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色香

 その夜、ラドはライカに一つの相談を持ちかけた。


「ライカ? 狂乱の実験したいのだけれど被験者になってくれないかな?」

 情報は集まった。狂乱とは何かもおよそ想像もついた。だが狂乱の仮説を検証しなければ、いくら半獣人が安全だと言っても誰も信じないだろう。

 検証のためにライカを使うのは申し訳ないが、この先、ライカをはじめ多くの半獣人がヒトと関わりを持つためには必須の事なのだ。


「やだなぁ。またライカはしゅにんを襲っちゃうかもしれないぞ」

 前回、自分がやらかした行為がショックだったのだろう。思い出したライカは掘立小屋の床にぺたんと座り耳を伏せてしゅんとする。

「今度は大丈夫だと思うよ。ライカはこの家にいて狂乱はしたことないだろ」

「うん、この前のが初めてだったけど」

「僕の推理だとライカは本来、僕と一緒にいても狂乱しないはずなんだ」

「うーん、そうだといいけど」

「でもライカは狂乱自体はする筈で、僕が確認したいのはそれなんだ」

「んんん?」

「まぁあと五日後の分かるよ。ちょっと確認するだけだから心配しなくていいからさ」

 ライカは不安な表情のまま、拾われた猫のようにラドを見上げるのだった。



 五日後の夕刻の集落は騒がしく、日が落ちる前からたくさんの半獣人達が集落の中をウロウロと徘徊する不思議な黄昏になった。そのだれもがライカと同じくらいかそれより上の年齢だ。

 先日友人になった普段は優しげな犬系の男の子は、遠目にも分かる程に肩や腿の筋肉は盛り上がり、目つきは獲物を狙う獣のように鋭く研ぎ澄まされ、牙や爪も伸びてまるでファンタジーに出てくる狼男のようになっている。

 いつもは慎ましく人見知りだったたぬき系の娘が、今やすっかり凹凸のある大人の体になり、それこそ香り立つ妖艶な雰囲気を醸し出いる。

 そんな男女が集落をうろつき、時折、雄叫びを上げて訳もわからず組み合い争いあっている。かと思えばふらっと街の方に消えていく者、森に向って駆けだす者もいて、何の熱狂なのか何をアピールなのか分からない興奮状態が集落を満たしている。

 ライカはそんな様子を小屋の中からチラチラ伺いながら、家の隅っこに丸くなりムズムズしているようだった。


「ライカ、僕と外に出てみよう」

「ライカ、外に出ちゃいけない気がするんだ。なんか今までと違うライカになっちゃいそうで」

「それを言ってくれてありがとう。そうかもしれないけど、一応僕も対策を考えてきたから大丈夫だよ。それにもしダメなときは逃げるき満々だし」

「それがいちばん心配にゃ、しゅにんは驚くほどドンクサイから」

 おいおい、悪意なく心を折るのはやめてくれよ。そりゃライカから見たら誰だってどんくさいだろう。そんな素直な感想に苦笑いしつつ、いやがるライカの手を引いて家の外に出ると――

 瞬間、ライカはびくんと反応したかと思うと瞳孔をすぼめて天を仰いだ。


「ライカ?」

「あっ、あっ……しゅに……ん……」

 これは狂乱とは予想より劇的な反応らしい。

 動きの止まったライカは途切れ途切れの喘ぎ声を上げるたびに、ぞわ、ぞわっと体を変化させていく。

「やばいな。変化が早い、間に合うか……」

 ラドは腰のバッグをまさぐり小さなガラスの小瓶を取り出す――だかなかなか見つからない。本当に小さな瓶だからだ。


「あった!」

 親指と人差し指で掴んだ小瓶の中には、うっすっらと茶色みがかった微量の液体が入っている。その栓を抜こうとする手をライカは乱暴に取り上げた。

 拍子に小瓶はラドの小さな手から滑り落ち、瓦礫の上にポトリと落ちる。

「ライカ!」

 見上げた時には、ライカのメタモルフォーゼはかなり進行していた。目に見える早さで牙が伸び、ゆったりとした服の胸元が隆起していく。顔もヒトの顔から獣の顔にまるでCGのように変わっていく。

