表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
148/152

解呪

 ムンタム市街は、皇衛騎士団の背面を取ったシンシアナ第七皇軍、北門より再突入した北進騎士団、そして三方を塞がれてなお圧倒的な力を振るうパーン部隊の大乱戦になっていた。

 そこに逃げ遅れた市民が巻き込まれる阿鼻叫喚の地獄絵図。


「やはり半数では、半獣人を押さえるのがやっとか」

 狂剣を振うパーンを一匹切り捨ててゲニアは唸る。

「申し訳ございません。狂乱の割に同士討ちが少なく、予想より苦戦を強いられております」

「よい、もとより敵の奸計だ。全て上手くなど期待しておらん」

「はっ!」

「だが、このままと言うわけには行くまい。装甲車はどうした」

 張り上げたゲニアの声に、背後に控えていた鉄の箱から下卑た声が返ってくる。

「へい、そろそろ行けます! いま削り出しが終わりましたんで後は魔法結線を繋ぐだけです」

「このままではジリ貧だ。我々はここぞのタイミングでエクスプロージョンを放つ! 今度は三十魔法士の出力で行く」

「そんな出力で撃ったら、味方ごと消し飛びますぜ!」

「問題ない、どのみちここで決めねば第七皇軍の兵力ではこいつらとは戦えん」

 顔こそ余裕だが声は素直だ。語尾の荒さから余裕がないゲニアの本音が透けて見えた。



 ムンタム市街をひた走るラドは、点々と続く戦闘の跡を追っていた。市街の移動は敵に見つかる可能性が高いが、一刻も早く狂乱を止めねばならない。


 狂宴の突端はムンタム南市街にあった。

 同じ釜の飯を食った仲間達が、怪しく目を光らせ、泡を吹いて暴れ狂っている。

 極大に盛り上がった筋肉で制服が破れ。その怪力から繰り出される剣の一閃で、同時に三人もの上半身が宙を舞う。

 剣を扱う知能が残っている者はまだ良い。中には獣に戻り四足で駆け、相手の腕や足に噛みついて、全身をくねらせて獲物を振り回す者もいる。

 その勢いに人体は耐えられず、腕がもぎ取れ、腸は割かれ、血しぶきを上げる惨状がいたるところで繰り広げられていた。


 吐きたくなる光景……。

 そいつを無理やり飲み込んで、ラドは南市街中央に建つ櫓を駆け上がる。高所ならばこの乱戦でもイオを探し出せるかもしれない。

 櫓から身を乗り出し戦場の全景を見る。

 北は北進騎士団が力技で押している。西のシンシアナは僅かに引きつつある。東は皇撃騎士団とシンシアナがおり、ほぼ互角の戦いを演じていた。パーン達はそれらに挟まれつつも圧倒的な力で戦場を支配している。

 この何処かにイオがいる。

 どこだ、どこだ、どこだ!

「いた!!! 正面十の二角(とおのにかく)の方向! 集団の中央!」

 見つけた! だがどうする、どうやってあそこまで行く。

 ……目を離さず考える。

「よし」

 ラドは覚悟を決めると、杖に嵌め込まれたラピスラズリをダガーで取り外し、櫓を降りて近くにいた市民を捕まえる。

「そこのキミ! これに光の魔法をかけてくれないか!」

 だが、声をかけられた男の顔がみるみる青ざめ、その場にへたり込んだ。

「こ、殺さないでくれ!!!」

「何を言ってるんだ、僕はシンシアナじゃない――」

「あんたは俺たちに何の恨みがあるんだ! 半獣人をけしかけて、街をぶっ壊して、こんな酷いことをして!」

 一瞬何を言っているのかと思ったが、すぐに理解した。

 ――そういう事かカレンファストめ。

 しかしここで違うと言っても誰も信じないだろう。仕方ない。

「そうだ! お前も殺されたくなかったら大人しくこの石に魔法かけろ。さもないと命は保障しない!」

 男はヒイヒイ泣きながら光の魔法を注ぎ込む。すると貴石はたちまち目も開けらぬ程の強い光を放ち、手の隙間から眩い青色を漏らす。

 ラドはそいつをひったくり、礼も言わずに櫓を登る。そして監視台に着くなり助走をつけ、全身を捩れんばかりにひねって、手のひらに収まる輝星を空高く放り投げた!


「気づけ! イオ!!!」


 パーンは光に敏感だ。行くのがムリならコッチに来てもらう!

