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泥を食らわば

「イチカ! 手を!」

 ぎりぎりに手を伸ばしてイチカの手を取り引っ張る。

「走ります。母さんに追いつきます」

「無理よ! ライカは狂乱してるのよ!」

「狂乱してますが正気です。わたしの言葉を理解して師匠を担いでます」

「そんなわけないじゃない! 狂乱なのよ! 意思の力でなんて!」

「狙撃から師匠を守ったのだから正気です!」

「でもラドのお腹が」  

「それは……力の加減が出来なかったのかもしれません。でも私が剣を落とした所までわざわざ蹴り転がしたのですから狂乱でも正気なんです!」

 パニックで考えなかったが、一連の行動はそのように解釈もできる。弓の軸線にラドがいたかは定かではない。しかし事実として森の深奥に矢があり、ライカが現れた直後に敵が躍り出てきた。

 ライカは狂乱になりつつも狙われたラドを助けに来たと考えると筋が通る。

 通るが、ならばなぜ殺した?

「ならば確認しましょう。確認しないと始まりません」

 イチカは自分を納得させると顔を引き締め足に力を込め、リレイラが引く手に追いつく。


 ライカの背中はあっという間に見えてしまった。

 いかにライカでも脱力した少年一人を担いで、さほど早くは走れない。

 ライカに追いついた二人がそれぞれ左右を振り返ると、数名の敵が薄明かりの向こう草葉を揺らしているのが見えた。

 どうやら逃げられぬように左右に間隔を取って追いかけているらしい。そのため足場の悪い所を走らされているようが、それでも着実に敵は近づいている。

「しつこい!」

「このままじゃ追いつかれるわ。戦いましょう。背中を取られては不利です」

「ダメです。ここで時間を失えば狂獣から逃げられなくなります」

「でも相手は飛び道具を持っているのよ」

「一人ずつ倒せば取り囲まれます。集団攻撃魔法は詠唱中に追いつかれます。魔法はムリです」

「無詠唱は持ってないのっ?」

「私が持つわけないです!」

「じゃどうするのよ!」

「イチカこそ、どうする気ですか!」

 次第に声のトーンが上がっていくが溝は深まるばかり。それもそのはず、互いの状況把握は正しくて反論の余地がないからだ。

 森は水はけの悪い湿地で歩きにくく逃げるには不向きな条件だ。敵も同じとはいえライカは身の丈四スブ半のラドを担いている。魔法士二人は女の足で一人は虚弱体質。ほとんど武装していないので身は軽いが、逆に言うと反撃の手段がない。そして足場が悪い分、先を行く者が不利となる。

 言い争っていた二人は口を閉じた。

 

 二本、三本と矢が耳元を掠める音がした。

 敵は行射しつつ追いかける余裕がある、もっと急がなくては!


「あっ!」

 イチカが叫んだ。

「ああっ!」

 滑りながらも何とかバランスを取って走っていたライカが矢を避けようとして大ゴケ、ラドがライカの肩から飛び出し、砲弾となって飛び出した!

 運が悪いことに弾道の先にはゴツゴツのコブを頂いた太い木の幹。

 直撃コース!

