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自我崩壊

「ルジーナ! 違います。スカートの前を抓むのです。何度も同じことを言わせないで下さい!」

「だって、癖なんだって」

「だってじゃありません! バックが切れ上がっているのです。横からたくし上げたらパンツが見えるじゃないですか!」

「ちぇっ」

「手! 頭をボリボリ掻かない!」

「いたっ!」


 レジーナの竹鞭がピシリと飛び、ルジーナの手の甲を捉える。鞭が跳ね上がった跡には幾つもの赤いラインが残っており、竹鞭が容赦なく振るわれたのが分かる。そんな赤いラインがフリルの袖から出た左手にも足首にも。


 あの夜、王城の廊下で出会った漆黒の使者は、恐怖のあまり気を失い、フラリと倒れたラドを主のもとへと連れていった。

 昏倒から目覚めると、そこには美しい女性が二人、豪奢な椅子に座ってこちらを窺っている。


 おや、ここは天国? あれは女神様?


 そのお一人がお立ちめされ、目覚めたラドにニコっと笑いかける。

「おはようございます。ラド殿に姉上よりお願いが御座います」


 ん? え? 姉上? ってよく見ると、あんたサルディーニャさんじゃない。


 目覚めしなのお願いカウンターに困惑していると、まだイイともワルいとも言っていなのに、もう一人の女性が先を続ける。

 サラリと部屋に広がる衣擦れの音。

「ラド殿、私の侍女として王宮に入ってくれませんか」

 聞き間違いかと思ったが、まさかと思い起き上がり確認する。姉上と言えば想像通り……。

「アメリー王妃?! 今なんと仰いましたか?」

「私の侍女となり、怪しい者を見つけていただきたいのです。この度のこと陛下に親しくなければ知り得ぬ事ばかりです。私は王宮に間諜が潜んでいると考えています」

「侍女? 侍従ではなく、侍女?」

 もちろん気になるのはソッチだ。

「侍従は君主につくもの。私の身の回りを男子が世話をすることはありません。ですから侍女なのです」

「……ムリでしょ。だって僕、男ですよ」

「いいえ、ラド殿」

 アメリー王妃は潜めて名を呼ぶと椅子から立ち上がり、ゆっくりとこちらに来て、少し屈んで柔らかな手で頬をするりと撫でる。

「ラド殿は可愛らしい。美しい黒い瞳にふにふにの頬。男にしておくには惜しい逸材ではありませんか」

「ま、まって、僕にはそっちの趣味はないから!」

 するとアメリーの横に並ぶサルディーニャも屈み、同じような顔でラドの髪から肩をサラリと撫でる。

「いえ、他に適任はおりません。美しい御髪。華奢な体つき。男にしておくのは惜しい人材ではありませんか。アメリー王妃が仰るのです。ここはひと肌脱いでいただけませんか」

 さすがは姉妹。同じようなうっとりムードで詰め寄る。

「や、あはは、冗談ですよね。脱がないですから。ひと肌もひと服も脱ぎませんから」

「うふふふ、勘が良いですね。いまちょうど女官の着用服を用意しております。サイズも偶然ラド殿と丁度よい。ぜひこちらに着替えて」

「絶対偶然じゃないですよね! いやっ!」

「そこを」

「ヤダ!」

「あらあら、ラド殿も頑是ないですねぇ。セテ。ラド殿を捕まえてくれませんか。まず腕を」

「勿論です! 姉上」

「やめてーーー!!! 放してーーー! 絶対やんないから!!!」


 なんて事があって、『前向きに検討させて頂きます』と懐かしい言葉で言い逃れて――ガウべルーア語にない言葉なので翻訳に苦労した――、その場はひとまず逃げたのだが、ヴィルドファーレンまで送ると言ったサルディーニャにまんまと騙され、人生二度目の南京袋を被せられ、そのままこの屋敷に放り込まれた。

「拉致って言わない!? それって!」

 それから、この家を一歩も出ていない。いや出せてもらえていない。

 ・

 ・

 ・

「ラド殿は私の義妹という設定なんですから、下品な行動は謹んでください」

「はーい」

「はーいじゃありません『はい!』、もう一度!」

「はいっ!」

 竹鞭が鼻先でビタリと止まる。こえーーー!


