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エピメーテウスの罠

 スタンリーとムンタム奪還の共闘を約束し、代わりに北東に位置するワイズ家管轄の緩衝地帯にパーンとバブルの隠れ里を拓くことを黙認してもらう。

 アンスカーリとは袂を分かつ。

 アンスカリー・ワイズ連合騎士団において、アンスカーリは自分に戦果を求めるだろう、だが自分が上げる戦果は全てワイズ率いる北進騎士団の軍功に見せる。

 ワイズ家が戦果を上げてムンタムを取り戻せば、アンスカーリもおいそれとはムンタムに手を出せない。これでシンシアナまで巻き込んだムンタム乗っ取り作戦は潰えるハズ。

 立ち回りは上手くやるつもりだが、バレればアンスカーリは黙っていないだろう。その時、一番怖いのはアンスカーリ領内にある洛西のヴィルドファーレン。

 何かあればじいさんはヴィルドファーレンを人質に取る可能性がある。そのための新天地だ。



 天高い秋空の下、秘密裏にスタンリーとの共闘を画策したラドは満を持してアンスカーリに会うことにする。ちょうどアンスカーリに呼び出されていたので好都合。

 例のベンス洋品店の扉を潜ってアンスカーリのもとへ。

 こちらの企図を悟られてはならない。

 今まで通りの態度で接し、今まで通りに魔法を開発し、今まで通りに戦いに赴く。

 そして自然に失敗して、アンスカーリやカレンファストに加担しないようにする。


「お久しぶりです、アンスカーリさん。王都に戻ってきましたので帰還の報告に――」

 気だるげに挨拶すると開口一番。

「この大変な時期にどこをほっつき歩いておった!」

 いきなりの大目玉。

「なんですか、いきなり」

「お前はなんで一言も言わんで旅に出よる!」

「ただの諸国の視察ですよ。わざわざ報告なんていらないでしょ」

「ばっかもん! 今は戦中じゃぞ!」

「そうですけど、ちょっと私ごともあったので……」

「わたくしごとじゃと? なんじゃそれは?」

「秘密ってのは、ナシですか」

 頭をかきかき答えをはぐらかすラドの隣には、アキハが赤くなってうつむいて立っている。

「雲隠れしていた不肖に、秘密など認めんわ!」

「うっ、想定外に厳しいなぁ。じゃ~、まぁ言うけどアキハいい?」

 アキハは僅かに顔を上げて、こくんと頷く。

 フードから微かに見えた顔を見てアンスカーリはアキハの事を思い出す。

「ほほう、あの時の娘か。随分久しいのう。逢うたのは何年前じゃったか。なんじゃ、少し雰囲気が変わったか? やつれたように思うが、ちゃんと食わせてもらっているのか? かわいそうに」

