願い、継承
なんの手がかりもなく王都の地下水路から戻ったアキハは、失意のままにヴィルドファーレンの裏口門をくぐった。
「ただいまー、って誰も答えないかー」
もちろん誰かが声を返すなんて期待していない。だが……いくら寂れたヴィルファーレンでも、この異様なまでの静けさ……。
戦場に身を置いたことがあれば分かる張り詰めた空気に、アキハは口を引き締め、視界を広げ、腹に力を入れてゆっくりと一息吐く。
五指をパラパラと軽く動かし、全身の反応速度を一段ギアアップ。腰に手を回して剣の位置をキャリブレーションし、安全装置を親指で外して臨戦体勢をとる。
――野党に入られたか。
背中に冷たいものを感じつつ、ジリジリと迫る気配に身を晒して感じるままに音を殺して足を進める。
そうして街外れのサプライ公社の辺りまで来た。
――何かが起きている。
建物の陰に身を潜め、視界の先を伺う。
住民がいる。集会? いや、武器を手に取っている。
手前にいる奴らは誰だ?
鎧は纏っていないが、手には白刃が煌めいている。
――王都の人?
濃厚な血の臭い。それと肉の焼けた臭いも。無論イノシシや鳥のそれじゃない。
敵と思われる者たちは二十名くらいか。魔法の構えをする後衛と剣を構えてにじり寄る前衛に分かれている。何があったか分からないが、住民を捕まえるつもりなのか?
もしかして、例の行方不明事件の犯人がヴィルドファーレンに潜伏していて、王都の住民が動いたのかもしれない。いや、それならこんな大捕物にはならない。そもそも王都のやつらがパーンの行方不明なんかで動くはずがない。
どっちの味方をすべきか。
状況は敵とおぼしき奴らがヴィルドファーレンの住民を殺めたように見える。だが逆かもしれない。
争いになる前に止めたいが、不用意に片方に加担して事を荒立てれば、火に油を注いでしまう。
――私じゃ止められない。こんな時、ラドがいてくれれば。
シンシアナやパーンのように戦えないのはアキハ自身が一番知っていた。魔法は光の魔法が精一杯でリレイラのよう活躍できないし、イチカのように機転もきかない。
――ほんと役立たず。
ここは不甲斐ないが仲間を呼ぼう。そう決めて身を翻すと声がした。
「私達はカレンファストには決して屈しません!」
何事と振り返ると、こちらに背を向けた男がショートボブの黒服の子供の首根っこを捕まえて、住民に突きつけている。その腰に剣柄に紋様がちらりと見えた。
皇撃騎士団の紋章?!
「脅しではない。そこを通せ」
目を凝らすと黒のローブは、腹部を刃物で切り裂かれ、あちこち破れて土埃で汚れている。
煌めく銀髪は乱れに乱れ、ちらりと見える横顔の口から血の跡。まさか――
「イチカ様!!!」
甲高い悲鳴とともに、少女がビクンと身を仰け反らせた。喉元に当てられた剣がスッと引かれたのだ!
「次は本当にやるぞ」
外した刃先から赤いモノがボタボタと滴るのを見た瞬間、アキハの中で何かが切れた。
「きーさーまーらーーー!!!」
理性が完全にぶっとんだ。
腹の底から声が出た。
自ら鍛えた魔法鋼の剣を腰からおっとり、柄を握った刹那、眩暈がするほど頭に血が昇っていたはずなのにスーッと感覚が研ぎ澄まされ、手と剣が完全に一体なる。
体感覚が一気に拡張していく。
久しぶりに訪れた感覚だった。相手が途轍もなく遅く見え、自分の体は羽のように軽い。
目の前にいるのは皇撃騎士団。だが敵だ。パーンの仲間が何人か広間に転がっている。死んでいる。女、老人。歯向かえなかったのだろう男達も何人か殺されていた。
太ももの筋繊維がブチブチと切れるほどに踏み込んで一気に騎士団に突入する。
流れる視界の端に惨劇の跡を見る。
あちこちに争った形跡。剣を持った黒焦げの死体は敵だ。イチカが魔法で戦ったんだ。
だが彼女の僅かに残された魔力は尽き、戦いの最中に力尽きて倒れ、皇撃騎士団のやつらに捕まって人質になった。
その思考が突撃しながら加速度的にまとまり、同時に敵の位置も全て頭に入った。
右に四人。左に四人。取り囲むように魔法の準備をしている十一名の魔法兵が私を狙っている。たぶんに会議棟の上に弓兵がいる。だが走れば当たりはしない。