 どうすることも出来ず二人はあわっと顔を覆う。


 ボゴぅと鈍い音。

 ・

 ・

 ・

 指のすきまから、そーっと状況を見る。


 頭から幹に当ったのだろう、天地逆さのお尻が見える。

 体はくの字に折れ曲がり、そば殻の抜けた枕のようにくったりと潰れていた。

「マズイです! マズイです! イチカ!」

「どうしましょう、ど、どう」

「絶対死にました! 今度こそ死にました! アレは!」

 だが、二人の予想を裏切り、ラドは泥沼に落ちた頭をガバッと上げ泥地に両手をつく。


「あうっ!」

「吠えました!?」


「あにっ!」

「兄?」


 ぽ~っと放心。


 右手に持っただらんと長い何かをしげしげと見る。

 そしてカクっと首をかしげてから、それをポロリと手放す。


「死んでな……い?」

「動いてますから、たぶん」


 傾いでいた首を自分の手でおもむろに戻し、びくっと背筋を伸ばす。


「動き、ヤバイです。緩急がキモイです」

「たしかにヤバイわね」

 そして小刻みに足踏みしてこちらに回れ右。ラドの横顔、そして正面顔があらわになっていく。

「あっ見てくださいリレイラ! お腹! 無事です!」

 確かにさっきまでラドの腹廻り見えた内臓は無く、服には切り裂かれた跡すらない。

「と云うことは、さっき手放したの! 師匠のじゃなくて狂獣の腸!」



「し……、ゅにん……」

 ラドをすっ飛ばしたライカが、四つん這いでラドの横に這い寄る。

 ラドは同じ目線の高さにあるライカの顔を見るとニイっ笑う。

「――なんだ発情してるのか……しょうがないヤツだな」

 モソモソと呟きライカの頭を手櫛でかいた。

 気持ち良いのだろう。ライカは髪をふわりと立てて気持ち良さそうに目を細める。

 ・

 ・

 ・

 また撫でる。

 ライカは気持ち良さそうだ。

 ・

 ・

 ・

 ラドはライカを撫でている。

 ライカは気持ち良さそうだ。

 ・

 ・

 ・

 ラドはライカを撫でている。

 ライカは気持ち良さそうだ。

 ・

 ・

 ・

 ――ダメだ同じコマンドを繰り返している! 師匠は完全にボケている!

 ――ダメだわ! アレは使い物にならないわっ!


 放っておいては復帰しないと確信したリレイラがラドに駆け寄る。

「師匠! ボケてる場合ではないのです! 気持ち良くアホ実行中に悪いのですが、今は逃げないとなのです!」

「にげ~る~? なんで」

 状況を飲み込めないラドの頭の上を矢が走り、泥で固まった髪を散らしていく。ライカは緩めていた顔をしかめると、こちらに向かってくる矢を手刀で続けざまに落とした。

 さりげにやっているが、常人には出来できぬ芸当だ。


 リレイラとイチカは、未だニヤニヤと締りの無い顔をさらけ出すラドをひっ捕まえてライカの背中に押し付けると、ライカのお尻を叩いてまた走り出す。

 その後ろを追いかけながらイチカはラドに状況説明を始めた。



「――という八方塞がり状態なのです」

「状況は分かった。それで?」

「それでとは?」

「これからどうするつもりなの?」

「師匠は何を聞いてたのですか、だから八方塞がりなんです、打ち手なしなんです、だから逃げてるんじゃないですか!」

「なにいってんだよ? 二人ともらしくないね。パニックで正しい思考を失っているんじゃない?」

 その評価にリレイラはカチンときた。

 ラドも含めて今、命があるのは、自分の機転のおかげなのだ。それは自負ではなく歴然とした事実である。それを大事な所で伸びていたヤツにパニック? あまつさえ思考を失っているだと? 当然、そのような不当評価を受け止めることは出来ない!

