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私の居場所

 時は少し遡る。

 アンスカーリとの対面後、ラドと分かれたアキハはマッキオ工房の前に立っていた。


「なんで、親方……」

「俺から言わせんな……」

「確かに私、親方に何も言わないでガラス工房空けたけど、だからって」

 マッキオは顰めっ顔で無駄に大きな舌打ちをし、ぼりぼりと頭を掻く。そして地面に唾を吐いて大きな革靴の先で砂をかけた。


 大きなため息を一つ。

「やっぱおめぇはハブルだな。直接話言わなきゃわかんねぇか」

「わたし、邪魔なの……」

 マッキオは腰に両手を当てる。

「そうだ。正直、この二か月、お前が居なくてもこちとら困らなかった。いやむしろマッシュの方がいい仕事をする」

「でも、そうだけど、私達もう十年近くも一緒にやってきたじゃない」

 声が震えているのはマッキオにも分かった。こんな泣きそうな顔は、アキハが自分のもとに転がり込んで来てこのかた、見たことはなかった。特に仕事については、腕は悪いが泣き言を言ったことはなかった。

 だいたい初めて会ったときから、この娘は生意気だった。『私を雇って』とシンシアナ人の自分の前で胸を張っていうガキだった。

 バブルなのだ。物心ついたときから世界と戦ってきたのだから、泣き言を言っても何も変わらないと骨の髄から知っていたのだろう。


「そうだな、お前がガキの頃から仕込んできた俺が言うんだ、お前はモノにならねぇ。お前に伸びしろはねぇ」

「そんな、ウソだよね」

「師匠の言葉だ、間違いねぇ。悪こたぁ言わねぇ。仕事を変えろ。ここになけりゃ田舎で畑でも耕せ」

 工房の奥の何人かは手を止めて二人を見ている。

 アキハは突き刺さる視線に怯えてか、きつく目を閉じた。


「工房の奴らもお前が使えねぇと思ってる。仕事が雑で、そのくせ遅え」

 マッキオは殊更強い口調で言い放つ。

 こいつが二度と職人を目指さないように、完膚なきまでプライドを引き裂かねばならない。そんな信念が言葉の節々にある。


「もういいだろ、帰れ」

「待って親方!」

「もう二度とくんな」

「親方!」

「もう、お前の親方じゃねぇ!!!」

 マッキオは巨体で地面を踏み鳴らしアキハを止めると、工房に戻り壁にかかるひと振りの剣を掴む。アキハが練習で打った剣だ。

 クソみてーなとうしろうだが、この位の剣なら打てる。そこまで仕込んだのか、こいつを。

 そう思うと十年の歳月が短く思えた。


 取って返してアキハの足元にブン投げると、地を跳ねた剣がクワンと澄んだ音が発して空を踊った。

 魔法鋼処理をしているとは言え、この音はアキハが弟子としてそれなりの仕事をした証だ。


「餞別だ。それはくれてやる」

 それっきりアキハの顔は見なかった。

 この国での苦労という点ではアキハとマッキオは同じだった。認められず、シンシアナの血というだけで世間は冷たい。己の命と生活は自分で守らなければならない孤独。その苦労はこの工房にいる誰にも分からないだろう。


 工房の職人も一人一人と持ち場に戻っていく。

 戸口から工房の奥にのびる影がためらうように左右に動き、そしてすっと消えた。

 アキハの声はもう聞こえなかった。



 イチカが王都に戻ったのは、出立から十日後の夜だった。

 旅の途中で大きな鉄の機械が運ばれていくのを見た。たぶんマッキオ工房の作品だろう。ラドが注文した新兵器に違いない。


 到着後、ラドからのお使いの品は、できるだけ早く登城してアメリー様にお届けしなければならないが、流石に夜では門は開かないので、一旦、ヴィルドファーレンで夜を明かさなければならない。

 馬に揺られて疲れ切った体も癒やしたいし、ラドに無事に着いたことを知らせる手紙も書きたい。他にも幾つかのミッションがある。


 鍵のない我が家の扉を開け、久々の自宅の木の香りを胸に満たし、張り詰めた体から力を抜く。

「はぁ~~~、っ!」

 部屋の奥から衣擦れの音がする!


 イチカは慌てて部屋を見渡す。

 部屋の右壁、正面の窓の下、いや左の机の下か?

 部屋の隅々に視線を配ると、部屋の左奥隅に微かな月明かりに浮かぶ影がゆらりと、だが鋭く動いた!

