初花に願いを込めて
ホムンクルスの目覚めは、ラドを大いに発奮させた。
珍しく家に帰ってぐっすり寝たラドは、冬鳥のさえずりで飛び起き、全速で走ってホムンクルスに工場に出勤する。
自分は切り替えがよい方ではないと思う。魔法騎士への夢は捨てきれるものではないが、いつまでも不可能にしがみ付いてはいられない。
前の世界には魔法そのものがなかったが、それでも胸の中には剣と魔法の世界の恋い焦がれる想いが消えない灯となって燃え続けていた。それを考えれば現状はまだはマシだ。なぜなら剣と魔法の世界につきものの”錬金術”が目の前にあるのだから。そして偶然にも目の前に目覚めたばかりのホムンクルスがいる。なら魔法騎士の夢は一旦横に置いといて、ちょっと夢の寄り道をしてもいいではないか。
などと言い訳を巡らせるが、なにより好奇心がこの異常事態を放っておけなかった。
それはどうやらアキハも同じだったらしい。
昼間は何事もなかったようにラドはホムンクルス工場、アキハは工房の仕事に勤しみ、夜になりちょびヒゲウィリスが浮かれ顔で帰るのを見計らって育成棟でアキハと落ち合う。
ウィリスさえいなくなれば後は自由だ。ホムンクルスを育てる育児のお時間。
さて子育で最初にやる事と言えば。
「ラド、この子の名前どうする?」
当然の質問だ。
「そうだなぁ、本人に聞くのも変だしね。アキハはどんなのがいい?」
「んー、ホムンクルスだからホムちゃんなんてどう?」
「はぁぁぁ? なにそれ? そのアホっぽい名前」
「いいじゃない! 呼びやすいし、ストレートだし」
「アキハさぁ、犬猫じゃないんだから。だいたい自分の子供にそんな名前つける?」
「つ、つけるわよ」
「それ旦那さんが納得しないよ」
「するわよ!」
「いや僕ならダメ出しのうえ、今後の命名権を永遠に剥奪するね。E電級のセンスのなさに」
「ひどいぃぃぃ、そんな事いったら、わたし、ら、ら、ラドの子なんか産んであげないんだから!」
なぜか赤い顔をして興奮気味にアキハが吠える。
いや別に産んでくれなんて一言もいってねーだろ。なぜ怒る。
アキハの高ぶり受けてか、ホムンクルスの少女も呼応するように覚ざめる。
培養液をゆるりと波打たせ、びっしょり濡れた銀の頭が石槽から出てくるのは、正直、素敵な光景ではない。夜中に見たらどこぞのホラーだ。
しかし、ホラー映画を見たことのないアキハはそんなものなど平気らしい。「あ、ホムちゃん起きた!」と、まだ決まってもいない名前で軽い対応だ。
少女はまだ眠いのか、元々そうなのか、もそーっとした動作で首を横に振る。
「どうしたのホムちゃん」
暫定名付け親になったアキハは、上げるだけ口角を上げてさあいらっしゃいとばかりに手を広げる。だが少女はまたゆっくり首を横に振ってアキハをジッとみる。
「ほら、その名前はノーなんだよ」
「えーーー! かわいいのに」
「こんな名前は嫌だよね」
ラドが尋ねると少女は、ゆっくり首を縦に振る。
「ほらね」
「えーーー」
ダメ出しにショックを隠し切れないアキハは、がっくり肩を落として何やら聞こえない声でブツブツと石槽に向かって文句をたれる。まさかネーミングセンスで、まだ何のインプットのない少女にもダメだしされるとは思わなかったのだろう。
「じゃラドはどうなの」
「僕はちゃんと考えたよ」
「なによ。変な名前だったら大笑いしてやるんだから」
ラドは少女に向き合って、しっかりと目を見た。
「キミの名前は、イチカだ。一つ目の花という意味だよ。キミの人生がここから始まって美しく咲き乱れる事を僕は願っている。だからここがスタートだ」
少女はラドと視線を交わしてゆっくり頷いた。碧の瞳が青白い光りにきらりと輝く。
「いちか……イチカ。らど、あきは、イチカ」
「そうだよ。僕はラド、この子はアキハ、キミはイチカだ。ようこそイチカ」
ラドはそう言ってイチカに手を伸ばした。
イチカも細い手を伸ばしてラドに合わせる。無表情に見えたイチカの顔が少し笑ったように思えた。
ラドはイチカが目覚める前から何度も培養液から出して世話をしていた。だからイチカの手の感触、体の細さも全部知っているつもりだった。だが意識をもったイチカの手はそれとは全然違っていた。
暖かく、しっとりと重く、ふんわりと柔らい――
生きているとはそういう事なのだ。
「はぁ~~~、なんかもう、その名前で決まりじゃないの?」
「うん、そうさせてくれないかい」
「分かったわよ、いい名前だと思うわ。わたしも好きよその名前。よろしくねイチカ」
アキハも握手を求めて手を差し出す。イチカも恐る恐る手を出す。そして小さく一言。
「いじめないで……」
アキハとラドは顔を見合わせる。
「いじめないわよ!!!」
「あははは、前回の教訓がいきてる、いい学習能力だよイチカ」
