魔法騎士
日も落ちかけた葡萄色の空を流れ星が駆ける。
輝きを増し尾を引きながら一直線に空を切り裂いて駆ける流れ星は、乾いた大地に広がる森へ向かって落ちていた。
雲が猛スピードで後方に流れて行く。
空の上から点に見えていた金色の森は次第に大きくなり森の真ん中を串刺しにする街道が見えてくる。
街道の周りに建物はない。あるのはただ寒々しい景色だけ。
流れ星は街道に沿って更に落ち続ける。
遠く糸のように細かった街道は棒になり、森の一本一本の木々が見え、遂には落ち葉を敷き詰めた地面に衝突!!!
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フクロウがほぅと一つ鳴いた。
嘘のように静かな森に流れ星が落ちた跡はない。ただ黄昏の空に一番星が輝いていた。
尚は蕭条たる景色の中、ぽっかりと浮んだ陽だまりの中で目を覚ました。
夕陽を浴びた金色に煌めく落ち葉と、包み込むように広がる鳥の羽音が、ほんわりと輪郭を持たず尚の中に入ってくる。
目覚めたばかりで、まだ目も耳が手足も自分の感覚と繋がらない。
だがそれは不快ではなかった。むしろまどろみに揺蕩う穏やかで心地よい時間。
そんなうつろを鋭い悲鳴が切り裂く!
女の子の叫び声だ! それもかなり小さい子の!
尚は急速に現実に引き戻され、咄嗟に四つん這いになって起き上がった。
周囲を見回すと少し離れた向こうにガラの悪い二人の男が立っている。一人は少女の首根っこを押さえており、もう一人は意地の悪い顔で何かの指図を出している。
さらに向こうにはロバに繋がれた荷車と茨編みの籠が見える。どうやら女の子をそこに連れ込もうとしているらしい。つまりコイツらは人さらいか野党だ。
声の主と思われる少女は男の腕を振りほどこうと手足をバタつかせ暴れているが、所詮は子供の力であり無駄な抵抗のようだった。その証拠に悪漢たちは少女の抵抗を気にする風もなく今後の算段をしている。
「離せ! 離せーーー!」
全身で暴れる少女の手が男の顔に当たった。
もちろんその程度が痛いはずもないが、男は気分を害されたのだろう、露骨に眉間にシワを寄せると少女の胸倉を掴み顔の高さまで釣り上げ何の躊躇いもなく右手を振りかぶった。
「うるせえぞ、くそガキ!!!」
バシッと森に響く乾いた平手の音。
子供相手になんてことをするんだ!
尚は急速に膨らむ怒りに突き動かされて勃然と立ち上がった。だがその行動は何者かの強い力によって無理やり押しつぶされる。
「黙って寝てろ小僧。お前はお前で金になるんだ」
ジタバタするがその力は凄まじく、踏ん張っても転がろうとしても身動きが取れない。それを見た少女が叫ぶ。
「ラド! こんのっ! ラドを離せ!」
少女の怒気を孕んだ声が耳をつんざく。もちろん悪漢はそんな言葉など取り合わない。
「きかねーガキだな、こいつ売れるんスか? 顔は可愛いがこれじゃ貴族の玩具にならねーだろ」
「だめなら奴隷で売るさ」
少女は一層激しく暴れるが、男は少女の儚い抵抗を力で押さえ茨籠に連れ込もうとする。
尚はまだ働かない頭で必死に考える。いきなり何が起きてるのか全然分からない。だが一つだけ分かる事がある。二人ともココで逃げないと未来がないという事だ!
尚は目一杯首を捻ると自分を押さえつけている男の太い指を渾身の力で噛んだ。急所ではないがかなり痛いはずだ、驚いて反射的に突き放すに違いない。そう思ったが――。
「ってーな、この野郎!」
男は奇妙なほど平然としている。怒りにまかせて全力で噛んだはずなのに!
熱かった思考がひんやりと冷たくなり、男の全身がカメラのフォーカスが合うようにはっきりと見えてくる。
なんてことだ……。こいつは想像以上の大男だ。かけ値なく自分の倍はある。確かに噛んだ指は成人男性の倍はあろうかという太さだった。つまりコイツは三メートル以上の巨人。噛みついたところでビクともしないのは当然だ。
こんな怪物相手に何ができるというのか。自分にできることなんて……もう。そう諦めかけたときだった。
森の奥から何かが飛んできた!
