運命の歯車
「外れた!」
その隙にラドは反動をつけて体を回し、レイピアに刺さったスカートを破く。
外から鋭い叫び声。
「ラド! アヴェリア!」
アキハの声に、我を失うスタンリーを突き飛ばして部屋を駆け出る。廊下の窓から身を乗り出して外を見ると、中庭には周りをキョロキョロと確認しつつ走る女性が見えた。
風に濃緑色の家政婦服をはためかせている。
「アヴェリア! 思い出したの! あの声! 夜の厨房の!」
なんでこんな時に夜の厨房の話しをしているのか分からないが、アキハはそれを目一杯力説している。
「アヴェリアって誰! いやさっきの資料のか!」
窓枠から身を乗り出しアキハと話す。
「それ誰?! それ? きっとそれ!!!」
アキハも動転していて要領を得ない。
「それってなに?」
「だから! 今逃げてるヤツ!!!」
我を取り戻したスタンリーも、同じ窓から実を乗り出す。狭い窓枠は二人の肩幅で埋まりきゅうきゅうだ。
「アヴェリア! くそ、裏切ったか!」
「この臭い! エクスプロージョンか! スタンリーっ! これらは僕の研究だぞ!」
「知るか! 今の爆発は魔法研究局の成果だ」
「何、勝手に教えてんだよ! それにあいつ、なんでこんな重魔法を一人でできんの? ムリだろ!」
「くそ! だからハブルは信用ならん!」
「ハブル? ああもう分かんない! あんたはあとでとっちめてやりますから、今はウチの近衛を集めてアヴェリアを逃がさないように包囲を固めさせてください」
「おい! どこに行く!」
「アイツをとっ捕まえる! 皇衛騎士団の名に懸けて!」
ぽかんとするスタンリー。何を言っているのだコイツはという顔だ。
「僕はラド・マージアです。訳あってこんな格好してますけど。早く!」
「マージア!? お、おい!」
中庭ではヒューイや、花壇や水景に空いた大穴から出てきた衛兵達の大捕物が始まっている。だが身軽なアヴェリアはそれをひょひょいと避けて、石の柱の出っ張りを使って、三角飛びに平屋建物の屋根に上がってきた。
ラドは廊下の窓から身を翻し、スカートをたくし上げて石の欄干を走る。
平屋棟の屋根はその向こうだ。
「アキハも上がって来い!!!」
「ひぇ~、こんな恰好の女の子に柱よじ登れっていうの!?」
「女の子? そう思ったことは一度もない! お前ならついてこれる!」
「ちょっとひどくない? いつもいつも」
言いつつも、アキハはぶっとい石柱を両手で抱えて屋根まで登ってくる。
だがアヴェリアも逃げる。
それを二人で追う。
「アキハー! ライトの魔法! 最大出力でアヴェリアの目の中にぶち込め!」
「はぁはぁ、走りながらなんてムリだよ!」
やっとの事で屋根まで上がってきたアキハが息を乱して答える。
「なら目の前でもいい、目くらましになる!」
「もうっ! 走りながらは難しいんだからね」
難しいと言いつつ、
「――レフテン フォルトはぁはぁ、アムカッテーロ!」
アキハは魔法を完成させた。
だが走っているヤツの目の中に魔法を収束させるなんて簡単ではない。アヴェリアはアキハの魔法を手に取ったブローチの宝石に転嫁させると、強烈な光を放つブローチを投げ返した。
「きゃっ! まぶしっ!!!」
「アキハ!!!」
逃走の決定的チャンス! だがアヴェリアは振り返り、何を思うたか足を止めこちらを見つめ返してきた。
「聞き覚えのある声と思ったら、まさかこのタイミングでラド・マージアに会えるとは思わなかったわ。私もよくよく運がある女ね」
よく通る腰の強い声が、青空に映えてはっきりと耳朶に届く。
「僕はお前なんか知らないぞ!」
「そんなことはないでしょう。パラケルスでウィリスのジャマをした頃から知ってるわ」
「お前……レイフの宿の娼婦か!」
「嫌な言い方。レディにはもっと素敵な言葉を使うものよ」
「なんでお前が王宮にいるんだ!」
アヴェリアは鼻に指を当てて考える仕草をした。
計画では大騒ぎを起こして脱出するだけだった。だがどういう運命の悪戯かここで憎きラド・マージアに出会ってしまった。
これは僥倖ではないだろうか。今ならこの憎たらしい子供を殺すことができる。
潜入の目的はスタンリー・ワイズの信頼失墜だ。だが、ついでに子供を一人殺めた所で何の支障もない。むしろ重要人物を一人消す土産が付く。ついでに私恨も晴らせて一石二鳥だ。
アヴェリアは己の自信を見せつけるように両手を広げる。
「ラドちゃんにはホント、何度も邪魔をされたわ。狂獣の合も、せっかく王都に作った情報網も。ワンピレーをけしかけてもちゃっかり生きて帰ってくるし。ホントに強運な子。でもそれもここに終わりにしましょう」
「邪魔? それはお前や帝国が悪さばかりするからだろ!」
「違うわ。悪いことをしているのはあなたよ。シンシアナの兵を何万も殺し、西の森では哀れな狂獣使いを何人も葬った。単純な話をこじらせてきたのはあなたよ」
「そんなの攻めてきた者の詭弁だ」
アヴェリアは呆れたように肩をすくめてみせる。
「外交なのよ。どちらの立場が上なのか力をみせるための。それをあなたは大ごとにしてしまった。まぁ、おかげで私のくだらない田舎勤めが格上げさらて、こんなチャンスを得たのだから少しは感謝しないとだけど」
「だめラド、もうムリ、走れない〜」
後ろで息を切らしたアキハが、よろけながらボテボテと走ってくる。
無理矢理に柱を登らせたり魔力が少ないのに高出力の光の魔法を使わせているのだから、息が切れるのは分からなくはない。だが、
「なんだよ!!! アキハは最近太り過ぎなんだよ。子供の頃は僕より早かったじゃない!」
「はぁはぁ、だって全力魔法……、ムリーーーっ」
吐き気がするのだろう。途中で口に手を当てて「ううっ」とえずく。
アキハの足がどんどん遅くなる。ダメだ、アキハが居ないと魔法が使えない。けど、このまま置いてもいけない。自分一人で追いついても子供の体じゃ何もできない。こんな時にライカかリレイラがいれば。
視線の先にいたアヴェリアが身軽にジャンプし門脇の城壁を登る。
ここで逃せば街の中に解き放つことと同義だ。そうしたらもう見つけられない。
振り返るとアキハが屋根の上でへたりこんでいる。
「アキハ! 走れ! 死ぬ気でっ!」
「はっ、はぁ、はぁ、私だって頑張ってっ! ラド!!!」
目を離したのは瞬間だった。
だが向き返った時にはもう遅かった。
「死んでちょうだい坊や! あなたの役割は終わったのだから」
渦巻く炎の塊は眼前に迫り、もはや避けられる距離ではなかった。
「ラド!!!!!!!!!!!!!!!!」
かろうじて熱波に背を向けたが、悲鳴にも似た悲壮な叫びが聞こえ、それを最後にラドの世界は真っ黒になった。