 しおらしくもアキハは、ゆったり目の山吹色のローブ服を揺らめかせて深々とお辞儀をする。

 やつれたというのは本当だ。王宮の調理場で会ったアキハは、芋をむしゃむしゃ食べている脳天気な娘だったが、あんなことがあって流石に消沈してしまった。

 ラドがベッドから起き上がれるようになるまで情緒不安定で、急に体を鍛え始めたかと思うと、しゅんと膝を抱えてうずくまってご飯も食べなかったりと大変だったらしい。


「それで、なんで娘がおる?」

「実は僕達婚約しまして、その報告で田舎に帰ってまして」

「婚約じゃと!」

 アンスカーリは椅子から転げ落ちるように飛び跳ねる。それはもう老人とは思えぬ瞬発力で。

「幼馴染で、えへへ、ずっと想い合っていたのですが、そろそろかなーと」

「な、なな、ならん!」

「え? なんでですか。恋愛は個人の自由では?」

「お前には、ア、アミリアを渡したのを忘れおったか!」

「はい、もらいましたが」

「はい、もらいましたで済ますな、ど阿呆が! 何で儂にいわん!」

「どあほう!? でも言えだなんてアンスカーリさん、一言も言いませんでしたけど」

「儂がアミリアを渡した意味を擦せよ! 純血でなければならんに決まっておろう! 嫁は! わ、儂が世話を……する……」


 アンスカーリは怒りのあまりくらっと倒れそうになる。それをラドは支えて椅子に座らせる。

「あんまり怒るからですよ。アンスカーリさんは年なんですから。高血圧で倒れますよ」

「なんじゃ、その高血圧とは」

「まぁそれはいいですから。落ち着いてください」

 アンスカーリは大きな息をついて、まだ震える手で水差しをとり、切子ガラスの冷えた水をぐいっとあおった。

 氷冷の魔法はこういう所でも有効に使われている。甘藷を使ったアイスクリームモドキなどは、王都に来たときにはすでにあったが、高級品で手が出なかった。

 だが魔法陣の普及で誰もが手軽に氷冷の魔法が使えるようになった今は、氷菓子は庶民でも手に入る価格となり、爆発的に種類も増えた。

 冷水もその一つで、メイドのいる家では水をサーブするときは冷えた水にするのが最近の流行だ。


「娘、名はなんと申す」

「アキハです」

 かつて聞いたことのない細い声で答える。

「お前は、こやつの妾ではダメか」

「……」

「アージュ領主の娘とコイツをくっつけねばならん。取り上げたりはせんから、そのくらいで我慢できんか」

 おじいちゃんは女の子に優しい。バブルでもこれだけ優しいのだから、ガウべルーアの娘にはどれだけ甘いのだろうかと思う。


 アキハはたっぶり余韻を持って、

「分かりました。アンスカーリ公の仰せのままに」と、儚げに言うと、よよと涙の筋を頬につけコクリと頷く。


 ――こいつ芝居のセンスあるなぁ。思いがけない発見だよ。

 なんて思いつつ、アンスカーリは「急いで話をまとめるによって、北征が終わると同時に祝言をあげるからな」と、ラドに釘を指して椅子を立つ。


 実はこの帰還報告にて、『お前に嫁を取らせる算段がある』と言ったのはスタンリーだ。

 なかなかどうしてスタンリーの諜報網も馬鹿にできない。

 アンスカーリ派の軍事力を盤石にするために、王国第三位の軍事力を誇るアージュを取り込む。そのための政略結婚だという。

 西方のアンスカーリ、南方のカレンファスト、東方のアージュ。

 ここでアージュがアンスカーリに付くかワイズに付くかは、今後の趨勢を大きく変える。


「あの……僕の意思は?」

「ばっかもん! イレーネ嬢を娶るなどお前には勿体なさ過ぎじゃ、意思などあるか!」

 耳が痛くなるほどの大声に、思わず両耳を塞ぐ。

「怒鳴らないくださいよ。名前すら知らない娘なんですから言いたくなるじゃないですか」

「本物の箱入り娘じゃ、今年で十五になる」

 それは微妙だ。見た目は明らかに自分のほうが子供だが、実は嫁のほうが年下というなかなかなのライトノベル設定じゃないか。


「そもそも、相手はオッケーしてるんですか?」

「問題ない」

「皇衛騎士団にパーンやバブルがいても?」

「全く問題ない」

 ……あるな。直感でわかる。あれほど激昂していた老人が急に冷静になるのだから、何かを隠しているのは間違いない。

「もう段取りはついておる。じゃが戦中に婚姻はできん。西方南方諸侯より五万の兵をムンタム近郊に集結させるによって、お前は急ぎムンタムに赴き忽ち北方を制圧してこい。わかったな」