 だが石が期待通りの所に落ちるのか、イオが輝きに気づくのか、そしてここに走って来るのか、走ってきたとして合流できるのか、全ては運次第。


 果たせるかな、ラピスラズリはラドが思った以上に上手く飛び、空高くに流れ星の軌跡を描いてイオとシシスがいる辺りに落ちていく。

 知覚が極度に研ぎ澄まされたイオは、突如、頭上に現れた光点に視線を奪われた。それは周囲にいたパーンも同じで、誰もが本能のままに光跡を視線で追いかけ、暴走する足を一瞬止める。そして魔力を失い急速に暗くなる光を求めるように、イオとシシスの視線は投擲点へ向かう。


 遙か向こうから鋭く刺さるような圧迫感がラドを襲った。

「気づいた!」

 イオとシシスの足がゆっくりと、だが次に爆ぜるようにこちらに向かって動き出す。

「イオ!!! シシース!!!」

 櫓の上から小さな体を震わせて全身で叫ぶ。

「イオ、シシス!!! 僕だ!!!」

 一段大きな声を出してみるが暴走は止まらない、それどこか周囲のパーンや騎士団員をふっ飛ばしながら一直線にこちらに向かってくる。

 まさに狂乱。これが本物の狂乱なのだとラドは初めて理解した。

 狂乱とは発情だと断定した自分は愚かだった。そして種族名に『獣』を入れた真の意味を認めざるを得なかった。

 確かにエフェルナンドの方がよくよく半獣人を理解してる。彼らにはまごうことなく獣の片鱗がある。

 だか今さらパーンの真実を知らぬ浅学を後悔しても遅い。今できることは命がけで彼らを止めることだけ。

「イチカ、リレイラ、ティレーネ、ライカ。そしてアキハ。後は任せる」

 ラドは迫りくる悪鬼の渦めがけて、櫓の上からダイブした。



 抗うことを許さぬ朱色の津波の上に舞い降りるラドは、力任せに振ったイオの一撃を、魔法鋼を仕込んだ杖を立て、空中で受けた。

 圧倒的な力に吹き飛ばされるが、大型パーンの額の上に着地し、パーン達の頭を足場に再びイオのもとへ走る。

 頭を取られたパーン達は、闇雲に武器を振う。その幾つかを杖で捌くが、その度にラドの杖は火花を散して削られてゆく。

 一人が内から噴き出す狂気に負かせて、渾身の一撃をラドに振った!

 ラドは誰かの肩の上に立ち、杖を斜めに構えて剣の軌道のズラすが、剣圧を流しきれず吹き飛ばされて地面に叩きつけられる。

 それ逃さじとイオは踏み込んで、ラドの頭上に真っ向切りを走らせる。

 理性を失った者の剣筋は単純で避け易い。いつもの戦場なら難なく避けられる攻撃だが、今のイオは違った。

 スピードがずば抜けて早く、太刀筋がほとんど見えない!


 幼い頃、アキハが教えてくれた。

『怖いと剣先を見るじゃん。でも剣先を見るから見えないんだよ。手元なら余裕で見えるじゃない』

 受け流しが出来るのは、このときのアキハの指導の賜物だ。だが、こんな速さで剣を振り回されては手元すら見えやしない。

 だがアキハはこんな時のために、もう一つ、使える技を教えてくれていた。

『先に間合いに入っちゃえばいいんだよ。そしたら、ほら、どんなに剣を振ったって手出しできないでしょ』

 魔法のようだが、アキハが自分の間合いに一歩入ると確かにこっちは何もできない。不自由さに力を奪われて、強引に行こうとしても手や足を取られて、いいようにあしらわれてしまう。

 アキハはこんな秘儀を誰に教わったのか。あるいは自力で編み出したのかもしれないが、これをサラリと出来てしまうのがシンシアナの血なのだろう。


 脳裏にアキハの言葉を思い出しつつ、かろうじて神速の一刀を避けるが、イオの剣を避け続けるのは技能的にも体力的にも不可能だ。こうなれば一か八かアキハの秘儀にかけるしかない。

 ラドはイオが放つ次の一撃をギリギリで避けると、二撃を振り上げるイオの懐に飛び込む。

 頭の上を剣風が通り抜け、隣で暴れるパーンの首が斜めに吹っ飛ぶのが見えた。

「いって!」

 その剣風で耳が切れた。

 普段でもシンシアナ兵と互角以上に戦うイオが狂乱になれば、一撃にそのくらいの威力があって当然だ。


 上手く間合いに飛び込んだラドは、自分の上着のボタンに手をかけ、イオが剣を振り上げたタイミングで目の前に投げつける!