「パニックなどなってません!!!」

「十分パニックだよ。僕らは八方塞がりじゃない。追撃する敵の足を止めるなんて簡単じゃないか」

「それができれば苦労しません! それとも『止まってください』とお願いするんですか!」

「あはは、そりゃいいや」

「馬鹿にしているんですか!!! 師匠は私を馬鹿にしているのですか! 絶対馬鹿にしてます!!!」

「まぁ落ち着けって。こういう時に冷静に対処できるのが大人ってもんだよ」

「大人です!!! エッチなことが出来るくらいじゅぅぅぅぶん大人です!!! 師匠は、師匠は、いつもそうやって私だけをからかうんです!!!」

「エッチって……からかってないし馬鹿にしてないよ。言うことを聞かない子からは力を奪えばいい、それだけの話しだよ。ヒントはいる?」

「ええぃクソまどろっこしいわっ!!! 危機なんです。ピンチなんです! 崖っぷちなんですっ! ヒントじゃなくて答えを下さい! 今すぐナウ!!!」

「ごめんごめん、パラライズだよ。言うなればデバフ魔法」

 一足先に冷静さを取り戻したイチカがはっとする。


「デ・バフ……はっ! バフ魔法の過負荷実験!」

「そう。バフの原理は人の体内で魔力を循環させ、そこから発生する微弱なマギウスパルスで筋力リミッターを外すことだ。でも過剰なマギウスパルスは――」

「逆効果。それを敵にかければ運動神経が阻害される! でも一人一人に魔法なんて」

 ヒートアップしていたリレイラが我に返る。

「いえイチカ! バフは精妙なので一人一人にかけるのです。単純に過負荷をかけるだけならライトニングの魔法と大差ありません。いえ魔力を流す意味ではもっと簡単です」

 やっといつもの調子が出てきたリレイラが冷徹な判断を下し始める。

「そういうこと。幸いここは湿地だ。水は意志の力を用いなくても魔力を伝搬させる物質として有効だ。人体の組成物の一つだからね。湿地に大出力の魔力を流して適当なバフ魔法陣を落せば、周囲の奴らは軒並み運動神経を奪われる」

「でも私達も巻き添えを喰らいませんか」

 たしかにその通りだ。敵は十名以上いる。その範囲に影響を及ぼす魔法陣となると範囲に自分達も入ってしまう。

 それに詠唱時間の問題もある。乱暴なバフ魔法なので詠唱は短時間ですむが、敵の移動速度と詠唱時間を考慮すると、自分の真後ろに魔法を落とすことになる。それは自爆的な行為だ。

 アイデアはあるが実現方法がない。三人が言葉に詰まっていると、その隙間を埋めるようにライカが口を開いた。

「ライカのう、え、で、マホウを……」

「ライカの上?」

「ふみ……だ……い」

 ライカは自分を魔法を遮断する絶縁体にしろと言っているのだ。


「バカ! お前を犠牲にできるか!!!」

「母さん、それなら私も一緒に」

「ダメです、二人がいないとラドを守れません。なら私が」

「いやいやそうじゃないだろ。誰かが犠牲になればいいって話じゃない! いやまて……踏み台ってのはいいアイデアだ」

「ラド!」

「大丈夫、誰も犠牲にしない方法がある。皆で生きてかえろう!」



 ラドはライカにイチカを背負わせ、自分はリレイラの背中に乗る。

 ラドを背負うにはリレイラの筋力では不足だ。必然足が遅くなるので敵はどんどん迫ってくる。


「リレイラ、イチカ! この作戦はタイミングが重要だ。リレイラはライカと同じ動きをする。そしてイチカはデバフ、僕は魔法照明弾をキャストする」

「は、はい」

「あとはライカの目だけが頼りだ、頼んだよライカ」


 走るライカの上でイチカは魔力を絞り出していく。

 魔力が高まるとイチカの体の輪郭は光り始め、その光と強さに比例して辺りがピリピリした空気に包まれていく。

 ラドはリレイラの背中荷揺られながら魔法照明弾の詠唱だ。他人の魔力で魔法を使うのは魔法鋼の実験以来だ。想像はしていたが魔法が使えない自分は体質的に魔法抵抗が高い。リレイラは魔法圧を高めて魔力を送っているので魔力の消費が激しい。

「リレイラ辛いか?」

「はい、体が重いです」

 魔力はいわば生命力だ。激しく消耗すれば体に不調をきたす。

「辛抱してくれ。ライカは早く適所を探せ!」

 ライカはきょろきょろと辺りを見ながら走っていたが、右手に何かを見つけると三角定規のように急に折れ曲がる。

「ちょっと、ライカ! 落ちちゃう!」

 イチカが悲鳴を上げるがお構いなし。

「母さん! 急過ぎます!」

 その先には朽ちて中ほどから折れた倒木があった。

「あれか。耐えられるか。けどやるしかない」


 ライカは大きくジャンプして倒木に飛び乗る。

 リレイラも少し遅れてジャンプ!

