夢はたまた妄想
「ラド?」
「……」
「ラド?」
「……」
「ねぇラドってば!」
「……え?」
「返事くらいしなさいよ!」
年の頃は十くらいだろうか、ふくれっ面を目一杯近づけて少女は不満を顕にした。
「ラド? 僕?」
素っ頓狂な声だったらしい。
「なにびっくりして、ボケちゃったのラド? おかしいよ」
「僕はラドじゃなくてナオだけど」
「はぁ? 何いってんの? ちょっと大丈夫? 頭打った?」
「いや、少し手を切ったけど頭は……」
魔法騎士の余韻に未だぼーっとしていたナオは、開くとビリッと痛む手を見た。
手、手……。
(あれ? 手がなんか小さい)
ハグハグしてみる。
(小さくてフニフニしている)
「なんだ?」
辺りをきょろきょろ見る。座っているわけではないのに地面が異様に近い、そして木がやたら大きい。
はたと顔を触ってみる。
「……なんじゃこりゃ~!!!」
隣の少女が突然の奇声にびっくりしてピンと仰け反った。
小さいのだ。全てが。いやそもそも目の前にいる少女と同じ目線なのがおかしい。
全身をバタバタと叩いて自分の体を確認する。
腕、胴体、足、股間も触る。
(ある。どうやら僕は男らしい)
(ちっがう! それも大事だが今はそれじゃない! 落ち着け落ち着くんだ僕)
大きく一つ息をつく。これは間違いない。
「子供だーーー!!! こどもになってるーーー!!!!!!!!!!!!」
「ちょっとぉ! びっくりさせないでよ! せっかく助かったのにチビっちゃったじゃない!!!」
「ぼぼぼ、僕は何歳にみえる!」
少女の肩を両手で掴みガクガクと揺さぶる。
「えっえっ!? 十歳に決まってるじゃない!」
裏声で答える少女。
「十歳!!! 僕は誰なんだ!」
「ラドはラドじゃない」
「じゃキミは?」
少女の顔が一気に怪訝になる。
「いやまて、そうだキミは秋葉、幼馴染の秋葉だ。赤みがかったはねっ髪、クリっとした大きな瞳、小さい頃の秋葉にそっくりだ。という事は、そうか夢なのか? なら夢か現実か判断しなきゃ。しまったなぁ、日頃から夢と現実の分別手段を考えておくんだった。でもここが自分にとって都合いい世界なら夢か現実かなんて関係ないというのもあるな。いや夢かと思って好き勝手やって取り返しのつかない事になったら困る。最低限の情報は必要だ。まずはアズイズ。現状とどうあるべきだ。どんな事を知っておくべきなんだろう」
ダダ漏れの思考を聞いていた少女が何かを悟ったように、ナオの肩をポンと叩く。
ショートの栗毛が微風に揺れ、クリクリとよく動く茶色の瞳がふっと緩む。そして少女はにぃーと悪戯に笑いながら後ろ手を組んでかわいらしく横歩きにナオの後ろにまわり込んだ。
「ん?」
何をするつもりなのかを聞く間もない。ナオは腹部を掴まれたかと思うと背中から発せられた「せいっ!」の掛け声とともに宙を舞った。
なんとバックドロップ!
頭から地に落ち体はくの字に曲がり、無理やり押しつぶされた肺から空気が押し出され「ぐえっ」と、カエルが潰れたような声が出る。
「ねぇ戻った? 夢じゃないでしょ」
少女はふにふにとした健康的なほっぺたを柔らかに持ち上げて微笑む。
「ねぇ戻ったじゃねぇ! てーか夢じゃないほど痛ったいわ! だいたい落下地点に石でもあったら頭かち割って死ぬだろ!」
「うーん、まだおかしい感じ。ラドってそんなにハキハキしゃべんないよねぇ。まあ今のラドの方が楽しいけど」
「おかしいのはそっちでしょ! 初対面の人にバックドロップなんてルー・テーズでもやらないよ。それに僕はラドじゃない。尚です!」
「初対面? なにいってんの。それにラドはラドだよ。一緒にふきのとうを採りに家、出たじゃない。それとも実はラドって双子?」
ここに至り流石に何かがおかしいと気づく。
秋葉は口うるさくはあるがこんなにガサツじゃない。これはどう考えても別人だ。そして少なくともここでは僕はラドという子供なのだ。悪漢もそりゃ大きい筈だ。僕が小さいのだから。それにあの魔法。夢であろうとなかろうとココはそういう世界なのだ。
ならココがどんな世界なのか、そこに暮らす自分はどんな人物なのか知る必要がある。幸いこの女の子は自分の事をかなり詳しく知っているようだ。なら聞いてみるに損はない。
ナオは咳払いをして、ひと呼吸をおいた。
「オーケー分かった。そう僕はラドだった。ちょっと襲われたショックで色々忘れちゃったんだ。それでキミは秋葉じゃなくて……」
「アキハだよ」
「そうアキハ、アキハだ。アキハは僕と山菜狩りにきた。何処に行ったんだっけ」
「街道沿いの森だよ。わたしが見つけたんだよ。親方と仕事に行ったとき、ふきのとうが一杯顔を出してるのを見つけて。一緒に採りに行こうって言ったじゃない」
