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止まる者、動く者、目覚める者

『死に至る病とは絶望のことである』


 そう言ったのはキルケゴールだが、その言葉が身につまされる場面は人生でそう多くはあるまい。


「キミには魔力がない」

 たったそれだけの言葉が、ラドにとっての死の宣告だった。

 生きても生きても生きても、先に希望はない。

 あるのはただ終わるのを待って、芋を食って屁をするだけの人生。

 そんな世界で何を糧に生きろというのだろうか。


 学校は辞めた。


 もう行く必要はない。もう永遠に意味のない所だ。

 ヒュウゴともエルカドも、今となっては出会わない方がよい人物だった。ただ自分の劣等感を引き出すだけの出会い。こんな思いを味わうくらいなら、いっそ出逢わなければ良かった。


 もう誰にも会いたくなかった。ポッカリと胸に空いた穴から全ての活力がドロドロと遺漏していた。

 だから何も動かない。体も。心も。魂さえも。

 ガウべルーアでは魔法が使えなければ人ではない。

 人じゃないなら、もう全て止まったっていい。



 アキハはこんな時でも――、否、こんな時だからこそラドに容赦をするつもりはなかった。

 毛布をかぶってナナリーINNの屋根裏部屋に引きこもるラドから無理やり毛布を引っぺがし、窓を思いっ切り開け放って、自分でも頭が痛くなる程の高い声で朝を告げてやる。

「ラド、朝だよ! 仕事だよ!!!」

 ラドは泣く気力すら枯れているのか、死んだ表情で膝を抱えて一点を見つめ、ピクリともて動かない。そんな生ける屍の手を取り、引きずる勢いで階段を駆け下りる。

 本当に引きずっているので、ラドは腕やら頭を壁や階段にガンガンぶつけているが、そんな事は気にしない。

 そして朝ごはんも食べさせずに外に放り投げる。

「どうせご飯も喉を通らないんでしょ」


 工場までの遠い道のりをグズるラドの背中を押して送り出す。

 道中、ラドはヒュウゴ達に襲われたところに来ると必ず目をそむける。そんなラドを見ると心が痛むが一緒に沈んじゃいけない。自分も沈んでしまえばラドは二度と底なし沼から出てこれなくなる。そんな予感があるからだ。


