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泥と死体と森の中

 騎士団に打ち殺されたワルグの死体をうんしょうんしょと引きずって、待ち合わせの西の沼の前に向かう。そこには先に到着したイチカとリレイラが藤の編み籠に体を預けて待っていた。


「首尾はどうだい」

「ワンピレーを生け捕りにしています。でも二匹はムリでした。あらかた焼き殺してしまったそうです」

「そうか、バックアップが無いのは不安だけどやるしかない。じゃその籠を二人で担いで西の森に向かおう」

「はい」

「その前に……」

 ラドは腰から護身用のグラディウスを引き抜く。

「解体のお時間だ」 


 リレイラの助けを借りてワルグの死体から毛皮を剥ぎ、削ぎ落した脂と泥で練った()()()()を作り互いの全身に塗りたくる。

「相変わらず吐きそうな臭い、うっ!」

 脂でねっとりとしたリレイラの手が顔の近づくと、余りの悪臭に我慢の限界を超え、ついに吐き戻してしまう。

 それを抑えようと口元やった自分の手の臭いにやられて、また吐く。

「師匠、狂獣の青い血の臭いにやられましたか?」

「すまない何度もイヤな所を見せた。あれ程戦って慣れたと思ったけど……。二人ともよく我慢できるな」

「確かにかなりの悪臭ですが、吐くほどでは」

「それはお強いことで……、うぇっ!」

 未だゲロゲロやるラドの背中をヌメヌメの手でイチカがさする。触り心地は生理的に受け付け難いが、気遣いはありがたい。

「ありがとう。まったく……ホムンクルス工場を思い出すよ。あれも大概ひどかった」

「……すみません」

 イチカが股に手を挟んで小さくなって頭を下げる。

 言ってしまってから、しまったと気づく。

「すまない。二人には悪いこと言った」

 あまりに自然に生活していると、二人がホムンクルスだと忘れてしまう。それは良い事だが、特殊な素性を持つ二人にとって、違いは特徴や個性などではなく異端の証に他ならないだろう。

 それを感じさせまいとしてきたのに、軽率にも自分から思い出させてしまった。

 なんとも気まずい……。

 そんな機微を察してリレイラが事を急ぐ。

「お取り込み中、申し訳ないのですが時間がありません」

「分かっている。済まなかった」

 イチカが寂しげに微笑んだ。



 狂獣は臭いに敏感だ。同じ狂獣だと思わせて森に入る技法はエフェルナンドが教えてくれたノウハウだ。それでも目のいいモノに見つかればあっさりと襲われてしまうので、鉢合わせを避けるために北回りに迂回して森に向かう。

 敵はワンピレーに呼び出されているが故、一直線に隊列に向かっている。周囲を徘徊する狂獣が少ないがゆえに取れる策だ。


 遠目に黒い影が森の方から街道に蠢くのが見える。まちがいなく敵は森から供給されている。

 ここら辺は切り出しを行っている森だ。人の手が入っているので狂獣は少ないと思っていたが、深遠な森はまだまだ大量の獣を抱えていたという訳だ。


 森が近づくと次第に木が濃くなっていく。ここからはまだ伐採の手が入っていない領域となる。

 木材は北から切り出しが始まったと聞く。この木を一本一本切って、ガウベルーアは発展した。山を切り開くとは森を切り開く事だ。そこには常に狂獣に襲われる危険がある。

 何人もの木こりが死んだのだと思う。そして狂獣に襲われた者の家からはパーンが生まれて、ガウベルーアの人々は狂獣とパーンを憎むようになったのだ。


「僕も森の奥に入るのは始めてだ。目的は籠の中のワンピレーを森の深部で痛めつけて叫ばせること。森に入れば何が襲ってくるか分からない、覚悟はいいね」

 月明りの二つの泥塊が声なく頷くのを見て、ラドは生唾を無理やり飲み下し、森に足を進める。


 慎重に。だが遅速にならぬように。


 天秤棒に担いだワンピレーが重い。それでも前側はイチカの二人で担いでいるからマシだ。後ろを一人で担ぐリレイラはもっと重いだろう。

 時折ワンピレーが暴れて籠が大きく揺れる。

 即席の天秤棒は角張っており肩が痛いので、気遣って後ろを振り返ると、リレイラがチラチラと左を気にしている。自分が見てもただの暗やみだがリレイラには何かが見えているのだろうか。

