原罪
ライカの狂乱の原因は何だろうか。
アキハは『時々、大人が被害にあっている』と言っていた。ならばとパラケルスの街で聞き込みをしてみる事にする。
すると苦労もなく襲われた人に会うことができた。聞くと遅くまで飲んだ帰りに路地から飛び出てきた半獣人に襲われたという。
「それっていつのことですか」
「昨日さ」
「よく無事でしたね」
「ああ、連れのダチがいたからな。半獣の奴らは女でもすげぇ腕力だから一人だと太刀打ちできねよ」
「どんな半獣人でしたか」
「銀色の目だったからなぁ、ありゃ犬か狼か」
「何時頃だったでしょうか?」
「月が落ちかけてたから、もう二時くらいかな?」
そんな聞き込みを重ねるうちに、ラドは共通点を見つけた。
・現れた半獣人は、皆、獣に変身している
・襲われている日に周期があり、その日は満月
・襲われた人はみな女性の半獣人に襲われている
女性は答えてくれなかったので回答は男性ばかりだったが、ここまで分かればファンタジーの世界なら答えは出ているようなものだ。
だが結論を出すには早い。もう少し調査を深め周期に揺らぎはないか、他にトリガー因子がないか調べてみる。半獣人の生態が分かればライカの狂乱の抑制も可能性となるだろう。
「よし、何事も観察だ」
ということで、ラドはしばらくライカたちと一緒に暮らしてみることにする。
もちろんアキハには言わない。
言えばアノおせっかいは、「やめておけ」だの「わたしも行く」だの「ハンカチは持ったのか」だの言うに決まっている。お前は俺の母ちゃんか!
考えるだに相手をするのが面倒くさいのでナイショ決定。
問題はイチカだ。
イチカは今、ナナリーINNの屋根裏になかば居候している。義母はそれについて何も言わないが、さすがに自分がいないのにイチカだけ家に帰ってくるのはどうかと思う。
義母は頻繁にイチカが家に来ることに、あまり良い印象を抱いていないフシがある。イチカがいるのに、「アキハちゃんはどうしたの?」と聞いてくるのは何か含みがあると思える。
それがどんな心理なのかは分からないが、自分の存在そのものが義母に負担を強いているのに、更にイチカを押し付けるのは心が痛む。
イチカは親のない流れ者だと言って連れてきているが、義母からみれば”拾った捨て子が流れ者を拾ってきて自分に押し付ける構図”になる。それは甘えも甚だしい。
ラドはイチカに会うため自分の執務室に向かう。
扉を開けると事務仕事に精を出すイチカが、ぴんと背を伸ばして書類にペンを走らせている。
いまやホムンクルスの生産管理や帳簿仕事は、ほとんどイチカにまかせている。イチカに生産管理と複式簿記を教えたらあっさり理解して、自分より早くできるようになったからだ。
ウィリスが『あいつは要領がいい』と言ったか、それは本当である。
それにイチカも役に立ちたいと言うので、なら丁度いいという事で、この仕事を任せることにしたのだ。
「イチカ、ちょっといい?」
ラドが声をかけると、イチカはユリの花のように垂れる頭をふっとあげる。見事な銀髪が細い首筋をさらりとなでる。
「ラド、どうしましたか」
あくまでも淡々と、でもラドにはわかる僅かな喜びを含ませた答え。
「急なんだけど、今日から僕の所じゃなく、アキハの所でお世話になってくれないかい」
少し間をおいて、イチカは「はい」と先程と同じ様に淡々と答える。
普通の人には表情が変ったように見えないだろう。でもラドにはイチカの落胆が手に取るように分った。
「ごめんね。ちょっとの間なんだ。ライカが心配で少しだけライカと一緒に過してみようと思って」
すると更に表情は曇る。さすがに誰が見てもわかるレベルに。
「なら、わたしも一緒に」
「いやイチカには危険かもしれない、それにイチカの体が心配だよ」
