アミリア
「アンスカーリ公より、至急王都に帰還し参内せよとのことです!」
お世話になったフトトゥミの領主との取引で数日の領地警護を終え、やっと帰途に就いたばかりだというのに、カレンファストが手配した伝令に捕まり呼び出しを食らう。
急いで戦果報告に来いと言うのだ。
――帰りくらいゆっくりさせてくれよ……。
などと思いつつも断れない話なので、騎士団はリレイラとエフェルナンドに任せて早馬で先に帰京する。
何事か戦があれば、戦果は国王陛下に報告しなければならない。我々は国王の下に集う剣であり盾なのだ!
もっとも剣を例えに出すには、どの騎士団も剣技は非常に心許無いのだが。
報告は騎士団長の仕事だ。だが皇衛騎士団に団長はいないので、騎士団最高位の自分と主君たるアンスカーリで行くことになる。
じいさんとワンセットというのは実にいやーんな構図なのだが、甚だ口惜しくも自分はアンスカーリ派貴族なのだ。
……甘受しよう。
王城に行くとアンスカーリに『よいか、お前はハイとだけ言え』とクギを刺される。
怖い怖い。
そして謁見の間には多数のワイズ派が詰めていた。
くわばらくわばら。
そんなアウェイの中、アンスカーリはこの派兵と軍事糧秣の供出を、えらく高く陛下に売った。
それもワイズ卿本人の目の前で。
そんな事をされたら、そりゃワイズは根に持って当然だろう。おかげで退城のおり、王城の回廊でワイズ卿に待ち伏せされ、壁に押し付けられてネチネチと嫌みを言われてしまった。
まさか男からの壁ドン。
あまりの衝撃でワイズから何を言われたか全く理解できなかったが、最後の一言だけは覚えている。
人差し指で顎をクイとされて、「小僧、いい気になるな」。
ときめくんですか!?
女子はこんなのにトキメくんですか???
ワイズが去っても、魂が抜けて暫く壁にもたれて呆然としていたが、冷静になって気づく。
なんで助けてあげたのにイヤミを言われなきゃならんのか!
言いたきゃアンスカーリに言えよ!
ホント心外っ!
でも怒らない。ボク大人ですから。
というのはウソで、ナバル騎士団長が五体投地で報告した衝撃の内容が、あまりに気の毒過ぎて何も言えなかったのだ。
ナバルは震える声でこう言った。
『ムンタムは落ちました』と。
つまり、フトトゥミ帰還後の北方の顛末はこうだ。
ムンタム襲撃の報を受け、北進騎士団は慌ててはムンタムに戻ったが時すでに遅し、ムンタムはシンシアナの手に落ち、奪還を試みるも叶わなかったと。
彼らが着いたときには、ムンタムの城壁にはシンシアナの獅子と剣の旗が翻り、城壁の外には赤い雪と凍てついた魔法兵の遺体が幾つも転がっていたという。
そして城内に残された市民は奴隷となっていた。
ムンタムは堅牢な城塞都市だ。籠もられると設計を把握しているガウべルーアでも、そう簡単には落とせない。
凡そ敵さんはそんな作戦を練っているだろうと想像はしていたが、実際シンシアナは雪山の攻防戦に破れつつも意図通りムンタムの実利を取った訳だ。
生々しい話である。
これはガウべルーア史でも、かなり稀な事らしく、だからアンスカーリも今回の支援を高く売るしかなかったと分かった。我々は頑張ったと言わねば国王陛下の失望と叱責がアンスカーリにも来てしまう。
この口裏を合わせるために、自分は早々にアンスカーリに呼び出されたという訳だ。
この戦いは「豪雪の陣」と名付けられ、耳ざとい王都庶民の格好の噂話しになった。私服で街に出れば市場や宿屋を問わず、耳に聞こえるのは不甲斐ない北進騎士団の陰口ばかり。
黙っていられないのはワイズ派の諸侯だ。
敵に大攻勢に対して、最小の被害で抑えた善戦であったと唱えるアンスカーリ派に対し、これはアンスカーリと坊やが支援を惜しんだ故の仕組まれた敗戦だったと吹聴する。
だがそのあしらいは老獪なアンスカーリの方が上手かった。当たらず触らず平常運転を決め込む。
庶民は陰謀説がとっても大好きだ。
この手の裏がありそうに聞こえる話は、反論すれば逆に胡散臭く思われる。だからこそセンシティブな話題が出ていても、アンスカーリは何事もなく通常の出兵対応として帰陣式を開いた。
この腹の座りよう。このじいさんはやはり政治家だ。どこの世界にもこういう人物はいるものである。
帰陣式には派閥の貴族とそのご婦人、そしてアンスカーリ派の騎士団からは“大隊長以上”が呼ばれる。
もちろん当事者のラド達の参加は言うまでもない。
貴族の社交なんて、想像するだに堅苦しそうで、話が来た時には断ろうと思ったが、『帰陣の主役はマージア殿ですぞ』などと言われてしまえば断るに断れず、内心うげーと思いつつ参加することにした。
「ほんとダンスなんか踊れませんよ」
と念押しすると、
「心配ご無用です」
と何を根拠に言うか分からぬ答えが返ってくる。
もう勇気と度胸!