 ラドの手を掴み上げた腕から体毛がふさっと伸び、剣呑な爪がみるみる固く大きくなりラドの腕に食い込んでいく。

 ライカはその態勢のまま首だけかくりとラドに向けると、「しゅにん」と一言発し大きく鼻で息を吸うと、何かに満たされた恍惚とした表情を浮かべる。

 それも束の間、今度はラドの両手を押さえるとバタリと一緒に瓦礫に倒れた。

 

「ライカはなせ!」

「しゅにん、だめ」

「ライカ!」

「しゅにんは、ライカのものにゃ」

 なんとか逃れようと暴れてみるが、変身したライカの力は容赦なく強くびくともしない。それどころか、腕を握られているだけで骨が折れそうなくらいだ。


 ライカがぐいっと顔を近づける。

「ライっ、んっ!」

 ライカの強引なキス。

 一瞬噛まれるかと思ったがまさかの展開。

 だか強く推しつけられる程に牙が刺さる。絡める舌がザラザラで痛い。そして息もできないほどグイグイ吸われる。


 ――窒息……する。

 キスってこんなに苦しいものなのか?

 考えてみるまでもなく、三十一年の人生でキスの経験など一度もない。二度の人生経験を通してやっとのファーストキスが死と隣り合わせとは。だが残念がる前に酸素が欲しい!

 押しつぶされる鼻をずらして微かに息を継ぎ、なんとか肩を入れてライカを押しのけようとするも、ライカはすっかり豊満になった胸を押し当ててなおも圧しかかってくる。

 その興奮が頂点に達したのか、ライカは突如、唇を離し馬乗りのまま身を震わして「うおおおおおん」大きく雄叫びを上げた。


 やっと自由になった上半身をひねり左右を見ると右側遠くに自分が落とした小瓶が見える。

 手を伸ばす。

「くっ! 届くか!」

 塵芥を掴んで右手を這わせて、小瓶まで手を伸ばすが僅かに届かない。

 もう少し大人なら届くのにと思うが、逆に大人だったら自分はライカの家の中で襲われていただろう。

 少し横に移動すれば届くかもしれない。ライカを上に載せながら何度もかかとで瓦礫を蹴って、ひっくり返ったカエルのように仰向けになりながら跳ねてみる。

 その振動が気持ち良いのか、ライカは恍惚とした表情を浮かべてラドの頬をそっと擦る。

「しゅにん……」

 ライカの目がうるうるだ。


「そうだ、僕の手が届かないなら――」

 ラドはライカの二の腕をむんずと取る。

「ライカの手をつかうまでだ!」

 熊手の要領だ。ライカの手を使って小瓶をゴミごとコッチにかき集めてしまえばいい。


 腕を伸ばしてライカの首を取り引きよせて、あえてライカの胸に顔を埋める。するとライカは満足したようにそのまま倒れて自分の乳房にラドを挟み込む。

 ――これってマンガでよく見るラッキーすけべってやつ? くっそラッキーじゃねぇ!

 心の片隅でそう思いつつライカの手をとって、小瓶のあったあたりに手を落とす!


 その作戦は存外うまくいった。

 ライカはちょうどいい所に手をつき、瓦礫を握ったはずみに小瓶を引っ掛ける。そしてわずかに小瓶をこちらに近づけた。

 ラドはすかさず手を伸ばし中指の先で小瓶キャッチ。

 そして、ほとんど理性が失ったライカの目の前に小瓶を突きつけた!