それは火の玉。例えるなら燃え盛るバレーボールのアタックが辺りを赤く染めながら、一筋の矢となって一人の男に向かって突き進んでくる。
当たる! と思ったときには火球は指示を出していた男の背中に突き刺さっていた。
火の玉は男に衝撃を与えたかと思うと、ガソリンをかけた焚き火のように一瞬で燃えあがり全身を炎で包む。
突然の攻撃にパニックに陥いった男は、火を消そうと地面を転げのたうちまわる。だが火勢は弱まるどころか更に勢いを増して、ついには男の顔を見えなくした。
激しく火を噴く両手が息を求めて空を搔き毟る。その指先がビリビリと震えている。
ほどなくしてその手がずるりと落ちた。男はぺたりと座り込み祈りの姿のままで動かなくなった。そして烈火であった火勢はまるで絶命を確認したかのように急速に小さくなり、フッと消える。
残ったのは消し炭になった人の跡と、蒸された落ち葉の灰っぽい匂い。
だれもが突然の惨劇に釘付けになっていた。だが、ガサっと落ち葉を踏む音に悪漢二人は正気を取り戻す。
「誰だ!」
威嚇を放った男が尚を放り投げて身構える。ごろりとでんぐり返しになる尚。
男はピンピンに気を張り詰めて素早く周囲を見渡す。そのかぶりがピタリと止まった。尚も悪漢の視線に引っ張れてその方角を見る。そこにはぼうっと光るオーラを纏った何者かの顔が闇に浮かんでいた。
目が慣れてくるに従い、ディテールが見えてくる。
紺色地に金糸の刺繍が入ったくるぶしまで隠すローブを羽織った男が、いたって凛々しく立っている。ローブの合わせから見えるのは軽武装の皮か何かのアーマーだ。宵だと言うのに表情まではっきり見えるのは、彼が持つスタッフの先端が色調を変えながらやわらかに光っているからだ。尚は直感的にそれが魔法のような不思議な力だと分かった。
「テメェ、アニキをやりやがったな!」
「ふむ、先に手を出したのは君達のように見えたがね」
落ち着いた魅力的な低音ボイス。
「ガウベルーアの騎士様か? お偉いさんは素通りしてりゃいいんだよ。お前らにはハブルの生活はわかんねーだ」
「分からんし、分かりたいとも思わん。だからといって女子供を売っていい訳ではあるまい」
悪漢は辺りを見る。どうやらこの騎士に仲間がいないのを確認しているらしい。
「テメェひとりみてぇだな。カミヨ! そのガキはいい、先に二人でこいつをやっちまおうぜ」
カミヨと呼ばれた男は少女を突き放すと指バキバキと鳴らして腰を落とし臨戦態勢を取る。突き放された少女は、その場にへたり込むかと思ったが、小さくキャっと声を上げて尻持ちを付いただけで、気丈にも直ぐ立ち上がり見事な弧を描いて尚の元に駆け寄ってきた。
「ラド大丈夫! 怪我ない?」
心配する少女をよそに尚は騎士と呼ばれる男から目が離せなかった。
「あれは魔法、魔法騎士、どういう事なんだ……」
騎士は男とは思えぬ嫣然とした仕草でローブのフードを外すとスタッフを構える。
「接近戦か。困るね。旅の助けに妻から貰ったスタッフを壊したくないのだが」
「減らず口を叩けるのはここまでだ。カミヨ! 後ろにまわれ!」
バカだろうか! この悪漢は! 敵に位置を教えてどうするつもりだろう。そう思ったのは騎士も同じだったらしい、僅かにニヤリと口を歪めると何か口ずさみ始めた。
「イン エルアルトフォルス エンゲルト アル――」
魔法だ! 魔法の詠唱だ! 間違いない!
尚の全神経は呪文を口する騎士の端正な口元に注ぎ込まれていた。
その詠唱が終わる前に、悪漢が両面から急襲する。
どっちが早いか!
騎士はひらりとローブを翻す。まるでロンドを踊るように優雅に手元の杖をかざして。
するとスタッフの軌跡に合わせて焔のリングが展開。リングは術者に呼応するように太くなり脈動しうねる。まるで焔の大蛇だ。
悪漢はそんなのお構いなしに突っ込んでくる。恐怖の景色をたった今見たばかりだが、なんてことはない。先に殺ってしまえばいいだけの事だからだ。
一方騎士は突撃に恐れることなく余裕の表情でスタッフを地面に着く。
「――ルレートジンク インゲッテン カティーロ!」
呪文という名の命令を受けた焔の大蛇はいまや術者から解き放たれ、発条が爆ぜるがごとく悪漢に向かって飛んでいく。
その一撃を悪漢は避けることができなかった。魔法を食らった二人は後ろに吹っ飛び焔の大蛇に食われていく。
叫び声もなくのたうち回るのは、火炎を吸って喉と肺を焼いたからだ。
火だるまの男が黒く焦げて死んでいく姿は凄惨でおぞましい光景なのだが、尚は恐ろしさを全く感じなかった。それどころかたった今、三人の大男を殺した騎士を憧憬の眼差しで見ていた。
「魔法騎士……」
思わずつぶやいていた。
隣りで尚を支える少女も泣きも叫びもせず、淡々とこの景色を見ている。
動かなくなった三人を見届けた魔法騎士は、何事もなかったようにフードをかぶり尚と少女に背を向ける。
「夜に出歩くものではない。パラケルスといえ街道を離れると野党も出る。気をつけなさい」
落ち葉を踏む音が一歩一歩と小さくなり闇に消えて行く。
そして静けさと、人の焼ける臭いと、初めて見た魔法の美しさの余韻を残して、辺りは闇に包まれるのだった。