事後の景色
南門を北門と書き間違えていたため訂正。
結局、ラドが動けるようになるまで、ひと月の時間を要した。
背中は触るとゴリゴリしており、ケロイドになったようだ。それでも皮膚はちゃんと再生し触っても痛くない程に回復している。
ベッドから起き上がれるようになるとレジーナは、ラドの要請に応えてこれまでの戦況を説明してくれた。
当初、南門と相対して築かれていた南門砦による戦いは、シンシアナが切り開いた”帝都に繋がるのは新街道”を奪い合う戦いに発展。
そこで北進騎士団はシンシアナの後詰めに対して大敗を喫する。
ここまではラドも後援に入って戦っていたので経緯は知っていたが、その後、シンシアナはムンタムの北城壁街道沿いに大きな門を築き、ムンタム城の弱点である出入り口の狭い蛸壺構造を克服。
北門、新街道門、南門に三つの砦を置かねばならなくなった北進騎士団はいよいよ辛くなり、その対策のために王都で開かれたのがあの貴族会議。そこでラドとスタンリー・ワイズはばったりと会った。
ならば、あの日の貴族会議で何があったのか?
スタンリーとは一度会って聞かねばならない。
戦時中ということで、北進騎士団の主君たるスタンリー・ワイズは基本的に3砦の最前線に赴いているが、一方彼には領主としての働きもあり、定期的に王都に顔を出し政務をこなさなければならない。
それがちょうど今日と分かり、サルディーニャに頼んで無理やり予定をねじ込ませてもらった。
面会の名目は『王妃直々の依頼により』と、なっているが、当然、向こうも何の件か分かるはずなので、まさか蹴る事はあるまい。
それに場所も敢えてスタンリーの書斎にしているのだから。
ロザーラに護衛を頼み中庭へ向かう。
自分は王宮には居ないことになっているので、城内を歩くときは、またルジーナに変装だ。
久しぶりに侍女衣服に着替えると、アメリーとやっていた頃を思い出して身が引き締まる。
同じサイズなのに、何だか服が大きくなった気がする。もともと大きくない体なのに、病み上がりで小さくなった。手を上げると肋骨が浮き出て見えるほどに。
銀髪のかつらは毛足が焼けてしまったので、カットして髪型はショートボブになった。
背中から焼かれて後ろ髪がチリチリになってしまったので、耳横は長くて後ろに行くにしたがい短い髪型。
首がスースーするので無意識に首と髪を触っているとロザーラがニヤニヤと覗き込んでくる。
「なんだ、ショートの方が似合うではないか」
「なんの褒め言葉だよ」
「ノンノン、ルジーナ? それは男の言い方だ。言葉遣いには気をつけ給え」
「スタンリーに会いにいくだけの女装なのに、言葉遣いくらいいいだろ」
「いやいや、行き先々バレて困るのはラド殿だぞ」
「そうだけど~。……わかりましたわ」
渋々言葉遣いを変えると、
「うんうん、不機嫌な顔もかわいいぞ」
しつこくからかってくるので、脇腹にボディブローを入れてやる。
「おお、怖い怖い」とロザーラは笑って言うが、これが全く効かないのはロザーラの腹筋が固くなったからか、自分の腕力が弱くなったからか。それを悟られたくなくて平然を装う。
「それで、中庭はどうなったのですか」
「その眼で確認するといい」
わははと大口をあけて笑っていた顔を引き締めてロザーラは遠くを見た。
「位置的には中庭の奥手側、つまり王宮寄りの仕切り石塀の下あたりが軍事糧秣庫だそうだ。ここは警備も厚いのだが、よくもまぁ忍び込んで、ここまで壊したものだ」
歩みを進めて中庭に繋がる門を抜けるとロザーラの言った意味が分かった。
中庭に廃墟のような大穴が空いている。
城の構造は分からないが、ここは石のアーチ組みに土を敷いて作った庭なのだろう。ぽっかりあいた穴からは崩れた石積みの傷口と、奥には巨大かつ規則正しい石造りの構造物が見えた。
こんな頑健なものが破壊されたのか。
「本気のエクスプロージョンはすごいな……」
「それはここを壊した魔法のことか?」
「ええ、爆発する液体を作る魔法です。ニトログリセリンと言うのですが、それを瞬時に合成する魔法なのです。分子量の大きな物質の分子結合を切断する魔法はメジャーなのですが、窒素や酸素といったプリミティブな原子から任意の分子を合成するのは、プロセスが非常に複雑で制御に莫大な魔力が必要になります」
「……久しぶりにラド殿の意味不明な説明を聞いたよ」
「ルジーナですが」
「そうだったな」
いつものロザーラならからかってきそうな話だが、この瓦礫の前ではすっかり神妙だ。
「この穴はどうするんですか」
「どうもこうもない。白百合では処置もできんし、詮索されたくはないので城内に石工も入れられん。このまま放置だ」
「事件はどこまで隠蔽をしているのですか?」
「アメリー様が白百合主催の観覧試合で起きた魔法暴発事故ということにしている。ルジーナもそこで大怪我をしたことになっている。だから事故処理は白百合の範囲だ」
「そちらは大丈夫そうですわね。ワイズ卿は?」
「なにぶん首謀者のアヴェリアを上級メイドに推したのはスタンリー・ワイズだ。アメリー様が譴責したときの動揺は凄まじかったよ」
「今は穴埋めに必死で、こちらに歯向かうことはなさそうですわね」
ラドは大穴の縁を覗きこみながら中庭を歩く。水景の水が止まった中庭は静かなもので、風が穴をなめる音と鳥の声が妙に耳のそばで聞こえてくる。
「落ちたら今度こそ死ぬぞ」
「わかってます! そんなうっかりさんじゃありませんっ」
病み上がりとは言え、落ちたりするものか。
だが……、
「おお、ルジーナ殿!!!」
「ひゃい!!!」
急にかけられた声にびっくりして、
「あっ……」
足が滑った!
