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ガラスの器

 ガラスの原料には炭酸ナトリウムが必要だ。子供の頃に読んだ本には『古代のガラス』は塩湖の近くで採れるトロナを使っていたと書いてあった。

 塩はパラケルスでは高価な商品だ。美しいピンク色をした岩塩はこぶし大の大きさで五千ロクタン! ラドがヒュウゴから買った書籍十冊に匹敵する価格だ。

 そして市場で見た地図にはパラケルスの近くに塩湖はなかったから、価格的に考えてもパラケルスで売られている岩塩は、どこか別の土地から輸入していると想像できる。

 岩塩を輸入――ならば行くところは一つしかない。



 向かうは中央広場。そのど真ん中に総石造りのひときは堂々とした二階建て建物がある。左には重厚な倉庫が二棟、右には四頭だての馬車が五台は置ける駐車場。そして中央の館はアキハの家が丸ごと入るのではないかと思うほどの巨大な扉があり、この家の主の権勢を誇示している。

 その豪邸の倉庫の前で、金髪の青年は汗だくで働く荷夫たちに細かに指示を出していた。


 ラドは背後から青年に近づく。

「やあ、エルカド」

 気楽に声をかけると、エルカドは手元の黒板を落とすほどの勢いで飛び上がって驚いた。

 やにわにこちらを振り向き目をパチクリさせている。


「ラドか! どうしたんだ、心配したぞ!」

「この時間にここにいるってことは、エルカドは無事卒業したんだね」

 時は昼過ぎ。まだ魔法学校に通っている時分ならヒュウゴにしごかれててもおかしくない時間だが、エルカドが店先で積み荷の指示を出しているということは、もう魔法学校を卒業し立派に公証荷屋の仕事をしているということだろう。

「ああ、お前が来なくなってから直ぐな。済まなかった。あんな事になるとは思わなかった。ヒュウゴはお前を追い込めば魔法が顕現すると言ってたんだ。だが――」

 エルカドはソワソワと落ち着かない様子で整理の付かない言葉を繋げた。驚きと申し訳ない気持ちとそれでも残る自己防衛心がないまぜになったマーブルな言葉だが、ラドはそんな過去にはこだわりはなかった、さらっと手を広げて、

「ああ、うんいいよ、しょうがない。だって魔力がなかったんだもん」

「お、お前?」

 どうやら、そんなサラリとした反応が返ってくるとは思わなかったらしい。最後があんな形だったのだ、エルカドはラドが自分もヒュウゴも恨んでいると思っているようだった。

「また『お前』って呼ぶ。ラドだよ」

「ああ、ラド。いいのか?」

 まだ驚きを隠せないエルカドは、言われるがままにボソリとラドの名を呼ぶ。

「いいもなにも。まぁホントに死ぬかと思ったけど目的が目的だったわけだし。むしろエルカドのかわいい子分に怪我をさせたのは僕だし、まぁ、あいつらに謝る気もないけど。それより――」

 挨拶も早々にラドは要件に入る。こっちに遺恨はないのだ、いつまでも湿っぽい話を引きずらせるつもりもない。

「エルカドに心配をかけたのは申し訳ないと思っているんだけど、一つビジネスの話をしていいかな」

「ああ、ううん。なんだ」

 いまだ状況についてこられないエルカドだったが、お付きの部下から新しい手持ちの黒板と石ロウを受けとると流れ作業のようにメモの用意をする。もうすっかり商人が板についている。

「塩の運搬についてなんだ。エルカドの所では岩塩を運んでいるかい?」

「もちろんだ、高価な商品だからな。パラケルスではウチ以外では運んでいない」

「ならちょうどいい! その塩を見せて欲しんだ!」

「見る分にはいいが。見てどうするんだ」

「トロナを仕入れるんだよ」

 トロナと言っても当然エルカドは分からないが知らずとも問題はない。ラド自身が仕入れた塩をみればトロナがあるか分かるからだ。


 エルカドに連れられて豪邸の裏にもあった太木組みの倉庫を何棟か見送る。

「ここだ」

 倉庫に入り、お付きの部下によって運ばれてきた岩塩の塊を手に取ると、明らかに塩ではない石が含まれているのが分かる。やっぱりだ。

「トロナだ。エルカド、この小さい石を僕に売って欲しいんだ」

 ここで所望を明かさず交渉する手もあるが、エルカドにはそういうことはしたくないので、ラドは素直に欲しい旨を伝えることにした。するとエルカドはそこまで含めて悟ったらしく、商人ではない顔でラドに向き合った。


「その小石は売り物にはならないぞ。岩塩は大きな塊ならそのまま売るが、砕けたものは一度溶かしてもう一度固めるんだ。そのときにそいつは大量に出てくる。それでいいなら製塩所に行けば幾らでも貰えるぞ」

「うふふ、値はつけないんだね」

 スレート黒板を手渡した部下が「ぼっちゃん」と心配な顔をしている。『儲け所を逃していますよ』と、わざわざ指摘している訳だ。エルカドはそれをうるさいと手で払い「べつにこれは埋め合わせじゃないからな」とそっぽを向いてごまかした。

