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マッシュ&マジック

 木枯らしが吹き始める頃にはイチカはすっかり言葉を覚え、ラド達と本当の意味でコミュニケーションが取れるようなった。

 人の生活、街の喧騒、店に売られる品々など、イチカはココにはない知識を得るに従って、工場の外を見たがるようになった。

 実際イチカはそれとなく遠まわしに外出をおねだりしたが、ラドはそんな婉曲表現ができるようになった事を嬉しく思いつつも、決して外出を認めようとしなかった。

 それは決して意地悪からではない。外に出したくても出せない理由があったからだ。


 ホムンクルスが持つ限界。


 イチカは培養液から出て一時間もするとぐったりとし始め、苦しそうに肩で息をする。

 一時間の壁。


 工場から街までは往復で一時間以上かかる。もしイチカが好奇心に駆られて街に行ってしまったら……、もう二度とココには戻ってくることは出来ない。それはちょうど人が神秘に憧れて深海に潜るようなものだ。見とれて長居をすれば二度と地上には戻れない。イチカにとって街へ行くとは、そんな片道切符を意味する。

 その現実を伝えるのが辛くて、でも事故が起きてしまわないように、ラドは強くイチカにノーを言わなければならなかった。

 そんなことを言う自分が嫌いになりそうになるが、辛くても真実を言うのが大人の役目だ。


 イチカも最近はそんなラドの心中を分かっており、もう外に出たいとは言わない。

 ラドもイチカが本心を偽って平気な顔をしているのを知りつつ、何事もなく外の世界の話題を避ける。

 お互いに分かっていても言わないことがある。

 だから時よりイチカが外につながる大扉をじっと見ていたりすると辛くなるのだ。

 あるいはイチカなら、意識を持った特別なホムンクルスならば、この縛りを超えられるかと思ったが、ホムンクルスのガラスの器の足かせは依然イチカの自由を強く縛っていた。


 『縛られた自由』

 この世界にはそんなものが数多(あまた)ある。ガウべルーアに生れ、魔力がなかったラドのもその一人だろう。



 アキハと約束した”イチカを育てる計画”も大きな問題にブチあたっていた。

 替え玉のホムンクルスはウィリスにバレないように仕込んだ。

 ホムンクルスの世話担当には、それぞれ一つ以上の育成棟が割り当てられている。だから自分が担当する棟の中なら、ある程度バレないようにやりくりができる。そうして育成棟の片隅に作った石積みの隠し部屋に、ガラスの培養槽で育つホムンクルスが一体眠っている。

 もしイチカの出荷指示がきたら、このホムンクルスと差し替えればウィリスは簡単にごまかせる。ちょび髭はホムンクルスの顔など覚えていないからだ。

 だが問題はここからだ。イチカをこの工場から出せなければ替え玉工作も水泡と帰す。

 もう一つ、移動用のガラス器を作ってここから出せたとしても、イチカは一時間おきに培養液に浸からないと生きていけない。その培養液をここ以外でどうやって大量に作ればよいのか。そんな巨大な製造装置を置く場所などラドの家にはない。


「はぁ~、いい案があるなんて言ったけど問題だらけだよ」

 どうすればイチカを工場から出せるのか。

 ずっと考えているが良い方法が見つからない。いやここから出るだけじゃない、本当の意味でイチカを束縛から解放する冴えたやり方。


 そんな答えのない問題に呻吟していると、「ラドーーー、イチカーーー、ご飯買ってきたーーー」と脳天気な声が育成棟に響いた。

 ――アイツ……相変わらず真剣に考えている時に限って空気をぶち壊してくれる。

 エアデストロイヤーアキハは親方の工房のガラス製造が軌道に乗ると、また夜な夜な工場に遊びに来るようになった。確かにイチカを一緒に育てようとは言ったが毎日来いとは言ってない!


