襲撃のこと。半獣人を雇っていること。イチカの事も。

 だからもう二度とウィリスが悪さをしないように封じねばならない。


「みんな、僕とウィリスの二人にしてくれないか」

「どうしたにゃ? しゅにん」

「これは僕とウィリスの問題なんだ。二人だけで話したい」

「二人だけなんて危ないわよ!」

 止めようとするアキハをラドは目力だけで静止しする。

 アキハは目の座ったラドを見てラドが覚悟を決めているのが分かった。もちろんその覚悟とは何かも分かった。


「わかったわ、何かあったら私たちを呼びなさいよ」

「ああ」

 ラドは捕縛したウィリスを連れて瓦礫の山を降りていく。この向こうは小さな森になっている。こんなパラケルスの近くでも森があれば狂獣は住み着く。

 その森の入り口までラドは来ていた。


「どこに行くつもりだ!」

 ウィリスの手は完全に縛られている。足はゆるく結ばれ走って逃げることはできない。自由な口だけは貧困ながらもありったけの罵詈雑言を駆使してラドを罵っている。

「いい加減にしましょう。ウィリスさん」

「ん、だと!」

「あなたがアキハの手を汚させた時点で、僕はあなたを許してないんです」

「てめぇ、なんの話だ!」

「工場の襲撃でシンシアナ人を倒したのはアキハとイチカだ。あの戦いであの二人は人を殺めてしまった」

「しるか! あいつらが勝手にやったことだろ! それにあの襲撃は俺とは関係ねぇ!」

「しらばっくれないでください。あなたが裏でイチカを使って金儲けしようなどと考えなければ僕らは幸せに暮らしていた。あなたが汚したモノを償ってもらいます」

「な、なんのことだ。ホムンクルスを流して何が悪い! ありゃモノだ。俺たちが作ってるホムンクルスと同じやつだ。あんなもの命じゃねぇ。商品だろ。それを一つくらい横流ししたって」

「一緒にするな! 僕らと同じ人間だ! バカにするな!!!」

「バカはてめぇだ! 人があんな器から生まれるか!」

 泡を飛ばして怒鳴るウィリスをラドは冷ややかな目で見ていた。ウィリスとは相いれないことは初めから分かっていた。だが何もしないならそれでよかったのだ。


「ここらへんがいいでしょう」

「おおい、何をする気だ!」

「説明するつもりはありません」

 ラドは冷淡に言い放つと近くの大きな木にウィリスを縛り付けた。目と口はふさぐ。もちろん手足は動かない。

 ウィリスは縛り上げられて籠った悲鳴を上げるが、こんな森の中で誰かに聞こえるはずはない。


「さようならウィリスさん。一つだけ僕はあなたにお礼をするとしたら僕を工場で雇ってくれたことです。もっともそれすら母さんの体と引き換えでしたけど」

 ウィリスは猿ぐつわから叫びを漏らして、ガチガチに縛られた体をそれでも動かそうと必死に暴れる。だが取れるはずもない。

 そのウィリスの動きを背中に感じながら、ラドは一歩一歩と森の外へと向かう。

 獣は血の匂いに敏感だ。ウィリスの喉元から滴る血でどれほどの獣が集まってくるだろうか。

 左右の小枝がカサカサと動いている。

 それは風だろうか。それとも……。

 そこで考えるのは止めた。


 まさか自分がドラマの悪役のようなことをするとは。だがこれで自分もアキハやイチカ、ライカ、そして母と同じ罪を背負ったのだと思った。それは人として悲しいことだが、やっと同じ苦しみを分かち合える仲間になった気がした。そんな仲間のなり方は間違っていると思うが。



「しゅにんが戻ってきた!」

 夜目のいいライカが空と地の境界にある点をみつけて叫ぶ。

 アキハとライカはそこに向かって走り、大きな声をかけてラドを呼ぶ。

「ラド! ウィリスは?」

 ラドは重く歩きながら首を横に振った。

「やったのか?」

 ライカの物言いはストレートだ。ラドはそれにも首を横にふる。イエスといえば二人は心配する。だがノーと言っても、それで大丈夫なのか復讐されないかと心配するだろう。

 ラドはもう近くにいる二人に無理に大きく微笑んで、それは面白おかしく語るようにウソをつく。


「背中に魔法陣を書いてウィリスを逃がしたよ」

「なによそれ?」

「悪いことをすると僕に思考が筒抜けになる魔法。工場にあるアンスカーリの古文書から見つけてたんだ」

「へー、そんな呪文あるんだ」

「さすがアンスカーリさんだね。ぼくも見つけたときは何に使うかと思ったけど、まさにこういう時に使えるなんて」

「それがあれば、イチカはもう安心か?」

「ああ、これでもう大丈夫だ!」


 ラドはライカの頭を小さな手で撫でる。ライカは目を細めて「よかったにゃ」と喉をならして喜んだ。その後ろにゆっくり追いかけてきたイチカと母が見える。

 その母と目があった。ウィリスにやられたであろう青あざが痛々しく、微かに照らす魔法の明かりに青い瞳が潤んでいる。

「母さん、ありがとう。こんな僕なのに心配してくれて」

「あたりまえよ。あなたが急に大人になっても、あなたはずっと私の子なのだから」

「母さん」

「……立派になったわね。ごめんね、こんな恥ずかしい女なのに」

 急に涙をこぼした母の言葉の意味をラドは察することができた。

 ラドは手を広げて包容を求めた。母は言葉なくその想いに答える。

「母さん、僕も母さんも、お互い言えないことがあるけど、それでも僕らは誰より親子だよ」

「ラド」

 もう何も聞くまいと思った。自分を追いかけて直接ここに来られるということ、半獣人の隠れ集落の男が何の疑いもなく母を案内してくれたと言うだけで母の人生の影はひどく深いのだ。そんな人が自分を愛してくれるなら、自分はこの人を母と呼びたい。