清水の舞台から飛び降りる覚悟で、エフェルナンドとリレイラ、ティレーネと会場となるアンスカーリ邸に赴けば、式はアンスカーリの「みなみな、ご苦労じゃった」の挨拶で始まり、あとは専属料理人が腕を振るう晩餐を肴に、ただ騒ぐだけの宴会!
「忘年会かよっ!」
考えてみればアンスカーリ派の腹の出た貴族どもが颯爽とダンスを踊る姿なんて全く考えられない。
なんたる思い込み!
貴族の社交がダンスに直結だなんて、この世界に来て何年、未だラノベの洗脳が抜けてない!
因みに膝の上でネコを撫でる婦人も見たことないし、見目麗しい子女が通う学園もねぇ!
しかしラノベって……我ながら懐かしいわ。
ホッとしたら急にお腹が空いてきたので普段は食べられないイモ以外の料理を突く。
「あっ、甘くて美味しい。この粟餅」
落ち着くと緊張の鼓動と呼吸に埋め尽くされていた耳に声が届き始める。
だが聞こえるのは、
「スタンリーの小僧がどうした」とか「我々がわざわざ手を貸してやった」とか「負け戦をアンスカーリ公のせいにした」とか「陛下のご機嫌はどう」とか、実にくだらない愚痴ばかり。
居酒屋でストレス発散――。
そんなのはサラリーマン生活で十二分に体験してきたのに、なんで生まれ変わって同じ事をせにゃならんのだ!
はっきり言って国王陛下がどちらの肩を持つかなんて知る気はないし、知ったからといってどうするつもりもない!
そう思うのはリレイラも同じか、気遣いは無用とばかりに上品を装いながらも、一言も喋らず目一杯、ごちそうを腹に詰め込んでいる。
まぁこの娘の場合、食べるのが忙しいから喋らないであるが。
たのむから食欲は儀礼服が破れない程度でお願いしたい。恥をかくのはボクなので。
一方、ライカ代理のティレーネは、この場の雰囲気に完全に込まれてコチコチ。臙脂の制服から垂れる金糸の飾緖が小刻みに揺れるほどで、もう料理なんて喉を通る状態ではない。
「わ、わ、わ、わ、わ、わわたし、ば、場違いですよね」と、小刻みに震えた声でどもりながら涙目で訴える。
ティレーネがここに居るのには訳がある。ライカが気を利かせて参加を辞退したのだ。
『ライカがいると、みんな困るだろ』
帰陣式の話をすると、ライカはニコニコしながら答えた。
そんなワケないだろと叱りつけても、
『ライカはああいうの嫌いなんだ。行くとドキドキしてお腹が痛くなっちゃう』
なんて聞き慣れない口調で言う。
なっちゃうなんて、ライカの口から一度も聞いたことはない。
だが、そんな慣れないウソをついても、自分や皇衛騎士団の立場を考えてくれたのだ。だからもうそれ以上言えなくなって、ただライカの頭に手を乗せてグリグリしてやるしかなかった。
そんな些細な事で、やけに満足に目を細める顔が苦しくて切なくて、せめて余ったご飯は折り詰めにしてやるよと言うと、『なんにゃ? しゅにんは気なんか使う必要ないぞ』と、逆に気を使われてしまった。
そんなライカが心を砕いた帰陣式が、サラリーマンの宴会だったとは。
また声が聞こえてくる。
「堅塁を誇るムンタムさえ守れんとは不甲斐ない」
「民を守れぬ騎士団など金の無駄」
「まったく気が緩んでおる」
「ワイズに騙されておった庶民も哀れな」
確かに北進騎士団は愚かだった。シャミを傷つけたのも腹立たしい。だが戦ったのは彼らだ。命をかけたのは彼らだ。
暖炉の前でくつろいでいた奴らが、訳知り顔で評していい話しじゃない。
大貴族の前だから低レベルなご機嫌取りの花が咲き腐臭を放つのだ。
そしてこんな奴らがガウベルーアを動かし、政を行い、国を守ると称してパーンやハブルを虐げてきた。
だが、その一員に自分もいる。
居場所を作りたかった。
ただそこを目指して、その道を最短で駆け抜けてきた。
アンスカーリに足元を掬われたりしたけど、それでもこの道は途切れていない。パラケルスでウィリスの元で働いているだけだったらヴィルドファーレン村は出来なかった。
だからこの道は間違っていない。
だけど――
気持ち悪い。
小さな世界で国王陛下の心証に一喜一憂し、庶民を小馬鹿にする。
ココにいていいのか、それでいいのかと魂が言っている。
どんどんネガティブな思考に染まるのが耐えられなくなり席を立とうとすると、「ラド、こっちにこい」と子犬を呼ぶようにアンスカーリに呼び止められてしまった。
「そう嫌な顔をするな。儂が呼んだからと言って、悪い話しばかりではないわ」
もちろんそんな話は信じない。仏の顔も三度まで。絶対面倒な話に違いないので能面でアンスカーリを見やる。
もっともこの世界には神も仏も宗教もないので、向ける顔は三度に限らないが。
「そいつらと前に並べ」
そいつら?
