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王宮にて

 着人するなり、アメリーは食事に着替えに公務にと何かとルジーナを重用した。

 侍女はあと二人いるが、二人がアメリーに命じられた仕事をするときも、『ルジーナも勉強のため同席なさい』と命じられ、事実上の筆頭侍女の扱いとなった。

 アメリーがルジーナを気に入ったのもあるが、本来のミッションである内偵の対象には、二人の侍女も入っているからだ。


 侍女の一人はアメリー王妃より年上の貴族の娘。もう一人は十代も前半のまだ子供だ。

 子供の侍女はルジーナのおかげで仕事が減ったのが嬉しいようだが、年かさの侍女は心中穏やかではないらしく、なにかとルジーナには厳しい。

 まぁ慣れた仕打ちである。


 侍女の仕事はなかなかハードで、ひどい時は夜会にも同席が求められた。

 当然だが侍女の方が朝早くに起きて、夜遅くまで仕事をする。

 アメリー王妃が日の変わる真夜中までの社交に出るということは、その後の後片付けと翌日の準備をするルジーナは、もっと遅くまで起きていなければならない。

 寝られるのが朝方になるのもザラ。そんなときは眠い目をこすっての勤めとなる。

 瞬間とろんとしていると、面会に現れたご婦人に「まぁまぁ、お眠いのかしら。まだお小さいですものね」なんて子供扱いだ。だがそういう設定なので、誤解してくれる方が助かる。


