イッツマイライフ
アメリーは打ち解けるにつれて、多彩な顔みせるようになった。
公務の冷たく厳しい顔、夜のか弱い顔、面白そうな事には目がない悪戯な顔。
基本的に好奇心が旺盛な人だ。時には話がラドに向く事があった。
「ラド殿には、幼馴染がいると伺いましたが、どのような方なのですか?」
どこで知ったのか、そんな事を聞いてくる。
「わたくしの事はどうでもよいでしょう」
「ふふふ、ダメです。わたくしは気づいたのです。いつも自分の事ばかり話して不公平だったと」
「不公平ではございません。わたくしの仕事はアメリー様のお世話ですから」
「ならば、わたくしの世話として、ラド殿の事を話して下さい。そうです! ラド殿には好きな人はいないのですか?」
「えっ急に!? いや、いるような、いないような」
「あ、照れましたね。このこの!」
いつものベッドサイドの談笑である。横になったアメリーはベッドの端から足を出してラドを蹴ろうとする。
夜のおしゃべりは、もはや日課である。昼は忙しさのあまり二人でいても仕事以外の話をすることはない。だが夜は別だ。持て余すだけの時間がある。
かつては霞んでいたベッドに入ってからの時間を、アメリーはとても愉しみにするようになっていた。
「蹴らないでください! はしたない。アメリー様は足癖が悪いです」
「良いではないですか。誰も見てないのですし、わたくし達だけの秘密です」
「セテさん言いますよ」
「良いですよ。ラド殿に告げ口をする勇気があればですが」
「……」
「わたくしと一緒に寝たときに知りました。アメリーは足癖が悪い女だったと」
「……言えませんよ!」
「ふふふ、そうでしょう。もっともわたくしもセテに知られては困りますけれど。ところで好きな人はその幼馴染なのでしょう。どんな娘なのですか」
「はいはい、アメリー様も会ってますよ」
「本当ですか? いつですか?」
「いま、上級ハウスメイドとしてここで働いています。アキハという大きな女の子です」
「ハウスメイドですか……おお、確かにいますね。跪いても一際大きい娘だと思っていました」
「バブルですから。わたくしと一緒にここに来て、一緒に密偵を探してくれています」
「ほほう、それはデキる女なのですね」
「ちっともデキませんよ。お転婆で、脳筋で、おっちょこちょいのお調子者。全然女の子らしくないし、そのくせ口だけ達者で僕をまるめこむし」
「ふふふふ、その娘が好きなのですね」
「そんなわけ無いでしょ。何を聞いてたんですか!」
「それほど細かく言えるのは、それだけ見ているからでしょう?」
「見てますけど……不安だから」
「今度わたくしに会わせなさい。わたくしがあなた達を取り持ってあげます」
「いらないですよ! 変なことしないでください。それと僕がいないときに勝手に会わないでくださいね」
「ふふふ、さっきから男の子に戻ってますよ、ルジーナ」
「っ、、、もうっ」
そんな談笑をひととき。
「ラド殿は寂しくないですか? ここに着任してもうひと月です。その間アキハさんと話しをしていないのでしょう」
「そうですね。アキハは見かけても声をかけられません。それに洛外にはわたくしの大切な仲間がいて、彼らと会えないのもちょっと寂しいですね」
「例の猫の半獣人ですね。馬車の隙間から勇ましい姿を見ました。正直恐ろしかったです」
「あの狂獣に襲われたときですね。あの時のライカは狂乱になっていましたから。普段はかわいいヤツで、とても大切な仲間です。それから半獣人ではなくてパーンです」
「失礼しました。そうでしたね」
よほど寂しい顔をしていたのだろうか。アメリーはラドの顔を繁々とみて小さく提案をする。
「数日、暇を出しましょうか?」
「お気遣いありがとうございます。でもアメリー様も休みなく働かれているのに自分だけなんて」
「しかし、相手がわたくしだけは辛いでしょう」
大真面目に言うので、胸の辺りに辛い物が走った。それを悟られたくはない。
「そうですね。アメリー様のお相手はとても大変ですから」
「ヒドイです! この国の王妃にそんなことを言うのはラド殿だけです」