 コイツ、結構可愛いところがあるじゃないかと心の中でほくそ笑むラド。


「ありがとうエルカド! じゃ僕はこのお礼に面白いものができたらエルカドの荷屋で運ばせてもらう事を約束するよ」

 運ぶと聞いて商売の話に戻ってきたエルカドは、目を輝かせてニカッと笑う。

「高いぞ」

「望むところさ」

「ところで、お前、今、何やってんだ?」

「ふふふー、ひ・み・つ」

 スキあらば情報を聞こうとする気の抜けないところは既に年季の入った商人だった。



 手に入れたトロナはそのまま親方に流す。かなり純度の高い炭酸ナトリウムが手に入ったおかげで、親方とアキハは一週間もしないうちに透明度の高いガラスを作ることに成功した。

 これはのんびりとはしていられない。早く育成棟に秘密の部屋を作って、イチカの身代わりを作らなくてはならない。

 幸い育成棟には壊れた石槽を捨て置いたゴミ置き場がある。その石を積み直して空洞を作れば、ちょっとした隠しスペースが作れる。だがそんな狭いスペースには巨大な石槽は入らないので、小型で臭いが漏れない培養器が必要だったのだ。それがガラスの培養器を作る目的である。

 これがうまく行けば、同じように小型のガラスの培養器を作り、そこにイチカを入れて一時間しか外に出られない虚弱なイチカを工場から連れ出し、自宅にかくまうことが出来る。

 これがラドが考えた手だ。



 それから一か月が経ったある夜。

 芋箱二つ分ほどの大きさの荷物が荷車に乗せられて工場に運び込まれた。


 木箱の梱包を開けると、中には藁にくるまれた、それは見事な透明度のガラスの曲線が顔を見せる。大きさは寸法通り。ラドの身長くらいで紙に書いた通りに穴が開いている。頼みもしないのに縦置きできるように木製の台座も用意されていた。

 この仕上がり――全く期待通りというか、期待を超えて来やがった!


 マッキオ親方が直々に箱の中から培養器を取り出し、木枠の台座のガラスの器を鎮座させる。

「すごい……すごいですね。一瞬みただけの図面だったのに書いた通りの物ができてる」

「あたりめぇだろ。お前のオーダーなんて貴族のむちゃぶりからみりゃ、ガキの使いみたいなもんだぜ」

「それにかなりの透明度が出てますね。気泡がほとんどない。いったいどうやって……」

「それはね、ラド」

「アキハぁ、てめぇは口ひらくな! そりゃ企業秘密ってやつだ。この技術は俺が貰う。こりゃ売れるネタだ。ガラスってヤツはこの世界にゃねー。これがあれば器だって、宝飾だって簡単にできる。そんな技術を俺は手放すつもりはねぇ」

「ええ、技術はそれでいいです……」

 余りの出来栄えに感動して、金儲けの匂いに興奮する親方の声など耳に入らない。声を失うとはこの事だ。


 見事に仕上がったガラスの器を指先でぴんと弾く。「トーン」とガラス特有の澄んだ固有震動が響き、器全体が均一に仕上がっているのが音から分かった。

 お見事……。


「親方……、僕らがここでホムンクルスを作る事、僕らが育てているイチカの事は秘密にしてください」

「ああ、いうに及ばずだ。お前はガキだがおもしれーやつだ。ここで敵に回すつもりはねぇよ」

「ええ、あなたも柄になく、おそろしく丁寧な仕事をする」

「いうな小僧」

「認めてくれるなら、ガキじゃなくて名前で呼んでください」

「おう、ラド」

 気を取り戻したラドは身長の合わない親方と視線を交わし、ガッチリ握手をする。

 これぞ意気投合。


 一方、面白くないのはアキハだ。

「ラド! わたしも寝ないで頑張ったんだけどっ!」

 頬を膨らましてラドに不満をぶつけるアキハを見てハッと気づく。想像すれば直ぐわかるが、マッキオ工房では昼は高炉や転炉を動かし、夜は遅くまでガラスの製造をしていたのだ。

 高炉は一度でも火を落とす鉄が固まってしまい使い物にならなくなる。

 弟子のアキハはこの1か月、寝ずに炉の番をせねばならなかっただろう。実際、アキハはガラス器の製造中は一度も工場に来れなかったのだし。

「アキハもありがとう! 夜中までがんばってくれたんだよね」

「散々親方にこき使われたわよ。それよりイチカは?」

 褒めてもらえたアキハをまだペタンこの胸を大いに反らせると自慢げに鼻を鳴らした。そしてイチカに会うのが我慢しきれないと、つま先立ちに石槽の中をのぞく素振りを見せる。

 なにせ、ひと月もご無沙汰なのだ。その間にイチカはどんな成長をしたのだろうか。世話好きのアキハが気にならない筈はない。まるでお預けを食らったワンコのようにウズウズだ。


「そろそろ起きる時間だよ」

 と言っている間にも、イチカは騒ぎを聞きつけたか培養槽から起きてきた。

 培養液を押して上半身をもたげたイチカはパチリ瞬きをひとつ。そしてさっそくアキハを見つける。

「アキハ、会いたかったです。ひと月ぶりですね」

 スラスラと喋るイチカに驚きながら、疲れも吹っ飛ぶ笑顔でアキハはイチカに駆け寄った。

 イチカの瞳が朝日を浴びたビードロのようにキラリと輝いた。

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