「イチカ! キャスト!!!」

「はい!」

 敵はもう手を伸ばせば、ラドの背中を掴めるほどに迫っていた。



「いま!!!」

 二人はほぼ同時に最後の詠唱を言い切る。その瞬間、莫大な魔力がリレイラから吸い取られ、リレイラは全身から力が抜けて行くのを感じた。

 スローに動く世界の中で、イチカの掌が眩いほどの光を放ち、その光に導かれるように空に光点が舞うのが見えたが、その後は覚えていない。

 倒木に着地はしたと思う。

 だがラドを背負ったままブラックアウトしたせいで全身を倒木に強打、ラドはふっとばされたが、かろうじてライカの爪に引っかかって落下を免れた。

 そんな状態でもラドは魔法を顕現させ、倒木の真下で暴走型の魔法照明弾は機能し始める。

 魔法照明弾は周囲の空気を吸い込んで下から放出させることで落下速度を落とし、長時間空中で輝くように作られている。だが吸い込むものは空気でなくてもよい。

 倒木の真下で顕現した魔法照明弾は泥水を勢いよく吐き出し、その反力をもって倒木を吹っ飛ばす。

 ようはデバフ魔法の媒体から身を離せばいいのである。なら自分達が吹っ飛ばされればいい。

 水を媒体に選んだのなら空気を魔法絶縁体になる。力を発揮したデバフ魔法の影響は受けない。


 この作戦の要諦をイチカはしっかり理解していた。

 ラドが照明弾魔法を発動させるのをみて、イチカのデバフ魔法を沼に叩き落す。

 その効果はてきめんだった。

 敵は痙攣したかと思うと、体のコントロールを失い、ふらふらと千鳥足に崩れ落ちる。

 立とうとしても無抵抗にパタリと倒れ、四つん這いで踏ん張るのがせいぜい。

 効果が薄かった敵は倒れはしなかったが、まるで亀の歩みだ。


 パントマイムかまるで喜劇のいちシーンを見ているよう。

 ”笑いタケ”は毒に当たった者の滑稽な表情と行動を表してつけられた名前だが、本人は塗炭の苦しみを味わっているという。

 それはつまり、このような状態なのだろう。

 傍から見ると楽しそうだが、気を抜けば命の無い森の中で彼らは生を求めて必死に動こうとしている。

 

 この状況にラドは自分達が危機を脱したのだと悟った。

 日頃の魔法の研究が、このようは形で自分達を救ってくれるとは、努力は結果にならずとも、決して自分を裏切らぬものである。

 真面目に生きているとイイコトがある。

 だが、吹っ飛ばされた後の着地は最悪だった。まだ泥沼から六つの足が生えている。



 悪戦苦闘の末、足の抜けない沼地からなんとか這い出て、あられもないイチカとリレイラの足を引っ張り泥沼から救出、気を失ったライカにきつけ薬を嗅がせ、驚いた彼女にダブルラリアットをくらってHPゲージを大いに削られる。

 そうして鰻のように泥沼を這って身を隠し、狂獣をやり過ごして森を抜ける。

 デバフにやられた敵のその後は知らない。

 とにかくあの場から一刻も早く立ち去ることが命題だった。デバフが浅ければ早々に復帰して逃げおおせたろう、あるいは狂獣の集まりが早ければ獣の海に飲み込まれたかもしれない。

 こちらも首の皮一枚の判断だった、正体の知れぬ敵の行く末を確認する術はなかった。


 街道が見える頃には東の空が白み始め、遥かに見える隊列の落ち着き様に、近辺の敵は掃討したのだと分かった。

 マルシカ作戦は成功し、ワンピレーに呼び出された狂獣は森に帰ったらしい。


 国王陛下の乗る(設定の)馬車は無事だ。

 ただ、クーペのドアにはべったりと血糊がついている。これが騎士団もので無いことを祈る。


 視界を広げると、隊列の前方にティレーネが女の子座りでペタンと座っている。

 どの団員も利き腕胸のダガーサックが空になっている。ダガーは鍔迫り合いになったときのサブウエポンだが、それがないということは折れて使い物にならないほどの戦いだったと言うことだ。

