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エフェルナンド・イクス

 エフェルナンドが通り抜けた東壁の大穴は、珍客の来訪を受けていた。


 現れたのは重装のシンシアナ第七皇軍。背中には大盾を背負い、腰には四スブ長のロングソードをぶら下げている。だが武骨な鉄塊を好むシンシアナ兵に似つかわぬ洗練された得物は、魔法鋼の薄身刃だ。


 皇軍がガチャガチャと武装を鳴らして東壁面に集まるのを、日焼けの肢体も逞しい大男が威風堂々と構えて待つ。

 若いのに眉間に深く刻まれたシワと、大軍を睨みつける凄味を湛えた瞳が、男に一層の箔をつけている。

 皇軍が矩形に隊列を組むのを確かめると、男は隆々した筋肉からは想像できない身軽さで栗毛の馬に飛び乗り、軽く馬を御してから腰の剣をすらりと抜いた。

 陽光に凛と光る剣先を高々と天に掲げる。


「ここに俺は宣言する! お前らの苦渋の歴史に終止符を打つ! 我々はガウベルーアの穀物を掠め取るコソ泥ではない!」

 雄叫びが地を揺るがし、全員が申し合わせて片足で地面を踏み鳴らす。


「時はきた! 俺達は戦って全てを手に入れてきた。それがシンシアナの生き方だ! ならば富も名誉も全て、戦って手に入れる!!! 俺についてこい! お前らに最高の生き方を保障してやる!」

 兵たちは剣を抜き、前に並ぶ兵の背中の盾に打ち付けて、「どうぅぅぅ」と雄叫びを上げる。


「かかれーーーー!!!!!! 兵という兵を皆殺しにしろーーー!!!」

 号令を受けた兵は解き放たれた猛獣と化し、次々にはしけを渡る。それを満足げに見たゲニアは馬上から若い付き人に指示を出す。


「アムセン! 装甲車をまかす。俺はこいつらと先に行く」

「はっ! ゲニア総督」

 気の早い呼び方にゲニアは苦笑し、若きアムセンの背中を思いきり引っぱたいた。



 その後のゲニアの動きは早い。

 二十名の兵を連れたゲニアは領主の館の周囲に兵を散らして包囲する。館の兵は北門に出払っており、警戒は極めて薄い。

「不用心だな」

 独り言を口にすると、五名ほどの側近を連れて館の執政室に向かう。


「ハーディング提督」

 ドアをノックし静かに部屋に入る。

「ゲニア! 東城壁が破られているではないか。貴様が東面の敵の背後を突く手筈であろう!」

「ガウべルーアめ、新しい魔法を開発したようです。その事でここに伺いました」

「作戦の変更か?」

「左様です」


 ゲニアはにじり寄ってハーディングの耳に口を近づける。

「裏切り者がおるのです」

「なんだと!」

「お声が大きくございます」

「うむ、そいつは誰だ」

「提督もよくご存知の者」

 ふつとゲニアの話が止まると同時に、ハーディングの口から鮮血が吹き出す。

「げぬっ、、」

 その先はゴボゴボと溢れるものに邪魔されて、言葉にはならなかった。

「私です。ハーディング提督」

 言い切る前にハーディングの喉元をかっ切る。


「誠に無念である!!! ハーディング提督はガウべルーアの魔法騎士との戦いにより名誉の戦死をなされた!」

 言うが早いかゲニアが連れてきた側近が一気に動き、執政室の兵を一撃のもとに仕留める。

 その悲鳴を聞きつけて、館に転々と置いてきたゲニアの仲間が、館の警備を次々と仕留める。

 その声だけが順に廊下の奥から響き聞こえる。


 ゲニアは一段高い椅子に座るハーディングの亡骸を蹴落とすと、館の前で合流したフードを被った従者に命ずる。

「偽装する。焼き殺せ」

 部屋の隅にひっそりと佇んでいたフードの従者は、音もなく中央へ歩み寄ると、床を真っ赤に染めた遺体を一瞥し、手を突き出してボソボソとなにやら呟く。

 すると虚空から現れた炎が、みるみるハーディングの巨体を覆い、まるで焼肉のような音を響かせて消し炭を作って行く。

 周囲の者はその光景を何事も無かったように見つめていた。ただ一人、小刻みに肩を震わすフードの男を除いては。


 ゲニアは黒焦げになった遺体を戸板に乗せると外に持ち出し、軍旗を被せて丁寧に館の門前に置いた。

 そして無念を込めた顔を作りやおら大声で叫んだ。

「なんということか。ガウベルーアのやつらめ、混乱に乗じてハーディング提督を手にかけやがった。第七皇軍が将、我、ゲニアはハーディング提督の仇を打つべく敵ガウベルーアを掃討する! 先任将校として提督代理のゲニアが命ずる! 皆のもの! 俺に続け! 弔い合戦だ! 東門から雪崩れ込んできた奴らを一兵残らず叩き斬るぞ!!!」