「もうラドったら!」
初めての学習は言葉を覚える事からだ。
まずは小手調べとして、ラドはイチカに培養槽から出て、用意された椅子に座るよう指示をする。イチカはコクと頷き、薬液をちたちたと滴らせながら石槽を出る。
だが、その後が続かない。電池がきれたロボットのようにピタリとそこで止まってしまった。
「どうしたの?」
「椅子に……座るとは」
「椅子が分からないの?」
「椅子とは体の安楽に保つための道具」
その通りだ。そこまで分かって何を躊躇う必要があるのだろう。
ラドは腕を組んでふむと頷く。
「もしかすると”知っていると分かる”は違うのかもしれないなぁ」
ラドはイスの横にアキハの革のウェストバッグと自分の靴を置てみた。
「イチカ、どれが椅子か分かるかい?」
「……わかりません」
やっぱりだ。
「うーん、イチカの話し方や会話の内容から察するに、知識にかなりのバラツキがあるようだね」
「知識のバラツキ?」
アキハが首を傾げる。
「安楽とか保つとか、難しい概念を知っているのに、椅子という物や座るという行為が分からないんだ。アキハはイチカの知識の源泉は何処にあると思う?」
「源泉? げんせんってなに?」
「源泉とは、ものごとが生じるおおもとのこと」
イチカが横から答えた。
「ね、概念はイチカの方が知っているでしょ。多分僕らの話を聞いて覚えたんだ」
「ほんとかしら?」
「魔法の書物では源泉という単語がよく出てくる。魔法は魔力を基に無から現象を引き起こすからね。試してみようか」
「イチカ、火の魔法の詠唱規則を言ってごらん」
「はい。1章 火の魔法詠唱規則 第一節はイン・エル・アルトから始まり、アルトはジャルでも発動が可能である。ただし、第六節は第一節で用いたアルトもしくはジャルに合わせて」
「もういいよ」
「詠唱を変える必要がある。これを転変と呼び、転変に耐えうるセンテンスは、単音……」
「ストップ、ストップ!」
「……はい」
「そうかー、『いいよ』じゃ曖昧で分からないんだ」
「いいよ、主に肯定の意味で使われる」
「ストップ、イチカ」
「はい」
「というわけ。凄い記憶力でしょ。ほとんど文章ごと覚えている。そこから単語や意味を覚えたんだ。でも現実知識と合致しないから行為に結びつかないし、対話経験がないから文脈推論に依存する曖昧な内容は理解できないんだ」
アキハは苦虫を潰した表情で、ラドとイチカを何度も見返す。
「むむむ、難しくてよくわかんないーーー! 分かるように言ってーーー!」
「難しく考える事はないよ。アキハは普通にイチカと話せばいいんだ。それがイチカに一番必要なこと。僕は知識面も教えるけどね」
「それでいいの?」
「いいと思うよ。ちょうど僕らと同じくらいの歳なんだ、他にも生活の事とか、この世界の文化とか、たしなみとかも教えないとね」
「ふーん、文化やたしなみねぇ」
アキハ腕を組みボロのスカート広げてあぐらをかいて地べたに座り込む。何を教えるべきか考えているらしい。
さて自分だが、リーマンスキル”人材育成”は得意分野だ。サラリーマン時代は何度もインストラクターをして、どの子も自分よりも早く出世した。ポジティブに考えるなら自分の教え方がとても上手かったに違いない。
ラドは唸るアキハは置いといて、イチカを椅子に座らせるべく木製の粗末な椅子の背もたれをポンと叩いてみせた。
「さあイチカ、これが椅子だよ。こうやって座るんだ」
実際に座って動作を見せてやる。
「やってごらん」
「はい」
イチカはゆっくり頷く。そしてぺたぺたと棟内に足音を響かせ椅子に近寄ると、しげしげと椅子を見下ろしたあと、それはそれはゆっくりと腰を下ろした。
「そう、それが座るだ。どうだい? 立っているときより楽だろう。背もたれに体を預けるともっと楽だ。その状態が安楽だよ」
「はい」
座るには座ったがそっけない。
「感想――いや、えーっと、今のイチカの体の状態はどう?」
「非常に安楽」
なんとも中身の合わない言葉が返ってきた。そんな不思議なやりとり聞いて興味を惹かれたか、アキハがぴょんと立ち上がり様子を見に来た。
「なんかちっとも楽そうじゃないわね。イチカ、本当に楽なときは、あーらくちんっっっって、ちょっとイチカ! なに足広げて座ってんの!」
イチカは大胆に大股を開いて椅子にきっちり姿勢よく座っている。ラドがそう座ったのを見て学習したのだろう。その姿は下着一枚だったことも相まって非常にあられもなく、見ているアキハの方が恥ずかしい。
「ラド! みちゃだめ!」
「ふぇ?」
「ふぇじゃないわよ、後ろ向いててよ!」
アキハは耳まで赤くして、ラドの頭を無理やりぐるりとひねった。ゴリっと首筋の鳴る音と「いて!!!」のラドの悲鳴。