 侍女をして気づいたのは、王妃は思ったよりも多忙だということだ。

 まず謁見の多さ。とにかくひっきりなしに人が来る。お昼にご飯が食べられることはまずない。

 それもくだらない謁見が多い。

 我が領内で起きた面倒への対応依頼、金やら人やらの支援要請、人脈紹介やコネの依頼だのだの。

 それが五分、十分単位で差し込まれてくる。

 この取り仕切りが侍女の仕事だったりするので、皇衛騎士団長の仕事より遥かに忙しい。

 だが思えば、前の世界の仕事よりは楽な気もする。調整と説明をする相手はアメリー王妃だけだし、自分が先方と話す事はないので、その点は気楽だ。

 だが取り巻き貴婦人の覇権争いに関わるのは、前の世界にはない面倒事だ。

 彼女たちは隙間を見ては、侍女である自分を捕まえて接待や挨拶の予定を滑り込ませようとしてくる。

 アメリー王妃はそんな取り巻きを快く思っていないので、「申し訳ございません。わたくし、まだよく分からなくて。ごめんなさいっ」と、めいっぱいかわいく頭を下げる。

 大体これで押し通し、ご婦人達をケムに巻く。


 働き始めて七日もすると、謁見以外でもアメリー王妃が扱う案件は国王陛下まで至らない、ライトな案件であると気づいた。そのうち九割は本当にどうでもいい案件である。

 それにはアメリーも嫌気がさしていたのだろう。謁見の間までの移動の折のことだ。


 謁見の間につながる渡り廊下は国王陛下と王妃、侍従と侍女しか通れない。

 入り口の分厚いドアの鍵を衛兵に開けてもらい、渡り廊下に入ったら王妃は内から王妃専用の鍵をかける。すると全長四ホブの渡り廊下は、二人だけの時間だ。

 そこでアメリーは足を止める。


「本当に重要な案件だけ陛下に上げるのが私達の仕事です。ですがもう分かったでしょう。私にも限界があります。ルジーナの判断で重要な案件だけわたくしに上申しなさい」

 いわゆる丸投げ……。

 そんな重大な仕事を侍女にさせるものか? 経験がないし教えてくれる人も居ないので確認してみる。


「よろしいのですか? 自ら卑下するつもりはございませんが、わたくしは侍女なのですが」

「わたくしに人を見る目がないとあなたが思うならこの仕事はしなくても構いません」

 確認をするとアメリーは自分を試すような強気な事を言う。

「他の二人には、させないのですか」

「それはあなたの知るところではありません」

 むむ、確かにそうだ。裁量は王妃にある。それを自分が詮索するものではない。


「分かりました。でしたら親書もわたくしが目を通します」

「よろしい」

 アメリーは満足げに微笑むと、ルジーナをぎゅっとハグする。


「むふふ、ルジーナはかわいいのう」

「アメリー様……人前でハグしないでくださいよ」

「わかってます。わたくし達だけの秘密です。マージア卿」

 ……結構、悪戯な人だ。


 かと思えばアメリー王妃は恐ろしいほどテキパキと仕事をこなす。物事を理解するのも早いし決断も早い。準備が足りないと侍女の方が間に合わず王妃の仕事を止めてしまう。

 そこでアメリー王妃の早さに合わせてタスク管理をすると、今までそんな仕事をしてきた侍女にはいなかったのだろう、「ルジーナは仕事ができますね。さすが騎士」と言いかけて、剣呑剣呑と口を閉じる。

「アメリー様、ご油断召されぬよう」

「わかっています。つい。うっかり言いたくなってしまいます」

「露見した際は……わたくしもアメリー様もタダではすみませんから」

「途中で気づいたではないですか」

「アメリー様の心に隙があるのです。ヒヤリで済んでいるうちは良いですが、ヒヤリも三百回繰り返すと、致命的なミスを犯すと言われてます」

「わかっていますっ。そう厳しく言わないでください」

 アメリー王妃は、柄にもなくかわいくスネたりする。これも外から分からないアメリー王妃の一面だ。


 公務では、お盆に書類を並べ、過剰なまでの装飾が施された黒檀の文鎮を重りに添えた什器をうやうやしく顔の前まで掲げて、アメリーの後ろをテケテケとついていく。

 アメリーはかかとの高い靴を履いているくせに足が早い。何かあれば王の前に立ち、身代わりになるのが王妃の重大な使命の一つだからだ。

 そのため、王の歩く早さに合わせて歩く訓練をしているというから驚きだ。


 足の早いアメリーを追いかけるのは容易ではない。アメリー王妃は止まらないので、ずっと小走りに王妃のお尻を追いかける。

 するとチマチマとアメリー王妃の後ろを付き歩く小さい娘が可愛いとご婦人の間で評判が立ち始めた。

 アメリー王妃に振り回される様子が良いという。

 うーむ、貴族のご婦人の趣味は分からない。


 そんな振り回され状態なのに、着任二週間目には、「ルジーナ様付きアメリー様」という呼び名が聞こえ始めた。

 アメリー王妃の代理で書類を全て把握してるので、時々、時間がなくてアメリー王妃が把握しきれなかった案件について、耳打ちをするのだが、そのときしゃがんで侍女と話をするアメリー様と幼女のやりとりが微笑ましく映るらしい。

 アメリー王妃を馬鹿にしたような呼び名だが、当の本人はまんざらでもないらしく、言われて否定することもなく「わたくしはルジーナの僕なのです」と堂々と言い張る。

 うーむ、アメリー王妃の趣味も分からない。



 さて調査は順調に進んでいるのだが、内通者につながる情報は一向に見つからなった。

 調査は王妃が会う人はラドが行い、家政婦など下女周りはアキハが行っている。

 二人がすれ違うことは稀にあるが、直接話すことはない。用がない限り話せるような身分ではないからだ。

 廊下で会ってもアキハは跪いて何も言わずに頭を下げねばならない。上級メイドといえば聞こえはいいが多くのメイドは掃除婦なのだ。

 上級ハウスメイドが掃除などでアメリー王妃に関係する部屋に入るときは、ノックをして答えがなければ、「失礼いたします」と断り入る習わしだ。

 中に王妃が入るときは侍女が「アメリー様がおいでです。後ほど来なさい」と決まりの命令口調で答える。すると向うも決まり文句で「承知いたしました。ご不在の折に伺います。ごきげんよう」と答える。アキハとの会話はそれだけだ。

 だがそれでは細かい情報交換ができないので、分かった情報や進捗はサルディーニャを経由して連絡し合う。それを聞く限りでもアキハもめぼしい情報に当たっていないようだった。

