籠りの前夜
十日後。
納品は滞りなく行われ、ライカは初めて持つ大金に冷や汗をかきながら荷を受けとった。
おかげでホムンクルスは順調に成長し、王都への納品は滞りなく行われシンシアナ兵の襲撃は王都にバレることなかった。
軟膏の治験は成功した。それはもう完璧な程に。
耐久試験で半日経ってもイチカの衰弱がないことを確認したラドは、翌日にはパラケルスの市場で肌の白いイチカに似合う紺木染めのローブ服とそれに合わせた黒地に赤の紋様線の入った帽子を買った。
目的は勿論ひとつしかない。
「やっとこれを渡せるね」
ラドから手渡された服を広げてきょとんとするイチカだったが、差し出されたラドの手を見てその意味を理解し、白木蓮の花が咲くように笑顔をほころばせた。
「覚えていたのですね」
「もちろん! さあイチカ、街に行こう!」
黄昏の工場をイチカと共にそっと抜け出す。
紺染めの服にしたのはイチカに似合いそうなのもあるが、門出に紺色のイメージがあるからだ。
自分も就職で実家を出た時は紺色のリクルートスーツだった。新しい土地で新しい人間関係の中、新しい生活をする。その期待と未来につながる希望が紺色にはある。
イチカにとって工場の門をくぐるとはまさに新生だ。もう二度と培養槽に戻ることはないという意味では誕生という方がふさわしいかもしれない。
そんなことに思いを巡らすと、待望の娘が生まれたパパの心境になる。
――まぁ今も昔も結婚すらしていないけど。
途中でアキハとライカと合流し、女三人かしましグループと街を目指す。
灯りを目指して荒れ野を歩むと、自分が初めてのこの世界にやってきた日の原体験を思い出す。あの時は不安で一杯だった。だが今のイチカはきっとドキドキとワクワクでアキハとライカに手を取られ一歩一歩を踏みしめている事だろう。
パラケルスの街の貧相な街囲いを通る頃には、街の賑わいが聞こえてきて、その騒がしさだけでイチカはもうソワソワし始める。
街の中央を抜ける街道沿いに家が増えてきて、どんどん人の気配が濃くなってくる。
どの店も夜だというのに明かりをつけて客引きの声を楽しげに張り上げている。そして道道には酒に酔う街の人々が溢れ、宿屋からは笑い声が漏れ、露店からは甘葉の素揚げの甘い香りが漂ってくる。
どれもこれもが初めてで、見るもの聞くも全てが珍しいのだろう。
「あれはなんですか! ラド!」「鬼栗が売ってます! アキハ!」「この毛皮、ライカの耳とおなじもふもふです!」と、市場の中を巡り歩くイチカはまるで舞踏会の会場をクルクル回るお姫様のようだ。
「そんなにはしゃぐと疲れてしまうよ」と言っても聞く耳をもたない。
「イチカ、珍しく大喜びね。あんなの見たことないわ」
そんな光景を微笑ましく思うのだろう、アキハはすっかり母親の顔でイチカを見守る。
「そうだね。やっと外に出られたんだ。我慢しろってのがムリだよ」
「これもラドが頑張ったおかげよ」
アキハがふわっと微笑む。
「アキハがずっと支えてくれたからだよ」
なんて普段は言わない感謝をアキハにいうと、アキハは困ったような顔で横っ腹にパンチを入れてきた。テレくさいのだ。
イチカが自由を獲得するまでに本当に色々あった。替え玉を作ったり、軟膏を作ったり、シンシアナ兵に狙われたり……。
でもイチカの嬉しそうな顔をみると、これまでの苦労もすべて報われる。
「しゅにん! 音楽が聞こえるぞ、行こう!」
中央広場に近づくと、次第に弦楽器や打楽器の軽快なリズムが聞こえ始める。
パラケルスでは長くて辛い冬は家に引きこもる習慣がある。それは春まで続くのだが、その前に一年の慰労と春の再会を祈願して、街の皆と飲んで歌って騒いでしまおうという祭りのようなものが“籠りの前夜”だ。
去年はイチカが目覚めた騒動で参加できなかったが、せっかくの異世界のお祭りなのだから、今年は絶対に参加したいと思っていた。
しかし、あれからもう一年経つのか……。
「イチカにとっては初めての籠りの前夜ね。ずっと工場に籠ってたんだから」
「イチカだけじゃないよ、ライカも初めてかもしれないし」