 それでイオの動きが止まるとは思っていない。だがほんの数コマ、動作は崩れる!


 欲しいのは一瞬の隙!

 その奇策は意図どおりの結果を産んだ。

 舞い上がった上着を払うかやり過ごすかの戸惑いが現れたのだ。


「いま!!!!!!」

 掛け声で己を鼓舞して一気にイオに飛びつき、両手を広げてもイオの胴回りに抱きつく!

 まごうことなく捨て身だ。

「イオォォォ!!!!!! とーまーれーーー!!!!!!」

 もはや叫びは祈りだった。



 イオは己の胴にまとわりついた子猫を振り払っていた。

 なんてジャマなんのだろう。あえて言葉にすればそんな思いだった。

 体を左右に激しく振っても、それは軽くて落ちない。ひっつき虫という草の種があったが、まるでそれだ。


 ジャマだ

 ジャマ

 ジャマ

 ジャマすぎる!!!


 ウザさに耐えきれず、手に持つ剣を放り投げてまとわりつくものに爪を立てると、叫びが聞こえた。

 カン高い、子供のような声。

 誰かに似ている。

 尊敬するヒト。

 恩人。

 かの声の主は誰だったろうか。

 分からない。

 分からないが、声を思い出すだけで胸に暖かなものが生まれる。


「イオ……」

「イオ……」

 自分の名を呼ぶ暖かな声が微かに聞こえる。かの声の主は……


「帰ってこい……イオ」

「ここはイオの家だ」

 声に癒やされ自分の内側の熱が急速に冷めていく。

 そしてつんざくような不快な臭いにグズグズと鼻が反応する。


「イオ」

「イオ!」

「イオ!!!」

 かの声は主君っ!


 はっとして、この声が心の声などではないと気づく。

 どこだ! どこからこの声はするのだ!


 イオはキョロキョロとあたりを見回して、大乱闘の戦場に自分がいる事に気づいた。

「ここはどこだ! なぜ戦っている!!!」

 依然、主君の声が耳にハッキリと聞こえる。


「主君!!! どこに!!! どこにおられる!」

 力の限りに叫ぶと、か細い子供の声が自分の真下から聞こえてきた。


「ここだよ」

 どこだ? 言われてぐるりと辺りを見まわしても見慣れた小さなシルエットはない。

 とりあえず行く先も考えず一歩を踏み出し、腹部に感じる違和感に気づいた。

 その違和感を両手で取り上げて、目の高さまで持ち上げる。


「……主君」


「やっと正気に戻ったか。はぁぁぁ~、お前は暴れすぎだ」

 なぜか吊り下げたラドの姿にイオの瞳はじわりと緩んだ。



「主君」

 胸に残る悪夢の余韻と虚脱感を埋めるように、イオはラドを顔もと寄せてそっと抱きしめた。

「痛いって、お前の猫ひげは固いんだよ」

「も、申し訳ございません」

 手に残るぬめりは血。

「主君! 背中に怪我をされているのですか!」

「ああ、乱戦だからね。ちょっと背中を切られただけだ。でも大事ない」

「服もボロボロに刻まれて、おいたわしい」

 イオに無粋な事を言うつもりはない、ラドはニコニコと優しさを湛えた笑顔を絶やさず、まるで子供に物語を聞かせる母のように、ゆっくり優しく話しかけ、イオの話を聞き始めた。



「自分の子の亡骸がパーンの偽装に使われてたら、誰だっておかしくなる。それは辛かったな、本当に」

 ラドの潤んだ真っ直ぐな眼差しがイオに刺さる。

 仲間が殺された悲しみと、亡骸が道具にされた怒り、そして毛皮となり打ち捨てられた遺骸の中に、我が子の匂いを感じた瞬間、イオの理性は完全にぶっとんだ!