イチカは瞳をピクリとも動かさず、ラドを見たまましばらく黙る。複雑なことを考える時にイチカはこうなる。
「私が行くとアキハの迷惑になりませんか」
「そんなことないよ、きっとアキハは喜んでくれると思うよ」
「はい……」
静かに席を立ち、何かを言おうとした口を閉じて、握った拳を胸に合わせる。
「そんな顔をしないで。あ、そうだ、ひとつだけ不安があるかな」
「なんでしょう」
不安そうにラドの顔を伺う。
「アキハはずっと喋るから、イチカが寝不足になっちゃう」
無理矢理ひねった冗談にイチカは小さく微笑む。
「ふふ、そうですね」
ラドの顔にも笑みがあったのだろう、イチカは目で会話をしてから「わかりました。ライカのことを助けてあげてください。私は心配いりませんから」と、全て理解したうえで強く頷いた。
イチカの無理をした笑顔を見るのはちょっと心が痛むが、これが最善だと信じる。何かを前に進ませるにはどこかに無理を強いることになる。それはどの世界でも必定だ。
イチカの承諾が取れたら次はアキハだ。
帰りついでに工房に寄り、「ちょっと一人になって工場で集中したい事があるから、今日からイチカを託すよ」と伝える。
するとアキハは「ホント!? 今日はごちそうしなきゃ」とゲストを迎える算段をアレコレと語りだす。
急な話しなので詮索されるかと思ったが、いやぁ単純な奴で良かった。
その足でライカの家に向かう。だが今更ながらライカの家の在り処を知らないことに気づいた。
「僕としたことがうっかりだ。誰かに聞けばわかるかなぁ」
手がかりに初めてライカに会った広間に行き、ライカが倒れていた隘路から今まで入ったことのない路地に滑り込む。
裏路地は乾燥したパラケルスだというのに暗くて湿っぽい。
右に折れ、左に折れ、体を細めて隙間を抜けると雑木林と呼ぶには鬱蒼とした茂みに出る。足元には踏み固められた獣道。
そこをかき分け歩くと街のゴミ置き場に出た。
「ずいぶん大きなゴミ置き場だな」
それは代々使われて裾広がりの小山になっていた。
こんな文明の低い街でもゴミは出る。燃やせるものはかまどで一緒に燃やしてしまうが、陶器や石類、骨などはまとめてこのような場所に捨て置く。それが積もりに積もって山になっているのだ。
不要だか捨てた物達の末路。
だからこんなゴミの山を越えようなんて人はいない。ラドのその山の裏側に出てきたようだった。
そんな廃棄物の小山の中腹まで来て、物陰に気配を感じたラドは足を止めた。どうやら珍客の到来に様子を伺って者がいるようだ。
これはラドとしては好都合だが、相手は怯えている風でもあるので、こちらから近寄よるのは無理っぽい。仕方がないので大きな声で問いかけてみる。
「ちょっと聞いてほしいんだけど!」
返答はない。まぁそうだろう。
「僕はラド。街外れの工場でライカと一緒に働いているヒトなんだけど、ライカに会いたいんだ。誰かライカを知らないかい。ねこ耳の元気がいい女の子で髪は薄茶色で」
すると気配はさっと何処かに消える。やはり警戒心が強い。
街の人にいじめられるとライカは言っていたが、そんな経験を子供の頃からしていたらヒトなど信じられる存在ではないのだろう。
一方でヒトはヒトでしばしば半獣人に襲われるわけである。互いに相容れないのが、この種族間の宿命なのかもしれない。
つらつら考えている間にも返事はないので、これは自力でライカを探すしかないとゴミの小山を踏みしめたとき、「しゅにーーーん!」と元気のいい声がした。
「ライカ?」
山の向こうからひょんと頭が沸き出てくる。それが一つ二つ、三つ、四つ? その中の一つが山の向こうから飛び出してきた。
「よくここがわかったな!」
身軽にも前宙回転で着地すると、崩れそうもない足場をみつけて、それを飛び石にぽんぽんと飛んでくる。