――まあオレもだけどな。
そんな感慨深い会話をアキハとしていると、ライカがリズムに吊られてフラフラ~と音楽の方に吸い寄せられていく。
「ほらライカ、フード! 一人だと危ないよ」
いくら暗いとはいえ祭りの日の中央広間はマジックランタンが沢山あって明るい。ネコ耳がばれるだろうに。
「私も見に行きます。ライカ待ってください!」
追いかけるイチカをラドの横でアキハが呆れたという顔で見ている。
「アキハも行ってあげて。二人だと心許ない」
「ラドは行かないの?」
「僕はちょっと買い物があるからさ」
するとアキハは可愛らしく斜め上を見て「ふーん」と何やら思案するが、すぐさま切り替えて「わかった」と小走りに二人を追いかける。
「さてと」
ラドは広間に向かう三つの影を見送ってから、予め決めていた商店に向かった。
三人が戻ってきたのは、音楽が一周した後だった。
見るとライカの膝と手が汚れている。だが三人ともなぜかニカニカと笑っていた。「どうしたの?」と聞くと、ライカは満面の笑みで「ケンカしてきた!」と自慢げに答える。
「踊ってたら絡んできた奴がいたの。だから三人で蹴散らしちゃった」
――いや蹴散らしちゃったって。
「ライカ凄かったです。リスみたいに身軽に『やー』って倒してしまって!」
――いやこの子、ネコ科なんだけど。
イチカは鼻息も荒くライカの武勇伝をラドに語る。物静かな子かと思っていたが、興奮するとこんなに早く喋るのだと初めて知った。なんだかイチカの知らない一面を見られるのが嬉しい。
「ところで怪我なかったの。乱闘にならなかったかい?」
「ぜんぜん、踊りながら倒しちゃったもん」
「まさかアキハも一緒に?」
「もちろん!」
母親の顔でイチカを見てたと思ったが、中身はやんちゃなアキハのままだ。でもそれすらなんだか嬉しくで「じゃよかった」と、何が良いのか分からない返事を返してラドも三人と一緒に笑いあう。
「じゃこれは戦勝祝いだね」
そう理由をつけラドは三人に麻袋を手渡す。
「なに?」
「開けてごらんよ」
ライカが待ちきれないとばかりに麻袋に頭を突っ込んで中をまさぐる。
イチカは大事に抱えて袋の麻ひもを緩める。
アキハは袋を逆さにして中身を出そうとする。
三人三様キャラが立っていて面白い。
「うわー、もふもふにゃ!!!」
「わーコートだ! なにこれ、すごいふわふわ」
「これは毛織物です!」
ぱっと咲いた笑顔の花。
「着てごらんよ」
「いいの?」
「もちろん」
三人はクリーム色のコートに手を通す。サイズはばっちりだ。そして三人とも良く似合う。我ながらの見立てに自己満足。
「うわぁ、温かい」
「ふわふわです」
「毛皮にゃ!」
うーん、ライカが言うとちょっと微妙だがな。
「今日はやっとイチカが自由になった日だからね。お祝いだよ」
それを聞いたイチカはパァと目を開くと、ついと俯き口を閉じた。
イチカから発した暖かな泉が四人の胸に流れ込み、あっという間にみんな胸が一杯になってしまう。それはどこまでも透明で優しくなるような感情で……。
これに名前をつけるとしたら何というのだろうか。
「ありがとう。ラド!」
胸に飛び込んできたほとんど自分と同じ大きさになったイチカを受け止める。
顔をあげたイチカの瞳にはいっぱいの涙、そして震える唇。
この顔が見たかった。自由してあげたかった。幸せにしてあげたかった……。
叶って嬉しいのはイチカの筈なのに、自分の方がもっと嬉しい気がしてコッチの方が泣けて来てしまう。それが恥ずかしくて、つい余計な事を口走ってしまう。
「大きな花が咲いたね。でも咲く花は一つだけじゃない。もっと一杯の花を咲かせよう。だってイチカはもう自由なんだから」
「はいっ!」
ちょっと自分でも恥ずかしい事が言ったが、今日くらいはイイじゃないか。なんたって今日は”籠りの前夜”なんだから。
そしてさっきの疑問がふと分かった。
この感情に名前をつけるとしたら何というのだろう。
それはもう決まっている。
『アイ』以外にない。
推敲をしました。