「わははは、ルジーナ、しっかりマナーを身に着けるんだぞ。一週間後にはデビューなのだからな」

 そんな厳しい指導を椅子を逆さ馬に跨いだ大股開きのロザーラが笑いながら物見遊山で見物している。

 それが気に入らない。

「ロザーラだってマナーはからっきしじゃないっ」

「それは心外だな。私のTPOに合わせて振る舞っているだけだ。淑女のマナーは完璧にマスターしている」

「ホントかよ」

「ほ・ん・と・う・で・す・か!」

 レジーナの凍える目線が訂正を要求。

「本当ですか、ロザーラさんっっっ!」

「ああ、ラド殿風に言うとマジだ」

「なら、そこに落ちてる獣歯牙ペンを拾ってみて……拾ってくださいますか?」

 耳元で竹鞭がしなるなる音がした。怖いから見ないが、横からレジーナが厳しい視線を投げかけているに違いない。


「ん? こうか?」

 ロザーラは大儀そうに椅子を降りると、ペンの前までそそと歩く。そして驚くほどコンパクトに膝を折って、ゆっくりと片膝をつき、いやギリギリ着けずに、わずかに床から浮かせて、すっと指を揃えてペンを取った。

 そして茶道の仕草のように、ペンを持ち替え両手でルジーナに差し出す。

 何とも脚力を要する動きであるが、流れるような動きは自然で麗しく、つい「ほほう」と声を出してしまいたくなる程である。


「いかがですか? ラド殿。いえ、ルジーナ殿」

「……」

「ふふふ、言葉がないか? この女はお転婆でマナーなどからっきしだと思っていたのに、『何だそれ! 裏切られた』って顔だな」

「……うううう、僕の心の声を言うなぁーーー!」

「はぁ~、ちょっとルジーナ、あなた()()()()ぶ気があるのですか?」

「ご、ごめん。今のは気が緩んだ」

「緩みっぱなしです。ずーっと、ずーーーっと。私はラド殿はどんな事にも真摯な方だと思っていました」

「いや、女装に真摯ってないでしょ」

「し・ご・と・で・す! これは」

「しごとですか……」

「そうです! そして、あなたが駄々をこねるからアキハさんにもお願いたんじゃないですか」

「駄々なんていいましたぁ? 僕? 言ってないですよね。アキハを巻き込んだのサルディーニャさんですよね」

 部屋隅で一部始終を眺めていたサルディーニャが、何か変な事でもありましたかと言わんばかりの顔つきで話しに参加する。

「んーーー、ラド殿が乗る気でないのは、お一人では心細いからかと思いまして。それに寝言でアキハさんの名を呼んでいましたし」

「わーわーわー!!!」

 そこにぬっとアキハが乗り出してくる。

「いいじゃん、ラド。面白そうじゃない。それにアメリー王妃殿下のお役に立てるんだし」

「違うだろ、アキハは面白がってるだけだよね」

「ちがうよ全然。ラドったら――ぷっっっ! 一人じゃ心細いかなぁーと思って」

 なに、その溜めと笑い。

「ああ、もう!」


「こほん、ルジーナさん……」

「はっ!? あっ、すみません、すみません、すみません!!!」

 レジーナが戦闘中でも見せない鬼の形相でこちらを見ている。

 本物のお嬢様は切れると怖い。


「もう堪忍袋の緒が完全に切れました。朝まで寝かせません。いま決めました。歩き方、挨拶、言葉遣い、靴の履き方からまばたきの仕方まで全部一日で覚えてもらいます!」

「ムリムリ、そんなに一日で無理だって!」

「あはは、ラド頑張ってー」

「何を笑ってるのです!!! あなたもです、アキハさん」

「でぇぇぇ、わたしもぉー!」

「まずそのがさつな歩き方から矯正しますっ!」

「ひぃぃぃーーー」

 特訓会場となったサルディーニャ家別邸に悲鳴が響いた。



 王妃の依頼は当然だが極秘で行われ、この話はこの別邸にカンヅメにされたラドとアキハしか知らなかった。

 皇衛騎士団にはサルディーニャが直々に赴き、ラドは特別任務の視察のため身分を隠してガウベルーア諸国をまわると伝えられた。

 マッキオ親方にはロザーラから、任務に赴くラドの身の回りの世話役としてアキハを借して欲しいと伝えられた。もちろん親方には金を握らせてある。

 それらは余りに徹底しており、アンスカーリですらラドの所在を知ることは無かった。


 さて、二人がカンズメにされたサルディーニャ家別邸は、サルディーニャ家が長子を王家に嫁がせた記念に贅の限りを尽くして造られた南方造り白亜の宮殿である。

 わざわざ南から取り寄せた白い石は大変貴重で、家一軒建てるだけで、三代の財を失うと言われるほどの良材だ。それが宮殿級のサイズになるとどれほどの富を費やしたか想像すらできない。

 まったく贅の限りというか、税の限りである。


 だが、ここをアメリー王妃が使ったのは王室に嫁ぐまでのひと月ほどで、その後、アメリーは王宮を出てここに来ることはできなかった。

 正室とはそういうものである。カゴの中の鳥。どれほど豊かでも自由はない。


 主を失ったサルディーニャ家別邸は、一時期、セテが使用したが、それも白百合騎士団に入ってしまえば寄宿舎生活のため、ここに戻ることはほとんどなかった。

 それでも団長になり、少々の自由を得てからは、月に一度はここにきて、自分が使った部屋と姉が使った部屋の窓を開けて空気を入れ替え、掃除だけはしていた。

 人が住まない家は、いくら豪華でもメイドはいないので、維持するの大変だ。

 セテ一人では手が回らず、いつしか埃が積もり、灰色の宮殿は時の中に埋もれようとしていたのだが、このような特命で脚光を浴びて再び命を得ようとは、運命とは分からないものである。