「ライカ! 当てずっぽうさ。初めてライカに会った路地を辿ったんだけど、こんな広いところに出てきて分からなくなったんだ」
「にゃははは、ライカが街の近くに住んでてよかったな。獣化度の高い子たちは、もっと森の方であなぐら暮らしだから見つからなかったぞ」
「獣化度?」
「獣に近い半獣人だ。ほとんど犬やイタチみたいな子もいるぞ。そういうのは街に来ないんだ。殺されちゃうからな」
一等高い石に着地し上からラドを見下ろすライカは、仲間の生死を淡々と説明する。いきなり知らない半獣人達のハードな現実を聞かされて、いかに自分が半獣人のことを知らないかを思い知らされた。
「ねーね、だれ?」
ライカの向こうから、何名かの子供の声が聞こえてくる。
「しゅにんにゃ」
「しゅにん! ねーねのしゅにん!?」
「そうにゃ、いいヒトにゃ」
「いいしゅにーん!!!」
ライカがどう説明しているのかは分からないが、主任で通じた子供たちは競ってゴミ山の頂から飛び出してくる。どの子も随分小さく中には手の甲や顔のあたりにふさっと毛が生えている子もいる。獣化度といったがそれが高い子だ。
「しゅにーん、遊ぶーーー」
「ねーねのともだちーーー」
――友達? ライカはどんな説明をしてるんだ?
いきなりの友達=遊び宣言に一瞬戸惑ったが、しばらくここでお世話になるなら一発、交友を深めるのは悪い話ではない。思い切って三十路の思考をかなぐり捨てて全力で遊んでやろうと心に決める。
「よし、なにして遊ぶ?」
「たたかうー」
「わたしもたたかうー」
「えっ! 戦うの?」
「うん、マイカはつえーぞ」
マイカ? この子の名前か? と理解して顔をよく見ようと意識を向けると――
「うげっ!」
背面からキックが飛んできた。
「ぎゃははは、あっち見てるからだぁ」
「ちょっとまって、まず自己紹介から」
「うわっ」
今度は、前から抱きつき攻撃。
「ちょっとタンマ!」
前から抱きついた子は、そのままラドの肩の上で力技の逆立ちをすると、その手で肩から離しラドの顎をとる。
「あう! それはダメ!」
「それーーー!」
「やめてーーー首が折れるーーー」
どこかヤバイ所からボキッと音がした。
「にゃはは、しゅにん、すっかりちぃち達のお気に入りにゃ」
すっかり首を痛めて身動きの取れなくなったラドは、ちぃちと言われたライカの妹達に担がれてライカの家に運ばれる。
ライカの家はラドの知識で言うと竪穴式住居が最も近い。地べたに一本柱を立てて、それに端切れ板を寄せ集めて、草や葉で壁を葺いたものだ。さすがに床はすのこ上げされているが、家と呼べるか怪しい程の住居である。
「ただいまー」
「えいっ!」
その住居に担がれたラドは放り投げられておじゃまする。ああ、まったくお約束の展開。
「いてて、乱暴なおもてなしありがとう」
「どういたしましてー」
「しゅにんよわいー」
「きゃははは、よわーいよわーい」
弱い!? あの状況でそれは納得できない。
「そもそも三対一はズルいよ」
「ずるくないもん、ねーねならエイラたち三人でも勝っちゃうもん」
いや、その強さよく存じてますが、と言いたくなって「そうだね、ライカは強いね。僕なんて上から乗っかられたら太刀打ちできないよ」と言い換える。するとライカは、「にゃははライカは強かったか?」と喜ぶではないか。
――いや今のは嫌味なんだけど。
まぁそういうのが通じない、天然なのがライカの憎めないところなんだけど。
「この子のたちはライカの妹?」
「ちぃちはライカの姉弟だ。大っきいのがマイカ、真ん中のがエイラ、ちっこいのがノイアだ」
「随分年が離れてるね」
ラドの感覚としてはライカは十二歳くらい、最初に話しかけてきたマイカが一番大きくて六歳くらい、エイラが五歳くらいで、一番ちっこいノイアは三歳くらいな感じだ。
「そうか?」