「たぶんそうでしょうね。こうして夜に話していると楽しくてアメリー様がこの国の王妃だなんて忘れそうになります。でも、この調査が終わればわたくしは侍女を離れます。もう永遠にアメリー様とこんなお話しすることはできません」
「……そう、ですね。なんと寂しいことでしょう」
はあ、と同時に息を吐いて二人は目を伏せた。沈鬱な空気が流れる。
「ずっと侍女を……いえ忘れてください」
「すみません」
アメリーは近い未来、自分に訪れる永遠の孤独を見ているようだった。
王宮に心の穴を埋めるものはない。
二人の侍女は、アンスカーリ派とワイズ派の者だ。微妙なバランスの中で緊張を強いられる。
取り巻きの貴婦人は、権力にしか興味がないのは明白だ。自分が楽しむ為に故意か不故意かアメリーを利用しようとしている。
王宮に気の許せる者はいない。そしてアメリーはここを出ることはできない。
この部屋だけが……。
二人は伏せた目を同時に合わせた。
「魔法で……」
「そう、ラド殿は魔法研究局の局長なのですから、わたくしといつでも連絡ができる魔法を作れませんか!」
「わたくしも同じ事を考えていました。難しいですけど作れるかも」
「そうです! ラド殿ならば作れます!」
そうだ。密偵業務が一段落したら電話を作ろう! マギウスフォーンの研究だ。
マギウスレーダーが出来たのだ、音をうまく拾って変調すれば、声は魔力波に乗ってかなりの距離を飛ぶ。マギウストランジスタだってある。復調だってできるはずだ。
次の研究テーマが決まった!
「アメリー様、必ず実現してみせます。ラド・マージアが貴方をこの牢獄から救い出して見せましょう」
「ラド殿」
照れ隠しにつるっと口をついた言葉だったが、ラドは自分の言葉に震えるほどに感動した。
『騎士になりたかった。剣と魔法の世界で国を守り姫を救う勇敢なヒーローに』
確かにアキハやライカ、イチカたちを守りたかった。そこに手ごたえはある。だが今の言葉には心を揺さぶる特別な想いがあった。
それは積年腹の奥底にしたためてきた、使命にも近いエネルギー。
――そうだ! 思い出した! これってまさに僕が望んでいたシチュエーションじゃないか。
お姫様を救う騎士!
それが目の前にあったのだ! これだったんだ! これが僕の人生なんだ!
なぜだか一筋の涙が右の頬を伝っていた。
◆◆◆
間諜のヒントは思わぬ所からやってきた。
いつものアメリーとの千夜一夜物語が終わり、夜中に城内探索に出た時の事だ。深夜だというの廊下の向こうから声が近づいてきた。
このままでは鉢合わせなので、あわてて近くの扉を開けて身を潜める。
だが!
開けた扉の中に人の気配が!
当然だが先客も飛び込んだこちらに気づき息をひそめる。
・
・
・
固まる気配。
真っ暗で姿も見えず、声も聞こえないが、このまま硬直している訳にはいかない。身がこわばるほどの緊張の中で情報を探す。
まずは手をグーパーして、息を深く吸って自分をパニックから切り離す。これは戦場の緊張の中で重要な判断を下すときに使っている、指揮官と司令官を使い分けるための切り替え方法だ。
耳を澄ます――
跳ねる音の反響……。
漂うは食材の香り。
――ここは厨房か。けど、なんでこんな所に明かりもつけずに人が。
その香りに混じって……なんだろういい香り、そして人の息と強い鼓動が確かに聞こえる。
それが何故だか懐かしくも癒される。
どうやらそれは先客もだったのだろう、先方もゆっくりと緊張を解き体を動かす衣擦れの音がする。
こちらも先客までの距離を探ろうと恐る恐ると手を伸ばすと、ふわっとした暖かな感触にあたった。
思わず声が出る。
「あっ」
「きゃっ」
この声!
「アキハ?」
「え、ラドなの?」
なんだよーーー。あいつも調査かーーー。焦ったよーーー。
でもなんでこんな所に。
「アキハ、びっくりさせんなよ」
「ラドこそ!」
「声が大きいっ、ルジーナだって」
「ご、ごめん」
二人で小さくなってしゃがみ込み、物影に身を寄せる。
「どうしたのこんな夜更けに。調査?」
「ううん…、そのお腹すいちゃって」
え? 聞き間違い?