アンスカーリの視線を追うと、どうやら随伴したリレイラとエフェルナンド、ティレーネの事らしい。
渋々横一列になって前面に並ぶ。
人前に立たされると小学校の頃に叱られ事を思い出す。なぜか貧乏くじを引く自分は、友達と同じ事をしてもよく怒られた。アタリを引く天才というか、リーチ一発を振り込む天才というか、己の奇妙な強運に辟易とする。
「ドライリー、例のものを」
アンスカーリは何やら申し付けて運ばせると、ドライリーから受け取った布切れを、わざわざ小さくしゃがんでラドの頭から通して被せる。
そして引目にラドを見て、一言。
「ふーむ、お前はちっこいから、サマにならんのう」
なぬ!? 勝手に呼びつけて、勝手になにやら被せて、サマにならんとは何事か!
「ちょっとなんて言い草ですか! 失礼なって、これなんですか?」
通された布切れの裾を手に取ると、それは青地の厚手の布に刺繍の入った貫頭衣。サイズはバスタオルくらいで生地の感じはネル。真ん中に穴が空いており、そこから頭を通すような謎の服だった。それが自分には長すぎて端っこが地についている。
アンスカーリはラドの質問には答えず立ち上がり、もったいぶった口調で皆に聞こえるように、こう言った。
「この度の戦、大義じゃった。難戦であったが余人には成し得ぬ戦果であった。ここに誰も欠けずに集えるのはお主のお蔭じゃ。儂から感謝を伝えたい。そしてラド・マージアにアミリアを授ける。儂に何かあれば二人ともアミリアに従え。ラドよ、これからも儂の側に仕え支えよ」
おおっと、周囲のどよめき。
そして、何やらギラつく視線が刺さるようにやってきた。だがアミリアがそもそも分からない。
ぽけーっとしていると、「なんじゃ、そっけないのう」と、アンスカーリは期待外れの顔を差し向ける。
被せられたアミリアと呼ばれた布には、大きな星の図案を中心に小さな星が回る、ソーラーシステムみたいな刺繍がされている。
もちろん図案の意味は分からない。
「あ、ありがとうございます。珍しいですね、アンスカーリ公が僕に何かをくれて礼までするなんて……」
また、ザワザワ。
「お前はかわいくないのう。アミリアは儂の親族に準ずる者に与える称号じゃ」
へー、そんな習慣があるんだ。
親族に準ずる?
?
……ちょっとまて、ということは、アンスカーリが僕のじいさん?
えっマジっ!?
こんなじいさんの老後の面倒なんか見たくないんだけど!
「アンスカーリ公! マージア殿は準貴族ですぞ。そのような者にアミリアなど」
「わかっておる。じゃが儂もいつまでも健康ではない。先を考えねばならぬ」
「何をおっしゃいます。公は壮健ではありませぬか」
椅子を蹴倒した貴族達がアンスカーリの周りに集まり、わいのわいのと説得に走る。
ラドの周りにも同じように貴族達が集まってきた。
「マージア殿、辞退されよ。貴殿には不相応であるぞ」
「アンスカーリ公にお返しされよ」
いままで呑気に愚痴に花を咲かせていたのに、血走る目で口々に同じような事を言いラドの肩をガクガクと揺さぶる。
宴会はまるで夕立のような大騒ぎだ。
だが一人、悠然と構えている者がいた。
「皆様、それはムリというものではありませんか? これは公が決められたこと。それを覆そうとはアンスカーリ公への非難となりますが」
「非難ではない! アンスカーリ公は誤った判断をされたことはただの一度もない。それは我々が一番よく知っております。しかし、このご判断ばかりは一言申さねばなりません」
「見苦しいですぞ。アミリアはアンスカーリ公がお一人で決められる事。余人に口を挟む余地はありません」
「カレンファスト卿、しかし……」
カレンファストと他の貴族の顔を交互に見る。するとカレンファストがコチラにやって来て、諭すように説明を加えた。
「ラドくん、アンスカーリ公が仰った親族に準ずるとは、真にそのような意味と捉えて戴いて結構。この意味はキミなら分かるね」
「まさか本当にじいさん?」
カレンファストは、ニヤッとラドだけに分かるように笑うと、肩をポンポンと二度叩き耳元でささやいた。
「これはチャンスではないかな? キミの野望を叶えるためのね」
「野望……」
「ま、せいぜい老人のお使いに精を出そうではないか」
へっ?
ええっ???
なんでーーー!!!