 ――ラドは必ず元気になる。だって私はずっとラドを見てきたんだから。

 そんな出処の分からぬ信念が、アキハひたすら前向きにさせていた。


 そんな乱暴ながらも甲斐甲斐しい日々がしばらく続いたが、そんな前向きなアキハもいいかげんストレスが溜まってきた。

 昼間に散々親方にこき使われた後にラドの世話。しかも相手は何をしても答えの返ってこない鬱の化身で、下の世話以外は全てやってあげているのである。

 それも毎日、毎日、毎日……。


「もう、なんてっ、面倒っ! なのよっ! もう!」

 そのイライラを工房の大槌の一撃一撃に込めて振るっていると、親方が「おい、ずいぶん荒れてんな」と、声をかけてきた。

「荒れるわよ! ラドったらっ、迎えにっ! いかないとっ! 帰らないんだもん」

 カツンと響く金床の音に合わせて、アキハの愚痴が炸裂する。

「ああ、おまえの小僧か?」

「わたしのじゃないわ、よっ!」

「じゃ放っておきゃいいじゃねーか」

「だって、わたしがっ! 迎えにっ、行かないと、仕事にっ! いかないしっ、帰らないんだっ、もん」

 鉄はいい。幾らぶっ叩いても、誰にも怒られないし寧ろ良い製品になるから褒められる。

「好きで焼いてる面倒なら、愚痴んじゃねー、こっちが迷惑だ」

 独身の親方からすれば、そんなものは持つ者の悩みだ。聞かされるこっちの迷惑を考えろというのも頷ける。


 アキハは止めた大槌に体を預けて、ふうーと息を整えた。

「でも親方~ほんと面倒なのよ、毎日なのよ」

「どうせ帰っても寝るだけだろ」

「そうだけどー」

「ならほっときゃいいじゃねーか」

「でもー、んっ!」

 呆れ顔でぽろっと落とした親方の一言にアキハは閃く。

「親方! それよ! 寝るだけなら工場でいいんだよね! そしたらわたし送り迎えから開放だし、どうせラドは文句いわないし、ねっ」

「あ、ああ?」

「わたしって天才! よしきーめた!」


 アキハの決断に躊躇いはなかった。

「おばさん、今日からわたしがラドの面倒をみるから。どうせ帰って寝るだけなんでしょ。わたし工場でラドの面倒みる! いいわよね、おばさん!」

 おばさんからの返事は待たない。なぜなら答えはもう知っているからだ。

 ラドが記憶を無くした時、おばさんは私の手を取って何度も「ラドをお願いね」と言った。

 ラドが魔法学校に行くと言い始めた時は、「アキハちゃんとありがとう」と、本当に嬉しそうに私を抱いてくれた。

 ホムンクルス工場の仕事だって、おばさんが見つけてきたのに、押し付けにならないようにと私が見つけたことにして欲しいと言うのだ。そのくらいおばさんはラドの事ばかり考えている。

 だから、おばさんは今のラドを見るのは辛くて仕方ないと思う。こんな時だからこそ私がしっかりしなきゃいけないじゃない!


 そこからのアキハの行動力は凄まじい。

 さっそく翌日からラドは毛布と一緒に工場に置き去りにされるようになり、代わりに夜になると、アキハが工場に通ってくるようになった。

 こういう思いっきりの良さはアキハの得意とするところだ。

 そして一緒に泊まらなくてもいいのに、わざわざ工場に赴きラドと一緒に寝る。

 結局世話をしたいのである。


 囲いこそ厳重だけど、ゆるゆるな警備を顔パスで抜けてラドのいる育成棟に向かう。

 門番のおじさんとはすっかり仲良しだ。自慢じゃないが人の名前を覚えるのには自信がある。早口で口ひげがあるのはコルオロさん。太っちょでツルッとしているのはレイズルさん。二人ともパラケルスの出ではなく他の街の流れ者だ。

 でも子供が好きらしく、「アキハちゃん、またラドのところかい」と、笑って門を通してくれる。時には「アメは好きかい」と、パラケルスでは珍しい甘藷アメをくれたりもする。

 彼らは流れ者。いうなれば世間のはみ出し者なのでハブルを蔑んだり見下りしたりはしない。もしかして彼らもハブルなのかもしれないが。でもとにかく同じ目線でいてくれる事が嬉しいのだ。


 コルオロさんとレイズルさんに会うのは楽しみだが、工場は決して気持ちのいいところではない。

 特に夜の人気のない巨大工場は何か恐ろしげで、律儀にいくつも居並ぶ育成棟は主の居ない墓石のよう。自分のライトの魔法の明かりすら、闇に吸い込まれてしまう。

 そんな墓所の一番奥にラドが働く育成棟がある。育成棟には窓はなく大きな観音開きの扉が一つだけある。それを全身で押し開けると、錆び気味の扉はミシミシと顔を顰めたくなる音を立ててイヤイヤと開く。

「ラド~? 今日の仕事終わったの?」

 そ~っと聞くとラドは耳を塞ぎたくなる不愉快な音にすら反応を示さず、たらたらと培養液を石槽に流し込んでいた。


 もわっと鼻をつく臭いが漏れてくる。慣れるまではこの臭いと込み上げてくる吐き気に耐えなければならない。だがそんなことにめげる私じゃない。

「ラド、ご飯かってきたよー」

 露店で買ってきた糊芋の包み焼きを腰につけたバックから出して、ラドに見せつるけるように差し出す。

「ラドが好きなキビ餅はもうなかったんだけど、いいよね! わたし糊芋も好きだし」

 こうしてココでご飯の話をしている自分に呆れる。今でこそ朗朗と話しているが最初の頃は、「よくこんな臭い所で働いて、あまつさえご飯なんか食べられるものだ」と、それこそラドの鈍感さに驚いたものだ。だが気がつけば、ここでご飯が食べられる自分になっていた。慣れというのは真に恐ろしいものである。

「まだ仕事してたの? どうせダラダラ働いてたんでしょ」

 いくら話しかけてもラドは、こちらも見ないし返事もしない。それでも我ながら甲斐甲斐しく話しかける。


 基本自分はお節介だ。特にラドの事になるとどうしても世話を焼きたくなってしまう。小さいころから泣き虫で弟のように思って世話をしてきたから、それが普通になってしまったのだと思う。ラドの為に良くないとは思っているが、つい我慢できずに手を出してしまうだ。