「えー、戻ったばかりですよ」

「つべこべ言っとる場合か! 貴族の勤めを果たさんか!」

「ちぇっ」

 こっちは何も知らない体で、アンスカーリの指示を受ける。

 ちょっとアージュの件は素直過ぎたかと思うが、冷静さを失っているじいさんは、気づきはしないだろう。



 追い払うように帰ってよいと言われて、二人して頭を下げて別邸を出る。

 まずはここ数か月の空白を疑われなくてよかった。もっともらしい理由をアンスカーリに刷り込むために、”アキハとの婚約”を絡めて敢えてアンスカーリの土俵に乗る。

 自分が曲げてアンスカーリの言うことを聞いたという状況を作ることが大事だ。さすればラドは未だアンスカーリの手中の駒と思わせられるからだ。


 アンスカーリは裏切り者には容赦がない。

 彼に継続がいないのは、アンスカーリが直系は三代かけて親族を根絶やしにしてしまったからだ。

 魔法やホムンクルスの秘密を知る既得権益は、それほど大きく、当主はこぞって蜜を吸いにたかる氏族を消してしまい、遂に親族はブリゾ・アンスカーリのみにしてしまった。

 それでもアンスカーリに子があれば良かったが、彼は女好きする性格だったにもかかわらず子が授からなかった。

 ブルレイド王とアンスカーリの両方に現れた不幸は偶然か必然か。ここにも子がない不幸がある。



 スタンリーの計画を思い出しつつ、じんめりとした地下通路の帰り道をアキハと共に歩く。

 先を行くアキハが壁に手を伸ばすのはマジックランタンに繋がる魔法結線に魔力を注ぐためだ。

 その腕から垂れるローブの袖が凪に遊ぶ柳のようにふわふわと幻想的に浮いている。


「なかなかの芝居だったじゃない。ほろっと涙を流す所なんて迫真だったよ」

 何かアキハの背中が儚げで、あえてふざけた口調で感想を伝えると、アキハはくるりとこちらを向いて壁から手を離した。

 マジックランタンの灯りが余韻なくデジタルに消え、通路は真っ暗になる。


「芝居じゃないよ」

「えっ?」

「そういうのも必要だって分かってる。でもムンタムの北征が終わればラドはホントにアージュの子と結婚しちゃうんでしょ」

「まぁ一旦はそうなるかな。どうしたんだよアキハ、入り過ぎだって。ムンタムを奪還して、奪われた王家の証を取り戻して、大きくなりすぎたアンスカーリ派を分断させるんだ。そうしたら僕らは逐電して北西の緩衝地帯で皆と暮らす。もちろんアキハもだって言ったじゃない」

「うん」

「そしたら、また皆で楽しくやろっ。畑を拓いて、家畜を飼って、狩りをして。みんなと一緒だから絶対楽しいって」

 真っ暗な中で二人の話は続く。


「そうじゃない。ラド、やっぱり分かってない」

「だから、アキハも一緒って言ったじゃ……」

「違う! そうじゃないの!!!」

 張り上げた声が狭い通路に反響し、アキハの切迫した様子に恐れ驚く。


「どうしたのアキハ。何が違うんだよ? 大丈夫だって。最近いろいろあったけどムンタムが終わればまた元通りだって。アキハには心配かけたけど、もうそんな失敗しないから」

 真っ暗の中、アキハの影が空気を纏ってふわんと動いたのが分かった。


 明かりが戻る。

 一歩離れたところにいたアキハは、見えない糸を針穴からするりと抜けるように、ラドから視線を外して出口に向き直る。

 その仕草がやけにラドの心を捉えて離さない。


 アキハは病み上がりの自分がムンタムに行くのが心配なのだろう。でも、今の皇衛騎士団は十分に強い。それにスタンリーも味方についている。

 いざとなればアメリー王妃も動いてくれるだろう。

 全部計画通りだ。アキハには言えない事もあるから、全貌を知らないアキハは心配しているだけなんだ。


「たしかに北方は手強いけどすぐ帰ってくるよ。それに北東の新天地はもう手を打ってるし」


 緩衝地帯に引っ込む前に、自分が手がけたホムンクルス工場や、魔法陣の原盤は全て破壊してしまおう。

 直接アメリー様のお心を慰められないのは心苦しいが、高度な通信魔法を作れば、また話ができる。

 親方も呼ぼう。そしたらアキハはまたそこで職人として元気に働ける。


「ラドはまだ夢の中なんだよ……」

 ラドの顔をじっと見ていたアキハが、苦しげにゆっくり首を横に振り、ポツリとそんな事を言った。

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