「今日は鬼栗のマッシュだよー」

 アキハは半分に割ったひょうたんをブンブン振りまわして、勢いよく大扉を開けてやってくる。

 鬼栗のマッシュは秋の実り“鬼栗”を蒸して裏ごしし、甘葉のシロップで滑らかに溶いたものだ。お菓子のような甘さがあるが栄養価が高く秋の食卓にもあがる。粘りが強い食品なので露天ではそれを半分に割ったひょうたんに入れて、鬼栗の葉で蓋をして売っている。


「アキハ、そんなに振り回したらこぼれるよ!」

「大丈夫、大丈夫っ」

 そうやってお前はヒゲ芋の包みを培養槽に落としたろと思いつつ、街まで行かないと買えない晩御飯を毎日買ってきてくれるのはありがたいので苦情は止める。ウィリスが居ないとはいえイチカを一人で工場に置いていくのは実に心許ない。それにイチカが起きている時間は一秒でも一緒に居たいからだ。


 アキハは葉っぱのフタをぺろりと剥がして人差し指で鬼栗のマッシュを掬う。相手はアキハなのでスプーンも一緒に持って来るという気配りはない。それぞれの方向からマッシュを指ですくって仲良く三人で食べる。

 イチカは培養液から栄養を取っているので食事は不要と思ったが、一日に何度も培養槽を出とお腹が空くそうだ。すごい勢いで成長するので、それだけ栄養を欲するらしい。


 三人でマッシュを食べ終えた後はおしゃべりタイムだ。アキハは石槽に頬杖をし足をパタパタさせながら今日ことを話す。

 人一倍喋るだけあってアキハは話し上手だ。身振り手振りに声色ありで生き生きと街の日常を切り取って面白おかしく話す。ラドから話すと重苦しくなる街の景色もアキハが話すと色づいて聞こえる。

 これを食いいるように目を輝かせて聞くイチカがいる。なんだかご主人様と一緒にいるのが嬉しくてしょうがない子犬のようで、見ていてなんとも微笑ましい。


 そのキラキラな瞳に乗せられて、アキハのトーンも上がっていく。

「でね、そのちっちゃい子がお買い物のお釣りを受け取ってくれないの。『わたしいらないの』って。お店の人も困っちゃって。でねっ、ここはわたしの出番じゃない? お釣りは私が受け取って、その子には『お使いのご褒美ね』って私のお財布からお釣りを渡してあげたの。それでやっと受け取ってくれたんだけど、『何で受け取らないの』って聞いたら、一人でお買い物するの初めてなんだって。もうビックリよ。お母さんも一緒に市場にいってお金の使い方教えてから、お使いに出せばいいのにねぇイチカ」

 ノリノリの話にイチカが静かに微笑む。それを見てアキハが気づく。

「あっ、ごめん……イチカ」

 夢中になるあまり、つい口が滑ってイチカの境遇を考えない話をしてしまったと気づいたのだ。

 アキハがしゅんと謝るとイチカは「いえ、気にしないで下さい。わたしは街にも市場にも行きたと思ってません」と、先回りしたフォローをする。

「ごめん、変なこと話しちゃって」

「わたしはアキハの話が大好きです。そしてラドやアキハと話せるだけで十分幸せです」


 だが、あまりに想いが透けているとフォローもかえって罪悪感を助長する。アキハが語る今日の出来事を、毎日、毎日、目を輝かせて聞いているのだから自由になりたいに決まっている。

