和解
スタンリーの書斎で待つこと小一時間。
「護衛はいらん!」
「いえ護衛ではありません、ワイズ卿の信頼は、ご自身が思うほどではござませんので」
「筆頭貴族が信頼できぬというか」
「はい、序列こそ筆頭ですが、ご自身のなされたことを弁えていただけますか」
「勝手にしろ!」
スタンリーとロザーラの怒りのやり取りが聞こえ、不機嫌がドアを壊す勢いで入ってきた。
「どいつもこいつも」
愚痴るスタンリーは、ちょこんと椅子に座るラドを見つけると口を閉じる。
「……」
「……」
互いに開く口を持たない。
だが、しびれを切らしたスタンリーが第一声を発する。
「なんだ、まだそんな格好をしているのか」
「いろいろこちらにも事情がありまして」
「その髪型も似合うじゃないか」
またか! それしか僕の取り柄はないのか!
「お褒めに預かり不愉快です」
「なんだ? その挨拶は」
「一応言っときますけど、僕にはそっちの趣味はありませんから」
「それにしては上手く化けたものだな。俺も名乗るまで気付かなかった。いっそ、そのまま侍女をしていればよかろう」
「そのときはあなたが国外追放ですけど」
「……」
「……」
どうにもトゲトゲした話になる。
今日はそんな言い争いをしに来たのではない。今日はわだかまりを一旦脇に置いてでも、真相を聞かねばならないのだ。
「胸襟を開いて話しませんか」
「腹蔵なくだな」
「……」
「……」
とは言ったものの、また沈黙。睨み合い。
このままでは日が暮れてしまうので、こちらから口を開いてやることにする。
「あの日、なぜ書斎に戻ってきたんですか? あんなに早く」
「結論が出たからだ」
「なんの?」
「ワイズ・アンスカーリ連合騎士団のムンタム派兵だ。私が着いたときには既に結論は出ていた」
「本人を差し置いて?」
「そうだ、席に着くなり決定だと言われた。だが陛下は家臣のメンツを潰してまで結論を急ぐ方ではない。裏があると思い探りをいれたが、話は打ち切られて仕舞だった」
「その口調だと、誰かの策謀だと言いたいのですか? まさかアンスカーリ派の誰かとか?」
「そうだ。アメリー様もその可能性を否定していない」
急に出てきたアメリーの名前に戸惑う。
「なんでアメリー様の御意が分かるんだよ? あんたは超能力者か?」
「噛みつくな坊や。そんな訳あるまい。あの爆破事件の件でアメリー様に呼び出されてお会いしたのだ。アメリー様は思慮深いお方だ。私の話を聞いてくださった」
「どんな話だよ」
「お前には言えん。だがアメリー様は私の話にご納得された」
「そんな与太話、信じられるか!」
「そう思うのはお前の勝手だ。だがアメリー様が信じてくだされたから俺はまだここにいる! 分かったか! 満足したか!」
スタンリーはラドが座る椅子の前のテーブルを平手でバンと叩き、ラドに向けたイライラを可哀想な木板にぶつけた。
「なんだよ、その言いぐさは。話の中身も分からないのに、それで信用できるものか。暗躍し王国を危機に陥れたんだぞ、あんたは」
「誓っていうが、俺は国賊ではない!」
「ファクトがない。信用できない!」
また暫くにらみ合いが続く。
ダメだ。過去のしがらみが強すぎてお互いに冷静に話せない。
ラドはふと思い出す。
そう、あれは会社の研修で受けたアンガーマネジメント。
怒りと呼吸は関係している、だから意識的に呼吸を変えれば怒りを制御できるというものだ。
当時は眉唾で、まともに試したこともなかったが、それが急に脳裏をよぎった。
息を大きく吸って、口からゆっくり吐き出す。
軽く目を閉じる。
そうだ……互いに身辺が怪しいのは、他人が見たら同じかもしれない。