 使い捨てのダガーは魔法鋼ではない。頸動脈を切ろうとして切り込みが深く頚椎に当たれば折れる場合がある。団員達は何度もそのような状況になったのだろう。


 周囲は狂獣の死体だらけ。餓鬼田の中にまで折り重なって死体が埋まっており、もはや池塘は遺骸の埋立地になっている。鼻がバカになっているので血の臭いなんてしやしない。

 その地獄絵図の上をパーン兵は列を作ってゆっくり歩き、死体となった敵の上から剣をぶっ刺している。

 残酷である。

 容赦がない。

 だがそうせよと教えたのは自分だ。休む前に全滅を確認しろ、敵は完全に息の根を止めろと教えた。情をかければ狂獣やシンシアナ兵が優しさ取り戻すわけではない。敵は戦意が折れぬ限り反撃をしてくる。我々は命のやりとりをしている。隙を作ってやられるのはコッチだ。

 冷酷さだけが、おのれの身を守る。ここはそういう世界なのだから。

 

 泥人形の我々を見つけた騎士が駆けてくる。

 あれはサルディーニャ騎士団長だ。左右にはロザーラとレジーナを従えている。

 団長の美しい制服がどす黒く汚れている。レジーナの左袖は切り裂かれ、ラテンの祭り衣装のようにビロビロだ。

 サルディーニャは自分の前に立つと、踵をコンと合わせて深々と敬礼をした。

 白百合の騎士団長は背中に百合の刺繍を施した制服を着る。その百合が返り血を浴びずに白く残り、朝日を浴びてやたら立体に見えた。

「マージア卿、ご無事でなによりでした」

「サルディーニャさんも無事で何より」

「さん……ですか。砕けた言い回しを」

 さんなどと騎士団に入ってから言われたこともないのだろう。サルディーニャは驚くとも困惑するとも言えない複雑な表情をこしらえた。その顔を見て、横の二人が声を殺して笑っている。

「この死闘を超えたんだ。僕らは戦友だよ」

「ええ、おっしゃる通りですが」

 表情から戸惑いが読み取れる。

「サルディーニャ殿、ラド殿はこの調子なのです。さすがに出立前は初見でしたので遠慮されていたようですが」

「え、ええ。噂は聞いていましたが余りに自然でしたので拍子が抜けました」

「僕のことはラドでいいよ。ありがとう皇衛騎士団とともに戦ってくれて。これでお飾りなんていわせないね。僕らはワンピレーの声を二度聞いて生還したのだから」

「それについては申し訳なく思っております。迂闊にもワンピレーを切り付けたのは我が騎士団の者でしょう。この惨事の責任を痛感しております」

「かしこまらなくていいよ。やったのは皇衛騎士団かもしれないし、あるいは全く別の誰かかもしれないし」

「と、申しますと?」

「うちの次席参謀が森の中で人を切った。それは狂獣でもシンシアナ人でもない誰かだったそうだ。森の中を我が物で移動できるってどういうことだろう。それに森からここまで、狂獣をおびき出すための死体の道があった」

「つまりこの襲撃は偶然ではないと」

「ワンピレーさえも周到に計算されている」

「偶然を装った、計画された襲撃……」

 サルディーニャの頬は遠目でも分かるほど粟立ち、瞳は恐怖に見開いてた。その黒い瞳が余りに深くて、ラドはその底なし沼に吸い込まれる錯覚に陥りそうになった。


 この襲撃は剣を抜いたら最後、足掻けども這い出る事のできない底なし沼のような戦いだった。深夜の終わらぬ戦闘。戦うほどに戦死者ばかりが増え、じりじりと力を奪われていく。

 だが勝った。勝ったが黒い底なし沼の奥には多くの仲間の命が眠っている。

 サルディーニャの瞳をそんな恐怖を思い起こさせた。



 街までの僅かな間、ライカはラドに懐くだけ懐ついた。

 狂乱は収まったが、無理に押さえ込んだ性欲は静まらないらしく、とにかくラドにくっつかない気が済まない。

 あまりにベタベタして歩けないので馬車に乗ったが、ラドは幌付きの荷台の中で猫に弄ばれる毛糸玉のように、いいように転がされた。


「しゅに~ん、なぁ、しゅに~ん」

「なんだよ」

「にゃー……はぁふぅ~、うきゃきゃきゃっ」

 頬を紅潮させ、照れに照れて両手で顔を覆ってデロデロする。

 ――これはライカじゃない!