「一人だけお姉さんだと面倒を見るのが大変だね」
「そうか? マイカはライカと二つしか違わないぞ」
「えっ! 二つ? ホント!!!」
ラドが奇声を上げたからだろう。ライカは驚くほうが不思議だという疑問符を浮かべて、おおそうだといわんばかりに説明をする。
「そっか、しゅにんはあんまり、ライカたちのこと知らないか。ライカたちはヒトとは違って生まれてすぐに大きくなるんだ。ライカも去年はマイカとあんまし変わらなかったぞ」
どうやら、ちょっとネコ耳と尻尾があるだけではないらしい。急に成長するという点では人より猫に近い。道理で体サイズの割に話すと幼いと思うわけだ。これは思い込みじゃない調査が必要だと改めて思う。
「ねーね、お腹空いた」
三毛猫色の髪のマイカは、お腹をぐーとならすと急にへたり込む。
「もう食べ物はないぞ」
「ねーねぇ~」
「お金も、もうないぞ」
なんともデジタルな三人姉妹は、さっきまで元気モリモリだったのに急にしなしなと萎れて行く。
「ライカ、お給料は?」
「にゃはは、もう使っちゃった」
「いや、ちょっとまってよ。まだ十日も経ってないじゃない。この家族を食べさせるには十分過ぎる給料を出してると思うけど」
「ライカは、あまり買い物が得意じゃないんだ」
おいおい、そんなに簡単に流すなよ!
「だめだろ! お姉さんなんだからしっかりしないと!」
「ごめんにゃ」
するとちーち達はライカの前に立ちはだかって怖い顔をしてラドを睨む。
「ねーねを怒らないで!」
「怒ってないけど、ちゃんと倹約しなきゃ」
「だって、おイモ高いの、二十ロクタンするの」
「えっ二十!!! ザルで買ってるの!?」
「一個だよ」
――いやいやちょっと待て待て、おかしいだろ。この値段は!
一瞬、エイラがお金の数え方を知らないのかと思ったが、「ロクタン」という単位も知っている子が間違えるとも思えない。
「ちょっとまって、ライカはどこで買い物してるの?」
「闇市にゃ」
「闇市?」
知らない単語がどんどん出てくる。ライカと一緒に仕事をしているのに、ぜんぜん半獣人のこと、その生活を知らないのは少なからずショックだ。
「市場じゃライカには売ってくれないから。今の季節は食べ物がないから買わなくちゃだけど、すごく高いんだ」
「高いといっても限度があるよ。通常価格の四倍以上だよ。それじゃ給料も無くなるよ」
ならばとライカに連れられて闇市に行ってみる。そんなアコギな商売をしている奴らにガツンと言ってやらなければならない。
そう思い闇市に一歩足を踏み入れて――。
「うん、ライカ、帰ろう」
「なんでにゃ?」
キョトンとしないで欲しい。みれば分かるだろう。
「あれはヤバい人たちだ」
「ヤバイのか? ヒトはみんなヤバいぞ、ライカにとって」
「いやいや、あれは僕にとってもヤバい人だよ」
「そうなのか、しゅにんでもヤバのあるのか?」
「僕を何だと思ってるかな。だって見てご覧よ。ひと揃え武器を構えてイモを売る人って見たことある?」
「ライカが市場に行くと、みんなあんな感じだぞ」
本当に自分は何も知らない。半獣人はどれだけ差別されてるんだ。
「あれじゃ値切るどこか、こっちの身が切られるよ」
「値切るってなんだ?」
おー、こっちはこっちでまるで常識がない! いちいち頭を抱えたくなる生活力の差。これは教えないといかん!
「わかったライカ、僕と一緒に市場に行こう。買い物を教えてあげるから」
「しゅにんとお買い物か!」
「するいー! ねーねばっかり。ちぃちもいくー」
オーノーーー、今度は子供達を刺激してしまった。これはもはや説得不可能の香りプンプン。
「わかったよ、じゃ君たちもついてきていいよ。そなかわり帽子を被って耳を隠すんだ。ノイアは顔も隠すんだよ」
「やったーーー」
三人とも大喜びだが大丈夫かな?