 慄く市民の戦慄と野太い声がゲニアの宣言の前に立ち上がった。



 東壁から入城するゲニアをカレンファストは獣を見る目で眺めていた。

「勇ましいものだな。シンシアナとはやはり相容れん」

 腕を組んで眺めるのは、拒絶が滲み出ているからだろう。本人の前では抑えてたが本音は体に出る。

「まさしく。ご報告がございます」

 横に従えているカレンファストの腹心が静かに肯定しつつ、カレンファストの耳に情報を入れる。


「……エフェルナンドは離れたか。半獣人どもは南門にいるな」

「はい」

「準備をさせよ。この仕上げをしくじるな」

「御意」


 カレンファストは小声で指示すると静かに手を振り下ろす。

 その合図を受けた黒衣の小集団が、風のように場内へ飛び込んでいく。



 東壁から突入したエフェルナンドは、南街区門で戦うパーン部隊から密かに離脱していた。

 そして今、脱いだばかりのフード付きのローブとシンシアナ兵服に火を放った所だった。

 この後の段取りは、急いでパーン部隊に戻り、何食わぬ顔で指揮を取ることになっていた。だが、瞬間とはいえガウべルーアを裏切り、シンシアナの制服に袖を通した自分に、彼のメンタルは酷く動揺していた。

 この気持ちで原隊に復帰するのは無理だった。

 ムンタムを奪還するには、このような知略が必要なのは、我が主、カレンファストの言う通りだと思う。『目的を達する為に己の主義など不要。それが将というもの』と言われて納得した。したつもりだったが。


「クソ……」

 声を上げても、何度唾を叩き捨てても気持ちは晴れない。

 何かが侵されたのだ。自分の大切な何かが。


 そうやって半時ほどうなだれていたが、このままという訳には行かず、なんとか気を取り直して、身を潜めた物陰から立ち上がり通りに顔を出す。

 そこに耳をつんざく大声が響いてきた。

「半獣が暴れているぞーーー!!!」

 表通りのあちらこちから、市民の叫び声がする。

「なんだ?」

 もう一度身を隠し、そっと壁に身を這わせて表通りを見る。


 駆け抜ける疾風のような臙脂色の影。

 その臙脂が容赦なく市民を刻み、逃げるものの背中を切り、慌てけつまずく老人を刺していた。

 子連れの母娘も容赦しない。繋ぐ手を切り落とし、転げた子供を蹴り飛ばす。泣き叫ぶ母を屠り、市民の首を躊躇なく刎ねていた。制服の臙脂色は元々だったのだろうか、それとも市民の叫びに染まった色なのだろうか。