シンシアナのアヴェリアと繋がったスタンリーが怪しいと思うように、パーンやバブル、シンシアナ人の親方が仲間の自分も十分怪しい。
こんな二人が顔を合わせれば、当然、相互不信に陥る。
どちらかが何かを信じないと、話は一歩も進まない。
それによく考えれば、連合騎士団の件はスタンリーに一方的にマイナスの話だ。この先、ムンタムを奪還しても武功はアンスカーリのものになる。プライドも家名もズタズタだ。
そしてアメリー様がスタンリーの罪を問わないのも気になる。王妃なのだから王に進言すればワイズを国家反逆罪に問えるのに。
「信頼を引き合いに出したのは、僕が失礼だった。謝罪する」
「ああ、懸命だ。俺もお前を信じてはいない。シンシアナの職人や半獣人を周りにはべらせた貴族など怪しいものだ」
「それはもっともだ。それにココに忍び込んだ非礼も詫たい。僕はあんたがアヴェリアと繋がっているの知って、その真意を探りにココに忍び込んだ。あんたを陥れるつもりは毛頭なかった」
「その件は、アメリー様から伺った」
「なら話しは早い。提案がある。この状況は王国にとっても双方に取って最悪だ。ここはわだかまりを置いて和解しないか」
「和解だと?」
「もとはといえば、あんたが一方的に悪いが、ここは水に流して……」
「聞きづてならんな、小僧。いやお嬢さん」
「お嬢さん!?」
「お前がアンスカーリを抱き込んでワイズ家に仇なさねば、オレはお前などに興味はなかった!」
「なんだよそれ! いつ僕が仇なしたんだよ。被害を被ってるのはコッチ! あの王都でのショーから絡まれっぱなしなんだから」
「こっちこそ迷惑千万! あれは家督が譲られるお披露目だったのだ! そこにしゃしゃり出てきて舞台を滅茶苦茶にしおって」
「知らないよ、そっちの話だろ。僕らだって急に舞台に上げられたんだ。ただ、じいさんの前で新しい魔法を披露するだけの約束があんなになって。貴族たちの前に晒される庶民の気持ちになってみろよ」
「赤っ恥かかされたオレの気持ちもだな」
「……」
「……」
またまた睨み合い。
眉間にシワを寄せる二人。
そしてため息。
「やめましょう」「やめよう」
「……」
「……」
「これはアンスカーリが悪い」「まったくだ。じいさんが悪い」
「……」
「……」
「意見が一致したな」「珍しく」
「まず武器を置いて、膝を詰めて話しましょう」
「然りだ」
スタンリーは腰にぶら下げた装剣を引き抜いて、床に置き胡坐をかいて座った。それに合わせてラドも椅子を立ちスタンリーの前に座る。
一瞬胡坐で座りそうになるが、仕切り直してスカートを丁寧にたたんで正座で座る。靴のままで正座はキツイがパンツを見られるよりはマシだ。
それをじーと見ていたスタンリーがぽつりと疑念を吐く。
「ところでおまえ、本当にマージアか?」
「それを疑う? いま? 声、僕の声でしょ」
「いや、覚えておらん。正直、わがまま坊やの事など腹こそ立つが眼中になかった」
「あ、そう。わがままで悪うございました。じゃこれでどう」
ラドはグレーヘアのかつらを取って床に置く。
「ふーむ。確かにその黒髪と瞳の色、その声はマージアだな」
「でしょ」
上から横から隅々つぶさに確認したスタンリーが満足したのをみて、ラドはまたかつらをかぶる。
「なぜ被る」
「いいでしょ! 何でそこが気になるのかなぁ?」
「もはや変装することはあるまい」
「いやそうだけど、頭だけ男だと変な人みたいでしょ」
「うむ、まぁそうだな。たしか俺も明らかに女装のマージアと話したくはない」
こ、こいつ、いちいち腹立つな!
「いい? 本当に和解したいと思ってるなら、傷つくこと言わない!」
「傷つくのか」
ここ、こいつ、鈍感か!?