「ライカ、僕をよく見ろ!」

 目を寄せて「にゃぁぁ……」と鳴く鼻先がヒクヒク動いている。

「いけ!!!!!!」

 親指の端ではじいたコルクがポンと景気のいい音を発して飛んでいく。

 そして一つ、二つの間。


「うぎゃゃゃゃゃーーー!!!!!!!!!」

 ライカがのけぞって鼻を押さえる!


 ラドも自分でやっといて鼻先にあるあまりの刺激臭に声も出せず飛び跳ねて、二人はダンスのシンクロのように同じタイミングで身を分つ!

 塵芥の山の上で「ぷぎゃー」といって、のたうち回るライカ。瓦礫の上だから暴れる度に尖った廃棄物に当って痛いだろうが、そんなのお構いなしだ。

 半獣人のライカの嗅覚はラドより遥かに鋭い。ならこの臭いは脳天をぶん殴られるような刺激に違いない。

 ラドはラドで涙と鼻水が止まらず前が見えない状態だった。それでも這う這うの体でライカの方に這っていく。

「ライカ! ライカ!!!」

 呼びかけてライカの肩をとりこちらに引き寄せると、ライカもボロポロ涙を流して見るも哀れな顔になっている。体の方は空気が抜ける風船のように、元に戻っていくではないか。


「やっぱり、因子は匂いだ」

「いたい、くさい! くさいにゃ!!!」

「やっと正気に戻ったね」

「しゅにん、ひどいにゃー!」

 ぐしゅぐしゅの顔を手の甲で拭いながらライカが訴える。

「でも、効果絶大だったろ」

「そうだけど!」

 二人で涙、鼻水に咳き込みながら言い合うさまは、何と喜劇だろう。

「なんにゃ、これ!!!」

「説明はあと。とりあえず実験は成功だから家に戻ろう。ここはまだ臭いし」

「ちがうにゃ! 臭いのはライカの服にゃ! なんかかかったにゃ!!!」



 ライカは家に戻るのも待たずに服を放り出して、新しいシャツに着替える。新しいと言っても洗っているだけで、洗っていると言ってもただ臭くないだけでボロボロにほつれ色味は茶色に変色している。

「まだ臭うーー」

 そう言ってラドを睨む。

「そう怒るなって」

 二人はちぃち達に「臭い、臭い」と笑われつつ、五人入れば一杯の掘っ立て小屋にぎゅっと詰まって膝をつめた。外ではまだ狂乱の半獣人が猛っているが、ライカはもうムズがる事はなかった。


「さて」

「しゅにん、アレはなんだったんだ? あんなひどいの初めてだったぞ」

 少々怒り気味のライカが、あぐらのままラドに詰め寄る。

「アンモニアだよ」

 得意げに答えるラド。

「なんの魔法にゃ?」

「魔法じゃない、化学物質だよ。ガラスを作ろうと思ったとき、初めは炭酸ナトリウムをソルベー法で作ろうと考えたんだ。結局トロナを使ったけど、そのときアンモニアを蒸留してたんだ」

「……なんの呪文にゃ?」

 ちぃい達が何が楽しいのか「呪文、呪文」と大喜びで走り回る。家が狭いのでラドにガンガンぶつかるのだが、そんな些事はお構いなしなのがライカの姉妹らしい。


「呪文じゃないけど、ある意味そんなものだね。ソーダ工場は基礎化学物質を作る重要な工場なんだ」

 今度は「そーだ、そーだ」の大合唱。

「その呪文でライカは戻ったのか?」

「そうだよ。この刺激でライカのヤコブソン器官が麻痺して元に戻った」

「また呪文にゃ。そんなのライカは分からないぞ!」

「あはは、ごめんごめん。つまりこういう事だよ。狂乱するのはライカ位の年になってから。それは二十九日周期の月齢に関係していて、そして体が獣に変化し行動が本能的になる。これは一見すると狼男かライカンスロープの変身かと思うけど大事なポイントを見逃している。それは狂乱して狙う相手が必ず異性なんだ。それに気づくと答えは簡単さ。同じことが野生動物でも起こっている。それを発情と言う」