 まだ調べるべき人はいるが、可能性としてブルレイド王の周りに間諜が潜んでいるかもしれない。

 そろそろそちらに調査網を広げてもいい頃だろう。


 そのブルレイド王とは恐ろしいほど会わない。

 アメリーにして王と席をともにするのは、公務で謁見の間に入るとき、晩餐会の時くらいで、基本的に食事も仕事も別々だ。

 あと一緒になるのは夜のおつとめくらいか。


 おつとめといえば、恥ずかしい話だが二人の夜の営みの用意をするのも侍女の仕事だ。こんな仕事もあるのに、よく男の自分を侍女にするとアメリー王妃は言ったものだ。

 だが夜はやっと訪れた二人だけの時間だというのに、アメリーは、よくルジーナに寝室に残るように声をかけた。


「わたくしが寝入るまで横にいてくれませんか」と言うので、断ることもできず寝支度を整えた後も、アメリー王妃の寝室にとどまる。

 寝支度は侍女の一日の最後の仕事だから、この後の仕事はない。

 他の侍女もメイドたちも宿舎に戻った王宮は、動くものを失い静寂の中に落ちていく。


「静かですね」

「ええ」

 この世界の夜は静かだ。時計も電気製品もない夜はまるで死の世界だ。


「ルジーナ、そんな離れたところに座っていないで、わたくしの横に来てください」

「アメリー様の寝顔を拝見するなど畏れおおございます」

「他人行儀な言い方を。二人だけなのです。もう少し楽にしませんか」

「しかし」

「構いません」

「……アメリー様がおっしゃるなら」

「それが硬いのです。そなたは本当の侍女ではないのですから、いいのです。ほら、椅子をここに」

 都合のいいときだけ、そういう事を言う。


 王族が用いる道具はいちいち重くて大きく過剰だ。子供サイズの身体には重すぎる。

 自分より遥かに大きい椅子を取って、なんとか一歩一歩とベッドの横に近づける。

「うふふふ、椅子が歩いてきました」

「アメリー様が無茶を言うからです!」

「だって、かわいいんですもの」


 どうやらからかっているらしい。でも楽しそうにアメリーが笑う姿は自分を安心させてくれる。

 だからベッドに入ったアメリー王妃の横にタンスのように大きな椅子を置いて眠りにつくまで側にいてあげる。

 足がつかない椅子に座るのは結構疲れるのだが。


「侍女はどうですか?」

「もう慣れました」

「ライスとは仲良くしていますか」

 ライスとは、年かさの侍女の名前だ。年はアメリーより遥かに上。アンスカーリ派の何処かの貴族の長女で、格式高く厳格な人だ。

「嫌われているようです。アメリー様がわたくしばかりを可愛がるから」

「だってあなたは密偵を見つける仕事があるではないですか、仕方ないでしょう」

「いや違いますよね。明らかに便利に使ってますよね。僕は親書なんか見る必要ないんですから」

「あら? 僕、ですか」

「あっ、すみません。コホン……わたくしです」

「ルジーナも抜けることがあるのですね」

「ありますよ。人ですから」

「もっと完璧な人かと思っていました。幼くして平民から貴族になって、次々に新しい魔法を作って、騎士団をまとめあげて」

「わたくしに言わせれば完璧超人はアメリー様です。よくあれだけの仕事をお一人でこなして来ましたね」

「国王陛下を助けるのが努めです。ですがわたくしは出来損ないです」

「そんなことはございません」


 アメリーはふっと視線をベットサイドテーブルに移して目を伏せた。そこには、ふわふわの真っ白いタオル達。

 言いためらうようにアメリーの眼球は動かない。


「明日から、おつとめの支度は必要ありません」

 言ってアメリーはラドに背を向けて寝返りをうった。

 かけ布団越しのシワから、小さく膝を抱えて自らを抱きしめているのが分かる。

 それが心許なく寂しい。


「アメリー王妃……」

 毎日準備をしている身としては、朝になってもテーブルに置いたタオルやらがそのまま綺麗に整っているので、ブルレイド王がここには来ていないのだとわかっていた。

 だが王には側室もいるのだから、正室とはいえ毎日しとどは共にするとは限らない。

 しかしそれが続くと、二人の間には何かあるのではないかと考えてしまう。


「役目の果たせぬ王妃など孤独なものです。あなたが帰ってしまえば、この広い部屋はわたくしの小さな鼓動など飲み込んでしまいます。いつも思うのです。この虚空がわたくしの命を吸い込んで、わたしもこの部屋の石になってしまうのではないかと。可笑しいですね。そんなことなどないのに」