「ねー、しゅにん、ぼうしってなにー?」
ダメだこりゃ。
帽子がない四人にキャスケット帽を買い、頭にすっぽりかぶせて市場に向かう。
お昼の市場は春だというのに活気に満ちており、往来の人たちは台車や麻のリュックを担いで、買ったものか卸すものかは分からないが足早に行き来している。
ちびっこ達はそんな騒がしい往来に飛び込むのが怖いらしくライカの後ろに隠れてちいさくなっている。でも半獣人と分からないようにすれば問題はない。
「ちょっと怖いね。皆で手を繋いて行こうか」と、ラドが言うと「うん!」と顔色を明るくする子供たち。
やんちゃだが超かわいい!
これは前の世界の友人が「子供はいいぞぉ」と言ってた意味が分かる。秋葉も子供が好きだった。幼稚園児など通学途中で見つけると、しゃがみこんで名前や歳をよく聞いていた。それを見てなんの意味があるのかと思っていたのだが、今ならその心境と通じ合える。
「マイカもエイラも市場にきて怪我して帰ってきたことがあるんだ。だから怖いんだ」
「そうなんだね、でも今日は僕がいるから大丈夫だよ」
「しゅにん!」
四人を連れて食品が売られている廉売を見て歩く。
ダイコン、ニンジン、イモ、乾燥トウキビ、マメに、稗や粟といった雑穀が場所を競うように売られている。値段は似たりよったりだが、それでも量を買うと安くなる店もあり買い方でお得は随分変わってくる。
だが、それよりも大事なのは店主の顔だ。値切れる顔と値切れない顔がある。それを見極めるのが買い物の『通』ってものだ。
「ライカは何が食べたい?」
「肉! とり肉!」
「いや、それ、僕らも食べてないよ。売ってないし」
「夏になると狩りをするんだ! そしたら鳥が食べれるにゃ」
ちーちたちのテンションも「うぉぉ!」と上がる。
「ああ、それは確かに食べたいものだね。じゃなくて何が買いたい?」
「うーん、安いのはイモしかないぞ」
すると三人ともテンションが落ちる。どうやら猫の半獣人は、本質的に野菜類は好きじゃないらしい。
「イモじゃない好物は?」
「肉にゃ!」
するとまた三人のテンションが上がる。アホか! ここにあるものでイモ以上に好きなものは何かと聞いとるんだ。だが悪気はないので怒るに怒れない。
「この市場にあるもので、イモ以上に好きなものだよ、ライカ」
すると、「むむむ」と考えて一言。
「四角いマメかなぁ」
「四角いマメ?」
「しゅにん知らないか? 肉っぽい歯ごたえなんだぞ」
「それって何ていう食べ物?」
「肉っぽいんだ」
「……色は?」
「忘れた」
「……大きさは」
「忘れたにゃ!」
「……探してみようか」
商店の軒の値札と名前をよく見て歩く。実はじっくり見たことがなかったが、前の世界と同じものは同じ名前で売られている。例えばダイコン、ニンジンはほぼ同じ形で呼び名も変わらない。だが前の世界で見たことがないものは聞いたことのない名前で売られている。
多分、ラドが知っているものは前の世界の名前で理解するのだろう。だがこの世界特有のものは、本来の固有名詞があてがわれるのだ。この言語ルールは魔法学校の時も同じだった。
例えば真っ黒い何かの木の実は『ダルト』。これは前の世界では見たことがない食べ物だ。甘くて中はとろっとしており、小腹が空いたとき丁度よい。
ラドも好物なので試しにライカの口に一つ放り込むと「にゃ~、甘くてマズイにゃ」と吐きそうな顔をする。どうやら甘いのは苦手らしい。
そんなこんなで、店先を眺め見ること十数件。
「これにゃ!」
指差す商品を見ると、灰色の四角い餅のようにみえる。
「まえ盗んだとき、うまかったにゃ」
なんて大きな声で言うものだから、店の人が怪訝な顔をするのを「ライカ!」とたしなめて店主と話す。
「これは何ですか」
「マメ煉瓦だよ」
「初めてみました」
「冬の食べ物だからな。秋に取れた豆を煮て四角く固めて風干しするんだ。保存食だよ」
なるほどそれで煉瓦か。
「どう食べるんですか?」
「湯で戻して葉物野菜や根菜と和えたりスープに入れたりだな。まんまで食うやつはいないよ」
「だそうだよ、ライカ」
「でも美味しかったにゃ!」
ライカが味を思い出したのか半分開いた口からよだれをこぼすので、このマメ煉瓦を買う事にする。じゃ久しぶりに前の世界のお買い物スキルをライカ四姉妹に見せてやるとするか。
リーマンスキル、その1「値切り」エンゲージ!