 ライカの血が入っているリレイラは、ガウべルーア人よりも夜目がきく。良く見ればガウべルーアの少女より瞳孔が大きい。それが初見で可愛い印象を与えている。


「左に何かあるの?」

「師匠、先ほどから気になっているのですが、九時の方向に点々と盛土が見えるのです。あれはなんでしょうか」

「さあ、岩か何かじゃないの? 麓なんだから山から火山弾が降ったのかもしれないし」

 申し訳ないが、その程度の気がかりならば一蹴する。とにかく今は急ぎたい。

「そうですか……」

 リレイラは解せない表情を隠さないが、それ以上の言葉は返さない。向こうも状況を推してまで確認にすべしと押し切れる根拠がないのだろう。

「先を急ぐ、でいいな」

 そんな最小限の会話をしつつ、やけに順調に森の奥を分け入っていく。順調すぎるほどに。


 突然イチカが足を止めた。

「ラド、やはり何かがおかしくありませんか」

 隣で天秤棒を担ぐ相棒の顔を見る。

 なにやら差し迫った面持ち。

 だが足は止めたくないので無視を決め込み天秤棒を引くが、イチカは頑として動かない。後ろのリレイラも。

 ――これは、僕が聞くまで動かないつもりか。

 こういうときのイチカは頑固だ。自分なりの納得をしないと動かない。

 仕方ないので目で発言を促す。

「あれほどの狂獣が集まってくるのです。その源流に近づいている我々は、なぜ敵に会わないのでしょうか」

 やはりそれかという疑問。

 自分も思っていた。確かに遭遇を避けたルートだが森に入れば話は別だ、どこから襲われてもおかしくないのに、街道を離れてから一度も敵の姿を見ていない。いや、正しくは遠目に街道に向かう敵の影しか見ていない。