魔法の詠唱に入る。
「ライト!!!」
全力の魔法を剣先にかけて高々と掲げ、魔法兵の目をくらませる。正面の敵の目も一瞬くらんでいる。だがそんなの数秒のアドバンテージだ。
一気に踏み込むと地面にドンと足をつき、下から払い上げて、イチカを宙ぶらりんに持ち上げている騎士の腕を切り落とす、もちろんイチカは落ちるが死にはしない。
そのまま右の四人を相手にする。一人目の足を払う。二人目の首を掻き切る。三人目は肩から体当たりして体勢を崩す。仕留めるのは後だ。そのまま体をくるりと入れ替えて反動で最後の一人の腹を刺し、そのまま横に薙ぐ。腸が横っ腹から飛び出すのが見え、遅れて血が噴き出す。
倒した一人が起き上がる前に、胸に仕込んでいる短刀で腹部大動脈を切る。致命傷になればいい。大きく斬る必要はない。
最初に足払いした男が起き上がって来た。こっちは身を低くして両足を力任せに切り落とす。
骨を砕く衝撃が手に心地よい。敵の叫びなんて聞こえない。こっちは色も音もない世界だ。
そうこうしているうちに、囲んでいた魔法兵の火の魔法が一斉に来る。
それを左の騎士の背中を蹴っ飛ばして受けさせ、それに驚く二人目を串刺しにし、魔法攻撃の盾にする。
考えるまえに体が動く。さいっこうに気持ちいい!
こっちの剣が封じられるのを見て、三人目が切りつけてきた。それを串刺し男の腰の剣を半分抜いて受ける。剣を受けられた男は目を吊り上げて、力を籠めるがガウベルーアの男ごときに負けるはずはない。その後ろからもう一人来るのが見えたので、後ろ蹴りに体勢を崩して二人まとめて押し倒す。
重なって倒れる上の男の目を短刀でつぶし、暴れて下の男が見えたところを走り際に喉をかっ切り、すぐさま周囲にいる魔法兵に狙いを定める。
一番手前にいる魔法兵が詠唱に入る。そいつに短刀を投げて詠唱を止めさせる。運がいいことに短刀はそいつの額に刺さりバタリと倒れる。その光景に慄き逃げ出す兵の背中に肩からタックルをかまし、持ち上げてバックドロップの要領で背中に投げる。
音で頸椎が折れたのが分かった。
新たに眼前に現れた敵を右袈裟で切り、更に左袈裟でも切る。すると奥の敵がファイアバレットを放擲してきた。
「ちっ」
大振りなモーションはスキが出来ていけない。勢いに任せてやってしまったことに舌打ちしつつ、逃げられないことを瞬時に悟り、剣を地に立てて、それを支点に前転して避ける。
その勢いがあるので、後ろ手で地に立てた剣を取り、そのまま横凪にして一人の胴体を半分にしてやる。
次に魔法詠唱が終わりそうな魔法兵の手をとり、強引に振り回して、その投擲先を仲間に向けて放り同士討ちにしてやる。
取ったその腕は太ももに強打しボキリと折ってやる。
これで魔法兵は六人。あと五人が向こう側にいる。そこに向かって突進しようとしたときだった。
「もうやめて!!!」
叫び声がした。
「アキハもういいの! 殺さないで!」
声の主を見ると手足を縛られたイチカが真っ白な顔で、だが毅然と立っている。だが見ている方向がこちらではない。
――目が見えないんだ。
もうない魔法を使ったから視力を失った。
また怒りが高まる。
「イチカに魔法を使わせたな! 貴様ら!!!!!!」
キッと振り向き敵を探すと、弓兵が弦を絞るのが見えた。
「イチカ! 伏せろ! そっちに、うっ!!」
背中に熱い痛み。その痛みに膝をつく。
矢だ。もたもたしていたから会議棟の上の奴らが撃ってきたのだ。
「イチカ! 狙われる!!!」
気を取り直した残りの五名も魔法詠唱体勢だ。
アキハはしゃがんだまま、視線だけは四方に飛ばし、手探りでいま殺した敵の武器をさぐる。
剣があった。
それを手にとり二刀流で五名に向かう。一人が放った火の弾を剣風で切る。おどろいて身を引く詠唱者を左の剣で切り捨てる。
左の太刀は苦手だ。思い通りの筋にならない。
だからだろう、骨の固い所に当たり手がしびれた。そのせいで体を崩しフラっとするが、それを強靭な下肢で支えて踏ん張り、バネを利かせて二人目の顎を頭突きで砕く。さすがにくらっとする痛みが襲ってきた。
しかし、ゆっくり後ろに倒れる敵を踏みつけてジャンプ!