「この六個吊るしのやつで、幾らになりますか?」
「三十ロクタンだな」
「二十になりませんか?」
「いや三十だ。日持ちするから損はしないぞ」
「この人数なんで、すぐ食べちゃいます。日持ちは関係ないですよ。それに初めて買いますし、二十」
「じゃ二十八だな」
「二十二」
「そのイモも買ってくれたら二十六でどうだ」
「じゃマメ煉瓦とそのイモを四個、買いますから百ロクタンで」
「よし売った!」
「ありがとうございます」
そのハイスピードのやりとりについてこれなかった、ライカの目がぐるぐる回っている。
「なんにゃ? どうしたにゃ?」
「ふふふ、お得な買い物をしたんだよ」
「お得???」
「もとは三十ロクタンだったろ。だから四つ買ったら百二十ロクタンするところを、イモ付きで二十ロクタン安く買ったんだよ。買い物はこうやってするんだよ」
「なんかわかんないけど、魔法にゃ!」
「魔法でもなんでもないよ。店主は二十六ロクタンより一ロクタン安いだけで四倍も売れた。僕らはたくさん安く買えた。いいことずくめさ」
「やっぱり魔法にゃ!」
「しゅにん、すごーい」
全然普通だと思うけどそれが魔法ですか。ライカといると魔法の定義がどんどん広がっていく。
「さて、あとは何を買おうか」
「みんなの分もかうー」
「みんなって?」
「半獣人の集落のみんなで分け合うんだ。今、働いてるのはライカだけだからなっ」
ああ、そういう共同生活だったのか。そりゃ闇市のせいもあるが、お金なんてあっとうまに無くなるはずだ。
「ねずみかうー」
「うきゃー、ねずみにゃー!」
「しゅにん、しゅにん!」
安く買えたことが嬉しかったのか、三人のちびっこは大はしゃぎ。ラドのわまりをぐるぐる回って踊るの跳ねるの、とにかくじゃれ合う。
「ちぃち! 静かにするにゃ!」
ライカがいくら言っても聞きやしない。
その時、市場にホコリか舞い上がった。
――つむじ風!
ラドの目の前を帽子がふわっと横切る。
エイラの帽子だ!