「狂獣の影が見える方に近づいてみませんか」

 イチカが可愛らしい容姿とは真逆な攻め姿勢をみせる。

「ここは森です、この木の多さなら取り囲まれることはありません。木の上に退避することも可能です。ですから」

 確かに嫌な予感はしている。

 冷静に考えると今はワンピレーが呼んだ敵と戦っているが、きっかけは急襲してきた狂獣なのだ。しかも満月の夜を狙うように。

 だが一刻も早く騎士団を救わなければならない。この一分は一人の命と等価と言って過言ではない。

 しかし違和感を放置してよいのか。狂獣急襲に関わる重大な要因を看過すればマルシカ作戦は失敗し全てを失う可能性だってある。

 時を取るか憂を取るか。

「分かった。不自然な事が起きるのは、起こるなりのワケがある。行こう。行って確認しよう」

「ならば進路は九時の方向に」

「ああ」


 細心の注意を払ってリレイラが指した方に一歩一歩と近づく。

 程々近づいたら草葉に隠れて向こうから見えないように匍匐する。

 危険なのは匂いと音だ。

 臭いは全身に塗った泥でカモフラージュされている。だが音は消せない。大きな音を立てないように注意しなければならない。


「なにか見えますか」

「いや、まだ。リレイラは」

「はっきり見えませんが、どうにも胸が悪くなる感じです」

「なんだ?」

「わかりませんが、もう少し近づきます」

 そうして一歩。また一歩と、盛土に近づいて行く。


「師匠っ」

「……こ、これだったんだ。小山の正体は」



「狂獣塚の道……」

 三人が見たのは狂獣の死体。それも体を切り裂かれ、血液をぶちまけるように積み上げられた死体の山が、街道の方角に点々と続いていた。

 いうなれば惨殺死体の道しるべ。


「同士討ち……なんてことは」

 たしかに考えられなくはない。これだけの狂獣が集まれば、腹を空かせた狂獣同士が殺し合うこともあるだろう。

 狂獣の捕食関係を調べた研究などないが、少なくともゾウフルは狂獣を食う。だがその死体が、こうも点々とあるものだろうか。

 ラドはその言葉を確かめようと一体の狂獣の前でしゃがみ、分厚い毛で覆われた体にそっと手を伸ばす。

 暗くてよく分からないがワルグだろうか。決して弱い狂獣ではない。


 イチカとリレイラは少し離れたところから、ラドの様子を見ていた。危険だからこそ固まってはいけない。視界を広く取り警戒をする。

 ここは狂獣の通り道なのだ。いつ捕食者が現れるとも限らない。


 ラドの手が狂獣の毛の中に伸びる。

「冷たい……」


「師匠!!!」



 リレイラが視界の隅に見つけたのは、金色に光る二つに軌跡。

 それは猫のような敏捷性をもって飛び跳ね、牙をむき出しにしてジグザクにステップを刻みながら、確実にラドのもとに迫ってきていた。

「逃げてください!!!」

 と言ったがもう遅い。獣はラドに飛びかかる!

 そして勢い余って、積み上げられた狂獣の死体もろともラドに食らいつき、そのままゴロゴロと転がり、近くの木に激突。

「ラド! ラド!!!」

 イチカが連呼するが返事はない。

「きさま! よくも師匠を!!!」

 抜刀し「やぁぁぁ」と気合を発して獣に向けて駆け、力任せに剣を振り下ろす!

 だが、その太刀筋は完全に読まれており、獣は振り下ろす肘を取り、前に引っ張り込んで体勢を崩しにかかってきた。

 ――かしこい!

 想定外の事態にバランスを崩し、それでも踏ん張って耐えるが、獣は私を引っ張った力を使い敏捷にも体を起こす、のではなくそのままジャンプし胸の高さまで飛び跳ね、両足でドロップキック。

 ――なんてジャンプ力!

 不意のキックに耐えきれず、くの字にふっ飛ばされてそのままに後ろに倒れる。だがタダでは倒れられない、多分そこだろう着地点を狙って足払いを仕掛ける。

 手応えアリ!!!

 獣はギャっと奇声を発して横に倒れる。

 その隙に肘をついて体を起こすと獣の背中が見えた。

 ――服!? それに胸当てをしている!