「あんたさー、もういい。今日はもう言い争わない。僕はあんたが信頼に値するとわかったなら、本当に和解したいと思っているんだ。だからお互いの秘密を明かしてその証明にしようと思う」
「嘘偽りのない証だな。良いだろう。なら何を差し出す」
「僕は僕の魔法の秘密を。あんたは」
「この事件の真実を」
「いいでしょう」「いいだろう」
「僕から」
「ああ」
ラドは自分に魔力がないことを伝えた。そしてホムンクルスの事も。
スタンリーはイチカがホムンクルスであることを既に知っていた。そこには予想通り、カレス・ルドールの動きがあり、アンスカーリに追われたカレスが命乞いの代償として持ち込んだ情報の中に、軍事糧秣の秘密、動くホムンクルスの存在があったとの事だった。
まさに蟻の一穴だったのだ。
ウィリスが売ったホムンクルスの情報はカレスとアヴェリアに広がり、カレスはそれを命乞いに使い、スタンリーはアンスカーリと対峙する道具とした。たぶんアヴェリアもホムンクルスの情報がきっかけになって暗躍している。
「信じられんが、言われるとお前が魔法を使うところを見たことがない。あのときもパラケルスの魔女がやった魔法だ」
「信じてくれますか?」
「ああ。そんなヤツが魔法局の局長か。とんだ詐欺師だな」
「聞きづてならないなぁ。アンタだってその果実を食べてるんだから、文句を言われる筋合いはないよ」
「それは道理だな」
「だいたい、なんでアンスカーリのじいさんといがみ合ってるんだよ。あんたは」
「あんたと呼ぶな!」
「じゃスタンリーは」
「……呼び捨てか。まぁよい。競わなければ我々が危うい。お前はあのじじいが善人に思うか」
「いや」
「私は当主としてワイズ家を守らねばならん。豪雪の陣の前、ムンタムではホムンクルス工場が稼働直前で魔法鋼はすでに生産体制に入っていた。重要物資をアンスカーリに押さえらたくなかったからだ」
「魔法鋼の事はアメリー様から伺った。両方とも非公開技術だ、だから北方の処理はワイズ家に任せろと言ったのだと理解したよ」
「それもあるが、アンスカーリが入ればムンタムを奪取できなくなる可能性があったからだ」
「なんでだよ」
「やはり知らぬか。なぜカレンファストではなくお前が豪雪の陣に赴いたのか。なぜムンタムが落ちたのか、お前は考えた事があるか」
「いや、あれは成り行きだから」
「愚か者め。お前はあの城が無傷でやすやすと落ちると思うか?」
ハッとした。
ガウベルーアの総力を挙げても落ちない難攻不落のムンタム。高い城壁に深い堀、莫大な耕地を内包し、城門に繋がるは数個の門のみ。そのムンタムの城壁が一か所も破られずに落ちた。そこから想定されるのは自ら開城したということ。
しばしの沈黙が訪れる。
「ムンタムの騎士団や住民に反乱分子がいたんじゃないのか」
それを当主に言うのは無礼であるが、聞かざるを得ない。
「可能性はある。しかし騎士団はみな城外で死んでいる。これは騎士団が指示に従って動いた形跡だ。よって住民はまずない」
「なら、スタンリーの配下をこそ疑うべきだろう」
「騎士団長のコディはムンタムが落ちた時には進軍中で白だ。ならば僅かに残ったムンタム騎士団の分隊長が裏切ったか、それとも全員が取り憑かれたように自暴自棄にでもなったのか」
ムンタムに残った騎士団がシンシアナと組しており、いざ城外に出たところを裏切られて全滅――というのはなくはない。しかし日常的に小競り合いをしている地域のしかもムンタム有利の状況を考えるとシンシアナへ寝返るのはちょっと考えにくい。すると考えられるのはガウベルーア貴族による奸計。
ちょうどその折、援護に向かうと宣言していたのはアンスカーリだ。ムンタムの援護に着たといって門を開かせ、敵に落城させるのはあり得るかもしれない。
「でもだよ。ムンタムが落ちれば国の一大事じゃない。さすがにアンスカーリでもそこまでしないんじゃないの」
「私はありうると考えている。アンスカーリ家は王族に絶対服従を誓った家だ。その誓いにより大権を許されている。だがそんなものは口約束にすぎん。事実、カレンファストがアンスカーリに付いてからアンスカーリ派は拡大の一途を辿っている。そしていまや魔法の全権を握り、軍事糧秣の生産を押さえ、王をも凌ぐ勢力となっている。私はアンスカーリが王権を狙っているのではないかと睨んでいる」
「いやいや」
「ワイズ家やムンタムは、アンスカーリの反対勢力が結集するには格好の拠点だ。だからジャマになる前に敵に落とさせた。そして戦争はアンスカーリに都合の悪い奴らの勢力を削ぐのに利がある。なんの理由もなく当主すら殺せるからな」
そんな極端な話など信用できるものではない。しかし、スタンリーの話に矛盾を見いだせないでいる自分がいる。
「アメリー様はこの話をご存じなのか?」
「ここに至りお話しせざるを得なかった」
「どんな反応だった? いやいい」
その反応があの重苦しい吐露だったのだ。全てを信じたかは分からないが可能性が高いと考えている。
可能性……。
そもそもスタンリーの言う事は本当なのか?
こいつもかなり頭がいい。優れた部下もいるだろう。偽情報を用いてマージア家の当主たる自分をだまし、アンスカーリと仲たがいさせ魔法権益を手中に収めることを考えているのかもしれない。しかし、それだけのためにムンタムを手放すか?