エイラは頭に帽子が無いことに気づいて慌てて取りに走るが、そのときにはもう買い出しに来ていた周りのヒトは気づいていて、ざわざわと「半獣人の子だ」「半獣がいるぞ」と騒ぎだした。
共通の敵をみつけた民衆は醜い。
野次馬の一人がライカの持つマメ煉瓦とイモを指し示す。
「あれ盗んだものよ、きっと」
「なんだと!」
「野蛮な半獣め」
口々に非難の声が飛び交う。
「違うにゃ! これはライカたちが買ったんだ!」
「だまれ! 半獣! お前らに食い物を買う金なんかあるわけないだろ」
「あるにゃ! ライカはちゃんと働いてるんだ!」
買った食べ物を大事に抱えたライカの背後から、ぬうっと棒ムチが現れるのがラドの視界に見えた。それがゆっくりの伸びて突如勢いづき、びしっとライカの腕打つ。
驚いたライカは突然の痛みにマメ煉瓦とイモを落とす。そのマメ煉瓦がカチカチに踏みしめられた道の轍にポトリと落ちて半分に割れた。
こんな喧噪の中だ。音なんて聞こえるわけはない。だがラドの耳には確かにガラスが割れるような音が聞こえた。
咄嗟に怒鳴る。
「ひどいじゃないか!」
「なんだ、チビ」
「この子はちゃんとお金を払って食べ物を買った。決めつけるなんておかしいだろ!」
「おまえも半獣人か?」
「僕はラド、ホムンクルス工場で働いている。彼女は僕の部下だ。僕は自分の部下を虐げる行為に断固抗議する!」
「断固抗議だ? お前そんな工場で働いて抗議なんて言えるお立場か」
あたりからうすら笑い。
「ウィリスのとこだろ。あの売女と遊んでる」
「あの工場のことを堂々という人がいるなんてねぇ」
「魔力のない子なのよ」
「ハブルのアキハといつも一緒の」
口々にあざけりの声。
「アキハは関係ない!」
そんな無責任な誹謗者の群れの中から、太めの男がズンと一歩出てくる。
「お前か、うちの子に火傷させやがったのは。いいところで会ったな。オマエみたいなのがいるから半獣やハブルがつけあがる。この街の平和が乱れるんだ」
言い終わるより早く拳が飛んできた。それはみごとにラドの右頬にヒットし、ラドはぶっ飛ばされて木製の食器を売る店の品物棚に背中を打ちつける。
「テメエ! 商品になにしやがる!」
今度は飛び出してきた店主に胸ぐらを摑まれて泥の地面に投げ飛ばされた。
その周りを人々は取り囲み、誰彼なしに輪の中のラドを蹴りだした。
その後ろでは、ライカとちぃち達が暴徒と化した民衆にボコボコにされているのが判った。
喧騒に紛れて「エイラ」「マイカ」「ノイア」「ねーね」と叫ぶ声がした。
だが無数の足に蹴倒されるラドは、その声の方に向かうことすらできなかった。
その無力が蹴られる痛みよりも辛かった。
雑踏が踏みしめた跡には、轍に落ちた粉々のマメ煉瓦とノリイモがあった。イモなど踏みつけられて見る形もない。
理不尽だ。理不尽過ぎる。
粉々になったイモやマメ煉瓦がまるでこの世界の轍に生きる半獣人の姿に被って見える。落ちてしまえば自力では這い出ることはできない運命の蹉跌。
ライカはボロボロになった身なりのまま、その食べ物を跪いて丁寧に拾い、広げた服の裾にまとめた。
夕暮れになった日は余りに寂しく、四人のねこ耳は遠く影を落としている。
「しゅにん、帰るにゃ」
ラドにはライカにかける言葉がなかった。ただこの一言だけを除いて。
「ごめん、ライカ」
「仕方ないにゃ。バレたのは、うちらのせいだ」
「違う。僕がキミ達の事を知らなすぎた」
「知ってても同じにゃ。でも……知らない方がライカはうれしかった」
ライカの影がラドを覆い、あげた顔の向こうにはライカの笑顔があった。
泣きそうな笑顔。
それは影を背負った陰影も相まってか、ライカの顔には深く人生の悲しみが刻まれているようだった。
「しゅにん……かえろ」
マイカがとても子供とは思えない顔でラドに手を差し出す。
「しゅにん、ごめんなさい」
そう謝るのはエイラだ。きっと自分がはしゃいで帽子を飛ばしたことを謝っているのだろう。
「ううん、エイラは悪くない。悪いのは僕だ。ごめんねエイラ」
ラドの目から涙が溢れるのを見たのだろう。ノイラが「しゅにんは、ねーねと同じくらい大きいのに泣くの?」と言った。
その言葉は脳天気だと思っていたライカが、苦しくても辛い境遇でも泣かない強い子なのを物語っていた。
「恥ずかしいな。僕は本当はキミ達より子供なんだ」
ノイラはハテナの顔をしたが、ラドの頭に手を充てて「じゃ、しゅにんはこれからみんなを守るんだね」と言った。
その言葉はライカがいつも三人に言っている言葉なのだと思った。
誤字修正