 まるで子供に酒を飲ませたような状態だ。

(お子様にお酒を飲ませてはイケません)


「うきゃきゃって、お前はサルか」

「うにゃ~、しゅにん大好きにゃ、しゅにんはイイ匂いにゃ、食べたくなるにゃ~」

「食うな!」

 ボディプレスのようにうわっと乗っかってくる。

 お、重い。女の子といってもサイズは大きなお姉さんだ。圧し掛かられたら動けない。


「うーー、ちょっとくらいならかじってもいいにゃ?」

「ちょっともダメ!」

「耳くらいならいいだろ。食べても」

「ダメ! キノコじゃないんだから、生えないから!」

「けちー、じゃ、きゅっとするにゃ、舐めるにゃ! 引っ掻くにゃーーー!」

「いたっ、いたいーーー、舌! お前の舌は痛いんだって。ツメ! ツメもめっちゃいたい!」

「もう、服がじゃまにゃ!」


 戯れる二人の騒ぎで、ギシギシと荷馬車が揺れる。 

 荷馬車の脇を歩くイチカとリレイラは、まんじりともせず揺れる幌を見ていたが、いくら凝視しても中は分からない。だが間違いない事が一つだけある。


『やつら、猛烈にイチャついてる!』


 それが二人をイライラさせる。


「私も頑張ったのに……」

 いつもの毒舌はどこへやら、リレイラは口を尖らせて不満を吐く。

「ホント。釈然としません」

「いいえ、イチカはちょっと魔法を唱えただけで頑張ってません。師匠を助けたのは私です。それなに私は母さんに蹴りを食らって、背負って逃げた師匠には魔力をゴッソリ持っていかれて失神です。それを母さんと一緒に無理矢理きつけ薬で起されて寝起きも最悪です」

「私だって頑張りました! リレイラを助けたの私ですよ」

「そんなの師匠は見てません。それより師匠はいっつもいっつもイチカに甘いのです!」

「そんなことないわよ」

「いいえ、声が違います。名前を呼ぶときだって『イチカぁ~ん』って猫なで声です。だのに私はいつも怒鳴られてばかり、しかも大食い女扱いです!」

「大食いは間違ってないじゃない」

「それは子供の頃の話です! それに魔法はお腹が減るんだからしょうがないです。ううぅ~、私も、私も、もっと優しく癒されたいんです!」

「いいじゃない、いつもラドといれるんだから!」

「よくないです!」


 今度は荷馬車がしんと静まり、なにやら衣擦れの音が。

「何か怪しくないですか?」

「あやしいです。とても危険な予感がします」

 二人は言い争いをやめて幌に耳を傾ける。


『なんだライカ、びしょびしょじゃないか』

『だってもうガマンできないにゃ。ここならいいだろ』

 幌越しにヒソヒソと声が漏れる。


「びしょびしょ……」

「ここならいい!?」

 二人は顔を見合わせる。これは言い争っている場合ではない。

「停戦を申し入れます」

「もちろん合意よ」

 もちろんと頷き握手。

「突入の用意はいいですか。荷馬車に入って――」

「――止めなくちゃ」

「そして師匠に褒めてもらうです」

「そうしましょう!」

 思い立ったら二人の行動は早い。荷馬車にかかったホロの裏手に走り、息きもぴったりにホロの合わせを引き剥がす。


「ラド!」

「師匠!」


「わっ! なに!?」

「何をしているのですか!」

「ずるいです! 母さんとえっちなことを私も」

「リレイラ、あなたっ!」

 荷台に乗り込み荷物の裏をのぞき込むと、ラドの胸に無理やり埋もれて眠るライカがいた。

「まぎらわしいわ!!!」


「はぁ~~~ラド、そーいうのは三人一緒なんです」

「なんで、なんで一緒なの」

「そうきまっているんですっ!」


 街までの僅かな距離すらラドには安息はない。僅かに濡れるシャツの涙も乾く暇もないほどに。

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