 理由は簡単である。

 「そうするとラドが嬉しそうに笑ってくれるから」

 男の子とは思えない端整で顔立ち。優しげに見える少し垂れた目じり、微笑み混じりに瞳をすっと細めるのを見るとつい誘惑に負けてしまうのだ。

 でもラドの瞳はあんなに黒かったかなと思う。小さい頃はコバルト色の瞳だったと思う。気づけば黒目がうるんだ目元になっていた。

 という訳で、どストレートに言うと、かわいいのである。守ってあげたくなるのである。

 だがそんな可愛げも、あの冬の森までの話。それでも生活習慣は簡単に改められず、心が疼いて今でもついつい甘やかしてしまう。


「しょうがないなぁ、手伝ってあげるよ」

 頼まれもしないのに勝手に残り仕事を一緒に始める。ホムンクルスの世話は見よう見まねで覚えてしまった。今では体力で劣るラドよりもテキパキ働いている。


 仕事が終わると夕食タイムだ。

 ラドと一緒にご飯を食べて――と言っても包みを開いてもラドは手を出しもしないので無理やり口に糊餅を詰め込み――そして今日の出来事を一方的にラドに話して、工場の片隅でラドと一緒に泊まる。

 そんな生活をもう二週間くらい続けている。


 二人ともずっと家に帰っていないが、この世界では働き始めれば大人扱いなので、そこそこ自由にやっても誰にも文句は言われない。しかも女の子の十一歳は少々早いが結婚してもおかしくない年だ。ナナリーINNの横の八百屋の娘は、商家の次男坊に見初められて十二歳で嫁いだ。

 それを見習った訳ではないが、アキハはそんな押しかけ女房生活を始めた。



 夜の工場に泊まるようになったアキハは、時間から開放されて一層喋るようになった。

 親方への文句、今日の出来事、今日のハッピー、今日のアンラッキー、アキハのネタはつきない。だが堪らないのはラドだ。

 逃げ場を失い傷心を癒す一人の時間は完全に失われてしまった。

 隣にぴったり寄り添うアキハは、野外コンサートのMCが如き声量で一心不乱に喋る。その一言一言が全てラド宛なものだから、たまったもんじゃない。

 ――たのむからだまっててくれ!

 そんな憤懣が深々と胸に積もるが、口にして口論になるのは一層面倒くさいので、仕方なくこっちから逃げることにする。

 一つ屋根の下にいれば、アキハの大声はどこまでも聞こえてくるのだが、それでも隣りよりもましだ。


 ラドはアキハの声に押し流されて、二列五行に並ぶ石槽の一番奥の狭間に吹き溜まる。そしてゴツゴツと痛い石槽の縁に身を預けた。

 この培養槽には女の子の形をした素体が薄緑の培養液の海に揺蕩っている。

 こいつらはいい。水の中なら音も聞こえまい。誰にも邪魔されずにずっと静かにいられるのだから。

 それに大きくなったらどこかに運び出される運命だが、それまでの数年は至れり尽くせりだ。


 数年……。

 ホムンクルスの成長は早い。ラドがここで働き始めたときには仕込んだこの素体は、もう自分と同じくらいの大きさにまで成長している。

 その間、自分には色々な事があった。

 夢をいだき、寝食を忘れて頑張り、そして完膚なきまで挫折した。

 誰もが普通にできることが、自分だけ閉ざされていた。しかも永遠に。


 そんな感傷に浸っている間も、アキハはずっと一日の出来事と愚痴を喋り続けている。一日の出来事を一日かけて話すなんて、なんという時間の無駄だろう。


「ん?」

 それはラドのぼんやりとした目にも、たしかに映る変化だった。視界の端に映るホムンクルスがピクリと動いた気がしたのだ。

 そんなはずはない。見間違いかもしれないと思いできるだけ液体に顔を近づけてホムンクルスを見る。獣臭い腐臭が一層強くなり、ラドの慣れた鼻でも強い吐き気が込み上げてくる。


「でさ、親方が私に無理なことばっかいうの。鉄が冷える前にもっと早く強く叩けって。ムリでしょ! だってわたし女の子だよ! 持つだけでフラフラするハンマーなんだからっ!」

 アキハの甲高い声が響くと頬がヒクッと動く。それだけではない、まぶた越しに目がピクピク動いているのがわかる。まるでレム睡眠の急速眼球運動だ。


「ラド、聞いている?」

 アキハの話が止まると反応も止まる。ならば試すことは一つ。

「あー、あー、ああああーーー」

 水面に向かって声をかけてみる。だが何の反応もない。

 どうやら声に反応しているのではないらしい。それとも声が小さいのか?