人の手が入っているようではなかったから、やはりここは森なのだ。
「そうだった。うん。で、この森の名前は?」
「名前なんてないよ、パラケルスのみんなは森って云うし」
「パラケルス?」
「パラケルスもわかんないの?」
「ああ、申し訳ないけど僕の頭はまだ朦朧としてるようなんだ」
「私達の住む街だよ」
「そう、そうだった、街の名前だったね。僕はアキハとそこで一緒に暮らしてるんだった」
「暮らしてないよ」
「えっ! じゃ僕は何処か別の街の住人なの?」
「やっぱり分かってないじゃない! ダメ、すっごい心配。今日はウチに泊まりなよ。私が一緒にいてあげるから」
おいおい、ちょっと待て。いきなり知らない所に飛ばされて、来るなり幼女の家にお泊りか? これは倫理的にヤバいのではないかと一瞬躊躇したが、考えるまでもなくここで放り出されでもしたら街にはたどり着けない。よしんば着けたとしても家がどこだか、親が誰かも分からず路頭に迷うのは必定だ。
それ以上に、『帰る』という言葉が依り代のない自分にリアリティをもって迫ってきて、体の内側からゾワリと冷えるような不安を引きずり出してきた。
生生しく怖い。
そう考えるとアキハが誰かは分からないが、この提案は今の自分にとってありがたいと思えた。それに今の自分はほんの十歳の子供なのだ。倫理の問題はないハズである。たぶん。
そう自分を納得させて、うんと頷く。
「ああ、すまないね。そうしてくれると助かるよ」
「まかせといて! わたしラドの面倒みるの慣れてるから!」
ん? 慣れてる? 語尾に気になる言葉が付いてきたが、アキハの元気な声を聞いて今度は現金にも安堵が満ちてきた。
小さな手を差し出され、その暖かさに触れて初めて気づく。自分は仕事も一人で何役もこなしてきたし、事業部の売上を一人で支えてきたと思ってた。一人暮らしをして家事も炊事も人並みにできる。まるで一人で生きてきた気になってたけど、本当は生きるってそうじゃなかったんだと。
「いかんいかん」
しんみりムードを切り替える。
「じゃパラケルスに行こっか」
と、そこまで言ってラドは言葉を止めた。さっきまで見えていたアキハの顔はもう殆ど見えない。冬の夕暮れは短く、あっという間に日は落ちて空はもう真っ暗だ。しかも今日は新月で月明かりさえない。
「もう真っ暗か、ちょっとまって」
ラドは無意識にズボンのポケットに手を突っ込む。だがいつもならあるべきものがない。あれっ落としたかと一瞬あせるが、この異常な状況でそれを持っている方がおかしい事に気づく。
夢の中でスマホなど持っているはずはないのだ。
それなのに習慣のようにポケットに手を伸ばす自分が可笑しくて、ラドはフフッと笑ってしまった。
「どうしたの、笑ったりして?」
「いやぁ、明かりをなんとかしようと思って、ついにおかしな行動を取っちゃって」
「笑うほどの事なんてなに? でもホントなんも見えないね、ちょっとまって」
アキハは手探りで地面を触ると、片手で持つのに丁度いいサイズの枝を取り上げる。
「イン エルジャル コピルスレフテン フォルト――」
すると暗順応した目に微かに明かりが見え、それはあっという間に光度を増しアキハの顔を血色よく見せるほどの明かりになった。
そこらへんに落ちていた木の枝なのに眩しいほどに光っている!?
「な、なんで! 魔法!?」
「うん」
「アキハさん、魔法使えるんですか!!!」
「アキハさん? ライトは前からできてたし」
「すごい! すごいよ、すごすぎる!」
「でへへ、そうかなぁ」
後頭部に手をあてて照れるアキハ。頬をほんのり赤らめ恥じらうのが可愛らしいが、一方、ボリボリ頭を掻く仕草が男っぽくて、なんとも違和感がある。
「だって魔法だよ、魔法! じゃさっきの魔法騎士みたいな炎は?」
「それは――、無理かなぁ」
「そうかぁ、そうだよね、騎士様が使う魔法だもんね。ねぇ、そのライトの魔法を僕にも教えてくれない?」
「いやー、ラドにはちょっと……」
アキハは急に都合悪そうに口ごもる。
「なんで?」
「しまったなぁ、またラドに火付けちゃったか」と、口先で小さくつぶやくのが聞こえた。
「ん? どうしたの?」
「ううん、後で! パラケルスに着いたらね。ほらもう真っ暗だし、夜は危ないから」
「そう……、そうだね。たしかにこう暗くちゃ教えてもらうどころじゃないね」
「でしょ!」
自分も魔法が使える! 幼き頃にアニメや漫画でみたアレを自分も出来るだなんて!
そう思うとトキメキのあまり夢見心地になってしまう。
まぁ夢の中かもしれないのだけれど。
誤植訂正