 そんな白い巨塔に閉じ込められてから、はや一週間。


「ルジーナ、私の着替えを手伝ってくださる?」

「ええ、お召し物はもうお決まりですか」

「いいえ、ルジーナが選んでください」

「かしこまりました。本日はレジーナ様のご機嫌も麗しく、空模様も気持ちの良い日よりです。お出かけのご予定もございませんので、そうですね……」

 ルジーナはオープンクローゼットを一瞥して、二、三種類の服にあたりをつける。

「薄黄肌のオフショルダーのドレスはいかがですか?」

「いいわね」

「ではご準備いたします」

 一礼してスカートを翻し、クローゼットに向かうルジーナの立ち居振る舞いをロザーラは目で追う。相変わらず椅子に馬乗りをして。


「ラド殿も板についてきたな」

「ですよねー、ここに来て三日くらいはげんなりしてたけど、その後は急にね」

「ほう、気持ちの変化でもあったようだな」と言ってロザーラはアキハをジロジロとみる。


「アキハはあまり変わっておらぬな」

「そお? だって私、女の子だしー。そこらへんはラドと違って変わる必要ないから」

「……いや侍女として成長してないという意味だが」

「えっ?」


 そんなズレた二人など全く気にせず、ラドは朝のお勤めを続ける。


「お召し換えをいたします」

「頼みます」


 正面からレジーナのナイティに手をかけてボタンを外していく。

 この世界の服は合わせが未発達なので、木の突起に紐のフックを引っかけるようなボタン構造になっている。だからボタン穴を通すよりは着脱は楽だが、それでもボタンを外すには着用者の体に触れねばならない。


「これだけはいつ見ても、私の方が恥ずかしくなっちゃうっ」

「そこは同情するな」

「だってラドは男の子だよ。真正面から触らせちゃうなんてレジーナさんすごいよ」

「レジーナは常に最高を求める。妥協をしないタイプだ。サルディーニャ騎士団長に頼まれれば、ラド殿の前で裸になることなど、ためらいはなかろう」

「それロザーラさんも?」

「私は……、ラド殿ならまぁ、よいと思うが……」

 アキハは、ぶーとふくれっ面でロザーラを見る。

「ラドならいいんだ」

「いやそういう意味ではなく、ラド殿は子供のようだから羞恥心が緩むということだ。アキハはどうなのだ? 幼馴染なのだろう」

「ムリ! 絶対ムリ!」

「なぜだ? 子供の頃なら、いかにもありそうな話じゃないか」

「子供だったからよ。あの頃はなんも考えてなかったから。初めて王都に来た時、旅の途中で水浴びをしたことがあったの。そのとき下着をみせちゃったけど、なんであんな事できたんだろうって、いまなら思うもん」

「それだけ大人になったのだな。二人とも。十七だったか」

「大人かぁ。大人になったのは、そういうところだけよ。ラドはホントに大人になったのに。アメリー様にお願いされちゃったりして。それに引き換えこんな私が幼馴染でいいのかなって思っちゃう」

「また悪い癖だぞ。アキハはラド殿がいないと、すぐ弱気になる。自分の気持ちに真っ直ぐでなくてどうする」

「うん、分かってるけど……」

 ロザーラとの話に織り込まれていくアキハにレジーナの凛とした声が飛ぶ。


「アキハさん、おしゃべりは慎みなさい。今日の予定を教えなさい」

「は、はい! え、えーっと。レジーナさんの今日の予定ですよね、えー」

「本日は、これから朝食。その後、白百合騎士団長サルディーニャ卿が来訪。一階応接にてお打ち合わせです。昼食後、お召し替えをされて、ロザーラ殿と訓練。三時になりましたら、わたくしとアキハさんへのご教授となっております」

「よく覚えてますね」

「お誉めに預かり光栄です」

 ルジーナはスカートの前を抓み上げて軽く屈んで頭を下げた。

「合格です。そうすれば、腰を折っても下着が見えません」

「はい、ご指導の賜物と存じます」

「うむ、なかなかのレディーじゃないか」

「でしょ。あのね内緒だけど、レジーナさんが三日目の夜に激怒して、『あなたの根性を叩き直します』って、ラドに女物の下着を無理やり着させたの。それから急にしんなりしちゃって」

「くくく。なるほどな、婦人下着を着た皇衛騎士団長はガウベルーア初だな」


「レジーナ様、後ろの二人がとても無礼なのですが、懲らしめてきてもよろしゅうございますか」

「そうですね。許可します。存分におやりなさい」

 ラドの口がニヤリの斜めに上がるのが、後ろの二人からもはっきりみえた。


「逃げろ! アキハ」

「は、はい!」

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