ついでに一刀投げつけて一人の足の甲を地面にくぎ付けにしてやる。
だがジャンプは隙が多かった。
最後の敵が剣を抜いている。
大変良くない間合いとタイミングだ。確実に切られる。
だが見える。頭が回る!
「切られるくらいなら、こっちから行く!!!」
叫ぶとアキハは幅跳び選手よろしく両足を前に出し、空中姿勢のタイミングを僅かにずらして、わずかな時間差で敵が振り下ろす剣の背に足をついてもう一段ジャンプをした。
だが魔法鋼の剣の上だ、タダでは済まず靴ごと足の裏が切れたのが分かった。痛みが走るがそんなことでギャーギャーいっている場合じゃない!
二段目のジャンプの位置エネルギーを使い、かかと落としでそいつの首をへし折る。
「イチカ、いまいく!」
着地して踏み出すと傷口が開いたのだろう。めりっという感覚と足の裏に熱さが走り、靴の中で足が滑った。
あっけなく躓き、ごろごろと前に転がるが、その後ろから矢が降り注ぎ、むしろその躓きが好転した形になった。
矢跡をひやひやした気持ちで横目にかすめ、逆の足で踏み込む。
「いま助けるっ」
もうあと一歩。イチカの手が伸びて、自分の手がもうイチカに繋がるというとき、彼女の手がたらりと下がるのがズームして見えた。
「イチっ!」
自分の目の前の少女の胸に木の棒が立っている。その棒をたどると、矢じりは膨らみの無い右胸の中へ。
「…キハ……もういいの。やめて。しん…じゃう」
「それはイチカだ!!!」
「わたしは、いい……から」
「だめーーーーーーーーーーー! なんとかする。矢を抜く!」
違う! 抜いちゃダメだ。抜くと一気に血が噴き出して即死する。だがどうすれば。
パニックになり、頭が一気に醒めて、世界が早く動き始めた。集中が…集中が切れて行く。
「うっ!」
イチカを抱く自分の背中にまた矢が刺さる。
「アキハ……魔法を…いま」
「だめ! イチカ! 本当にしんじゃう!」
「これが本当に最後の魔法。だってわたしはパラケルスの魔女。魔女は魔法をつかう……の」
アキハはイチカの口に手を当てて詠唱を止めようとした。
だがイチカは口の中に込めた言葉を、こもりながらも読み進め、ついに詠唱を終えてしまった。
とろんと上げられた手は、震えながら会議棟の屋根の上を示し……ポンと弱弱しく弧を描いて投擲された小さな光点は音もなく、敵のいる屋根の上に落ちる。
その光がイチカの命にも見えて……。
大型の火の魔法は爆音をともない、屋根の上の敵を蹴散らす。そして会議棟はバチバチと柱をはじけさせ火の海は一気に全てを飲み込んでいく。
「あ、き……」
「喋っちゃダメ!」
「きくの、あ、あきは」
そのあとは、はぁはぁと浅い息をして言葉が続かない。
「もう何もいわないで」
「アキハが……受け取って……わたしを」
「わかんない。わかんないよ!!!」
「アキハ…ならわかる……から。わたしの血の……記憶」
イチカはアキハの頭をするっとなでる。呼応してアキハはイチカを抱きしめようとするが、イチカはそれを拒みアキハの唇に己の唇を重ね合わせた。
ううん、とアキハが声を上げても離さない。
それをノクターンのリズムを刻む鼓動が二十打つまで続ける。
「ラドの唇をアキハに返す……わ。これは貴女が受け取るもの。わたしはアキハと一緒に……」
もう見えないが、イチカは目をぱちくりさせているだろうアキハの姿を脳裏に焼き付けた。
――ああ、愛おしいアキハ。私は覚えている。小さなあなたが初めて私を見つめたあの日を、あの眼差しを。
少女は静かに目を閉じた。
腕が、微笑む頬が、ゆるりと弛緩し、抱きかかえる体が一気に重くなった。
かくも儚く、かくもあっけなく命は散る。
そして別れは何の予兆もなく突然やってくる。
静かになった広間には二人だけが残った、外にはまだ皇撃騎士団がいるかもしれない。だがアキハはもう気にはならなかった。
矢を二本も受けた背中はじりじりと痛んだが、それよりイチカが消えてしまったことに動揺した。そのせいかアキハはふっと意識を失ってしまった。
目覚めたのは、誰かの家だった。
パーンの後ろ姿が見えた。頭にはちょんと三角の耳が乗っている。
「ライカなの?」
猫耳の女性はスカートをふわりと広げてこちらを振り向いた。
「起きましたか、大怪我をされていましたから暫くは起きないかと思いました」