アヴェリア! あいつが僕を狙った事はどうだ。それを確認すると、
「私はアヴェリアにお前を殺せとは命じていない。アヴェリアはシンシアナへの連絡役だ。身辺調査が甘かったのは恥じ入るところだが、目端の利く女だったのでアンスカーリを探るために王宮に入れたに過ぎん。そもそもお前が王宮にいる事を知らん俺がなぜ殺せと命令できる?」
その通りだ。
夜中に聞いた「会談の行軍が私の言った通りになっている」とは、アンスカーリ派の動きのことだと考えればむしろ辻褄が合う。そもそもワイズ派から見ればカレンファストも自分も同じ派閥の動きだし。
ただスタンリーを問い詰めるだけの会談がとんでもない話しになってきた。それはスタンリーも同じようで、ここが分水嶺と察したか、気迫を漲らせてこちらを見定めている。
どうするべきか。
アンスカーリは本当に王国を狙っているのか。
スタンリーは本当に正しい事を言っているのか。
何を信じればいいのか。
逡巡に言葉を詰まらせていると、発言を促すようにスタンリーがせっついてくる。
「ラド・マージア。お前はどう動く。今のお前はアンスカーリにとって都合のよい駒だが、それだけの力があれば、お前はこの国の未来を決めることが出来る」
「僕が未来を決める?」
「この争いで南方の兵が動いていないことをどう思う。なぜ私とお前ばかりが疲弊している。お前はアンスカーリの駒でいいのか。人生を誰かに預けるのが首領のすることか。それほどの才覚がありながら、お前には夢はないのか。命を賭して叶えたい願いはないのか! それはアンスカーリが叶えてくれるのか! ラド・マージア!!!」
一気に畳み込まれ、ラドは座りながらも身を引いた。
世界は自分が考えるより不透明に出来ている。ヘドロにようにまとわりつく重苦しい流れに巻き込まれ、それでも目を凝らして先を見て、首を伸ばして息をして、もがいて前に進まなければならない。
世界はそんな生き方を強要し、拒むことを許さない。
そして世界は容赦がなく、足を止めた者をどこまでもどこまでも奥底に引きずり込もうとする。
だから必死に生きる。
それは、生まれたばかりの子鹿が自然に立ち上がるように、人がこの世界にこぼれ落ちたときに既に知っていることなのだ。
自信なんかなくても決めねばならない。片道切符だと知ってなお。
「マージア。自分の道は自分で決める。それが貴族というものだ」
僕はなにを信じる?
僕はどっちに行きたい?
何が大事だ?
イチカ、リレイラ、ライカ、ロザーラ、ティレーネ、アメリー様、そしてアキハの幸せは……。
ラドは立ち上がりスタンリーに一歩近づく。
スタンリーが身につける香水だろうか、ふわりと柑橘系の香りが漂う。
「アンスカーリは嫌なじいさんだけど僕はそんなに嫌いじゃない。信念に従って生きる人は潔くて好きだ」
「それはつまりアンスカーリに付くということか」
「ブルレイド王は頼りないけど、僕はこの王国がそれほど嫌いじゃない。なにより僕はアメリー様が好きだ」
「……」
「あんたは全くいけ好かないヤツだけど、僕にこんな話をしてくれた初めての人だ。それに大切なものを守りたい気持ちは分かるつもりだ」
「どうだかな」
ラドはスタンリーの前に立って彼の顔を見下ろした。四スブ少しの身長だ。スタンリーが座っていても高さはさほど変わらない。
軽くラドを見上げるスタンリーに向かって右手を差し出す。左手は背中に隠して。
「僕は僕の守りたいモノのために僕の信念に従って生きる。誰にも付かない。僕は僕を信じる。スタンリーさん考えを聞かせてくれませんか」
背の高い男はすくっと立ち上がる。
暗い瞳を持つ男の瞳孔には人を射抜く力があった。よくよくスタンリーの瞳を見たことはなかったが志を持つ者の光がある。
短気な男である。若者にありがちな暴走するほどのエネルギーを持っている。
魔法の天才と言われ、筆頭貴族の位を継ぐことが確定している。増長するに十分な下地のもとに生まれ育った。
だが、その男が平民出の準貴族に手を差し出している。
スタンリーは想像より熱い手を力強く握り返してきた。痛いほどに。
「マージア卿、まずムンタムの奪還だが――」
そう、僕は何も変わらない。僕の生き方は僕が決める。たしかに僕は世界のバランスを崩したかもしれない。なら僕は僕の信じる変化を起こしたい。それが僕の役割なのだと思おう。