「ごめん、もう一回言ってもらっていい?」
「えへへ、お腹空いちゃってさ」
こ、こいつ。
「はぁ? お前、そんなことでリスク犯してんの?」
「だってぇ~」
アキハはライトの魔法を小石の先につけて、微かな明かりを顔の前に揺らめかせた。その顔がなんか丸くなったように見えた。頬や顎のあたりがふにゅっと。
「お前、なんか大きくなってない?」
そう言って手を伸ばしたところをアキハはぐいと押さえる。
「言わないで、知ってるから!」
薄明りによくよく見ると、メイド服越しにも、お腹の辺りのお肉が段になっているのが分かる。
「じゃなんで、ここに来てんだよ」
声を最大限に潜めつつ、だが体と矛盾するアキハの意味不明な行動に、思わず詰め寄らずにはいられない。
「だって、ご飯の時間が合わないの。夕ご飯が四時で、その後朝までないのよ」
「当たり前だろ。夕飯なんだから」
「そんなに早いご飯なんだよ。夜中にお腹空き過ぎて目が覚めちゃうって」
「それでつまみ食い?」
「は、はい……」
「毎晩?」
「はい……」
「こんな夜中に」
「はい………」
「……そりゃ太るよ」
「違うの! メイドって工房より体力使わないし。ご飯はお芋ばっかりだし。わたしだってお腹すかないようにご飯一杯食べてんだよ。でも夜中にお腹が鳴んのよ」
「いやいやいや、だからだろ! それにどんどん太ってるの気づくだろふつー」
「分かってるけど、女の子にはね、アンタには分かんない深ーい悩みがあんのよ」
「夜中に爆食するのが悩みか?」
「けどしょうがないじゃない! それにラドと違って体質なの。ご飯食べるだけで太るのは」
「バカか! 食ってるから太るんだよ、腹減ったら水飲めよ」
「水じゃ満たされない!!!」
ダメだこいつは。典型的なデブの言い訳だ。そしてよりにもよって夜中の二度食い。こりゃ絶対太るパターンだ。
「おまえさー、ここに来てる意味分かってる? 肥えるために来てるんじゃ……しっ!」
なんか声が近づいてくる!
「アキハ、ライト消せ」
二人は申し合わせたように同時に壁に身を寄せると、しゃがみ込んだまま壁に耳を当てて小さくなった。部屋隅で影と一体となる。
さっきの向こうから近づいてきた気配だろうか。声は男女二人。それが段々近づいてくる。
近づくにつれて声は大きく明瞭になり、会話が聞き取れる。
「ハメられているのではございませんか」
「その感はある。カレンファストは策士だ。和平交渉は奴の入れ智慧で始まったことだ」
「スパイ狩りも怪しいものです。アンスカーリ派から誰も出ていません。実際はワイズ派の弱体化を狙ったでっち上げではないですか」
「ああ、たぶんな。全く忌々しいジジイだ」
「ですが問題は坊やです。思い出してください。常にあなた様の前に現れて邪魔をしていたではないですか」
「私の家督継承の戦いの時も、狂獣の合の時もだな」
ラドとアキハは顔を見合わせる。初めて王都に来た時の戦いだ。ならば声の主はスタンリー。
「会談の行幸啓も卑職の情報の通りになっています」
「ああ」
「国王陛下も坊やとアンスカーリの意のままです」
「北方の失策は……やつらの……」
石壁に響く足跡は次第に小さくなり、話の内容はもはや聞き取れない。
「ラド」
「スタンリー・ワイズだ。もう一人は?」
「うーん、聞き覚えがある気がするんだけど思い出せないの」
「珍しいなアキハが思い出せないなんて」
アキハは初めて会った人の顔や名前を覚えるのか得意だ。そのアキハが思い出せないなんて。
「うーん、誰だっけっ。ダメ。どこかですれ違った貴族の御婦人かなぁ。思い出したらサルディーニャさんに連絡するよ」
「頼む。スタンリーは深夜にあえてここで情報交換をしているんだ。またニアミスする可能性がある。ここに来るのはもう止めよう。」
「わかった」
「ここはバラバラに出よう。アキハは時間をおいてから宿舎に戻れ。それと……、お前、それ以上食うなよ。ほんと結構やばいから」
ラドは素早く手を伸ばしアキハのお腹の辺りを掴む。そこにはラドの手では余る柔らかな物体があった。
「ひぃ!」
「ほら」
「つ、つ、つかむな、このアホ!」
後頭部に放たれたアキハの一撃にラドのかつらがずり落ちた。