「そういう時期もあるでしょう。ブルレイド王も男ですから」

「……ええ」

「何を弱気になられているのですか。アメリー様らしくない」

 絵に書いたような大人の女なのに、アメリーはベッドに入ると十五の小娘のように小さくなってしまう。


「ルジーナ、寒いのです。私のベッドに入ってくださいませんか」

「そんな畏れ多い!」

「いえ、入ってほしいのです。わたくしにぬくもりを与えてください」


 季節は七月だ。寒いはずはない。

 だが懇願されては仕方ないので、背中からベッドのヘリに体を滑り込ませて、身半分をクッションに預ける。

 するとアメリーは衣擦れの音を密かにさせて、ラドの背中をぎゅっと抱いた。


「ラド殿の背中は小さいですね」

「ルジーナです」

「良いではないですか。誰もいないのですから」

「どこで誰が聞く耳を立てているか分かりませんよ。それにブルレイド王に知られては困るでしょ」

「構いません。フォーレスは怒らせれば良いのです」

 クスクスと笑って三十路の淑女はすねてみせた。悪戯をしてアメリーは喜ぶかもしれないが、ラドは本当にクビが飛ぶのでたまったものではない。

 しかしアメリーは直ぐに声を改め、か細く言った。


「フォーレスはもう抱いてはくれませんから」


 はっと思ったときにはもう遅い。耳に入れてはならない話に直感が騒ぎ、たが逃げ場のない体は葛藤の間でピクリと動いた。

 そんな心裏はアメリーにも悟られてしまったのだろう。アメリーは身の上話を始める。 


「十四で王宮に入りました。突然父上に呼び出されお前は王宮に入り、フォーレス皇太子の正室になると言われたのです。私には考える猶予も与えられず、会ったこともない殿方のもとに見世物のように送り出されました」

 どんな顔で話しをしているのだろうか。背中の語り手は、ラドの体に芯を共鳴させる声で物語を続ける。

「初めて王都は、王宮に直行です。街など見ることもなく私は先王の前でかしずいていました。教えられたままの挨拶を読んで」

 全く選択肢のない人生。だが選択肢がないのは自分も同じだ。人は何も選ぶことなど出来ず、誰もがポロリとこの世界に生まれ落ちる。


「ブルレイド王やお父上を恨んでいますか」

 意味のない質問と分かりつつ聞く。

「とんでもありません。先王が崩御されたとき、我らは悲しむ事も許されず王と王妃として祭り上げられました。わたくしはまだ二十歳(はたち)にもなっておらず、戸惑うわたくしをフォーレスは常に気にかけ守ってくれました」

「優しい方ですね」

「はい。だからここには来ないのでしょう。わたくしを傷つけると分かっているから」

 二人の十数年の歩みに育まれた信頼と愛、そしてそれ以上に挫折があったことは想像に難くない。それ故に離れてしまった二人の絆も。


「振り返る間もなく歩んできました。二人共王国の為に最善を尽くしてきたつもりです。でもわたくし達の間に子は」

「もうおっしゃらないでください。分かっております。何卒ご自分をお責めにならぬよう」


「心優しいフォーレスを苦しめているのです。周囲の期待を裏切り、フォーレスに心労をかけているのは分かっています。だから、ここまで頑張ってきたのです。でも、どこまできても許しはありません。石女(うまずめ)の正室に許しはないのです。ならばわたくしはなんなのでしょう。この孤独の牢獄に閉じ込められ。死ぬまで出口のない暗闇をさまよい歩く。わたくしの想いはどこに向かえば……」

 アメリーの冷たそうに見える第一印象は、そんな孤独な戦いの産物なのだ。


「アメリー様は頑張っておられます。あなた様がこの国を支えていらっしゃるのは、自分がよく知っております」

 アメリーは一息に心のつかえを吐き出すと、パタと弛緩してベッドの中で伸びた。

「すみません。ラド殿の小ささについ心が弱くなります」


「孤独は人の心を蝕みます。わたくしの背中がアメリー様のお心の救いになるなら幾らでもお貸しします」

 アメリーはラドの背中を手の平ですすっと擦る。

「もう少しこのままでいてください」


 灯のない夜は長い。そして暗闇もまた深い。

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