 まさかの着衣に驚いて一瞬止まったのが悪かった、獣は片手片足を地に付いて踏ん張ると、なんと横たわる態勢のままこちらにすっ飛んできて背中から体当たりを仕掛けてきた。

 胸当ての硬い革ベルトが顔面に当たり、またも仰向けに倒される。

 更に悪い事にバク転で置きあがる獣の手が丁度自分の腹の上に重なった。

「うえっ!」

 獣は私の上を高々と一回転し着地すると、行き掛けの駄賃とばかりに私の横っ腹を思いっ切り蹴りあげ、最初に切りつけた辺りまでゴロゴロと転がす。

 胸を蹴られ、腹を踏み台にされて息が吸えない私は、苦しさと痛みでのた打ち回るしかなかった。


 静寂が訪れ、雲間から垂れた月明かりが、濃密な木陰を縫って降り落ちてくる。

 光源を得た獣は、ゆるやかに全貌を表していく。


 茶色の蓬髪に、異様にギラつく金色の虹彩。

 口元の大きな牙からは唾液が滴っている。

 ヒトと同じ肌。ヒトと同じ体の大きさ。

 これは狂獣ではない。

 その全てに見覚えがある。


「か、か……さん」

 口一つ分の息が発した言葉はそれだった。



 なにも反応出来なかった。

 リレイラが何者かに圧倒される姿をただ黙って見ることしかできなかった。

 そして月明かりに敵と思っていた獣がライカだと知り、混乱の余りまた停止してしまった。

 考えようとしても頭が痺れて思考できない。目だけが獣と化したライカと巨木の間を彷徨う。


 ライカが四足で着地した体をむくっと引き起こす。

 だらりと垂らした上半身は、リレイラを鋭く睨みつけている。

「ジャマ……にゃ」

 鋭く伸びた爪。長く上下に突き出た牙。

 ライカの狂乱を見るのは初めてではない。工場の管理棟の一夜は衝撃だった。だがあの時より今の方が圧倒的なまでに迫力がある。

 ライカはペティナイフの様な爪を器用に動かし、片手で胸当てのベルトを外すと、乱暴に投げ捨てる。

 その内側には、制服越しにも分かる別人のように大きく膨らんだ胸が苦しそうに詰まっていた。

 全く体を作りかえるような変化が起き、理性さえも吹き飛ばす半獣人だけに起きる繁殖のための変容。

 だがこの迫力に『狂』の文字を当てたのは正しい当て字だ。


 ライカはキッと振り向きラドを捉えると、予兆なく身を反らして月明りを全身で受け止める。

 どうするつもりなのか? 次の行動が読めない。


 高揚のままに両手で月を受け止めて、恍惚な表情を一瞬浮かべたかと思うと、

「がぁぁぁ!!!! しゅにーーーん!!!」

 牙をむき出しにして、草木も震える咆哮をあげた。

 勢いで制服の胸の止め紐が弾け飛び、肩の縫い目がビリビリと裂ける。

 もはやアレは私の知っているライカではない。

 悪い予感が的中した。

 ここに来てまさかライカが狂乱するなんて。そして狂ったライカがまさかラドを襲うなんて。

 そのラドはぐんにゃりと不自然に曲がったまま、いびつな形で木に絡みついている。

「!!!」

 泥を塗った上からも分かる、腹の辺りに見える肉塊はラドの(はらわた)ではないだろうか。


 それを見た瞬間、あらゆる恐怖が喉の奥から噴き出して来た。

 ラドと出会ったパラケルスの日々、アキハと交わした約束、皆と力を合わせてここまで来た道程が瞬時に思い起こされ、それが壊れて真っ黒な何かになり果て何処までも落ちていく姿が見える。

 何かが決定的に変わり、当たり前のように過ごしていた日々はもう永遠に訪れない。

 ラド達と歩んできた旅はここで終わり、そして二度と再開はしない。

 それどころか自分もここで死ぬ。

 死の恐怖を考えた事がなかったわけではない。工場長に拉致されとき、幾つかの戦いでは死の痺れる匂いを嗅いだ。だがそれらとは全く違う自分の存在が無に帰する恐怖の匂い。

 この特務が失敗したらリレイラも騎士団の仲間も帰らぬ人となる、そこには私達か護衛する王も含まれるだろう。

 それは決定的な失敗。

 両陛下の護衛という決して失敗できない任務の失敗は我々の全てを否定して余りある。

 軽率だった。

 任務には常に失敗のリスクがあるのに、なぜよりにもよって失うモノが大きすぎる時に、私は恐怖に鈍感になっていたのだろう。


 呆然としていると、やっと息を継いだリレイラが呼吸も荒く這い起きて叫ぶ。

「母さん! なんてことを! 母さん! 母さん!!!」

 だが狂乱したライカに言葉はない、あたりをきょろきょろと見ると、ラドの元に足を向ける。

「やめて! ライカ!」

 咄嗟に喉から出た悲鳴に似た声に、ライカは一度は足を止めたが、願いも虚しく再びラドに飛びかかった。



 やっと息を吸い、母を呼んだが、理性を失った彼女はもはや別人だった。

 ――これが狂乱……

 初めて狂乱という生理現象を見た。


 ――まさか母さんが……

 衝撃的な光景、頭は真っ白に飛ぶ。


 ――母さんが、まさか母さんが狂乱するなんて


 長年一緒に暮らしてきたが、母が狂乱することはなかった。だから母はそんなものから無縁なのだと思っていた。

 だが、彼女もパーンなのだ。こうなる可能性はゼロではなかった。


 ――師匠を殺してしまうなんて。


 師匠が死んだ。ピンチをさらりと跳ね返してしまう人が、こんなにあっさり逝ってしまうなんて。

 師匠が死んでしまったら私はどうなる。私達はどうなる。これからどうすればいい。何のために生きればいい。大切な、大切な人が死んでしまった。

 だが、死という単語が頭に上がり、はっと我を取り戻す。


 ――なんで決めつけてるんだ、私は!


 師匠が死んだとは限らない。確かに腹のあたりが血だらけで腸が見えているが、まだ生きているかもしれない。それにもし母さんが狂ってしまったのなら、私が止めねばならない。


 正気が戻ると痛みも戻ってきた。蹴られた胸が詰まって苦しい。しゃがんだ状態からジャンプして胸をキックするとは、一体どんな身体能力だと思うが、革なめしの胸当てが効いたらしく、ダメージは思ったよりも少ない。

 だが武器がない。迂闊にも落としてしまった。


 慌てて足元を探す。

 ――あった!