 イチカはこの監獄から出られない。しかも自由になるのは夜だけ。


 育成棟の空気がずんと重くなる。さっきまでフルカラーの動画を口から紡いでいたアキハが下を向いた。

 イチカはそんなアキハのほっぺたをツンと突いた。

「アキハ、ほっぺた」

 アキハは「ん?」と、意表を突かれた顔をして頬を離れて行くイチカの指を追った。

 その指先についていたのは鬼栗のマッシュ。


「付いてました。ずっと言おうと思ってたのだけれど、アキハのお話が楽しくて」

「あ、ありがとう」

 アキハはえへへと泣きそうに笑ってイチカの指先に残るマッシュを指ごとパグっとくわえる。そしてもぐもぐして一言。

「甘い」


 それを呆然とイチカが見る。

「食べられてしまいました……」

「え、イチカが食べようと思ってたの?」

「はい。私の指が掬ったのですから」

「あはは、そうね」

 意味が分からないとキョトンとするイチカと大笑いするアキハ。

 明るさの戻ってきた場にラドが言葉を添える。

「そんなところまで飛び散らすなんて、どうやってマッシュを食べたのさ。自分でつけない限りつかないって」

「つけないわよ、ついたの!」

「だって練り物だよ、口の周りにはつくけど自分で塗り付けない限りは――」


 そこまで言ってラドの全てがピタリと止まる。

 急な変化に戸惑うアキハ。

「どうしたの?」

 だがラドの返事はない。

「ラド?」

 イチカが聞いても止まったまま。

「ねぇ」

「……」

「ねぇラド、どうしたの? ねぇラドって!」

「これだぁぁぁ!!!!!!!!!」

 突然の大声にびっくりして飛び上がる二人をよそに、ラドの思考は加速する。


 培養液を軟膏にすればいいのだ。軟膏なら持ち歩けるし、いつでも塗れる。

 イチカが弱るのは培養液の効果が切れるからだ。皮膚から重要な何かを吸収している。だから皮膚を清潔に保つためにマメに世話をしているし頻繁に培養液を交換している。だが彼女を培養槽に沈めるのが適切とは限らない。むしろ汚物と混ざるために頻繁な培養液の入れ替えの必要とし、そのため大規模な培養液製造施設が必要となる。

 軟膏ならその問題をすべてクリアできる!

 軟膏の基剤にもっとも適切な素材はワセリンだ。けどここに原油があるとは思えない。なら代替え品として市場にあったオリーブオイルを使えないか。それに蜜蝋を加えれば基剤として十分な粘度がでる。そこに培養液を練り込む。

 培養液は取り急ぎ工場から拝借すればいい。臭いは基剤に香草から作った香油も入れれば別の臭いに替えられそうだ。


「いける! これなら行けるぞ!!!」

「ど、ど、どこに行く気よ!」

「わたしはココから動けないのですが」

 珍しくガッツポーズをとって意気込むラドと、状況に着いてこられない二人。

「どこに行く? いいね、それ! イチカを街に連れて行ってあげるよ」

「ちょっと! イチカはココから動けないって言ったのアンタでしょ」

「ノンノン、不可能じゃない。な・ぜ・な・ら・実は僕はちょっとした魔法が使えるんだ」


 魔法!

 アキハはその言葉を聞いて心臓が凍りついた。ラドの前では魔法は禁句だ。あれからラドの前で魔法という言葉を一言も使ったことはない。トラウマを思い出してまた()()()に戻ってしまうかもしれないからだ。あるいはふさぎ込んでまた口を聞いてくれなくなるかもしれない。

 瞬間、そんな負の思考が全身を駆け巡るが、次にラドから出た言葉はアキハの恐れとはかけ離れた内容だった。


「魔法といってもこの世界のそれじゃない。科学さ。僕らの手で軟膏を作るんだ。アキハ手伝ってくれる?」

「かがく? なんこう???」

「そうか。軟膏って概念はここにはないのか。じゃ本当にゼロから作らないとだな」


 ふむむと顎に手を当てて楽しげに唸るラドの姿にアキハはホッとした。こんな風に何かに夢中になって好きなことをやっていればラドは絶対落ちることはない。

 だがラドが言い始めた”なんこう”とは何だろう。

 疑問ではあるが聞かないことにする。それはきっと誰に聞いても分からない、生まれたときからラドの頭の中だけにあるものだからだ。

 ラドは小さい頃から賢い子だった。でも明らかに変わったのは、あの森の一件からだ。自分のことすら分からないほどの記憶喪失になったのに、やたら難しいこと言ったりするようになった。しかもそれが適当なのかといえば、そんなことはない。