「ラド殿!!!」
それをロザーラが機敏に反応し、ラドの腰に手を回して支える。
ちょうど社交ダンスのような格好でラドの体は大穴の縁から宝物庫の基底部に身を晒した状態で受け止められる。
「言わんこっちゃない」
二人して嫌な汗をかいて抱き合う。
「た、玉が縮みあがった……」
「あ、ああ。その感覚は共感できんがな」
「ご、ごめん」
「失礼しました。そんなギリギリを歩いているとは思わず」
そんな冷や汗の二人を気にもかけず、ガシャガシャと装具を鳴らして駆けてくるのはヒューイ。
「ひ、ヒューイ様。脅さかないでくださいまし」
「申し訳ございません。ロザーラ殿、よくぞ守っていただきました。心よりお礼申し上げます」
「なに、当然のこと。感謝されるまでもない」
ヒューイは辺りをキョロキョロと見ると人が居ないことを確認してストっと跪いた。そのまま頭を垂れる。
「いつぞやは誠に失礼いたしました。知らぬ事とは言え、マージア卿におきまして無礼な振る舞い。その上、お守りする事もできず」
「マージア? えっ、知ってたの?」
「はい、事故後、サルディーニャ殿に内密にということで伺いました」
「あ……、そう。そうなんだ」
「……」
「……」
「こほん。今のトコと前の諸々、全部忘れてくれる?」
「はい?」
「その……筋肉がとか」
「ああ! お胸の筋肉にあこがれてましての下りですな!」
「くくく、ラド殿……」
ラドがあたたと言わんばかりに手で顔を隠すのを見て、ロザーラは声を殺してモジモジと震える。このおかしさをどこに持って行こうかと喘いでいるらしい。
一番聞かれたくない人に聞かれてしまった。
「ほらぁ、なんで言っちゃうの? 傷口広げてどうするのさっ」
「し、失礼いたしました!」
「お胸の……くく、筋肉……」
「ロザーラもいつまで僕の腰に手、回してるの!」
「おっと失礼、ルジーナ殿の腰回りは少女のように細くて手が回しやすくてな」
「そりゃどうも!」
どいつもこいつも、デリカシーがない!
ワイズの書斎に三人して向かいながら、ヒューイとあの時の話をする。
「私が爆音を聞いたとき、ちょうど駆け込んできたハウスメイドと話していたのです。中に入れろ入れられないの問答をしており、中庭の様子は見ておりませんでした」
「彼女はアキハという僕の仲間だったんだ」
「はい、その後伺い、存じております」
ヒューイはふと遠くを見る。
「誠に感動しました。貴卿が火だるまになって屋根から落ちたのを助けたのは彼女です。すぐさま自分も屋根から飛び降り、己の服を引き裂いて水景の水に突っ込み、火だるまの貴卿をくるみこんで火を消しました。なんたる機転、なんたる勇敢さ」
「そうだったんですね」
「私はそんなご婦人を見たことがありません。いえ、訓練を受けた魔法兵でもあれほどの人物はおめにかかれません」
「アキハは僕なんかより凄い奴なんです。僕はアキハがいなかったら何度死んでいたことか。真っ先にパラケルスの林で攫われてそれっきりだったでしょう」
「パラケルス! おお、やはりマージア卿はパラケルスのご出身なのですね!」
「はい、そうだけど」
「それはご迷惑をおかけしました。弟になり代わりお詫び申し上げます」
「弟?」
「ええ、お噂はかねがね。もう随分前です。とても利発な子が学校に入ってきたと聞かされました」
「学校? ……もしかして、ヒューゴ先生の!?」
「はい、わたしはヒューゴの兄です。ヒューゴは五男で、魔法が得意で軍功をあげて早々にパラケルスで魔法兵を輩出する学校を開いたのです。子供が好きでしたので」
「なんだよ~」
「もし、そのことに早く気づいていれば、マージア卿のお手伝いができたものを。残念に思っております」
なんという偶然だろう。
世界は狭い。そして信頼できる人が近くにいるのは心強い。
「ところでマージア卿。ロングヘアもお似合いになりますが、その髪もよくお似合いになりますね」
「なっ!」
「くくく、ラド殿……」
「だから! 僕は女装の趣味はないから、それ褒め言葉にならないからっ! ロザーラも笑うな!」
またも一番聞かれたくない人に聞かれてしまった。