見慣れすぎててラドもアキハもまったく意識しなかったが、イチカはアキハと同い年くらいなのに、ほとんど全裸、下着一枚なのだ。常識で考えたらありえないと言える。
「イチカ、あなた女の子なんだからそんな座り方しちゃだめ。足は揃えて座る。それが乙女の慎みなんだから」
「いったたた、クビがモゲるっての! まったくバカぢからなんだから。乙女の慎み? それをアキハがいうの?」
掌で首筋を手当しながら、ラドがチャチャを入れる。
背中から聞こえるラドの含み笑いにアキハは舌打ちするが、それはイチカの手前、あえて女の余裕をみせる。
「後ろがうるさいけど、ラドは女心なんてわかっちゃいないんだから、気にしちゃダメよー」
「そんなことないよ」
「どうだか」
アキハは肩を竦めてみせる。それを見たイチカも真似をする。それがおかしいのかアキハは「これは『呆れた』って口に出せないけど、心の中で思っているときの仕草よ。便利でしょ」
「はい、学習しました」
ちゃらけるアキハと、どんなときでも真顔なイチカ。まるで漫才だ。
「ちょっと! そんなのばっかり覚えさせないでよ。イチカも覚えたくない事は覚えなくてもいいんだよ。嫌なら嫌って言った方がいい。アキハは鈍感で雑だから口に出して言わないとわからないから」
「鈍感で雑!? それはラドでしょ!」
「僕は鈍感じゃないよ!」
「鈍感よ。イチカをあんな格好で座らせて平気な顔してるんだから」
「あれは指導のプライオリティの問題だよ、もっと大事なことから教えたかったんだ」
「何言ってるの、一番大事なことじゃない、それが分からないから鈍感なのよ」
「分かってて言わないのが優しさなの! あれもこれも、いっぺんに詰め込んだらイチカが可愛そうじゃない、そういうのが分からないから鈍感だっていってんだよ」
「いろいろ教えた方がいいって言ってたのラドじゃない」
「言ったけど、余計なことまでとは言ってない! アキハはそういう行間を想像するの、できないわけ?」
「ああそうですか! 何がギョーカンだか知らないけど、だったら言いなさいよ! 鈍感なんでしょ、わたしは。言わなきゃわかんないわよ!」
「もう、アキハは!」
「ラドのバカチン、アホチン、チンチン腐って死んじゃえ!」
「いや腐らねーよ、そもそもチンチンかんけーねーだろ!」
いつの間にやら始まった言葉の応酬。それをずっと追っていたイチカがおもむろに椅子から立ち上がり、無表情にゆっくりと肩をすくめた。
「えっ、どういう意味?」
急な行動に戸惑うアキハ。
「どうって、僕に聞いてもわかんないよ」
突然のアクションに虚を付かれたラドはじっとイチカに目を見た。
全く表情に乏しく、言葉も棒読みで感情のない子だが、イチカが澄んだ瞳の奥には微かな想いが宿っているのが見えた。突然の世に落ちてきた子なのに、怒り・悲しみ・喜びの感情が確かにイチカにはある。
「もしかし僕らが喧嘩してるのが、辛かった?」
「辛い……とは」
「辛いって胸のあたりが苦しくなって、悲しくなって、こんなのイヤって思う事よ」
「わたし……は、辛い気持ち」
「僕らが大きな声を出したから?」
「大きな声…は、対象にダメージを与え、る、攻撃、ない、阻止、イチカ辛い」
ラドはたどたどしい言葉に込められた思いをくみ取りイチカの肩をそっと抱いた。
「優しい子だね。ごめんね本気じゃないんだ。僕もアキハも喧嘩するけど嫌いじゃない、楽しいから喧嘩しちゃうんだ」
アキハもイチカにそっとかぶさる。
「ホントよ。そういうのもいつか分かるようになるわ。イチカ」
イチカは微かに表情をやわらげ、全てを託すように二人に身を預けた。
表情は乏しい。それでも少女は精一杯の想いを伝えようとしている。それがラドとアキハを自然に繋いでしまう、この荒んだ世界にない純粋な何かをイチカは持っている。
「ところでラド?」
「ん、なに?」
「こんなかわいい女の子を裸同然で出しといて、あなた、なかなかいい度胸ね」
「えっ、だっていつもと同じじゃない」
「ちがうわよ! ねえイチカ、女の子は下着で出歩いちゃダメなの、明日わたしの服を持ってきてあげるから。ラド! とりあえずあんたの上着貸しなさい!」
「なんでだよ」
「わたしのを貸したら、わたしが裸になるじゃない!」
「僕ならいいのかよ」
「いいでしょ男なんだから。ほら、はやく裸になりなさい! 大好きなイチカのためでしょ!」
嬉しそうにラドの服を引っ張るアキハ。嫌がりつつも、ついアキハとじゃれ合ってしまうラド。そんな二人を見てたイチカが真顔で口を開いた。
「ラド……ハダカ、大好き」
「ちょっとイチカ! 部分的に言葉を覚えないで!!! もうっ! アキハも笑うな!」
こんなので育児と学習は進むのだろうか、まったく先が思いやられる。