 それからアラッシオはライカをぽふっと抱きしめると、「ごめんなさい。ラドをよろしくね」と言い、何も分からないライカは「まかせるにゃ!」と威勢良く胸を叩いて母の背を見送った。

 小さくなる背を見送るライカが、独り言のようにラドに言う。

「いい匂いがしたにゃ」

「そうだね。母さんだもの」

 ラドはライカをしゃがませ、ちょっと無理矢理ネコ耳の頭をなでた。頬に伝う熱いものをラドは見せたくなかったから。

「さあ帰ろうか。僕らの家に」



 あえて遠回りして帰る道のりを四人は縦列になって黙々と歩く。まだ体調の戻らないイチカはライカの背中の上だ。

 星の明かりで影が見えるほどの明るい夜なのに、ラドの目には三人の本当の表情が見えない気がした。それは自分がアキハやイチカ、ライカを信じ切れないからだと思った。

 ウィリスのように裏切るという意味ではなく、三人はどこかで自分の事を迷惑だと思っているのではないかという迷いに近い。

 アキハもライカも僕に会わなければ普通の生活をしていた。とくにアキハあの年で人を手にかけている。イチカも目覚めたホムンクルスであると分かってしまった以上、これからも狙われ続けるだ

ろう。

 その度にこんなことが起こる。そして今日みたいに何もできない自分はアキハやライカを無理やり巻き込んでしまうだろう。自分がパンドラの箱を開けたばかりに、大切な人を危険にさらしながら生きなければならない。

 だから、いつか彼女たちは自分から離れて行くのではないか。


 ふと横を見ると乱れた髪を頬に垂らしたアキハが、じーっと自分の顔を見ている。

「どうしたのアキハ?」

「ねぇラド。あんな魔法、またみつけたら私にも教えて?」

「なんで?」

「だって、なんかあったら、ラドばっかりそういうの背負うのダメじゃん」

 その笑顔が真っ白で、それは青白い星明かりのせいだけとは思えないほど白く、ラドはその眩しさに幻惑を覚える。やっぱり幼馴染にはウソは通じないのだ。


「ああ、アキハにも教える。でもアキハは不器用だから使えないよ」

「いいの。魔法でなくても、わたしはラドを助けるんだから」

「ライカもしゅにんを助けたいぞ!」

 後ろからから追いついてきたライカが屈託のない笑い顔で八重歯を見せた。その顔を見ていると、なぜだろう……涙が出そうになる。

 イチカはそんなラドに気づいたのだろう。

「ラド? ふふ、ありがとう」

 しっとり言われるのが心に痛くて目を伏せてしまう。

「お礼は言わないで。僕のせいでイチカを危険に晒したんだ。なのに僕はイチカを助けるどころか……。僕は弱くて、ずるくて、みんなを都合よく使ってばかりで、だから迷惑ばかりかけている」


「バカラド、ちがうわよ」

「そうだぞ、しゅにん」

 顔を上げると柔らかな笑みをたたえた三人の顔があった。

「あんた、私たちに迷惑かけてると思ってるでしょ。いつわたしたちが迷惑だって言った? 違うわ。私達がラドと一緒に行きたいのよ。だからシャンとしなさいよ!」


 予想外の言葉だった。だがその言葉はすーっとラドの中に染みて行く。

 ――ああ、そうなんだ。僕の横には、いつも僕の励ましてくれる人がいる。笑ってくれ人がいる。心配して気づいてくれる人がいたんだ。守られているのは僕だったんだ。


 ふと自分はなぜ前の世界の頃から騎士に憧れていたのかストンと胸落ちした。

 ――僕は守りたかったんだ。


「バカはないよ。頑張ったのに。でもありがとう」

 ――守られているってどこかで知っていたから。守りたかった。


 涙声になりそうなのを必死に堪える。それは心の奥で大切な事がわかってしまった慟哭に近かった。

「どういたしまして」

「にゃははは、なんだ泣いちゃうなんて、しゅにんはまだ子供だなぁ」

「うるさい」

 三人を交互に見るライカとしっとりと微笑むアキハをラドは両腕いっぱいに抱きしめる。

「かっこ悪いな」

「いいえ、ラド。そんなことありません。みんなステキです。わたしはラドやアキハ、ライカの元に生まれてよかった。だって……ああ、これが愛おしい気持ちなんですね。そしてこれが家族。やっとわかりました!」


 それはこの世界に生まれて、いや三十数年のラドの人生の中で一番美しい言葉だった。

誤字報告ありがとうございます。

すみません、予約掲載をミスってノーチェックで出てしまいました……。

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