「皇衛騎士団だ!」

「半獣が狂乱しているぞ!」

「マージアがやりやがった!」


 東側から万に近いカレンファストの騎士団が迫っている。

 その大軍の合流するパーン兵に衝撃を受けた。皇衛騎士団の制服ごと毛皮を脱ぎ捨てたのだ。

 仕込まれた狂乱。

 カレンファストは謀ったのだ、自分にパーン兵を突入させムンタムで狂乱させることを。だから自分はシンシアナに遣わされた。


 仲間だったヤツらが、カレンファストの騎士団に殺されていくのを呆然と見る。

 半獣人を処理するなど当然の事だろう。

 だが彼らは仲間だった。

 パーンやバブルを心の中で見下していた。

 だが慕ってくれたのは誰だったろうか。

 あなたはいい人だと言ってくれたのに、自分は彼らに応えた事はなかった。それは自分に対して『仲間』と言ったことのないカレンファストと同じ。


 なぜならカレンファストにとって駒の一つに過ぎないのだから。

 出会った子供のときから……。


 ファイアチェインがあちこちで立ち上がる炎獄から、エフェルナンドは逃げ出した。

 もう限界だった。

 皇衛騎士団で戦った日々の中には、酷い戦場はいくらでもあったが、ここまで狂気に満ちた戦場はなかった。


「オレじゃない! オレの力じゃどうにもならない! オレは弱小貴族の三男坊で力もなければ期待もされてない。悪いのはカレンファストだ!」

 泣き叫びながら、走り、走り。そして東のはしけに足をかけたとき。


「ぐふぉ!」

 背後から熱い何かが体を貫いたのが分かった。


 腹を見る。

 臙脂の制服から突き抜けた剣先。


「予想通りだよ、キミが半獣の隊に合流せず遁走するのは凡そ見当がついた。キミは会った頃から変わらないねぇ。愚かなキミは騎士道に憧れ毎日薪を振るい、そして優しいキミは貧しい家のためにせっせと、僕が教えた植物を森に入って集めた。あの草木が何に使われるかも考えずに」

 エフェルナンドは血だらけの手で胸をかき、カレンファストを見る。

 半笑いの男から伸びた手には見事な装飾剣が握られ、それは自分の腹へと伸びている。


「あれは毒だ。人を殺す毒。子を作れなくする毒。人を狂わす毒。キミの優しさは無知のなせる業だが、僕はそのような無知が許せない性分でね」

「カレン…ファ…」

 口から溢れる血。

「だがキミをラド・マージアの側に置いて正解だった。まったく疑われなかったのだからな」

「スト……」

 カレンファストの剣が、するするとエフェルナンドの体から抜けて行く。

 ・

 ・

 ・

『キミがエフェルナンドくんだね。僕は君の未来を変えるために来た』

 初めて会った日の思い出。荒れ放題の我が屋の裏庭に気高く立ち、背中から吹く風に上着の裾をはためかせた鷹のような少年の姿。


『南方の港町は午後になると大雨が降る。それを夕立という。夕立のあとは空が澄み渡り青々とした世界が現れるんだ。エフェルナンドはそんな空を見たことはないだろう。僕はそんな夕立になりたい』

 恐ろしく澄んだ空のような青い目で語る青年。


『誰かを守ることがキミの騎士道なのか! 私は誰かの力なくして生きられぬ者に生きる価値は認めん。臣民を甘やかすのは騎士道にあらず!』

 二十歳の自分を拳骨でぶった男。


 記憶の中のカレンファストは常に自分の上にいた。初めて会った十二歳の時から、彼には凡人にはない気迫があった。

 大人すら跪かさせずにはいられない意思があった。

 だが彼は自分に親しく話してくれた。

 なぜ自分が選ばれたか分からない、だが選ばれたことに誇りがあった。


『キミはこんな所で腐ってよいのか。私は帝国を壊滅せしめ、狂獣と半獣人を駆逐する。私の理想のために働け。使命のために命を燃やせ。エフェルナンドにはその資格がある』

 彼は身勝手な誇りや、ありもしない有能感を鼓舞し、森を駆け巡っていた貧乏貴族の末っ子が彼の力で皇衛騎士団に入団し魔法騎士になる夢を叶えた。


 応えて来たはずだ、皇衛騎士団を掌握するために恵愛するアズマ団長を計略にかけ、この瞬間も騎士団の仲間を裏切り切り捨ててきたのだ。

 全ては彼に認めてもらいたかったから。

 なのに……。

 カレンファストに差し出した手が上着をひっかき、スルスルと落ちて、エフェルナンドは地に伏した。

 この男はシンシアナを使ってシンシアナを滅し、自分を使って政敵をも滅するのか。

 恐ろしい男だと思っていたが、鷹の本当の恐ろしさを自分は知らなかったのだ。


「まったく、良く似た二人だ」

 カレンファストはエフェルナンドの遺骸を空堀に蹴り落とす。


 ずるりとはしけから落ちるエフェルナンドを見る者はいなかった。

 貧しき貴族が最後に見た景色は何だっのだろうか。

 ぐしゃりと肉のつぶれる音が堀の底からした。

 彼が世界に残した最後の欠片。


「フォーレスといいアンスカーリといいマージアといい、仲間だの調和だの綺麗事だけでは統治はできんのだよ。お前は最後まで分からなかったな」

 カレンファストは剣についた血糊を振り落とすと、音を殺して柄にしまう。

 堀の底を見ることはなかった。

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