「わーーーっ! 立てよ国民! 逃げちゃダメだ! 逃げちゃダメだ!!!」

 今度は石槽の中に大声を浴びせかけるが、やはり反応はない。

「ラド?」

 ならば反応を引き起こすのはアキハの声かもしれない。

「アキハ、続き! もっと大きな声で喋って!」

 ラドは振り向きざまに歯切れよく指示を出す。この突然の変化に驚いたのはアキハだ。

「ラド! 戻ったの!!!」

 感極まるアキハの声に、ホムンクルスはピクッと口元を動かす。

 やはりアキハの声に反応している。もっと近くで聞かせたら、もっと長く聞かせたらどうなるのだろうか。次はどんな反応をするのか知りたい。好奇心がムクムクと湧き上がるってくる。


「もう少し長く喋ってアキハ、これじゃ反応が分からないよ、って! うわぁぁぁ!」

 両手をついて石槽を覗き込んでいたラドに、アキハが横から勢いよく飛びついてきた。

「ラド、やっと喋ってくれた!!!」

 突然の抱きつかれたラドは、よろけながらもなんとかアキハを受け止めたが、完全には勢いを殺しきれず石槽に腰をしたたか打ちつける。そしてよろけて地ベタに尻もちをついた。

「いたたた、もう! 危ないじゃない。もう少しで培養槽を落ちるところだったよ」

 激痛に腰をさすろうとするが、アキハはがっしり抱きついてラドを離さない。胸に埋もれたまま「ラド……」と一言。


「アキハ、離してよ」

「だめ」

 アキハを抱きとめる胸元がじんわりと熱くなってきた。それはアキハの息かそれとも――。

「泣いてるの?」

 顔を上げたアキハの瞳には涙が一杯たまっていた。それが青白い薄明かりを受けてキラキラと光る。

 ひたすらに真っ直ぐ見つめる瞳。


「何で泣いてるんだよ」

「だって、だって、ラドもうダメだと思ってたから。ずっと喋ってくれないし、このままずっと元気にならなかったらって思ったら。わたし、わたし……」

 光の粒がぽろりと落ちた。


「なんだよ急に、さっきまでうるさいくらい、元気にしゃべり続けてたじゃない」

「だって、わたしまで落ち込んじゃったらダメだって思ってたから」

 そこまで言わせて流石に自己中心的なラドも気づいた。

 この子は天然に明るい子なんかじゃない。不安を宿しながらも顔を上げて笑える子なのだ。いやそうしようと頑張っているんだと。

 考えてみれば当たり前だ。片親がいなくて母親は農奴で朝から晩まで畑で働かされている。この歳で孤独と隣り合わせで生きてきて、ただ能天気に笑えるはずがない。

 それでも笑えるのは、心の中に誰かを住まわせているから。

 自分のためなら不安と不満で辛くなる。でも誰かの笑顔を考えているから、自分を横に置いて笑えるし怒れるし頑張れる。

 その誰かがおこがましくも……僕。


「ごめん。心配をかけて」

 自然と言葉が出た。

「うん、心配した」

 アキハも瞳を潤ませて答える。


 この世界にきてアキハに出逢って本当に良かった。何も分からない自分に付き合ってくれて、家に帰らないわがままを許してくれて、自暴自棄になった自分を自分以上に心配してくれて、いまの自分をこんなに喜んでくれている。

 なんとも形容しがたい感謝の想いが胸から込み上げてくる。


「アキハ、ちゃんと言ったことなかったけど――僕は迷惑ばかりかけてるのにアキハは僕を……ってアキハ? どうしたの?」

「ラド……、あれ……」

 アキハがぽかんと口を開けて、ラドの頭の向こうを呆然と見ている。間が抜けた顔とはまさにそれである。


「どうしたの?」

 そう言って振り向いたラドが見たものは、培養液から上半身を乗り出し、瞬きもせずジーっとこちらを見つめるホムンクルスだった。

誤植訂正

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