「ひっ!」

 思わず少女の様な声が出た。

 騎士団は幹部などをやっているが、想像していない事に出くわせば勿論驚く。それが安心だと思っていた自宅ならばなおさらだ。


 ちびりそうになるのを押さえて声をかける。

「誰? ですか」

 駐屯地の中にある街ではあるが、今はもぬけの殻だ。危険人物が潜伏していてもおかしくはない。


 護衛の者は宿舎に帰してしまい今は一人。いつでも逃げられるように身構えるが、声に反応した影が動くと、耐えたい意思に反して足は凍る。

 恐怖が溢れて思考が散り散りになる。その頭と裏腹に心は”私も人になったんだ”と、じんときてしまう。

 生まれて暫くは恐れも羞恥もなかった。心のないホムンクルス。長じて喜び、怒り、不満、愛を感じるようになっても、どれもが人のモノマネではないかと自分を訝しんだ。

 でも、この瞬間、『死にたくない』、『まだ死ねない』と思った自分に偽りはない。

 私には心がある。

 それはラドへの想いに偽りがないことの証明だ。


 影は大きかった。自分の倍はあるのではないかと思うほどのそれは、大きく広がり覆いかぶさってイチカを上から押さえ込む。

 だが、そこにあった柔らかなふくらみと温もりにイチカは気づく。


「もしかして……」


 息がゆっくりと近づき、小さなイチカの頬に寄る。

 鼻にかかる髪からはナッツのような甘い香りが、ほろほろと漂う。

「イチカ、わたし行き場所、なくなっちゃった」

 嗚咽まじりの声はアキハだった。



 その晩はいつか二人だけで過ごしたの夜のように、一緒に毛布にくるまって寝た。

 すっかり大きくなったアキハに時の流れを感じる。アキハには時が見方をしている。自分とは正反対に。

 大人の女性。

 そのくせ話しかけても「うん」しか言わないのが幼く思えて、母性が動いて母のように大きなアキハを抱きしめてしまう。


「アキハにはここがあるじゃない」

 そう言い聞かせると、「ごめんねイチカ」と言って、グズグズと鼻をすする。


 行き場所とは体の所在ではない、ここにいていい意味だ。

 もう魔法を使えない私も同じだ。ムンタムでの皇衛騎士団のゴタゴタは私のせい。

 魔法が使えず体も動かないのに無理をして、エフェルナンドさんが怪しくて偵察に出てバッタリ倒れて。

 エフェルナンドさんの事をティレーネさんに任せたら、何か変な関係になってしまって、私が事態をかき回したようなものだ。

 とうの昔から私の居場所は騎士団にはなかった。でもラドは優しいから私を置いてくれている。


 もう言わなければならない。アキハには。


「アキハ、聞いてちょうだい」

 アキハがズズっと鼻をすする。

「私はもう長く生きられない。アキハもそれは知ってるでしょ」

 抱き合うアキハの胸が早く打ち、大きく波打つのが伝わってくる。

「ラドをお願い。どんなことがあってもラドを守って。それはアキハしかできないの」

 アキハが強く私を抱いてくる。きっと言葉が出ないのだ。

「あなたは私の分身。私達はどんなに切り離されても一緒なの」

 自分でもなぜこの言葉が出るのか分からない。でも言葉が自然に紡がれてくる。


「私に何かあったらラドに伝えてちょうだい。私の血肉はホムンクルスだけが残せる贈り物だって。自分のために使って欲しいって」

 アキハの腕に寒イボが立つのが分かった。

「イチカ、だめ!」

「それが私の本当の居場所なの」

「そんなの、私から言えないよ……」

「言うの、あなたしか言えない言葉よ。そしてこれからはあなたがするの」

「そんなの……」

「大丈夫、まだ先の話だから。こんな機会がないと話せないから話しただけ」


 もっと話したい、もっと想いを通わせたいのに、イチカは急速に意識を失っていく。

 もっと話したい。

 もっとアキハを感じたい。

 なのに……。

 イチカは眠りに落ちていった。



 翌朝。

 アキハへのお願いは、もちろんラドからのお使いだ。


 王宮への許可がない品品の持ち込みはご法度だ。王族は常に狙われているので、荷物の中から毒蛇が飛び出すとか、贈り物に毒針が仕込まれているとか、どんな悪意があるか分からない。そのため全ての品が検閲される。それは御用達の商品であっても例外はない。

 では、普通では通れない検閲をどう通すか。


 そこでひと工夫することにした。甘いナッツの香りからアキハはラドと王宮に勤めていたのは間違いない。ならアキハのことだ、一人くらいはコネを作った筈である。

 聞くとその予想は当たっており、ヒューイという人を通じれば、アメリー様に行き当たりそうだと分かった。

 このツテを使って検閲をせずに荷物を押し込む。一発で成功しなくてもいい。幸い届ける品物は魔法陣だ。書き写せばコピーは幾らでも作れるので、何度かトライすればきっと届く。


 まずラドの伝言と魔法陣を詰めた木箱をアキハに託す。アキハは家政婦制服を着て、王城の門をくぐりそれをヒューイに託す。

 ヒューイはそれを警備の確認に来たサルディーニャに託す。

 サルディーニャは白百合騎士団長なのでアメリー様に合う機会がある。

 魔法陣がアメリー様の手元に渡れば使い方は紙に書いている。


 ラドのお使いはこれで終わりなので、任務完了の報告書を書き上げメッセンジャーギルドへ。他に幾つかの手紙を一気に仕上げ、イチカは使い慣れた獣歯牙ペンを置いた。

 やるべきことは全てやった。これで私の仕事は終わりだ。

 残された時間はアキハのために使おう。アキハを元気づけてあげたい。そしてアキハとラドが生きられるために。


「あのもし、お戻りになられたばかりで申し訳ないのですが、イチカ様に相談がございます」

 扉を叩く音と、自分を呼ぶか細い声。

 重い体を椅子から起こし扉を開けると、ヴィルドファーレンの黒目が大きいネズミ系のパーンの女性が怯えた表情で身を縮めて立っていた。

「どうしたのですか?」

「うち子が行方不明なのです。探して頂けないでしょうか」

 意外な相談であった。

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