「はつじょう?」

「つまり盛だよ。平たくいうと子作り活動かな」

「ライカが赤ちゃんを生むのか?」

「ノイアの妹できるか!」

 ライカが妙に上ずった声で飛躍したことを言うと、先走ったノイアは嬉しそうに目を輝かせる。

「行為に至ったらね。でも妹とは限らないよ、弟かもしれない。いや待てよ? そもそも四人とも血が繋がっていないから姉妹と呼んでいいのかな」

「そうだったんかぁ。でもなんで“あの臭いの”が出てくるんだ?」

「ああ、あれは発情状態から変身に至るには、臭いという条件があるからなんだ。発情期にオスの臭いを嗅ぐとキミたちは性交できる体になるために急速に変身する」

「でも家にいるときはならないぞ」

「それはこの家は女の子ばかりだからさ。臭いがかき消されて変身に至らないんだ。でもホムンクルス工場は男性の精液を使うから、それに反応したんだ。それを今回確認しようと思ったのさ」

「全然わからないけど、これからライカはどうすればいいんだ?」

「今まで通りでいいよ」

「どういうことにゃ?」

「今まで通り、工場に働きにおいで」

「いいのか!」

「もちろん」

「でもライカは、また狂乱するかもしれないぞ」

「そうなりそうな日は休みにするよ。工場に来なきゃ狂乱しないんだから。それでもダメな時のために、さっきの液体を渡しておくよ」

「うぇ~~、あれはもうごめんにゃ」

「あれは原液だからキツイんだ。ちゃんと希釈したものをあげるから大丈夫だよ。それとこの集落から何人かライカがいいと思う子を工場につれておいで。雇ってあげるから」

「ホントか!」

「ああ、ライカたちは何も悪い事をしていない。それなのに狂乱のせいで不当に扱われていると思う。でも御し方が分かったんだ、これから少しずつ街のヒト達の誤解を解いて――といっても急にはムリだろ。だから僕がいま出来る事は集落の子たちを雇ってあげるくらいしかなくて。僕もアキハも親方もこの街では蔑まれてるから、気持ちは分かるつもりだから」

 照れ隠しで俯いて話していた顔をあげたとき、驚異的な跳躍力で抱きついてくるライカの顔が目の前にあった。そして痛いほど何度も頬ずりした後に一言。

「しゅにん、やっぱり大好きにゃ!!!」

 なんのひねりもない一言だったが、その言葉にはライカの想いが溢れんばかりに詰まっていた。



 その頃、ホムンクルス工場長のウィリスはレイフの酒場の二階の個室にいた。

 六畳ほどの部屋にはベッドが一つ。そこに色気を放つ女がシーツを纏って横たわってる。

「ねぇウィリスさん。あなたの所で働いている坊やのこと、教えてくれないかしら」

「ラドか?」

「なんか面白いことをしてるんですって?」

「ああ、半獣人を雇って勝手やりやがって」

「半獣人?」

 女の声には男を手玉に取るような妖艶な雰囲気。

「あのガキ、好き勝手やりやがって俺の言う事なんざ聞きゃしねぇ。ちっ! ギャフンと言わせねーと気がすまねー」

「あら随分とお冠なのね。なら私達でその子を出し抜いてみない?」

「出し抜く?」

「私、その坊やが街で乱闘しているとき、面白い噂を聞いちゃったの」

「うんん?」

「ホムンクルスの――」

 女がウィリスの耳にそっと吐息を吹きかける。


 その話を聞き終わったウィリスは、ニタリと笑うといやらしく鼻の下を伸ばした。

「確かにこんなシケた村じゃ先が知れてる。シンシアナの宵の国か、そこで二人でのんびり暮らすのも悪かぁない」

 女はシーツで真っ赤な口元をそっと隠し、ゆるりと目を細めた。

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