 蹴り転がされたお陰で運良く目の前に落ちている。しかし蹴られた拍子に武器を手放すとはなんて不甲斐ない。これで皇衛騎士団の次席参謀だなんて。

 だが同時に目は他の武器も捉えていた。


「弓矢……」


 狂獣の森のど中で幹に刺さる矢が異彩を放っている。

 違和感が走った。それと同時に師匠の台詞が脳内を駆け巡る。

『不自然な事が起こるのは、起こるなりのワケがある』

 そうだ、全てにはワケがある。ここに弓矢が在るワケ……ワケ。


「イチカ!!! 私に向けて詠唱を!」

「は、はい?」


 きょとんとするイチカをよそに、急いで剣を拾い母のもとに走りながら魔法の詠唱にはいる。

「インジャルアルトフォルゲンエイス――」

 詠唱しながら拾った剣を地面に突き立てる。同時にイチカに目配せをする。するとイチカも意味が分かったのか、驚いていた顔を真顔に変えて手のひらに魔力を込め始めた。


 私は詠唱を終えると、地面に手を付いて土中に魔法を流し込み、泥の中からキラキラと月光を戴く棒状の物体を引き抜く。それは灰色にくすんだ二スブほどの鋭利な氷の矢。

 それを掴み取り、槍投げの要領でもと来た森の方に向かって思いっきり打ち出す。

 刹那、八方の木の影から、フードを被った人が踊り出た!

 だが距離は遠い。

「想定通り!」

 相手は弓矢を使うのだから距離を取っている筈。

 だが一人はすぐ隣の巨木の影から現れた! 自分が魔法を使うのを待っていたのだ。

 魔法士はどれほど優秀でも矢継ぎ早の詠唱はできない。だから魔法士を仕留めるには、魔法を使った直後を狙うのが良い。

「それも想定通りだ!」

 迫る敵を撃たんと、この為に突き立てておいた剣を引き抜くが、そのモーションは明らかに敵の攻撃よりも遅く、敵の短刀はもう自分の心臓を完全に捉えている!

 殺傷力のある長剣ではなく、あえて速度重視の短刀を選ぶのは想定していなかった。


 すわっ!

 凶刃が左胸に到達する!

 その直前に背後に迫る熱源を感じて体を思いっきり捻る!

 イチカが放ったファアバレットが自分の脇をギリギリにかすめて、刃を突き立てる敵の横っ腹にブチあたって弾ける。

 強打を受けた黒フードの敵はゴム紐にでも引っ張られたように勢いよく飛んでいく。同時に炎の悪魔が全身に燃え広がり、圧倒的に有利だった敵の魂をあちらの世界へと追いやる。

 あまりにジャストタイミングの支援に、仲間と思われる周囲の敵が一瞬たじろいだ。当然そのスキを見逃さない。


「母さん! 師匠を連れて走って!」

 だが狂乱で反応しない母は、天を見上げたままの顔をピタリとこちらに定めると左右の耳をピクピクと動かすのみ。

 だが私は知っている。


 母の両手が頭の上にピタリと乗っかる。


「アギャーーーーーーーーーーー!!!!!!」


 森が揺れるほどの爆音。

 その叫びが止むと風も音も草木さえも全てが静止した。


 放った氷の矢が籠に詰めて運んできたワンピレーを貫いたのだ。

 母は動きの止まった敵をゆるりと睥睨し、おもむろに師匠を肩に担ぎ上げると、留金が外れた跳ね橋の様に一目散に北に向かって走り出す。

 私も止まってはいられない。

 踵を返しイチカのもとへと駆る。

 行きがけの駄賃に、狼狽する敵をひとり切りつける。


 切った感触で気づく。

 ――これは人だ。でもシンシアナ人じゃない。


 狂獣はもっと骨が粗い。シンシアナは筋肉を切った弾力がある。これは……、だが敵を確認している暇はない、怯んでいる敵も時が経てば正気を取り戻す。それにワンピレーの声は狂獣を集めてしまう。一秒でも早く母さんが助けた師匠を連れて退避しなくてはならない。

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