 怒りの海に飲み込まれ、溢れた感情が津波となって自分を超えて広がり、仲間をその海に沈めていく。そして全てが同化する快感と、混沌の暴力に身を晒す激しい興奮に溺れた事を、イオは包み隠さずラドに答えた。

 誠実にありのままに。それがイオにできる唯一の事だった。


「なぁイオ。僕らがこの狂乱を止めなきゃいけない。これが僕らの最後の仕事だ。イオと二人ならきっと出来る」

「はい主君」

「イオとは随分長い道を一緒に歩いてきたね。イオと初めて会った時の事を覚えているよ。まだ少年のイオは不安げな瞳をしていた。今と同じだ」

「私もラドさんと始めて会った日の事をよく覚えています。ロザーラさんの前に立って、仲間だと言ってくれたのを昨日の事のように思い出します」

「あの時のロザーラはヒドかったな」

「全くです」

 未だ狂乱に身を委ねるパーン兵達がイオの瞳に流れて写る。

 二人の間にこんなに豊かでゆったりとした時間が流れているのに、隣では仲間が振った剣により皇撃騎士団員の腕が吹っ飛んでいる。

 全くアンバランスな時の流れ。

「僕とイオとの絆はずっと変わらない」

「はい」

 小さい手がイオの頭に乗る。

「イオと皆の絆も変わらない」

 ただそれだけの言葉が震えるほどイオを揺さぶり、大きな瞳から涙が滝となって溢れ出た。

 胸が痛い。猛烈に締め付けられて苦しい。何か得体の知れない大きなものが細い食道をこじ開けて這い上がってきそうだった。


「ラドさん、私が皆に呼びかけます。パーンの感覚は深い所で繋がっています。私が起こした狂乱なら私が鎮めることも可能です」

 どんな紐帯かはヒトには分からない。喜びも悲しみも怒りも狂乱すらも伝搬し広がってしまうという。それは狂獣もまた同じだという。これが狂獣の森で遡行が起こる原因だ。


「全部終わったら騎士団なんかやめて、皆で田舎でひっそり暮らそう。そこでまたゼロから始めて」

「いいですね、また昔みたいに」


 人とパーンは時の流れは違う。人にとって戻れる時間はパーンにとってはもはや戻る事の出来ないはるか昔だ。

 やはりパーンとヒトは違う種なのだとイオは思う。だが、こんなも異なる自分達と共にいてくれる仲間。

 そんな当たり前じゃない事に震えるほどの恩恵を感じつつ、イオは覚悟を決めていた。



 イオはラドを背に隠すと、戦場に飛び込む。

 ここからは、自身のあり方が問われる。狂気には本気でしか応えられない。

 ひたすら純粋になり、皆と同じにありつつも、心は無風の湖面のように静め、怒りや憎しみに喰らわれぬように受け止めねばならない。でなければ自分は逆に同胞の憎しみに飲み込まれ主を食い殺してしまうだろう。


 イオは剣を手放し大地を踏みしめる。

 大きく息を吸い、口からゆっくりと吐き出す。

 仲間が横から斬りつけてくるのを、筋肉に力を入れて受ける。力んだところで体は鋼にはならない。肉が切れ、身を仰け反らせる程の激痛が走るが、心は動かさない。

 ――やはりこの中で主君を庇うのは無理か

「主君……」

 ラドとイオの視線が交わされる。

 互いにこれが最後と悟った瞳だ。そこには悲しみと信頼と愛おしさがあった。

「御免!」

 背中に匿った小さき者を捕まえて思いっきり遠くに放り投げる。

 そして、肺一杯の息を吸うと渾身の力で咆哮した。

「鎮まれよ! パーンの同士!!!」

 注目を集めたイオの背中から鋭利な物が三つ四つと突き抜けて、イオは大きく手を広げてパーンの仲間を受け止めた。



 ――目を閉じると家族の存在を感じる。まるで隣りにいるように妻の匂いを感じる。手には我が子の温もり。

 愛している、私はこんなにも家族を愛している。そして同じくらい……

 『ラドさん、ライカ……』

 あの日の小さな部屋。不安に震える手をライカが握ってくれていた。

 魂が求める愛は、体が求める愛とは異なる。

 ライカの事を愛おしく思う。きっと生まれる前に出会う事を約束した魂だ。

 ラドさんのことを愛おしく思う。あなたとはこの世界に光をもたらすと約束した縁友だ。

 この自分の顔ほどしかない小さな体。自分の目玉程しかない小さな手が、この世界で生きる事を許してくれた。

 恩恵とは、ただひれ伏したくなる想い。

 愛とも思慕とも違う、尊き感情の源流のような思い。

 そんな暖かな塊が内から溢れ出し、すぐ側に感じるラドとライカの存在を通り抜けて大空に広がっていく。

 きっとパーンの感応しあう想いは、本来このようなモノなのだろう。


「思い出してくれ、皆と過したあの日々を」

 暖かな塊が場を覆う中、それっきりイオの声は聞こえなくなった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