 “朦朧”なんて言葉も、母さんやおばさんすらも知らない言葉だったのに、後で工房のお客さんに聞くと、たしかにそういう意味の言葉があるという。

 いったいラドはどこでそんな言葉を覚えたのだろうか。

 ラドはホムンクルスは生まれたときから知識が入っていると言ったが、なら教わるでもないことを知っているラドはまるでホムンクルスではないか。

 もちろん物心ついた時からラドを知っているのだから、そんなことはないと分かっているのだけれど。


「軟膏とは何でしょうか?」

「うん、そこの鬼栗のマッシュみたいな薬だよ。患部に塗ることで治療するのが本来の目的だけど、肌の乾燥を防ぐために使うこともあるんだ」

「乾燥ですか。ならば被膜を形成するのですか」

「そうだね。脂質の膜で保護しつつ、薬効を皮膚から直に浸潤させる」

「脂質とは油です。しかし水溶性の薬物は油とは混ざりません」

「よく覚えたね。でも混ぜる魔法があるんだよ。乳化剤っていうんだ」

「凄いです」


 全く分からない二人の会話をアキハはただじっと聞いていた。

 何でイチカは分かるのだろう。ラドは自分が居ない間にもイチカになにを教えているのだろうかと思う。

 自分のいない時のラドとイチカの時間――。

 イチカはどんな距離でラドの隣にいるのだろう。どんな顔をしているだろう。どんなことを話しているのだろう。

 どんどん親しくなる二人を見るとモヤモヤとした気持ちが沸いてくる。それはモヤモヤなんて曖昧なものじゃない、はっきりとした意地悪な気持ちだ。

 イチカは好きだ。でも私のいないところでラドと仲良くするイチカはイヤだ。

 焼きもち? そして哀れなイチカにそんな想いを抱く自分への嫌悪。


 アキハは揺れ動く自分が怖くて、何でもいいから声を出して靄を追い払うことにする。

「ねぇラド。私は何をすればいいの?」

「ん? どうしたの? 何か変じゃないアキハ」

「ううん、そんなことない、元気!」

 ラドが自分の機微にちゃんと気づいてくれていることが嬉しい! いつもは鈍感なクセにこういうときだけはちゃんと自分をみてくれているのが嬉しい。嬉しくてまた元気が出てしまう。


「お腹でも痛いの? 食べ過ぎなんだよ、アキハは」

「もう! そんなわけないじゃない! 私はどんだけ食いしん坊なのよ!」

 前言撤回! やっぱりこいつは女心をわかっちゃいない!


 するとイチカが少しだけ表情を曇らせ低めの声で言う。

「ラドはいつもアキハを怒らせます。それはいけない事です」

「そうよ、わたしも大事にしなさいよ!」

「わたしも?」

 言ってしまって気づく。これじゃわたしが僻んでるみたいじゃないかと。それを悟られたくなくて、ぎゅっと体を固くする。


「んーーまぁいいか、それでね、アキハにお願いしたいのは」

 今度は一転ほっとする。ラドが文脈をぶち切ってでも自分の話したいことを話す性格で良かったとこの時ばかりは思う。突っ込まれればラドはとことん理詰めで追求してくるし、自分は簡単に口を割ってしまう自信があった。自分の気持ちを知られたら辛さと恥ずかしさでラドの顔もイチカの顔ももう見れなかっただろう。

「原料の調達なんだ」

「そんな変なの私には無理よ」

「そこらへんに売ってるものでなんとかするから大丈夫だよ。それが魔法の所以なんだから。紙に書いてあげるから買ってきて」

 さらさらとラドがペンを走らせた紙には、オリーブオイル、ナタネ油、蜜蝋、大きな陶器のカップなど等、確かに市場にあるものばかりが書いてあった。

「じゃ明日でいいから、よろしく頼むよ」


 よろしくと言われてウンとは言ったが――、自分の心を知ってしまったアキハの胸中は鬼栗のマッシュのようにべっとりと重いのだった。

誤植訂正

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