「あなたは? ライカの?」
ゆっくりと首を振る。
「いいえ。隊長さんとは同じ種のパーンですけが何の関係も」
とろんとした目元の女性のである。いかにも優しそうで、きっと多くの仲間に愛されているのだろうと思う。
起き上がると上半身に包帯が巻かれていた。そうだ。背中に受けた矢の処置だ。
会議棟の屋根からは結構な距離がある。力を失った矢では肺や心臓までは到達しなかったらしい。
熱でボーっとする頭であたりを見る。だが悲しみはない、私の中には悲しみを埋める何かがあり確かに温かさを放っているから。
まだ小さな三つの顔が心配そうに覗き込んでいる。同じ顔。たぶん三つ子だ。父親は今頃、戦場だろう。
もう少し横を見る。丁寧に布団をかけられた静かな存在が自分の横にいる。
アキハは全く平坦な気持ちで腰をずらして、イチカの顔を見た。もともと白い肌は雪のように更に白く、本当に白くてただ唇だけが青い。
そして矢を胸に受けたと思えないほど穏やかな顔だった。全ての苦痛から彼女は開放されたのだろう。
「イチカ?」
看取ったのは自分なのに声をかけてみる。
「あのぅ、もうイチカ様は……」
分かっている。けど声をかけずにはいられない。彼女の魂はまだここにいるのを確かめたくて。
――魂? タマシイってなんだっけ?
ふと心によぎった言葉は、この世界にはない言葉だ。”死”とは体が止まり腐ること。そしてもう永遠に会うことはできなくなること。だがイチカは確かにココにいる。
「イチカごめんね。わたしちっともイチカに優しくなかった」
なんか想いが溢れてしまう。
「私たちライバルだから。でもイチカはいつも凄くて。私は僻んじゃって」
「あのう、イチカ様に話しかけてももう」
心配そうに女性が手を取って正気に戻そうとハタハタと手の甲を叩いてくる。心配をかけているのは分かっている。
「守ってあげられなかった。ごめんなさい」
溢れてくる想いと後悔に胸が潰されそうになる。想いの先はイチカしかない。だからイチカの頬をさすって何度も謝る。
謝っても起きてしまった事は消えやしない、それでも変わるものがあるなら、それに縋りたくて何度も何度も謝る。
「ごめん。まだまだなのに! まだこれからなのに!」
「アキハさん、死んだ方に話されても、もう……」
目を合わせず女性は、何度もアキハの手をイチカから引き離そうとする。
アキハは自分の胸を両手で抱いて、丸くなって泣き崩れた。
イチカを一人にした自分が許せない。皆になんて言えばいいか分からない。何の力もなかった自分がもっと許せない。
「イチカ、ごめん。わたしもう消えちゃいたいよ、これからどう……」
そう言ったきり、アキハは宙を見つめ瞳孔をすぼめて止まった。
女性の家族が凍りついたアキハを不安そうに見る。
「そう、行かなきゃ。かの地にいかなきゃ……」
「はい?」
「私、ラドと約束したんだ。ここを捨ててかの地に皆をつれていくって」
そんなことを約束しただろうか。でも確かにラドとあの夜に話した。陣幕で二人きりで、いや三人だったろうか、決めた実感がある。
自分は記憶には自信がある。会った人の顔と名前は忘れないし、自分が話した事もよく覚えている。けど私じゃない私の記憶。
魔法を共有するとは記憶と意識を共有すること。いつぞやロザーラやレジーナと想いを分かち合った事があったが、イチカの魔力を継承したら記憶も流れてきた?
「あの、もし? もし?」
声をかけても反応がないアキハを見て、さすがに不安になった女性はアキハの両肩を捕まえて、ゆさゆさと揺さぶる。
はっと戻るアキハ。
「聞いてください! 今すぐここを離れます。もう皆さんも理解していると思いますが、ここに来たのは皇撃騎士団です。私が調べたところ、この街には魔法局が作ったマギウスマインの魔方陣が置かれています。サプライ公社を狙ったのはその魔方陣を発動させるために膨大な魔力が必要だったからです。急な事で決断できないと思いますが、急いで準備をお願いします」
あまりに唐突な発言に女性も三つ子もポカンだ。
「あ、あ、すいません。いま議長を呼んできます!」
ヴィルドファーレンの皆をかの地に連れて行く。イチカはそれを私に託した。
――やっとわかったよ。イチカ。このために私はココにいたんだね。
アキハの覚悟は決まった。